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22「斬られたくば名乗りをあげよ」


 和装の彼女が何者であるか、イオネにとってそんなことはすでに問題ではなかった。

 イオネは獣のごとく咆哮をあげ、駆け出す。

 態勢はきわめて低く、早く、鋭く、それでいながら激しく。

 胸中から込み上げてくる感情の洪水、その全てが乗せられたような、そんな走りであった。


 右手にはぎらりと光る投げナイフ。

 イオネはなんの躊躇もなく、これを投げ放った。

 ナイフは風を切り裂き、寸分違わず和装の少女の眉間へ。


「……まったく、人間というのは皆、まなーがなってないでござるな」


 和装の少女はため息混じりに小刀をかざして、飛んできたナイフの軌道を逸らす。

 キィンと甲高い音が鳴ったのとほぼ同時、いつの間にかイオネは和装の少女の背後へ回り込んでいた。

 返す左手には、殺傷力を極限まで高めた一本のダガーナイフ。

 振り返りざまに和装の少女を捉えるイオネの眼は、純粋な殺意に染まっていた。

 

 しかし、叶わない。

 和装の少女は、急所を狙って繰り出された刺突を軽くいなすと、そのままイオネの突き出した腕を絡め取ってしまったではないか。


「……っ!?」


「拙者、名乗りを上げぬ者は殺さぬと決めているのでござる」


 そう言って、見事な体捌きから繰り出される一本背負い。

 イオネの体が一瞬宙に浮き、そして背中から石畳に叩きつけられる。


「……自殺志願であるのなら、まずは名乗ってもらわなくては、拙者困るでござる」


「ぐ、く……ころす……っ! 殺してやるっ……! てめえ誰だ……!? オヤジに何をしたっ…

…!?」


「これはしたり、某もまた名乗り忘れていたとは――拙者、五本指が一人“紅葉”と申す」


「ご、五本指……!? それはまさか魔王の側近の……いや! んなことはどうでもいい!」


「むっ」


 イオネは倒れた姿勢から、再びナイフを投げ放つ。

 紅葉と名乗る和装の女性は、この一撃でさえ僅かに顔を傾けてかわしてしまった。


 しかし、イオネの怒りはとどまるところを知らない。

 当たり前だ、彼にとって目の前の女とは、いわば“親の仇”なのだから。


「テメェが誰だろうが関係ねえんだよ! よくも……! よくもオヤジをっ……ぐうっ!?」


 紅葉が問答無用にイオネの腹を踏みにじった。

 イオネの顔が苦痛に歪む。


「だから名を名乗れと言っているのでござる、もし名乗る名がないというのならば、それもまたしかり、拙者見ての通りの阿呆ゆえ人の名前が覚えられぬ。その時はすぐに我が愛刀で腹をかっさばいてやろう」


「っ……上等だ! ボクの名前はイオネ・ロックフリント! すぐにでもお前のハラワタをぶちまけて……!」


「――そうか」


 紅葉がまったくの無表情で刀を構える。

 波打った刃文が、冷たい光を返した。

 その光に宿るは純粋な殺意――俺は、いよいよ駆け出した。


「クソが!!」


 一目散に駆ける。

 このままではイオネが死ぬ。イオネまでもが死んでしまう。

 俺のせいで、俺のせいで、俺のせいで――!


 相手が凶器を持っていることなど、もはや考えもしなかった。

 俺はあらゆる恐怖や躊躇いを圧倒的な使命感によって押し潰し、それを拳に乗せて紅葉へ殴りかかる。


「はぁ……まったく、次から次へと鬱陶しいでござる」


 だが、これもまた通るはずがない。

 突き出した拳は軽々とかわされて、バランスを崩したところに足払いをかけられる。

 俺は惨めにも地面へ倒れ伏す。熱を持った痛みが前半身を襲った。


「ぐっ……!」


「ハチブセ!」


「まったく何度も言わせるな、斬られたくば名乗りをあげよ、まとめて斬り捨ててやるでござる」


 紅葉は俺たちを見下ろして、変わらず無表情で言った。

 えらく時代がかった間抜けな口調にごまかされかけるが、この女――俺たちとは次元が違う。

 恐らくは、六騎士クラス。

 すなわちイオネや、ましてロール持たずの俺なんかではたとえ逆立ちしたって勝負にすらならない。

 それほどまでに絶望的な差が、ヤツと俺たちの間に立ちはだかっている。

 それが、どうしようもなく――悔しい。


 だからこそ俺は叫ぶ。


「――俺の名前は八伏亮だ! 斬れるもんなら斬ってみろ侍女ぁっ!」


「その意気やよし、では死ぬでござる」


 ひゅん、と風そのものが吹き抜けるような音が届き、剣先が消えた。

 数秒後、おそらく俺の首は飛ぶ。

 いとも容易く、まるでよく熟れた果実が枝からこぼれるように。

 しかし、結果としてそうはならなかった。


「全の一」


 俺の首元へ届いたのは冷たい刃――ではなく、数房の美しい花弁。

 彼女の振り下ろした刀は途中で変質し、花に変わってしまったのだ。


 当然、花で首を刎ねられるわけがない。

 しばらくの間を置いて、俺の全身からどっと汗が噴き出した。

 完全に自らの死を確信していたばかりに、走馬燈さえ見えていたのだ。


「これは……」


 紅葉は驚いたように、宙を舞う花吹雪を眺めている。

。俺の知る限り、こんな手品じみた芸当をできるヤツは、一人しかいない。


 俺とイオネは同時に振り返る。

 そこには――十中八九、白髪を後ろで結いつけた隻眼の少年の姿が。


「六騎士序列第六位、不夜卿ペルナート・ディラストメネスである。……さあ、名乗りをあげたぞ?」


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