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25「何か見えましたか?」


 登場ではなく、降臨。

 これは錯乱ゆえの誤りではない。

 鵜渡路舞は、間違いなく降臨したのだ。


 以前のように流星さながら空から降ってくるのではなく、降りてきた。

 ゆっくりと、階段でも下るようにして。


 そしてなにより彼女の頭上に浮かぶアレを見たのなら、誰だってそう表現するはずだ。

 ――光輪。

 輪郭のはっきりとしない光の輪が、そこにはあった。


 それに比べれば、彼女が今、更に装いを新たにして白銀の鎧を身にまとっていることなど些末な問題である。


 誰もが言葉を失っていた、誰もが彼女に目を奪われていた。

 俺やイオネはもちろん、磔にされたペルナートでさえ、もがくのをやめて目を見開いている。

 ただ一人、長刀を構え、警戒心を剥きだしにする彼女を除いて。


「……名乗りを挙げよ、見知らぬ御仁」


 相手の出方を窺うように紅葉は問いかける。

 しかし、ここに至って鵜渡路は彼女のことなど視界にも収めない。

 まっすぐに、へたり込んだ俺の下へ向かってくる。

 そして以前にもまして完璧じみた微笑を浮かべて、言うのだ。


「八伏お兄様、どうか堪え性のない私をお許しくださいね、次に再会する時には、もっとお兄様にふさわしい女性になっているつもりだったのですが、つい……」


「……名を名乗れと言っている……」


「ああ大変! お兄様、怪我をしてらっしゃいますわ!」


 後ろで刀を構える彼女のことごとくを無視して、鵜渡路は俺の下へと駆け寄った。

 見ると、確かに俺の膝が擦り剝けている。

 紅葉に足払いをかけられた時にやってしまったのだろう、ほんの僅かに血がにじんでいた。


 こんなのは怪我と呼ぶのかも怪しい、かすり傷だ。

 しかし鵜渡路はすっかり狼狽しきっている。


「まあ、どうしましょう! 消毒? まずは水で洗い流して……いえ! この世界の水道水は信用なりません! ああ、そうこうしている内にも黴菌が……!」


「――名を名乗れと言っているのだ!! そこの女ァっ!!」


 とうとう痺れを切らして紅葉が叫ぶ。

 全身が震えるほどの凄まじい気迫だ。

 そこに先ほどまでの間の抜けた様子は微塵もない。


 しかし当の鵜渡路は――笑っていた。

 アルカイック・スマイルとでもいうのか、一切感情の窺えない菩薩のごとき微笑が、彼女の顔に貼りついている。


「ああ……お兄様を傷つけたのは、あの女ですか」


 俺は、心底震えた。

 こんなにも美しく残酷な微笑は、生まれてこの方見たことがないのだから。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 Sランクロール“大剣豪”が紅葉に与えた物は、人智を超えた天才的剣術だけではない。

 真剣による斬りあいという極限状態で最も必要とされる野生の勘――すなわち第六感とも呼ぶべきもの。

 彼女はこれによって幾千もの戦場を生き延びた。


 身に迫る危機は“大剣豪”のロールが教えてくれる。

 不利な立ち会いは“大剣豪”のロールが教えてくれる。


 紅葉は自らのロールに絶対の信頼を置いていた。

 今日、この時まで。


「……まずは自分から名乗るのが礼儀ではないでしょうか、お侍様?」


 鵜渡路舞が、そこで初めて紅葉のことを視界に捉える。

 紅葉は全神経を張り詰めさせて、自らのロールに耳を傾けた。


 あの女はいかほどのものか。

 斬るべきか、退くべきか。

 しかし――ロールは応えない。沈黙を貫いている。


「っ……!」


 紅葉はたまらず歯噛みをする。

 今までこんなことはなかった。

 ロールに与えられた第六感は、どういうわけか彼女を前にして完全に沈黙してしまったのだ。

 分からない、計れない、目の前のあの女は一体何者なのだ――?


「……拙者の名前は紅葉、五本指が一人にござる」


「私は鵜渡路舞、特に肩書なぞはございませんが、よろしくお願いいたします」


 鵜渡路舞が物腰柔らかく自己紹介を終える。

 いつもならば一息に懐へ潜り込み、無防備の腹へ一太刀。

 それで容易く決着がつく。

 だが、相手の力量が分からない以上、ここは慎重にいくべきだと紅葉は普段あまり使わない頭を使って結論を出した。


 ならば、と紅葉は牽制に全身の筋肉を緊張させ、殺気を放つ。

 それなりの使い手であれば、この殺気にあてられた時点で身体を強張らせ、逃げ腰になるものさえいる。


 しかし、鵜渡路舞は構えすら取らなかった。

 ただそこに突っ立っているだけ。どこぞの貴族の令嬢のごとく、柔らかな微笑を浮かべるのみだ。


 紅葉は初め、この違和感に眉をひそめたが――しばらくして納得し、口元を歪めた。


 ロールが反応しなかった時は焦ったが、いざフタを開けてみればなんのことはない、あの女はド素人だ。

 あの仰々しい大剣も、虚仮威し。

 ロールが反応しないのも無理はない、大剣豪のロールは、彼女を斬るに値しない有象無象の一人とみなした、ただそれだけの話である。


「くく……」


 なんと馬鹿馬鹿しい、と紅葉は思う。

 まさか単なる木偶の坊相手にこれほど警戒していたとは。

 しかし、念には念を入れよう。


 紅葉は一振りの太刀のごとく、全身の神経を研ぎ澄ました。

 そして“びじょん”を視る。

 びじょん――それは一部の兵だけが視ることのできる、先の先の究極系。

 膨大な経験と処理能力、これらを持ち合わせて初めて得ることのできる、未来予知にも似たシミュレーション。


 紅葉は、構えた太刀を寝かせて、刺突の構えをとった。

 それと同時に脳内へ浮かび上がるびじょん。

 さていかがなものか――


 ――びじょんは、鵜渡路の持つ純白の大剣によって首を刎ねられる自らの姿を映し出した。


「……え?」


 思わず声が漏れた。

 ……なんだ今の光景は?

 相手があまりに弱いものだから大剣豪のロールが誤作動(バグ)を起こしたのか?


「どうなさいましたか、お侍様」


 鵜渡路が微笑みかけてくる。

 その余裕に満ちた微笑を受けて、紅葉は自らの頭にかあっと血がのぼるのを感じた。


 拙者を舐めるな、斬るに値せぬ豆腐風情が――!


 紅葉はすぐさま“五分”を解放。

 格下相手にあまりに大袈裟な気もするが、ここは万全を期す。

 脳天を叩き割るべく刀を上段に構え、再びびじょんを視る。


 ――全く同じびじょんが見えた。

 すなわち、鵜渡路の持つ純白の大剣によって首を刎ねられる自らの姿が。


「は……?」


 じわりと背中に汗がにじむ。

 何が起こっている? 全く同じびじょんが見えた事など今まで一度としてなかった。


 紅葉は咄嗟に構えを変える。

 足をずらす、顎を引く、刀を僅かに傾げる、肘を下げる、僅かに態勢を低くする。

 傍から見て分からないほどのごく微細な筋肉の緊張と弛緩、その連続。

 これを紅葉のロール大剣豪は敏感に察知し、そして紅葉の脳内へびじょんを映し出す。


 ――やはり、首を刎ねられていた。

 どのびじょんでも変わらず、純白の大剣によって首を断たれる、自らの最期が描かれている。


 ここでようやく紅葉は自らの考えが誤りであったことに気付く。

 違う! この女、普通ではない!


 直後、紅葉は八分十分の過程を飛ばし、一気に十二分を解放する。

 現状の紅葉が出せる全力を超えた全力。

 その集中力とくれば、世界が止まって見えるほどだ。

 まさしく研ぎ澄まされた一本の刀。

 今の彼女は、ただ呼吸をするだけでびじょんを視ることができるのだ。


 先の先、その極地。

 紅葉は無際限の殺気を放ちつつ、集中力を研ぎ澄ます。


 右上段、左上段、中段、下段、八双、脇構え。


 居合、唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、刺突。


 目、喉、心臓、肝臓、脇腹、腕、内腿。


 実に多くのびじょんが、紅葉の頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えた。

 その数、実に1086通り。

 これはもはや未来予知といって差し支えはない。


 紅葉の膨大な戦闘経験と、圧倒的な演算能力が可能とする無敵のシミュレーション。

 これにより紅葉は今まで無敗を貫いてきたのだ。

 しかし、しかしそれでも


「う、嘘でござろう……?」


 1086のびじょん、その全てが自らの首を刎ねられる光景であった。

 紅葉はこの数秒の内に1086回に渡る、斬首を経験したのだ。


 玉の汗が滲み出す。全身が粟立つ。急激に体温が失われる。


 今までも自らの不利な戦いは何度かあった。

 しかしこのびじょんをもってすれば、紅葉は少ない勝ちを確実に拾うことができていたのだ。


 だからこそ、理解できない。

 自らの勝ちの目が絶無の戦いなど――


「ぐっ……!?」


 ロールでない、本能が紅葉に告げた。

 逃げろ、ここは逃げの一手だ。

 あんな得体の知れないバケモノと戦う必要はない。

 紅葉は今すぐにでもその場から逃げ出そうと、一歩足を引こうとして


 ――そこで、自らの首が刎ねられるびじょんを見た。


「――何か見えましたか? お侍様」


 気がつくと、いったいいつの間にか紅葉のすぐ側に、鵜渡路舞が立っている。

 彼女の吐息が鼻先をくすぐる。

 この時すでに、紅葉にはびじょんが見えなくなっていた。


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