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34「世界の果てから最後のQ」


「ずっとずっと、この時を待ち望んでおりました――一つになりましょう、八伏お兄様」


 鵜渡路舞はそう言うなり自らから溢れる神聖なオーラのようなものを束ねて、これを四枚の翼に作り変える。

 その様は地上に舞い降りた女神といったところか。

 もっとも、女神という存在がこんなにも悍ましい存在なのか疑問の残るところだが。


「……それって、プロポーズの言葉だったんだな」


 俺もまた、魔王の力で空中に留まりつつ言った。

 鵜渡路はふふふと微笑む。


「おかしなことを言いますね、八伏お兄様がそう教えてくれたんでしょう?」


「そうだったかな」


 俺は冗談めかして言う。そして


「……もうやめてくれ、鵜渡路」


「残念ながらそれはできません、全てはお兄様のためなのです」


「これが、俺のためだって?」


 俺は眼下に広がる光景を見渡した。

 収縮した世界は、今にもリューデンブルグの町を握り潰そうとすぐそこまで迫ってきている。


 黒く染まった海は荒れに荒れ、大地を揺るがすほどの波音を轟かせている。

 更には波間から時折、巨大な触手のようなものが現れ、海を割った。


 血のように紅い空では、絶えず雷鳴が鳴り響いている。

 雷雲などただの一欠片とて見当たらないというのに。


 そして唯一残った世界の孤島、リューデンブルグの町は影の怪物の襲撃により深い傷を負っていた。

 屋台は残らず打ち壊され、船は沈み、ごうごうと燃え盛る炎に包まれる家屋も見受けられた。

 それはまさしく世界の終わり、そのものである。


 しかしすでに女神と化した鵜渡路は、これをひととおり展望し、そしてあっけらかんと応えるのだ。


「――だって世界がお兄様に優しくないんですもの」


「優しくない?」


「ええそうです、特別な能力も与えられず未知の世界に放り出された挙句に殺されかけ、更には無実の罪を着せられ、殺されかけ、殺されかけ、そして恩人を殺されました、さぞや辛かったでしょう」


「……お前のせいっていうのも、おおいにあると思うけど」


「ご容赦ください、多少強引ではありましたが、私なりにお兄様を救おうとしたのです」


「……それについてはありがとな、確かに鵜渡路がいなけりゃ、俺の異世界生活は冒頭で首を刎ねられて終わってたわけだし」


「ご理解いただけて幸いです」


「それで、これから俺のために何をしようって?」


「ええ、お兄様に優しくないこんな世界はさくっと滅ぼして、お兄様に優しい世界(・・・・・・・・・)を創り直します」


 なんて世迷言、気でもふれたのか――

 他の人間がその言葉を口にしていたとすれば、俺は間違いなく一笑に付したはずだ。

 しかし他でもない“鵜渡路舞”が言っている。

 つまり、事実そうなるのだ。


 どれだけ荒唐無稽でどれだけバカげたことでも、彼女が口にすれば、そうなってしまうのだ。


「……スケールがでかすぎてもう訳わかんねえよ」


「すぐに分かりますよ」


 鵜渡路が純白の大剣を構える。

 形こそ変わっていないものの、それはあの時玉座の間で見たものとは全くの別物だ。

 まるで剣の周囲だけ空間が凍り付いているかのような、悍ましい力の流れを感じる。

 ――あれはこの世にあってはいけないものだ。

 俺の中の魔王のロールが、警鐘を鳴らしていた。


「リューデンブルグの外の世界は全て消滅いたしました。どのみちあともう少しで全て終わりなんですが、どうやら心優しい八伏お兄様はこの世界に未練がおありのご様子ですし、私が責任をもってその未練を断ち切って差し上げましょう」


「鵜渡路、お前一体何を……」


「ですから、ウノちゃんですってば――」


 鵜渡路が純白の大剣を振るう。

 すると大剣は神々しい光に包まれ、これを合図に世界の果ての闇からある物が生まれ落ちた。

 影の怪物、しかも十や二十では利かない。

 世界を覆いつくした闇が、そのまま意思でも持ったかのように形を得て、ぞろぞろと這い上がってくるのだ。

 そして怪物どもは一直線にリューデンブルグの町へと――


「掴まれイオネ!」


「くっ……!?」


 俺はイオネを強く抱きしめて、流星のごとく急降下を開始した。

 影の軍勢は海を渡り、山を越え、町へとなだれ込んでくる。

 四方を囲まれ、逃げ道などどこにもない。


「か、影の怪物があんなに……!」


「もう駄目だ! 世界の終わりだ……!」


 再び展開された阿鼻叫喚の地獄絵図。

 その最中に降り立って、俺はイオネを抱えたまま黄金の剣を構える。


「いくぞ化け物ども!」


 初めに、丘から滑り降りてきて、そのままの勢いでこちらへ飛び掛かってきた頭がでかく腕の長いオランウータンのような影の怪物を切り伏せる。

 オランウータンは改変の波に巻き込まれ、見上げんばかりの向日葵に変貌する。


 次にやたらと平たく素早いワニのような怪物が襲いかかってきたが、俺は地面を掴んでひっくり返し、世界にエラーを引き起こす。

 これによる大規模な改変の波が、ワニを含めた数匹の怪物をチューリップ畑へと変えてしまった。


 次――と振り返ろうとすれば、空から飛来してきたソレに肩を攻撃される。

 あまりの衝撃に「ぐっ」と呻きをもらして前のめりになった。


「は、ハチブセ!?」


「クソ!!」


 げたげた笑う半人半鳥の影の怪物へ斬撃を飛ばした。

 斬撃はヤツの片翼を吹き飛ばし、そして無数の綿毛に変える。

 一体一体はなんなく倒せる、しかし!


「数が多すぎる!!」


 四方八方から押し寄せてくる影の怪物たちは、斬れども斬れども無限に湧いてくる。

 このままではいくら魔王のロールが凄まじいとはいえ、単純な数で圧し潰されるのも時間の問題だ!

 それに――


「た、助けてくれっ……!」


 逃げ惑う住人の一人が、巨大な蠅のような影の怪物に襲われている。

 俺はすかさず蠅の怪物に飛び掛かって、ヤツの背中に腕を突っ込み、身体を裏返す。

 すると蠅の怪物は一瞬の内に蓮の花へと変わってしまった。


 これだ。

 たとえ世界を救ったとしても、生き残ったのが俺だけでは意味がない。

 俺は住人を守りながら戦わなければならないのだ!


「これじゃあキリがねえ!」


 魔王の力は凄まじいが、敵も、守るべきものも多すぎる!

 俺は幾度となく黄金の剣を振るう。

 時には身を挺して怪物の攻撃を受け、斬る。

 皮膚を切ろうと血反吐を吐こうと、俺はただ剣を振るうだけ。


「ハチブセもうやめろ! お前が死んじまう!」


 修羅と化した俺を見るに見かねてイオネが叫ぶ。

 だが――


「関係あるか! 俺はまだ生きてるんだ!」


「――ふむ、その意気や良し、まさしく黄金の如し、だ」


 ――ふいに声が聞こえた。

 それは、この絶望的な状況でなお落ち着き払う、少年の声。


 次の瞬間、地鳴りとともにリューデンブルグの町が“生命”を得た。


「こ、これは……!?」


「な、なんだ!? どうなってんだ!?」


「家が、家が――歩いてやがる!」


 奇妙な光景であった。

 リューデンブルグの町を形作る家々が、文字通り立って歩き始めたのだ。


 そして今までの復讐だとでも言わんばかりに、近くの影の怪物へと襲い掛かって、殴り、けたぐり、圧し潰してしまう。

 巨大な家々が異形の怪物を圧倒していく様は、まるで特撮映画のワンシーンだ。


 こんな滅茶苦茶な真似をできるヤツ、俺は一人しか知らない。


「――ペルナート・ディラストメネス!」


「数時間ぶりだな我が盟友、偉大なる真理の探究者よ」


 白髪を後ろで束ねた隻眼の少年は、中でもとりわけ巨大な家の()の上で、仁王立ちになっていた。

 なんて……なんて美味しいタイミングで来るんだコイツは!


「すまんな、人手が必要かと思い、町中にゴーレム製作の術を施していたら遅くなってしまった! さしづめハウスゴーレムとでも呼んでくれ!」


「なんだそれかっこいいな! 畜生!」


 ハウスゴーレムが影の怪物と交戦する。

 数の上ではほぼ互角。

 ペルナートが叫んだ。


「いいかよく聞けハチブセ! あの怪物は私とハウスゴーレムが食い止める、その隙にお前は愛の勇者が持つ大剣を破壊しろ!」


「大剣を!?」


「ああそうだ! 召喚勇者のロールは武具に宿る! すなわちアレを破壊すればヤツはロールを失い、奪われたロールは全て流転の輪に返還される! これで世界の収縮が止まるはずだ!」


 俺は上空でこちらを見下ろす鵜渡路舞、彼女の携える純白の大剣を見た。

 アレか、アレを破壊すれば、この悲劇に終止符が打てる――!


 その時、眼前に一筋の光が走った。

 遅れてぎいいいっ、と豚の鳴くような声。

 見ると、俺のすぐ後ろで枯れ木のごとく細長い蟷螂の怪物がのたうち回っていた。

 やたら巨大な複眼から、一本のナイフを生やして。


「――ボケっとしてんなハチブセ! しょうがないからボクも手伝ってやるよ!」


「イオネ!」


 イオネ・ロックフリントは投げナイフを構え、不敵に笑む。


「お、俺たちもやるぞ!」


「ここは俺たちの町だ! 自分の住むところぐらい自分で守れなくてどうする!」


「なんせあのイオネちゃんが頑張ってるんだ! ここでいかなきゃ男が廃るぜ!」


 そして、こちらの熱は町の人々にも伝播した。

 彼らは武器を構え、各々のロールを活かし、影の怪物たちに立ち向かう。

 一人一人では劣るが、しかし彼らの連携と不退転の覚悟は、確かに影の怪物を圧倒していた。


「皆……!」


 世界の終わりに、希望の光が差す。

 今ここにきて皆が一つになった。

 ロールの序列など関係なく、ただ世界を守るという一点において団結したのだ!


 もはや絶望など、微塵もなかった。

 俺は遥か頭上からこちらを見下ろす鵜渡路を睨みつけ、そして宣言する。


「悪いが、世界は救わせてもらうぜ! 俺はこんな思い通りにならない世界でも、それなりに気に入ってるんだよ! 少なくともお前に価値を決められる筋合いはねえ!」


 それは宣戦布告。

 残されたほんの僅かな世界を守ってやるのだという強い意志。

 俺は、ここにきて初めて、魔王として勇者鵜渡路舞に立ち向かったのだ。


 どうだ鵜渡路舞、少しは悔しそうな顔をしているか――?


「……うーん、どうやら私の意図が正しく伝わってなかったようですね」


 ――否、鵜渡路舞は笑っていた。

 笑いながら、更に続けた。


「もう、そういう段階ではないんですよ、お兄様」


 鵜渡路が、ぱちぃんと指を鳴らした。


 ――その瞬間、まるで照明でも落としたように、世界は闇に包まれる。


「……は?」


 俺は呆けた声を漏らすしかなかった。

 何故なら、そこには何もなかったからだ。


 音も光も、天も地も。

 リューデンブルグの町も、ハウスゴーレムも、影の怪物も。

 町の人たちも、ペルナートも、イオネも。


 俺と鵜渡路舞以外の全てが、世界から消失してしまった。

 そこで初めて俺は世界が闇に包まれたのではなく、世界が無になったのだと知る。


「――はい、たった今、世界は終わりました。正確には世界の支配権が完全に私へと移行したわけですが……ああお兄様、なんでそんな悲しそうな顔をしているのです? 言ったでしょう、すぐに分かります、と」


 俺はもはや声を発することすらできず、茫然と立ち尽くすほかなかった。


 ……終わった? あんなにも呆気なく?

 俺たちの決意や覚悟など関係なく、ただ指を鳴らしただけで?


 黄金の剣が、ずるりと手の内から滑り落ちた。

 戦う意思など、当然ない。

 だって俺にはもう守るべきものが、一つとしてないのだ。

 世界には俺と鵜渡路しかいなくなってしまったのだから。


 いや、違う。

 此処は世界の果て。

 此処に在るのは、たった一人の俺と、そして


「さあ、では改めて申し込みます、八伏お兄様――(世界)と一つになりましょう」


 俺は世界の果てまで追い詰められ、究極の二択を迫られている。

 鵜渡路舞(世界)と一つになるか、それでも鵜渡路舞を討ち倒し、たった一人の世界を救うのか。



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