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28「魔王はワハハと笑うもの」


 ただうずくまる。

 体を丸くして、内側にできた闇の中へ身を投げ出す。

 ここには誰もいない、ゆえに悲しみも苦しみもない。

 たいそう、居心地が良かった。

 世界の終わりまでずっとここにいれれば、どれだけ楽だろうと、一人考える。


「……結局、おぬしはソレを選択したわけか」


 暗闇の外側から、憐れむような魔王の声が聞こえた。

 ああ、そうとも、こうしていればいいのだ。

 俺がここにいれば、もう誰も――


「誰も死なない、などと考えてはいまいか? 残念だがとうに手遅れじゃぞ、人は死ぬ、これからも」


 ……知ってるよ。


 俺が関わると人が死ぬ。

 なら俺は誰にも迷惑をかけないで一人ひっそりと死ぬべきだ――なんてのはもちろん言い訳。

 本音ではただ、もう何も見たくなかったし何も考えたくなかっただけ。


「俺には、あんな化け物どうしようもない」


 鵜渡路舞はすでに人間ではないのだ。

 だとすればロールも持たない俺に何ができるというのか。


「見事に腐っておるの、わはは」


 からかうように、魔王が笑う。

 いいから放っておいてくれ。


「ふむ、しかしあれだな、どうせ世界の終わりまでそこにいると言うのなら、せっかくじゃ、少しワシとのお喋りに付き合え」


「そういう気分じゃない」


「やや、冷たいのうおぬしは、もうすぐワシ、愛の勇者に殺されるというのに」


 ぴくり、と肩が跳ねた。


 恐怖か、諦観か。

 それらを隠すような、わざとらしくおどけた口調。

 その言い方はずるいだろ……


 俺は顔を上げて、しばし暗闇から脱する。


「少しだけだからな」


「はは、よいよい、では世間話でもするか、最近の趣味は?」


「……一人で酒飲みながら、アニメ鑑賞」


「好きな動物は?」


「ツチノコ」


「では――初恋の相手は?」


「……それは」


 言葉に詰まる。

 定番の質問だが、いざ聞かれてみると思い出せないものだ。


「くくく、どうしたおぬし照れているのか? いい歳こいて? 初恋が言えない? もしやまだ好きであったりとか……?」


「ち、ちげーし! 今思い出してんだよ!」


 魔王のからかうような物言いに、思わず声を荒げて反論してしまう。

 彼女は「えー? 本当かー?」と、ニヤケ面を晒していた。

 クソ! 初恋の一つや二つ言えるわ!


 えーと、アレは確か……


「あの頃はまだ大学生だったから、21の時かな……?」


「うわー、随分と遅い初恋じゃのう、気持ち悪いぞおぬし」


「うるせえ! そもそもそれまで女の子と仲良くなる機会なんてなかったんだよ!」


「あ、ごめん……」


「普通に謝んな! ちょっと泣きそうになるだろ!」


「まぁ、おぬし見た目は別段悪くはないが、なんか頼りないしな、あといかにも馬鹿な男Aって感じで、女ウケ悪そうじゃ」


「普通に分析すんな! 泣いてるからなもう!」


「して、その相手とは? どんな女子じゃ? 年下か、年上か? 胸がでかいのか、壊れそうなくらいに華奢か?」


「……言ったら笑うだろ」


「ははは、笑わん笑わん、申してみよ」


 もう笑ってんじゃねえか、畜生。

 なんにせよ、彼女のいやにキラキラした視線を受けていると、どうにも耐えられなくなり。

 俺はしばらく経ってから、観念して答える。


「……その、女子中学生、7つ下の」


「うわ……」


 笑われはしなかったが、本気でドン引きされた。

 ――だから言いたくなかったんだ!!


「うわ、おぬしさすがにそれは……うわ……」


「なんだこの野郎! 言いたいことあるんだったら言えよ!」


「クソロリコンじゃ……病気じゃ……」


「そこまではっきり言うな!」


 俺だって一応自覚はあるんだからそこは大目に見てくれよ!

 好きになっちまったもんはしょうがないだろ!


「し、してそのきっかけは……」


「そんな吐きそうな顔で無理して聞くなよ……しかし、そうだな」


 改めて思い出してみると、なんと懐かしい記憶だろう。

 なんせ四年以上昔の記憶だ。

 アレ以降、彼女とは会っていないし、犯罪者扱いされるのが関の山なので誰にも話していない。

 ゆえに思い出す機会もなく、ほとんど忘れる手前だった。

 懐かしいな、あれは大学生活3年目の秋のこと……


 ――ちりっ、と頭の底に弱い電流の走るような感覚。


「……あれ?」


 ちょっと待てよ、ちょっと待て。


 俺は初恋のあの子を、頭の中で再現する。

 ……そう、こんな顔。体つきはこんなので、髪型はこう。それでいて声は確かあんな感じ。

 そう、そして確かあの子のあだ名は――


 俺はその時、頭の中でバラバラになっていたパズルのピースが一気に正しい位置へ収まるような、そんな閃きを得た。


「……どうかしたか、ハチブセ?」


 魔王が何か言っていたが、そんなのが全く聞こえなくなるほどの衝撃だった。

 そうか、そういうことか。

 俺はあまりの衝撃に打ち震える。

 なんということだ、こんな偶然、奇跡的な巡り合わせ。


 しかし、


「……どうせ全部終わったことだ」


 今更気付いて、どうだと言うのだ。

 ただ数段胸糞悪くなっただけじゃないか。

 俺は再びダンゴムシ状態に戻りかける。

 そんな時だった。


「ふむ、思ったよりも早かったな」


 おもむろに魔王が言った。

 何が、そう問い返そうとすると、まるで風に吹かれたロウソクが揺らめくように、世界が揺らいだ。

 玉座の間を照らしあげる松明の炎が、少しずつ消えてゆく。


「愛の勇者が魔王城にたどり着いた、五本指を含めた魔王軍の全戦力でこれの迎撃にあたっているが、もって5分、そうすればヤツは玉座の間に踏み込んでくるじゃろう」


「……そうか、でも悪いな、俺にはなにも……」


「ほほう、そっちもそっちで大変みたいじゃなぁ」


「……何を言ってる?」


「いやさ、ワシには遠見の術があるからの、ほれ」


 魔王がこちらへ一枚の手鏡を投げ放ってくる。

 俺はこれを慌ててキャッチして、鏡面を覗き込んだ。

 映るのは俺の情けのない顔――ではない。

 そこには、黒づくめの怪物が、リューデンブルグの町を蹂躙する様が映し出されていた。


 怪物はまさしく異形だ。

 見上げるような巨体に足はなく、代わりに女のような細腕が体の側面から無数に飛び出しており、それらを蠢かして百足のように這いずり回っている。

 そして顔と思しきパーツの大部分を、巨大な口が占めている。

 極め付けは、まるで影が質量を持ったかのごとし、漆黒の身体。


 そうだ、俺はコイツを知っている、俺はコイツと目が合った。

 この怪物は、まさしく鵜渡路舞の生み出した影なのだ。


『――なんだこの化け物は! 今までに見たどんなモンスターとも違う!』


『クソ! 攻撃が通らねえぞ、硬すぎる!』


『ああ、なんてこった! Bランクロール持ちがあのクソッタレに喰われちまった!』


『おい、嘘だろ……ヒッ、あ、アイツ! 喰った人間を仲間に変えてやがる!!』


『創造神様……どうか我々をお救いください……』


 それはまさにこの世の地獄とも言える光景であった。俺は思わず手鏡を投げ捨てる。

 手鏡の中では、依然終わることのない悪夢が続いている。咄嗟に耳を塞ぐ、目を閉じる。

 何も見たくない、何も聞きたくない……


「ちなみに今世界中で同じ現象が起こっているらしいぞ、突如として現れた影の怪物が手当たり次第に人を食らって同族に変え、爆発的に増殖しておる、なんでもSランクロール持ちでも勝てんのじゃと」


「やめろ、こんなん見せてどうしろってんだ……俺には何もできないのに……」


 歯をくいしばる、ボロボロと涙が溢れる。

 赤の他人がいくら死のうが、関係ないだろ、関係ないはずだろ……

 ぎゅっと目を瞑る。更なる闇へ潜ろうとする。


『おい、やめろ、お前も喰われちまう! Fランクのロールなんかでどうやって太刀打ちしようってんだ、すぐにゴミみたいに殺されて……あ、おい!』


 手鏡の中から声が聞こえた。

 俺ははっとなって、すかさず手鏡を拾い上げた。


 イオネの姿があった。

 ダガーナイフを片手に、まっすぐと影の怪物たちの群れへ向かっていく彼の姿が。

 彼の目に宿った輝きは、消えていなかった。

 この絶望的な状況でも、彼はまだ諦めていないのだ。


「お、おいイオネ、やめろ……」


 届くはずもないのに、俺は手鏡に向かって言う。

 イオネは止まらない。

 つむじ風のごとく怪物たちをかわして走り、ナイフを投げ放つ。影の怪物には傷一つつけることはできない。

 それでも、それでも彼は


「やめろ! やめろって言ってんだイオネ! お前まで死んじまう!」


『――それでもまだ生きている! 生きてる限り誰にも価値を決められる筋合いはない! そう、アイツが言ってくれたんだ!!』


 手鏡の中、影の怪物と戦いながらイオネは叫んだ。

 それはもちろん俺に向けられた言葉ではない。

 どうしようもなく絶望的な状況を、跳ね除けるため、自らを鼓舞する魂の叫び。


 俺は立ち上がった。


 そうだ。

 俺はどうしようもないクソボケだ。

 こんなところで、ダンゴムシのようにごろごろと!


「魔王! 俺は行くぞ!」


「ほう? おぬしが行ったところで、何も変わらんかもしれんぞ、どころか今より辛い目にあうかもしれん、それでも行くのか?」


 ああ、確かにそうだろうさ。

 俺には何もない、出て行ったところで犬死にがいいところ。

 でも、そういうもんだろ!


「アイツが生きてるのに、俺が死んでいい道理なんて、あるものか!」


 俺は毅然として言い放った。

 その瞬間、ほとんど暗闇に閉ざされかけていた玉座の間が、強烈な光によって再び照らし上げられた。

 それは俺が胸ポケットにしまっていたペンダント――賢者の石の欠片から放たれた光だ。


「う、うお!? なんだこれ!?」


「それは……!」


 光が徐々に収束し、そして賢者の石はあるものを吐き出す。

 俺は咄嗟にこれを掴み取った。

 俺の手の内に収まるは、黄金に輝く一本の――


「剣……?」


「なんと……予想以上じゃ、まさかおぬしのような人間が僅かでも真理に触れるとは……くく、ははは、良い! 良いぞ!」


 魔王は、そこで初めて心の底から楽しそうに笑った。


「それでこそ、ワシがわざわざ人間どもの儀式に介入して、おぬしを召喚した甲斐もあったというもの!」


「……ん!? お前今なんかさらっとすごい重要なこと言わなかったか!?」


「うん? 言ってなかったか? まあ些末なことじゃ、気にするでない、それよりも」


 魔王はそこまで言って、自らの胸に手を当てた。


「こんなところでうじうじし始めた時はどうなることかと思ったが、これでワシも安心して死ねる」


 魔王の掌が、なにやら禍々しい光を帯び始める。

 俺にファンタジーのことは分からないが、それでもこれからなにが起こるかは、察することができた。


「魔王、お前何を……!」


「察しの通りじゃ、ワシは自ら命を絶つ、魔王のロールが愛の勇者の手に渡ってはその時こそ世界の終わりじゃからの、魔王のロールはおぬしに託すとするよ」


「まさか最初からそのつもりで……」


「むろん、魔王は全て計算づくじゃ」


 彼女はおどけた風に笑い、光がひときわ強くなる。


「なんで、なんで俺なんだ……」


「ワシよりも上手くやれると踏んだ、それだけのことよ。だから……ああ、そんな悲しそうな顔をするでない、魔王というのはもっと不敵に笑うものじゃ」


「……お前が言うなよ」


「違いない、かかか……では、あとは頼んだぞ、次なる魔王ハチブセ、世界なんぞさくっと救ってやれ」


 最期の瞬間、彼女は魔王らしからぬ、優しい笑みを浮かべて、そして眠るようにこの世を去った。


 彼女の亡骸から抜け落ちた何かが、俺の中へと流れ込んでくるのを感じる。

 ――ロールは流転する。

 ロールを持つ者の肉体が滅びる時、ロールは新たなロール持ちを生み出す。

 俺たちを召喚した神官がそう言っていた。


 つまり、魔王はロールを持たない俺を召喚すると決めたその時から、世界のために自ら命を絶つことを決めていた。彼女は王としての責務を全うしたのだ。


 ふと、目頭が熱くなる。

 しかし彼女に報いるべく涙は押し殺した。


「……じゃあな魔王、あとは任せろ」


 玉座の間は音もなく崩壊し、そして俺は長い夢から覚める。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 イオネ・ロックフリントが正体不明の影の怪物との交戦を開始してから、すでに十分が経とうとしていた。


 怪物の一撃は、高ランクのロール持ちをいとも容易く葬るほどに強力だが、だからこそ“盗賊”のロールを持つイオネの俊敏さが役に立った。

 イオネは怪物の巨体を翻弄するように駆け、隙があればナイフで牽制するヒットアンドアウェイ戦法。

 イオネにも有効打はないが、怪物もまたイオネを捉えることができない。

 だが、それもつい先ほどまでの話だ。


 怪物の側面から伸びた女の腕のようなものが、イオネの足を掴んだ。


「ぐうっ……!?」


 細腕に見合わず、凄まじい怪力。

 咄嗟にこれを振りほどこうとするが、非力なイオネにそれは叶わず、地面に引きずり倒されてしまう。

 その際に額を切り、おびただしい出血がイオネの視界を塗りつぶした。


「ぐ……く、くそっ……!」


 悶えるイオネを見て、怪物がげたげたと嘲笑う。

 巨大な口を歪め、整然と並んだ歯牙をがちがち鳴らしながら。


 そしてイオネはそのまま逆さ吊りにされて、怪物の直上まで運ばれた。

 ようやくイオネが視界を取り戻した時、自らの頭上に、奈落とも見紛うほど巨大な穴がぽっかりと口を開けているのを見る。

 ――ああ、喰われるんだ。

 イオネは至極冷静に状況を分析した。

 否、すでに諦観していたのだ。


「化け物に立ち向かって食われるのがボクの最期か……上出来だな」


 イオネは自嘲し、ふと、あたりを見渡した。

 怪物の足元でこちらを見上げるのは、すでに彼らの同族へと変えられた、かつてのリューデンブルグの住人達。

 彼らはこれから起こることを期待するように、サルの鳴き声にも似た嬌声をあげていた。


 まだ何人かのロール持ちが、怪物の子どもたちと戦闘を繰り広げているが、やがて全滅するのも時間の問題だ。


「……アイツは逃げ切れたかな……」


 ふっ――と、怪物の腕にかかっていた力が消え、イオネは緩やかに落下を開始する。

 彼女の頭の中に浮かんだのは、ある男の顔。


 どうしようもなく頼りなくて、途方もない馬鹿だったが、しかしアイツの傍にいるのはそんなに悪くはなかったな……


 そんなことを思って、イオネはゆっくりと瞼を閉じる。

 そして――


「あー、うん、こういうのは最初が肝心だからな、ごほん、ごほん」


「え……?」


 突如聞こえてきた、どこか懐かしい間の抜けた声。

 イオネはゆっくりと目を開ける。


 そろそろ怪物の胃の中だろうと思っていたのだが、そうではなかった。

 高ランクロール持ちの猛者たちがいくら攻撃を加えても傷一つつかなかった影の怪物が、頭から一刀両断に切り裂かれて悲痛な叫びをあげている。


 そしてイオネは彼の腕に抱かれていた。

 黒いジャケットをはためかせ、片手には一片の曇りのない黄金の剣を携える彼の腕に――


「ハチブセ……」


 イオネは自らが夢でも見ているのかと、思わずその名前を口にする。

 すると彼はにっこりと微笑み、そして高らかに笑って宣言したのだ。


「――ワハハハハ!! 我こそは魔王ハチブセ! 愚かなる人間どもよ、俺がさくっと救ってやろう!」


 それはまるで、世界のありとあらゆる不条理を吹き飛ばすかのような、ヘタクソな高笑いであった。



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