26「心が折れる音」
今の一瞬のうちに二人の間でなにが起こったのか、俺には分かりかねる
突然、紅葉が凍り付いたように動かなくなって、かと思えば鵜渡路舞がごく自然に彼女の傍へ歩み寄った。
到底生死をかけた立ち合いの最中とは思えない、異様な光景。
「っ……!」
鵜渡路は完全に紅葉の間合いに踏み込んでいた。
距離にしてほんの数センチ。
しかし紅葉は太刀を振るうことはおろか、何かを恐れるように声さえ押し殺している。
紅葉が動かないのでなく動けないのだと気付いたのは、しばらく経ってからだった。
両者ただの一太刀も振るわず、すでに勝敗は決していたのだ。
鵜渡路舞の勝利というかたちで。
「ば、化け物……!」
イオネが誰に言うでもなく吐き出した言葉に、俺は自らが無意識の内、同意しかけていることに気付く。
――違う、化け物ではない。
彼女は一人の女子高生だ、俺たちと同じ人間だ。
だから、だから――
「――殺すな鵜渡路!!」
俺は思わず叫んでいた。
イオネ、ペルナート、紅葉が驚いたようにこちらを見る。
ややあって、当の鵜渡路もゆっくりとこちらへ振り返った。
「どうかなさいましたかお兄様? いきなり大きな声を出して」
彼女はくすりと笑う。
まるで見る者すべてを甘く蕩かすような女神の微笑。
危うく呑まれかけるが、強い意志をもって振り払った。
「殺すな鵜渡路……ソイツは殺しちゃだめだ」
「何故です?」
鵜渡路は本気で不思議そうに首を傾げる。
「彼女はお兄様に危害を加えました、放っておけばまたお兄様に危害を加えるやも……」
「違う、違うんだ鵜渡路……ソイツがどうとかじゃない、お前に、鵜渡路舞に、もう誰も殺してほしくないと言ってるんだ……」
「私に、ですか?」
鵜渡路は自らを指して、きょとんとした顔を晒す。
その無防備な表情は、紛れもなく年頃の女子のものだ。
昨晩俺とツーショットを撮った時の、あの呆気にとられた顔も、はしゃいだ顔も、全部普通の女子のソレだ。
だからこそ
「本当に今更だけど、お前が誰かを殺す度に、なんだかどんどん取り返しのつかないことになっていってるような気がするんだ……だからやめろ、殺さないでくれ……」
表面上、鵜渡路舞という人間は、玉座の間で会ったあの時から一貫して変わらないように見える。
だが、俺もそこまで間抜けではない。
一人また一人と殺す度、彼女の中で決定的に何かが変わっていっている。
こちらの言葉は届いている、意思の疎通は可能だ。
だからこそ手遅れになる前に彼女を止めなくてはならない。
「……八伏お兄様は、私の心配をしてくださっているのですか?」
ややあって、こくりと頷く。
鵜渡路は「まぁ」といかにも嬉しそうに、口元を押さえた。
「そんな、私なんかに勿体ないです……! ですが、そのように言われてしまえば無下にすることなどできるはずもありませんね。――分かりました、彼女は生かしておきましょう」
そう言って、鵜渡路はぱちんと手を打つ。
拍子抜けとはこのことか。
彼女はあっさり、実にあっさりとこちらの提案を快諾したのだ。
張り詰めた空気が一気に解ける。全身から力が抜ける。
紅葉に至っては、極度の緊張から唐突に解放されたことで、へなへなとその場にへたり込んだ。
なんだ、初めからこう言えばよかったのだ。
鵜渡路舞は決して化け物なんかじゃない、話せば通じる同じ人間――
「――では八伏お兄様のご厚意にお応えして、彼女には生きたままサンプルになってもらいます!」
「……は?」
耳を疑った。
それは一体どういう意味か――
こちらがそう問い返すよりも早く、空から何かが降ってきて、鵜渡路のすぐそばに着弾した。
轟音とともに現れたそれは、黒い、鉄製の棺。
誰もが言葉を失う中、鵜渡路は棺のフタを開け放つ。
人一人がちょうど収まるほどの鉄製の棺の中には、無数の触手が蠢いていた。
いや、あれは触手ではない。ケーブルだ。
血管のごとく張り巡らされたソレが、鈍く光を放っている。
「おそらく、Sランク“狂科学者”のロールを取り込んだ影響、なのでしょうね」
異形の箱に皆が目を奪われる中、鵜渡路舞はどこか楽しそうに言った。
「困ったことに創作意欲がどんどん湧いてきてしまって、気付いたら一つ完成させてしまいました。まるで夏休み工作のようで楽しかったですよ? ちなみにこれは“リンネちゃん”と言います」
そう言って、鵜渡路は黒い棺を愛おしそうに撫でさする。
彼女の顔からは、僅かに恍惚の色さえ窺えた。
「リンネちゃんの“中”に入った人間は、リンネちゃんが発する特殊な電気信号と薬品により、体感時間が約3000倍に引き延ばされ、更に人が一生の内に感じる苦痛と快楽を現実時間換算でおよそ3.8秒に一度のペースで感じることができます! もちろん一度では終わりません、これを何度も何度も繰り返します! すなわち生きながらにして輪廻転生を経験することができるのです!」
「鵜渡路、お前、なにを……」
「――そうだ! 聞いてくださいお兄様! 昨日何度かこれのテストをしてみたのですが、どういうわけかリンネちゃんに入れられた人間は、おおむね10分を過ぎたあたりで跡形もなく消えてしまうのです! 私そんなプログラムは組み込んでいないのですが、もしや繰り返される輪廻の中で悟りを開き、解脱したということでしょうか!? 実に興味深いです!」
鵜渡路舞は実に楽しそうにこちらへ語りかけてきた。
それこそ幼子が夏休み工作の出来栄えを誇らしげに自慢するときのように。
一方で俺の頭は、至極冷静にこんなことを考える。
ああ、どうやら自分はたいへんな勘違いしていたようだ。彼女は、彼女は、とっくに――
鵜渡路舞は紅葉の手をとって、にこりと微笑んだ。
「――紅葉さんも、早めに解脱できるといいですね」
――化け物だったのだ。
「ひっ……!」
紅葉はここにきてようやく抵抗の意思を示す。
しかし、遅かった。
鵜渡路舞は紅葉の胸をとん、と軽く押す。
紅葉の身体がゆっくりと後ろへ傾いていって、その後ろには波打つケーブルの海。
抵抗むなしく、彼女は“リンネちゃん”へと取り込まれる。
「ヒッ……イ、やだ――」
扉が閉まるまでの僅かな間、俺は、まるで意思を持っているかのように紅葉の全身にとりつくケーブル群を見た。
瞬く間に彼女を覆いつくすケーブル群は、さながら虫の大群。
紅葉はこの世のものとは思えない絶叫をあげたが、すぐに扉は閉ざされ、何も聞こえなくなった。
「うふふふふふ」
鵜渡路が笑う。
慈愛に満ちた聖母のごとく、それでいて穢れを知らない無垢な少女のごとく。
「お兄様、何をそんなに怯えているのです? 私はどこにも行きません、ちゃんとここにいますよ」
その言葉の直後、鵜渡路の影がぞわぞわと蠢きだした。
恐怖のあまり幻覚でも見ているのかと思ったのだが、どうも様子が違う。
影は膨張し、形を変え、そして分裂を繰り返す。
瞬く間に、鵜渡路の影は足元を埋め尽くさんばかりに増殖した。
ただし無数に分かたれたその影は――ただ一つとして、人間の形をしていない。
「しかし私としたことが随分と寄り道ばかりしてしまいました、そろそろ決着をつけるとしましょう、では八伏お兄様、改めて」
そう言って、鵜渡路はこちらへ微笑みかける。
いつものごとく、芸術品じみた完璧な微笑で。
「――魔王の首、とってきます」
最後にそう言い残して鵜渡路は駆け出した。
さながら地を走る流星、そのスピードはもはや目で追うことすら難しい。
遅れて、無数に分裂した怪物の影が、町を駆け抜けていった。
影の一つが、俺のすぐそばを駆け抜けていく。
そして異形の影は、確かにこちらを見た。
――この時、俺は確かに自らの心が折れる音を聞いた。
ああ、もう、限界だ。
もしよろしければブクマ・感想・レビュー等いただけると、作者のモチベーションが上がります!




