21「コレド芋」
緩やかに覚醒する。
目の前にインスタ映え必至の、緑色の巨大ワタアメが転がっていた。
魔王が出てくる夢よりも、よっぽど意味不明な光景である。
「……って、なんだ、イオネかこれ」
俺は巨大綿飴の中に手を突っ込んで、隠れた本体を捕まえると、顔をこちらへ向かせた。
イオネのやつ、油断しきった寝顔を晒してすうすうと寝息を立てている。
どうやら俺は昨晩鵜渡路と別れたのち、イオネの隣へ横たわって、そのまますとんと寝入ってしまったらしい。
いや、いや、注目すべきはまず目の前のコレだろう。
「どうなってんのこれ……」
寝癖ってレベルじゃないぞ。
ただでさえボリューム豊かだった彼女のもじゃ頭が、摩訶不思議、たった一晩で体感二倍ほどに膨張してしまっている。
一晩でこれほどだとしたら、果たして二晩三晩寝かせると一体どうなってしまうのか……興味は尽きない。
俺はごく自然にもじゃ頭をかき混ぜる。
おお、なにこの触っているのに触っていない感じ、密度が低いからか、まるで雲でも掴むような……
「……おい」
「ん?」
見ると、イオネが目を覚ましていた。
はは、なんだその殺気に満ちた表情、お前寝起きの顔ひどいなー。
「ああイオネ、おはよう」
「この……!」
イオネが顔を真っ赤にして、横になったまま右足をしならせる。
あー、またこのパターンか。
また裏返されるのか、膝。
覚悟とも諦めともつかぬそれを胸に抱いて、イオネの蹴りに備える。
しかし、蹴りは飛んでこなかった。
イオネは一度構えた足を引っ込めて、まるで猫のように丸くなってしまう。
はて?
疑問に思って顔を覗き込むと、彼はリンゴみたく顔を真っ赤にしてぼそりと一言。
「……手、どけろ、寝癖見られるのヤなんだよ……」
「なっ……」
イオネの恥じらうような仕草に不覚にも、本当に不覚にも――ドキリとしてしまった。
……えっ、なに、ドキリって。
イオネは少年、男だぞ?
いやいやまさか、俺にそっちの気はない。ないはずだ。
悪いのはイオネである、ほとんど不意打ちにこんな表情、まるで女の子のような……
「ご、ごめん!」
俺は弾かれるように手を引っ込めた。
これ以上はヤバいと本能が察したのだ。
イオネは丸まった態勢のままころりと寝返りを打って、こちらに背を向けてしまう。
俺はそんな彼の背中を見つめながら、あわあわとするだけ。
――気まずい!
なんだこの気まずさは!?
これならばいっそ力いっぱい蹴りを入れられた方がマシだった!
イオネが妙な反応をするものだから……クソ、どうすんだよこの空気! 誰か助けてくれ……
と、その時である。
俺の心の声が天に通じたのか、おもむろに、なにやら食欲をそそる香りが鼻をついた。
「うん? なんだこのいい匂い」
すんすんと鼻を鳴らす。
どうやらこの香りは、下の階から立ち上ってきているようだ。
「ああ、きっとオヤジが気使って朝飯作ってくれたんだな……ったく、そこまでしてくれなくていいのによ」
「あのオカマはどこまで株を上げれば気が済むんだ!」
初対面の俺を二つ返事で匿ってくれただけでなく酒まで奢ってくれて、あまつさえ朝食まで……!
そうと分かれば、こうしちゃいられない!
「行くぞイオネ!」
「えっ、ちょ……おい! ボクまだ髪の毛が……!」
聞く耳は持たない。
俺はイオネを無理やりに引っ張って、部屋を飛び出す。
「ああ、もう!」
イオネは途中から観念したらしく、手櫛でそのワタアメ頭との格闘を始めた。
よしよし、いつもの調子に戻ってきたぞ。
そんなこんなで俺たちは足早に階段を下り“レオン”の扉を開く。
一夜明けてのレオンは、昨日のどんちゃん騒ぎが嘘のように綺麗さっぱり片付いており、元の落ち着いたバーの雰囲気を取り戻している。
しかし俺たちが何よりも目を奪われたのは、カウンターテーブルにずらりと並べられた料理の数々だ。
「うおお、すげえ! フルコースじゃんか!」
「オヤジ、相当気合い入れたんだな……!」
俺たちはさながら子供のようにテーブルへかじりついた。
だって仕方がないだろう!? 見ろ! このラインナップを!
まずこのシチュー! 匂いを嗅いだだけで、自然とほっと溜息の出るような家庭的な温かみに溢れている!
白いスープの中にごろごろと転がった大粒のジャガイモのような何かが、なんとも嬉しい!
続いてこちらはキッシュ? というやつか!
見るからに香ばしそうなパイ生地と、ぎっしり詰まった具の数々!
中でもとりわけ存在感を放つのが、面積のほとんどを占めるほっくりとしたジャガイモのような何かだ!
こちらもすごい! ジャーマンポテトである!
申し訳程度に添えられたベーコンと、圧倒的な物量をもって皿上を占拠するジャガイモのような何か!
そしてこっちはもう単純にふかしたジャガイモのような何か!
ほんのちょっぴりの塩が添えられているが、これをつけて素材の味を楽しめと……
「……あの、イオネさん」
「……言ってみろハチブセ、多分ボクも同じこと考えてる」
「……イモ、多くね?」
そう、ずらり並んだ朝食フルコースは、ことごとくがイモであった。
徹頭徹尾、首尾一貫して、イモ。
いっそ執念すら感じるほどのイモ尽くしである。
……マスターはイモに親でも殺されたのか?
「どうした、コレド芋は嫌いか? いや、そんなはずないだろう」
「コレド芋っていうのかこれ、いや、もちろんありがたくいただくんだけど、それにしたって……ん?」
反射的に答えてしまったが、今イオネのものでもマスターのものでもない声がした。
俺とイオネはほとんど同時に、声のした方へ視線を送る。
すると、何故今まで気が付かなかったのだろう。
カウンターテーブルの向こう側に、白髪頭を後ろで縛った隻眼の少年を発見する。
こ、コイツは!?
「――不夜卿!?」
イオネが彼の二つ名を叫ぶ。
そうだ! ヤツは王都ガイアールで俺たちを追い詰めた六騎士の一人!
不夜卿――ペルナート・ディラストメネス!
突然の展開で驚く俺をよそに、イオネはすかさず臨戦態勢をとった。
「お、お前……っ! オヤジをどうした!?」
イオネは投擲用のナイフを構え、ペルナートを牽制する。
しかし相手は六騎士、イオネのナイフが一体脅しとしてどれだけの効力を持つのかは、はなはだ疑問である。
状況は絶望的――場に緊張が走った。
しかし一方でペルナートはふうと溜息を吐き出し、
「まったく、神聖なる食事の席で無粋なものを――フォークを持て、食事の時間だ」
全の一、とペルナートが唱える。
するとイオネの構えたナイフが、一瞬の内に変質して一本の“フォーク”に変わった。
「なっ……!?」
「……オヤジ、というのは知らんが、私はそんなつまらない諍いのためにここにいるわけではない、早く着席しろ」
イオネが助けを求めるように俺の方へ目くばせをしてくる。
俺は、アイコンタクトでもって「ここは素直に従っておけ」と合図を送った。
イオネは警戒心剥きだしのまま、着席する。
「お前もだ、少年」
ペルナートがめいっぱいの背伸びをして、カウンターテーブルの向こうからフォークを差し出してきた。
少年って、俺のことかよ……
釈然としないままに、俺はフォークを受け取った。
「さあ遠慮せずに食うといい、ちなみに私の一押しはふかしコレド芋だ」
「……いただきます」
どこか満足げな表情のペルナートをよそに、俺たちは恐る恐るコレド芋料理をつっついた。
もしや毒でも……そう思って、初めジャーマンポテトに手をつけたのだが、ただの美味しいイモ料理である。
しいて言うなら俺の知っているジャガイモより少しクセが強いが……うん、イモだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「コレド芋は美味いだろう、異界の勇者よ」
「うん……まぁ……」
正直言って、味なんてロクに分かるはずがない。
というか俺は今何をさせられているんだ?
どうして、つい先日俺を殺そうとしたヤツが作った料理の感想を求められている?
ちらりと彼の方を見やると、ペルナートはなにやら“どす黒い握りこぶしのような何か”をガリガリとかじっている。
「ふむ、やはりコレド芋は生が一番だな、お前もどうだ?」
それ、コレド芋かよ。
お前そんなグロテスクなもん生でかじってるのかよ。
というか食いかけをこっちによこすんじゃない。
「謹んで遠慮させていただきます……」
「そうか、仕方ない」
ペルナートは残念そうに言って、再び生のコレド芋をかじり始める。
なんだこの状況。
俺とイオネが顔を見合わせていると、その傍らペルナートは丸ごと一つのコレド芋を平らげ、言った。
「……すでに知っているとは思うが、私を除いた六騎士の五人が殺された、“愛の勇者”を名乗る女によって」
ペルナートはローブの袖で口元を拭いつつ、こちらを見据える。
「“王殺し”をやってのけたのはお前ではないな、十中八九、愛の勇者だろう?」
俺は口をつぐんだ。
あまり思い出したくない光景だ。
ペルナートはこれを無言の肯定と受け取り、ただ一言「そうか」と頷いた。
「これはまずいな、事態は思ったよりも深刻だ」
「……はん! 他国を出し抜こうと極秘に勇者召喚を行った挙句、召喚勇者に上の連中を根こそぎ殺られたことが明るみになるのはそんなに怖いか? 心配しなくてもガイアールはとっくにおしまいさ!」
ざまあみろ、とイオネは吐き捨てる。
しかし意外にもペルナートにこれを気にしたようなそぶりはない。
どころか、あっけらかんと言った。
「いや、言われずともそんな心配はしていない、“王殺し”が成った時点でガイアールは終わりだ。これはそれよりももっとマクロな話なのだよ」
「確かに一個人があれだけの力を持っていれば危険だろうさ、放っておけば間違いなく戦争になる、国の一つや二つ、さくっと滅んじゃうかもね」
「――いや、これはその程度の規模の話でもない」
俺とイオネは、訝しげに眉をひそめる。
国の一つ二つ滅ぶのが、その程度?
ペルナートは一体何を危惧しているのだ?
「ときに少年」
「少年じゃない、八伏だ」
少年呼びがあまりにもむずかゆいので、訂正を加える。
「ではハチブセ、お前“賢者の石”はまだ持っているか?」
「賢者の石?」
「ペンダントだ、貴様がメイファンから譲り受けた」
「……あ、ああ、これのことか」
今まですっかり存在そのものを忘れていたが、俺は内ポケットにしまったソレを取り出した。
革紐にぶらさがっているのはルビーにも似た赤い宝石。
ペルナートの一撃を無効化してしまった謎のアクセサリーだ。
「まぁ、譲り受けたというか、拾ったというか……」
「いや、貴様は間違いなくメイファンからこれを譲り受けている――だから教えろ」
ペルナートがずいと顔を寄せてきた。
その表情からは、鬼気迫るものを感じる。
「メイファンは間違いなく貴様にメッセージを託している、彼女は死の間際、なんと言っていた? なんと言って貴様にこれを託した?」
「なんと言って、って……」
――世界を救うことができるのは勇者でも魔王でもない、オマエだけダ、ハチブセ。
彼女の最期の言葉が頭の中に蘇る。
しかし、そんなのはバカげた冗談で、俺は何の力も持たないただの……
その時、イオネがばんとテーブルを叩いて立ち上がった。
「勇者とかそんなのはどうでもいいんだよ……! 不夜卿! 今度はボクの質問に答えろ! オヤジを、マスターをどこにやった!? オヤジに何かあったらその時は承知しないぞ!!」
彼はやはり恩人であるルクラダの安否が心配なのだ。
有利不利など関係なく、イオネはペルナートに対してすさまじい剣幕でまくし立てた。
これを受けてペルナートは「ふむ」と顎に手を当て、何か思い出すようなそぶりを見せる。
「……私がたどり着いた時、すでにここはもぬけの殻だったが、そういえば裏口の方でそれらしき人物を見たな」
「な、本当か!?」
「嘘を吐いてどうなる」
「っ……オヤジっ!」
「お、おいイオネ!?」
イオネは弾かれたように駆け、勢いよく裏口から飛び出した。
俺もすぐにその背中を追いかける。
「ちょ、ちょっと待てって……!」
湿った木製の扉を開け放つと、意外にもイオネは裏口から出てすぐのところで佇んでいた。
すんでのところで冷静になってくれたのだろうか?
俺はそんなことを考えながら、イオネの視線をたどる。
その先には――力なく横たわるルクラダの姿があった。
「は……?」
理解が追いつかない。
しばらくの間を置いて、小刀を手にルクラダを見下ろす、和装の少女の存在に気付く。
「お前……何してんの……」
イオネがか細い声で問いかける。
一方で少女は表情一つ変えず、ましてこちらを見もせずに、淡々と答えた。
「なに、とは……これだけの兵は、なかなかいないでござるからな、明け方まで散々迷って、首級を頂戴いたそうと思った次第で――まぁ平たく申せば、首を落とそうとしているのでござるよ」
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