27「錬金術の極意」
とっくのとうに、俺は限界だったのだ。
突然、こんな世界に飛ばされた。
目の前で大勢の人が首を刎ねられた。
見つかれば死刑という絶体絶命の逃走劇を繰り広げた。
そんな状況に置かれてなおけろりとして、あまつさえ馬鹿みたいにはしゃいでいたのは、単に俺が心の“スイッチ”を切っていたからである。
ニュースでも眺めるように、アニメや漫画でも鑑賞するように、自身が主人公となったRPGでもプレイするかのように。
要するに、リアルではなかった。
目の前の光景を現実のものとして受け入れていなかった。
それによって心の自衛を図っていたのだ。
――しかし、かろうじて形を保っていた俺の心は今回の一件によって完膚なきまでに叩き折られた。
あの後のことは正直よく覚えていない。
頭の中がぐちゃぐちゃにとっ散らかっていて、足の踏み場もないような状況だ。
さて、ではいつもクールな頭の中のもう一人の俺に、がんばってもらうとしよう。
記憶、想起、混濁、事実、整理、羅列。
鵜渡路舞が姿を消したのち、俺たちは磔になったペルナートを助け出した。
ここで遅まきながら町の人たちが、何事かと駆けつける。
ルクラダの亡骸に集まるたくさんの男たち。嗚咽。
イオネが声を上げて泣いていた。
すでに冷たくなったルクラダの遺体を繰り返し、繰り返し揺さぶって。
俺はその小さな背中を見つめて、立ち尽くすだけ。
彼の亡骸はリューデンブルク沖に葬られた。
イオネ曰く「オヤジは海が好きだった、死んだら魚の餌にしてくれってよく冗談めかして言ってたよ」
彼の弔いは、イオネと俺を含めた数人の立会いのもと、小舟の上で慎ましやかに執り行われた。
陽も傾き始めた頃、レオンに戻ってきた。
イオネは「……何か食べようぜ」と、枯れた声で言う。
「ごめん、食欲がない、部屋へ戻る」その言葉を最後に、俺はレオンから逃げ出した。
ひどく、ひどく眠かった。
やがて俺はどことも知れない、異臭のする寂しい路地裏へと流れついて、生ゴミに包まれながらまどろみに落ちる。
もう、どうでもいいや。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
目が覚めると俺は玉座の間に一人、うずくまっていた。
いや、目が覚めると、ではない。
眠りに落ちたからこそ、俺は再びこの場所へやってこれたのだ。
「また随分と早いお帰りじゃな、勇者よ」
振り返ると玉座にただ一人腰を落ち着け、頬杖をつく美女の姿が。
「……魔王、なんでまた俺の夢の中に」
「おっと勘違いするでない、今回はおぬしの方からきたのじゃぞ? 前回ワシがつないだパスをたどって」
「……あ、そ、じゃあしばらくお邪魔させてもらうよ」
ダンゴムシみたく丸くなって、暗闇に顔をうずめる。
こうしてしまえば、たとえどこだって一緒だ。
「やはり図々しいのうおぬし」
「疲れたんだよ、もう、寝かせてくれ」
「世界の危機に悠長なことじゃ」
……世界の危機?
これはそんな大層な話だったのか?
一瞬そう思ったが、しかし
「マジで関係ない」
俺はぶっきらぼうに答える。
世界がどうこうなんて、それこそ俺の知ったことではない。
滅ぶなりなんなり、勝手にしてくれ。
「……今日、五本指の紅葉とかいうやつが来たぞ、お前の差し金か」
「止めはしたのじゃ、しかしあやつの名誉のために言っておくが、あやつはあくまで自らの正義に従って……」
「そのくだらない正義とやらのために、俺の恩人が殺された」
「それは……本当にすまなかったのじゃ、謝ってどうにかなるものだとは思っていないが、それでも――」
「別に、謝らなくていいよ、アイツ“解脱”しちゃったし」
彼女はすでに罰を受けた。
およそ生物が受ける罰の中でも、最も重い刑罰を。
そしてもう、この世のどこにもいなくなった。消えてしまった。
「この世界、イカレてるよ……」
俺は吐き捨てるように言う。
「誰かが殺されたとか誰が殺したとか、そんなんばっかだ……マスターみたいに人間らしいヤツもすぐにいなくなっちまう、……ああ、いや、はは、俺のせいか、俺のせいだよな」
「……何故、そうなるのじゃ」
「俺の関わったヤツが、片っ端から殺されてってるからだよ」
魔王は押し黙ってしまう。
ルクラダ、紅葉、メイファン、アクセル、尾羽梨真紀、高島千尋、王様、あとその他諸々、名前も知らない兵士の皆さま。
もはや俺と関わって、今でも生き残っている人間の方が少ない。
皆死んでしまった。
目の前の彼女だって、そうだ。
「今朝、鵜渡路がお前の首をとってくるって、出て行ったぞ」
「……知っておる、偵察から報告が上がってきた、愛の勇者は考えうる最短距離で我が居城へと向かって一直線に“走って”きておるのじゃと」
「……魔王城ってそんなコンビニ感覚でいけるもんなんだな」
「五本指の二人と彼女ら率いる魔王軍の精鋭部隊が交戦したが、時間稼ぎにもならんかった、更にガイアールでの事態を重く見た周辺諸国がSランクロール持ちを迎撃にあたらせたが、これも瞬殺、愛の勇者は進路上にあるすべてを物理的に破壊し、あまたのロールを吸収しながらまっすぐとこちらへ向かってきておる」
「ゴジラか何かかよ」
「ちなみにリューデンブルグから魔王城までは転移魔法を使わず船や馬車などで移動した場合、20日前後かかるはずじゃが、愛の勇者はあと3時間程度で魔王城に到達するじゃろう」
「……やっぱ化け物だわ、あいつ」
俺はバカだった。
一瞬でも、鵜渡路舞はどこかで歯車が狂ってしまっただけで根は普通の女子高生、話せば分かり合える――などと思うなんて。
しかし今更こんなことに気付いてもあとの祭りだ。
魔王もまた殺される、勇者、鵜渡路舞によって――
「……うん?」
ここで妙な違和感を覚えた。
魔王が、勇者に殺される?
このフレーズを俺はどこかで聞いた気がする。
あれは確か、この世界に飛ばされた直後、玉座の間にて、王様が――
――魔王のロールを持つ者は創造神よりひとつの祝福を授かる。それは“勇者に殺害された際、時間を巻き戻す”というものだ。
「……なあおい、魔王」
「なんじゃ」
「お前、勇者に殺されると、時間を巻き戻せるんだって?」
僅かな希望、僅かな光明。
魔王はこれを受けて「ふむ」と頷く。
「いかにも、ワシが持つ“魔王”のロールの祝福には“コンティニュー”というものがあり、その効果は勇者に殺害された際、世界の時間を巻き戻すというものだ」
「それは一体どれぐらい戻せるんだ!?」
「そうさな、普段ならば2~3時間がいいところ、しかし魔王のロールはバランサーとも呼ばれる世界の秩序を保つロールの一つ、詳しい説明は省くが、ワシの力は勇者であるウノトロマイの力に比例している、必然戻せる時間も増えていよう」
「つまり、どれぐらい戻せるんだよ!?」
「ざっと36時間じゃな」
36時間――!
玉座の間での惨劇があったのは昨日の昼間で、今は夕刻、
つまり、十分に巻き戻せる。
全てがおかしくなったあの時まで、まだ誰も死んでいなかったあの時まで――!
世界を重く閉ざしていた扉が、音を立てて開くような感覚。
やり直せる、今ならまだ。
しかし
「……ハチブセよ、おぬしの考えていることは分かる、だが不可能じゃよ」
魔王は、俺の思い付きをばっさりと切り捨てた。
「な、なんでだよ!? 鵜渡路舞は勇者だ! 時間は巻き戻せるんだろ!?」
「普通ならな、しかしヤツは相手のロールを吸収する大剣を持っているじゃろう、あれで斬りつけられてしまえば魔王のロールは奪われ、当然時間を巻き戻すこともできず、ワシはただ死ぬ」
「あ――」
そうだ、鵜渡路舞には相手のロールを強奪する、“融和”の祝福がある。
「じゃ、じゃあ他の勇者に……!」
「他の勇者? それは誰のことじゃ? 全員、愛の勇者に殺されてしまったのではないか?」
「っ――」
希望に繋がる扉が、再び固く閉ざされた。
果てのない闇が眼前を黒く塗りつぶす。
所詮、そんなうまい話はないのだと、誰かが俺を嘲笑っているような気がした。
「気を持たせて悪かったな、ハチブセ……」
魔王が、こちらを憐れむように声をかけてくる。
その時にはすでに、俺は元のダンゴムシの状態に戻っていた。
膝の内にある暗闇に、顔をうずめる。
もう、どうでもいい、どうでもいいんだ……
「……おぬしに来客じゃ」
暗闇の中で、再び彼女の声が聞こえた。
俺はゆっくりと覚醒する。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。
そろそろ日も落ちたころか。
俺はなんの気なしに建物の隙間から狭まった空を覗いて、それに気付く。
空が、血の色のように赤く染まっていた。
「生きているか、ハチブセ」
見ると、ローブを羽織った隻眼の少年が、俺のすぐ傍でボトルを片手にしゃがみこんでいる。
「ペルナート、なんでここが……」
「錬金術とは万能の業だ、こんなところで呑気に寝息を立てている男一人見つけることなど、造作もない」
「そりゃいいな……イオネは?」
「私一人だ、どうせこんなところを見られたら貴様また逃げ出していただろう」
「よく分かってんな」
ただ一つ訂正するとすれば、俺は逃げ出したりしない。
その場で舌を噛み切るだけだ。
ペルナートは俺の隣に腰を下ろす。
そして用意していた二つのグラスに、とくとくとボトルの中身を注ぎ込んだ。
「私は普段酒を飲まないが、たまにはいいだろう、飲め、ハチブセ」
「いや、俺は……」
断ろうとしたのだが、ほとんど無理やりグラスを押し付けられる。
……まぁどうせ最後だ、酒の一つや二つ、飲んでおくか。
俺はグラスを傾ける。
昨日レオンで飲んだ酒はどれもこれも水のように薄くて話にならなかったが、これは……強いな。
「私が特別に醸造したものだ、口に合うかね」
「……まあまあ」
「それは良かった」
ペルナートも一気にグラスを傾け、透き通ったソレを喉に流し込んだ。
「ハチブセ、聞いたか」
「……何を」
「今、町中でおかしな現象が立て続けに起こっていることについてだ」
知らなかったし、興味もない。
「海鳥が一匹残らず姿を消し、この私でさえ知らない奇怪な魚が大量に水揚げされた、地元の漁師たちが凶兆だと噂している。この赤い空もあって、大変な騒ぎだ」
「そうか」
グラスの中身を一気に飲み干す。
なにもかも、どうでもいい、俺には関係のない話だ。
「案外、もうすぐ世界も終わるのかもな」
俺は自嘲した。
世界の終わりさえ俺には関係ない、俺は世界が終わるその時まで、この場所で一人生ごみにまみれて、腐るだけだ。
虚空を眺める俺の横顔を、ペルナートがじっと見つめている。
なんと無責任な、と殴りかかってくるだろうか。
それもいい、勢い余って殺してくれれば、なお良しだ。
しかし彼は、そうはしなかった。
「ハチブセ、貴様に錬金術の極意を伝授してやろう」
「……は?」
突然何か、と俺は彼の方へ振り返る。
ペルナートは構わずに続けた。
「錬金術というのは黄金の精製、そして不老不死の成就、この二つを至上の目的に置くとされる、ここまでは分かるな?」
「ま、まあ、聞いたことぐらいはあるけど……」
「よろしい、では、この二つに共通するものとはなにか」
「……無学で悪いな、さっぱり分からん」
「答えは“永遠”だ、黄金とは永遠のメタファーであり、不老不死とは読んで字のごとく、すなわち永遠を探求するのが錬金術と言う学問である、だが事実そんなものは不可能なのだ」
「どういう意味だよ」
「月並みな言葉だが、形あるものはいつか必ず滅ぶということだ。黄金や不老不死など真の永遠とはほど遠い、では我ら錬金術師が求めるべき永遠とは何か、それは」
そこまで言って、ペルナートは自らの胸に手をあてた。
「――魂だ、魂だけは決して朽ちぬ、我ら錬金術師の至上の命題とは、肉体が朽ち果てるよりも早く、この魂というやつをいかに黄金へと変えるか、すなわち己を錬金することができるか、それに尽きるということだ」
魂。
俺はペルナートの言葉を反芻した。
何故だか、その言葉は俺の胸に響く。
「……なんで俺にそんなことを教える?」
「それを考えることもまた錬金術だ、せいぜい世界の終わりまで考え尽くしてくれ、当然、全てを放棄するのも自由だが」
その言葉を最後に、ペルナートは去っていった。
一体なんだというのだ、彼は俺に何を伝えたかったのだ。
ああ、それにしても眠い……ひどく……
俺は再びまどろみに落ちる。
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