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24「キスしようとしてませんでした?」


「――さあ、次は私の番だ、せいぜい学ぶといい」


 そう言って、ペルナートはある物を中空へ放り投げる。

 ソレは白く濁った液体が満ちる、数本のフラスコであった。

 フラスコは緩やかに落下し、ぱりんと割れて中身がこぼれる。


「全の一」


 そして彼がそう唱えるのと同時に、こぼれ出た液体は何倍にも膨れ上がって、腰丈ほどの小人の姿を形成した。

 まぁ正確には人と言うより人型の何かと表現するべきだろう。

 何故ならば彼らには目や耳や鼻、というより、顔そのものが存在していないのだから――


「奇天烈! まったくもって奇天烈でござる!」


 紅葉はすかさずその場から逃げだす。

 小人たちは実にたどたどしい足取りで、紅葉を追いかけた。


「ちぃっ!」


 紅葉が刀を振るい、小人の一人を斬りつけた。

 するとそうだ、小人の裂けた首元から鮮血の代わりに紫色の液体が噴き出し、紅葉へと襲い掛かる。


「っ!?」


 紅葉は咄嗟に身を引き、この奇妙な返り血をかわした。

 別段何かを理解したわけではない、彼女の動物的な本能がそうさせたのだ。


「ふむ、ホムンクルスの血を躱したか、貴様は度し難い馬鹿だがその勘の鋭さだけは評価できる。避けて正解だ、浴びれば全身が爛れ、もだえ苦しんだのちに死んでいた」


「悪趣味でござるよ妖術師殿!」


 紅葉は一度立ち止まり、振り返りざまに虚空を斬った。

 するとどうだ、遠く離れた位置で並んでいた小人たちがまとめて断ち切られる。

 信じがたいことに、斬撃が飛んだのだ。


 しかしペルナートは攻撃の手を休めない。

 彼は懐から取り出した、文字とも文様ともつかない何かの刻まれた羊皮紙を、ひらりと地面に落とす。

 そしてお決まりの呪文。


「――全の一」


 これにより、大地が盛り上がって一体の巨人を形成した。

 視界に収まりきらないほどの体躯を誇る、岩と泥の巨人。

 あれは――俺にも見たことがある。

 RPGなどではド定番、ゴーレムだ。


「今度はだいだらぼっちでござるか妖術師殿!」


「そのようなペテン師と一緒にするな、私は錬金術師だ」


 ゴーレムがその腕を、紅葉の頭上へ振り下ろす。

 紅葉はすぐさま飛ぶ斬撃をもってゴーレムを打倒しようとするが、いかんせんゴーレムの巨躯には大したダメージが与えられない。

 彼女は飛びのき、そして次の瞬間、石畳がまるでクッキーかなにかのように容易く割れた。


「っ……!」


 直撃こそ避けたものの、大地すら揺るがす凄まじい衝撃に紅葉は顔を歪める。

 当然、ペルナートはその隙を見逃さない。

 彼は懐より取り出したフラスコを傾げ、中の液体を垂らし――


「全の一」


 空中で固定する。

 液体は固体となり、更に研ぎ澄まされ、そしておびただしい数の“矢”となる。

 これらはペルナートの合図に従って一斉に射出、空中で無防備な態勢を晒す、紅葉の下へ――


「っ……みくびるな! 拙者は“大剣豪”でござる! かような小細工、どうということはない!」


 紅葉は、空中で一閃。

 斬撃が飛燕のごとくやってきて、矢をことごとくへし折ると、そのまま勢いを殺さずにペルナートの首を刎ねた。

 凄まじい威力、射程、コントロール。

 普通ならばこれで決着。紅葉の逆転勝利である。


 しかし、決してそうはならない。何故ならば


「――これで四度目だ、いい加減諦めてはどうかな」


 地に落ちたペルナートの生首が、まるでそれが当たり前のことであるかのように、平然と喋り出した。

 胴体を真っ二つにされようが、大量の出血があろうが、首を刎ねられようが、彼は死なない。

 そう、不夜卿ペルナート・ディラストメネスは不老不死なのである。


 だから負けようがない、彼にはそもそも敗北という選択肢自体が存在しないのだ。


「貴殿……妖のたぐいであったか……!」


「だから私は錬金術師だと……ふう、もういい、馬鹿と喋るのは疲れる」


 ペルナートの生首が言ったその直後、紅葉の頭上に影が落ちる。

 彼女は必死でこれを躱そうとするが、いかんせん不安定な状態から無理に放った一撃で態勢を崩しすぎていた。


「これはしたり……!」


 次の瞬間、ゴーレムの拳が大地を穿つ。

 それが、彼女の最後の言葉となった。


 俺とイオネはこの光景を前にして、呆気に取られるばかりだ。

 なんと圧倒的で、一方的な戦いか。

 これが不夜卿ペルナート・ディラストメネスの実力。これが六騎士の力なのか。


 言葉を失う俺たちをよそに、ペルナートは自らの生首を拾い上げ、まるでペットボトルのキャップでもしめるかのような気軽さで首を接着する。

 傷痕は、瞬く間に消えてしまった。


「ふむ、魔王の側近である五本指まで出張ってくるとは……いよいよ私の仮説が真実味を帯び始めてきたな」


 彼はぼそりと呟き、情けなく地べたに這いつくばった俺を見る。


「いいかハチブセよく聞け、世界の果てはもうすぐそこまで迫っている。決して愛の勇者に――」


 そこまで言って、ペルナートは唐突に言葉を打ち切った。

 続きの言葉を吐き出す代わりに、口からどす黒い血のあぶくが溢れ出す。


「……クソ、だから馬鹿は嫌いなのだ」


 見ると、ペルナートの腹部から一本の刀が生えている。

 事態を把握するのにしばしかかったが、やがて理解した。


 飛ぶ斬撃ではない、彼女はただ単純に、刀を投げ放ってきたのだ。

 俺たちがそれに気付くと直後、弦を弾くような高い音が一度あって、ゴーレムの身体に何本もの亀裂が入った。

 岩と泥の巨人は細切れになって、あえなく崩れ落ちる。


 そして崩れ落ちるゴーレムの巻きあげた砂塵の中から、きらりといくつかの光があったと思えば――次の瞬間、投擲された四本の刀が、ペルナートの身体を穿つ。


「ぐうっ――!」


 一体どのような膂力がそれを可能とするのか、投げ放たれた長刀の勢いはすさまじく、ペルナートを一気に壁際まで追いやり、そのまま縫い付けてしまった。

 両手に一本ずつ、そして両足に一本ずつ、磔である。


「ペルナート!?」


 俺は思わず彼の名を叫ぶ。

 しかしペルナートは俺の焦りとは裏腹に、どこか呆れたような調子だ。


「……ふん、これで私の動きでも封じたつもりか? 馬鹿の一つ覚えだな、私にとって形あるものなどなんの意味も持たん、全の――」


 ペルナートが再び例のフレーズを唱えようとする。

 しかし、それは叶わなかった。

 最後の一本が、ペルナートの喉を刺し貫いたのだ。


「……っ!」


 血のあぶくがペルナートの口を汚し、彼は声をあげることすらままならなくなる。

 俺は咄嗟に彼へ駆け寄ろうとするが、身体が石のように固まって動かない。

 すでに彼女の気配を背中に感じていたからだ。


「……これはしたり、少し戯れが過ぎたでござるな」


 そこには長刀を携え、冷たい目でペルナートを見つめる紅葉の姿があった。

 彼女は全身を土埃に汚れさせてはいるが、まったくの無傷である。


「いくら豆腐のごとき斬り応えとはいえ、死なぬのならば意味もござらん、拙者、他に用事があるゆえな、さて……」


 紅葉が長刀をゆっくりと下ろし、その切っ先をイオネに向けた。

 イオネはこの絶望的な状況にも拘わらず、きっと紅葉を睨み返す。


「拙者、名乗りを挙げた者は必ず斬り捨てるのが信条でな、斬り捨てる前に一つ尋ねたいのだが、王殺しの勇者はどこだ?」


「ふざけんなよ……誰がテメエなんかに……」


「――俺が王殺しの勇者だ!!」


 このままでは俺はイオネすらも失ってしまう。

 そう思うと、口が勝手に動いていた。


「は、ハチブセ!? なんでお前……!」


「ほほう?」


 紅葉の関心がこちらへ向く。

 彼女はゆっくりこちらへにじり寄ってきて、不意に腰を落とすと、俺と目線の高さを同じくした。

 紅葉の果てしなく深く、そして黒い眼が俺を捉える。


「ふむ、嘘は言っていないようでござるな……しかし不思議でござる、何故このような取るに足らない者を、我が主は気に掛けるのか……」


 そう言って紅葉は顔を寄せ、俺の全身をぺたぺたと触り始める。

 まるで子供が初めて見るおもちゃを弄るような、そんな仕草だ。


「足はともかく、腹回りが貧弱でござるな、腕も細い、まるで女子か赤子のような手でござる」


 こんな間抜けな絵面だが、彼女の携えた長刀が視界にちらつく度、本能的恐怖がこみ上げてくる。

 ペルナートは磔状態から脱するべく身体をよじっているが、刀は相当深くに刺さっているようで、マトモに動くことさえできない。

 これは……終わりだ、本格的に。


「しかし見れば見るほど不思議でござるな、異界人という割に見た目は拙者らとほとんど変わらん、……というより貴殿の顔かたちは拙者の故郷にいた男衆と似ているな、どれ、よく見せてみるでござる」


 紅葉が俺の頬に手を添え、無理やりこちらを向かせると、じいっと顔を覗き込んでくる。

 いっそ殴りかかってやろうか、どうせすぐに切り捨てられるのがオチだろうが。


 そう思って拳を握りしめた――その時。

 頭上に“光”が差した。


「――っ!?」


 今までで一番の反応だ、紅葉は懐の刀に手をかけつつ、飛びずさった。

 何が起こったのか、そんなものは言うまでもない。


 彼女が降臨したのだ。


「つかぬことをお伺いしますが」


 天より舞い降りた彼女は、開口一番問いかける。

 純白の、鉄の塊と見まごうほど巨大な大剣を携えた、彼女が。


「――今、私の八伏お兄様とキスしようとしてませんでした?」


 鵜渡路舞は、天使のごとき微笑を浮かべながら言った。

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