29「俺が決めた」
その時、町の時間が止まった。
同胞に変えられてしまった影の怪物の子供たちが。
町を守るべく奮闘する住人たちが。
そして俺の腕の中で、まるで信じられないように目を丸くするイオネが。
誰もが俺を見ていた。
それが自らを魔王と名乗る頓珍漢に向けられたものなのか、それとも我らが救世主に向けられたものなのかは――
「なんだあのイカレ野郎!」
あ、これ前者だわ。
「なんだお前この一大事に!」
「言うに事欠いて魔王だと! 当代の魔王は女だボケ!」
「色々あったんだよ色々! ほら、あの化け物も倒しただろ!」
先ほど斬り捨てた影の怪物を指して、必死で抗議する。
百歩譲って俺が魔王の名を騙るイカレ野郎だとしても救世主は間違いないだろ!
……ん、なんで皆そんなぽかんとしてんの?
「――おいおいおいおいおい!! ハチブセ後ろ後ろ!!!」
なんだかイオネが俺の腕の中で、ぎゃあぎゃあ喚き始めた。
「うん?」
振り返る、するとそこには大きく開かれた巨大な口が。
「――あぶねえっ!!?」
「ひいいっ!?」
緊急回避。
すぐ横で、がちん! と怪物の巨大な歯が鳴る。
なんだ今の音! 近くで衝突事故でも起きたのかと思ったわ!
「アイツまだ生きてんのかよ!?」
綺麗に二枚おろしにしてやったのに、影の怪物サマはまだまだ健在のご様子。
どころか断面がびちびちと波打って、再生しようとしているではないか。
気色悪! 半身になっても元気ってどういうことだよ!
なんにせよ、影の怪物はターゲットを完全に俺へと切り替えたらしい。
側面から生えた手が、ざわざわと蠢き、絡まって、そして一本の巨大な腕の形を成す。
怪物はこの腕をもって、まるでテーブルの上のゴミでも払うように、地面を薙いだ。
大気をかき混ぜながら、怪物の腕が迫る。
「や、やばいやばいハチブセ! これ死……っ!」
イオネがばしばしと俺の二の腕を叩いてくる。
しかし心配ご無用。
俺はイオネを抱きかかえたまま、高く跳ね上がる。
それは跳躍というよりも――飛翔であった。
「え……?」
イオネが間抜けな声を漏らす。
ああ、そりゃそうだ。
なんせ突如として視界を阻むものが何一つなくなってしまったのだから。
「……やべ、また力加減ミスった」
暗く、静かな海が見える。
リューデンブルグの町並みが一望できる。
紅い夜空に手が届きそうだ。
さて、例の影の怪物たちはというと――俺たちの眼下で豆粒ほどの大きさになっていた。
「ととと、飛びすぎだろお前!?」
「ははは、悪いなイオネ! こちとら見習い魔王なもんでな!」
「こんな間抜けな魔王がいるもんか!」
そう言って、イオネは笑った。
その笑いには、多分に安堵の色が含まれている。
恐ろしかったのだろう、不安だったのだろう。
おもむろに、イオネがぎゅっと抱き寄せてくる。
もはや懐かしいもじゃ頭が、俺の目の前で小刻みに震えていた。
「……探したんだぞ、もう、勝手にどっか行ったりするな、お前はボクの大事な……雇い主なんだから」
「そうだな、そうだったな、だったらこんなところで死んでる場合じゃないな」
「ああ、そうさ、そうともさ、ボクたちはこれから海の向こうで、目も眩むような大金を手に入れてやるんだ、そんでのんびりくらすのさ」
「一年がいいところじゃなかったっけ」
「そうだったかな」
イオネは俺の胸の内で、悪戯っぽく笑う。
そして彼はひとしきり笑ったのち、優しげな口調で言うのだ。
「――だから、あとは任せたぞハチブセ」
「ああ、任しとけ!」
俺は黄金の剣を口に咥えると、今にも手が届きそうな紅の夜空へ手を伸ばして――比喩ではなく、本当に空を掴んだ。
夜空の裾へと指を食い込ませて、引き延ばす。
空が落ちてくる。
これもまた比喩ではなく見たままの光景、そのものである。
「いくぞナス野郎! これでも食らいやがれ!」
俺は重力に任せて、魔王パワーで更に加速。
紅い空を引き延ばしながら落下してゆくさまはさながら流星である。
影の怪物は、おおよそ生物とは思えないフォルムをしていたが、それでも本能的なものは備わっているらしい。
体の側面に生えた無数の腕をざかざかと動かし、巨体に見合わぬ俊敏さでその場から逃げ出す。
着弾予想地点に残るのは、呆けたように空を見上げる怪物の子供たち。
……もし、俺がもう少し早く決断していれば、お前たちはそうならずに済んだのかもしれない。
ならばこれはせめてもの償いだ。
俺が全部終わらせてやる。
次の瞬間、俺と、俺によって引き延ばされた空が、地に落ちた。
大地と空が混じり合い、空間が歪む。
そして歪みは、一つの黒点を作り出した。
俺はこの黒点の存在を確かめるなり、飛びのく。
「ギッ……!」
怪物たちがようやく何かに気付いたように声をあげるが、時すでに遅し。
天と地が混じり合うという壊滅的な改変に、世界が悲鳴をあげたのだ。
歪みは黒点となって現れ、そして周囲のあらゆる物を書き換える。
「うおおおっ!?」
「な、な、な、なんだこれ!?」
「……は、ははっ、すげえよハチブセ! お前、本当に魔王になっちまったんだな!」
様子を眺めていた住人たちが驚愕の声をあげ、イオネは心底楽しそうに笑った。
天と地の交わった場所――そこは、一面の花畑へと変貌していたのだ。
野花咲き誇る、ささやかな花畑。
そこに影の怪物の姿はない。
全て改変の波に巻き込まれて消え、在るのはただの人畜無害な花畑のみ。
影の怪物の親玉がこれを見て、凄まじい声で嘶いた。
すると怪物の子供たちが、うじゃうじゃと集まってきて、怒涛のように押し寄せてくる。
人々は視界を埋め尽くす怪物たちの津波に絶望した。
だが、だが、だが――!
「――ワハハハハ! 狼狽えるな愚民諸君! 魔王の御前であるぞ!」
俺は押し寄せる怪物波を前にして、黄金の剣を三度振るった。
空中に刻まれた斬撃は、世界に黒い爪痕を残す。
世界が歪み、甲高い悲鳴をあげる。
その直後、大規模な改変が起きた。
押し寄せてきた怪物たちは、なべて改変の波に巻き込まれて、ある物へと変貌してしまう。
それは、巨大な桜の木。
一本、二本三本と、あっという間に見事な桜並木が出来上がり、気分は花咲か爺さんだ。
更に俺が一度剣を振り払うと、ぶわり風が舞い起こり、ジャパニーズ桜吹雪のお披露目である。
「……こりゃ夢か、俺は夢でも見てるのか?」
誰かが夢見心地に呟き、そして誰もが声なき肯定をしていた。
皆が皆、絶望的な状況を忘れ、影の怪物のことなど視界にも入れずに、花見に夢中である。
してやったり、俺はにやりと口元を歪める。
しかし、影の怪物様はお気に召さなかったようだ。
ぎいいいいいっ、と豚のような雄叫びをあげて、脇目もふらずに突っ込んでくる。
その迫力たるや「ああ、線路に飛び込み自殺をする人が最期に見る光景ってこんな感じなのかな?」などと考えてしまったほどだ。
「――ハチブセ!!」
すぐそこまで迫った影の怪物を見て、イオネが俺の名前を叫ぶ。
俺はゆっくりと手を突き出し、そして――片手でヤツの突進を止めた。
凄まじい衝撃が周囲へ発散され、桜吹雪が吹き荒れる。
しかし、俺は微動だにしなかった。
たとえ1㎜だって下がってはやらなかった。
影の怪物が、腕を束ねて横合いから殴りかかってくる。
凄まじく巨大な拳だが、なんのことはない。
俺はこれを更に立てた膝で受け止める。
再び桜吹雪が吹き荒れたが、むろん、俺はびくともしない。
影の怪物が一瞬固まった。
恐怖か、諦観か、そんなことはどうだっていい。
重要なことはただ一つ。
「もう誰も傷つけないって、俺が決めた」
俺は黄金の剣を構え、そして斬り上げる。
昇る太陽のごとく、俺の斬撃は怪物の腹を裂き、胸を割って、喉を潰し、そして眉間から抜けた。
これは、反撃の狼煙である。
このふざけた世界を滅ぼす、魔王の一撃。
剣を収める、裂け目が黄金に光り輝く。
そして影の怪物は――見上げんばかりの巨大な枝垂桜へと変わった。
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