17「はいチーズ」
港町リューデンブルグの夜は、昼間の活気が嘘のように静まり返っている。
聞こえてくるのはざざあざざあと寄せては返す波の音、ただそれのみ。
星明りの照らす幻想的な街並みにそれ以上のものはいらない、そう思っていた。
彼女が現れるまでは。
「足元にお気を付けくださいね、八伏お兄様」
鵜渡路舞はさながらダンスでもするかのような軽やかな動きで、屋根を伝って歩く。
その度に絹のヴェールがひらひらと舞い、星明りを返して、彼女を幻想的な風景の一部とする手助けをしていた。
以前はビキニアーマーだったが、今回はリューデンブルグの異国情緒溢れた空気に合わせてか踊り子風の衣装を身にまとっている。
彼女は満天の星空の下でひととおりのダンスを披露すると、手頃な場所を見つけてゆっくりと腰をおろした。俺もそれに倣って彼女の隣に腰をおろす。
そこからはリューデンブルグの町並み、果てしなく続く海、そして宝石を散りばめたような天蓋、この三つを同時に視界へ収めることができる。
俺は思わずほうと息を吐いた。
「綺麗な景色ですね、八伏お兄様」
鵜渡路舞は屋根に腰をかけ、遠くの海をぼんやりと眺めながら言う。
その物思いに耽る横顔とくれば、まぎれもなく多感な年頃の少女のソレだ。
夜半家を抜け出して、静かな海を見つめながら、センチメンタルな気分に浸る。
それは思春期の少女としては全く正常なことであり、なんなら微笑ましい光景のはずである。
しかし彼女は……いや、今は付き合ってやろう。
彼女に対する恐怖心がまるでないと言えば嘘になる。
でも、今の俺の中では、それ以上に彼女と言葉を交わさなければいけないのだという、使命感のようなものが勝っていたのだ。
「綺麗だな、スマホがあったら加工無しで壁紙にできるのに、惜しい」
俺はおどけた風に言って両手の親指と人差し指で枠を作り、これをフレームに見立てて町を覗き込む。
彼女はそんな俺の仕草を見て、くすりと笑った。
「ふふ、お兄様ったら、私のでよければお貸しいたしますが」
「あんの!?」
思わず驚いてしまう。
いやでもよく考えたら現役女子高生だもんな、そりゃ当然あるか。
ちなみに俺のスマホはタイミングの悪いことに職場へ忘れてきてしまっていた。
なんにもうまくいかない。
「はい、どうぞ」
鵜渡路が自前のスマートフォンを差し出してくる。
一瞬、女子高生のスマホというからやたらストラップだのなんだのがじゃらじゃらくっついているキラッキラのデコスマホを想像したのだが、杞憂だった。
彼女のソレは、保護フィルムと透明な背面カバーが装着されている以外は、あえて特筆するところのないシンプルな白のスマホである。
しいて言うなら、「さっき買ってきたのか?」そう思わせるほどに手入れが行き届いている。
「じゃあお借りして……ん? パスワードかかってるな」
「0621です」
「へー、奇遇だな、俺のパスワードと一緒だ」
「だって、八伏お兄様の誕生日をパスワードにしておりますもの」
「ひゅっ……」
変な声が漏れた。
さらりと心臓に悪いことを言うのをやめてほしい。
ともあれ俺は彼女のスマホのロックを解除し、カメラアプリを起動する。
カメラ越しに見る異世界というのは、なんだか不思議な感覚だ。
「すげー、マジで加工要らず、この写真売ったら商売できるぜ」
「おそらくこの世界にプリンターはないかと思いますよ」
「そりゃそうか、そうだよな」
ははは、と面白くもないのに笑う。
そして――
「……六騎士を殺したんだって?」
俺はスマホのディスプレイを覗きながら、隣の彼女へ問いかけた。
鵜渡路は、しばらく間を置いて
「六騎士……? そういえばどこかでそんな単語を聞いた気もしますが……ごめんなさい、覚えていません、もしかしたら殺したかもしれません」
「……そうか」
その発言で、分かったことは二つ。
まず一つ、六騎士は王が選りすぐった実力者の集まりと聞いていたが、鵜渡路はもはや歯牙にもかけていないらしい。
彼女にとっては六騎士も村人Aも、等しい存在なのだ。
そしてもう一つ、彼女の中に罪悪感というやつはすでに存在していない。
鵜渡路は、すでにそんなところにまで来てしまっていた。
だが、深くは追及しない。
前回の問答から、その行為がひどく危険だということは分かり切っている。
だからこそ、俺は――
「最近の趣味は?」
――世間話を振った。
鵜渡路は一瞬驚いたように目を丸くして、しばらく経ってから答える。
「……最近はもっぱら書をたしなみます。あとはかじった程度ですが、ボルダリングにも興味がありまして」
「好きな動物は?」
「そこから話を広げる感じではないんですね?」
そりゃそうだろ。
なんだ書をたしなむって、そんな言い回し大河ドラマ以外で聞いたことねえよ。
あとボルダリングってのも初めて聞いたわ。
なに? 海外のミネラルウォーターかなんか?
鵜渡路はおほんと一つ咳払いをして
「……好きな動物は、そうですね、犬です、犬種で言うととりわけセント・バーナードなどが……」
「俺はツチノコが好き、金持ちになったら三匹飼う」
「最後まで聞く感じでもないんですね?」
いやこれはもうしょうがないでしょ、「犬種は~」とか言い始めた時点で無理だコレって分かったし。
「というかツチノコは実在しませんよ、お兄様」
「……え? マジ?」
今世紀最大の衝撃だった。
え、じゃあなに? 俺一生ツチノコ飼えないってこと?
あまりのショックにわなわなと肩を震わせていると、鵜渡路はふふっ、と笑みを漏らした。
今までの一種妖艶な微笑みとは違う、自然と漏れ出てしまったかのようなそんな笑いだ。
「八伏お兄様は昔から変わりませんね、お兄様とお話をしていると思わず肩の力が抜けてしまいます」
「そりゃよかった」
一瞬「あれ? 馬鹿にされてる?」とも思ったが、彼女が笑っているからよしとしよう。
「鵜渡路は、少しくらい肩の力抜いたほうが丁度いいと思うよ、ザ・完璧超人って感じだもん」
この際だしと思って付け足すと、鵜渡路の表情からふっと無邪気な笑みが消えた。
その横顔には、影ができている。
「……そんなことはありませんよ、私には足りない物ばかりです」
彼女は、消え入りそうな声でぼそりと呟く。
「これではまだまだ到底、 割ることはできません……」
俺は彼女の横顔をじっと見つめる。
それは、不安と焦燥に駆られた少女の顔。
初め、俺は躊躇なく友人の首を刎ねた彼女のことが恐ろしくて恐ろしくて、仕方がなかった。
しかし前回、俺が彼女を突き飛ばした時のことを思い出す。
あの時の彼女も同様に、今にも泣き出しそうな顔で、何かに苦悩していた。
それこそ、多感な年頃の女子高生のように。
ああ、なんと甘ったるいことだ。
俺はまさか頭がおかしくなってしまったのか?
まさか、まさか、両手の指で数えきれないほどの人間を殺し、一国の軍事力にも匹敵するほどの力を得た彼女に対して
――オッサンはオッサンらしく悩める女子高生の相談の一つや二つ乗ってやろうか、などと思ってしまったのは。
「……将来の夢は?」
「八伏お兄様と一つになることです」
即答だった。
その顔には、いっそ執念じみた何かが宿っており、いつもの俺ならば迷わず逃げ出していたことだろう。
しかし今夜の俺は――彼女の肩を抱いた。
「えっ? はちぶせ、お兄さ――」
何かを言いかける鵜渡路を無視して更に――寄せた。並んだ。
そんでもって
「はいチーズ」
「はい?」
ぱしゃり、と鵜渡路のスマホでシャッターを切る。
リューデンブルグの幻想的な街並みをバックに、キメッキメに顔を作った俺と、その隣で呆気にとられたような表情の鵜渡路によるツーショット。
これは滞りなく鵜渡路のカメラロールに保存される。
おお、これなかなか良いショットじゃねえの?
インスタ映え? ってやつ?
「な、お兄様、一体、これは……?」
いつもの毅然として落ち着き払い、かつ優雅に振舞う鵜渡路は、もはやここにはいなかった。
ましてそれは、一国の軍事力にさえ匹敵する力をもつ、化け物じみた勇者の姿でもない。
そこにいるのは顔を真っ赤に染めてぐるぐると目を回す、取るに足らない一人の女子高生である。
「なにって……自撮りだよ自撮り、盛れるアプリとか使ったほうが良かったか?」
はい、と鵜渡路にスマホを返す。
鵜渡路はたかが自撮りで一体どこまで狼狽するのか、口をぱくぱくさせながら「え、あ、う」と意味のない言葉を、吐き出している。
「な、なんで、どうしてですか?」
かろうじて聞き取れた言葉がそれだ。
俺はあわあわしている鵜渡路を眺めているのが、なんだか楽しくなってきてしまって、ふふふ、と笑いながら答えた。
「一つになりたいって言ってたじゃんか、だから一枚の写真に収めてやったわ」
どうだ! と俺はトンチを思いついた一休さんばりのドヤ顔で、胸を反らした。
鵜渡路はしばらく言葉を失っていたようだったが、しばらくすると
「――ふ、ふふふ、ふふふふふふふふ!」
笑い出した。
まるで立ち込めていた暗雲がただの一吹きで散り散りになってしまったかのような、そんな底抜けに楽しそうな笑い声であった。
彼女の笑い声が、リューデンブルグの町にこだまする。
「嬉しい……嬉しいですわ八伏お兄様! まさに天にも昇る気持ちです! 私はこれを一生の宝とします! まずは壁紙に設定し、朝起きてからと寝る前にこの写真を拝んで、それと、それと――ああ、なんでこの世界にはプリンターがないのでしょうか!」
鵜渡路ははしゃぎまくっていた。
天にも昇るの言葉通り、本当に今すぐにでも翼が生えて飛び立っていきそうな喜びようである。
うん、なんかよく分からんが、俺なんかの写真でこれだけ喜んでもらえれば、なによりだ。
そう思って、うんうんと頷いていると――おもむろに鵜渡路が純白の大剣を構える。
え? なんで?
意図が分からずに困惑していると、鵜渡路は純白の大剣を暗い海に向かって一閃、虚空を切り裂いた。
その剣閃の鋭さときたら、まるで一筋の光。
あまりの美しさに、一瞬魂を抜かれてしまったのではないかと錯覚したほどだ。
そして彼女は最後に一度、血を払うような動作で剣を振り払い、そしてこの上なく楽しげな表情で言った。
「――まったく、せっかくこんなにも素晴らしい夜なのに 無粋なタコもいたものです!」
次の瞬間である。
ここから遥かに離れた海が、二つに割れた。
同時に響き渡る、ぶもおおおおおおおお、と耳元で牛の鳴くような声。
俺は思わず両耳を抑える。そして見た。
割れた海から飛び上がったのは、この距離でもわかる、推定40mはくだらないであろう巨大タコだ。
ただの一本で船の一つもゆうに沈めてしまいそうな八本の触手、おぞましい形相。
ああ、なるほどあれが噂のクラーケンなのだな、と納得する。
しかし、すでに事切れていた。
胴体と頭を横一文字に切り裂かれて――すなわち、首を刎ねられて。
クラーケンの亡骸が、再び海に沈む。
どどおっ、と世界を揺らすような低い音が這ってきて、遅れて町に塩水の雨が降り注いだ。
そしてこの土砂降りの中で、鵜渡路舞はふんふんと鼻歌を歌いながらダンスを披露する。
「ああ、八伏お兄様! 私決めましたわ! 私は必ずお兄様と一つになります! だからこそ一刻も早くお兄様にふさわしい女性になれるよう頑張りますね!」
ぐっと両手の拳を握りしめて、実にかわいらしく鵜渡路は宣言する。
しかしこちらとしては、乾いた笑いしか出てこなかった。
なんだろう。
今までで一番選択肢をミスった気がする。
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八伏亮が鵜渡路舞に連れられて屋根の上へ上ったのと同時刻、リューデンブルグのとある路地にて
「オラあんたたち! きびきび歩きなさいよ!」
「うう……吐きそう……」
「きったないわね飲み込みなさいよ!」
裏酒場「レオン」のマスター、ルクラダは八伏に潰された屈強な男たちを担いで町を駆けずり回っていた。
化粧で塗り固められた顔を般若の形相に変え、使い物にならなくなった男たちを引きずって進む。
面倒ならば店の前にでも捨てておけばいいのに、それができない。
それがルクラダの性であった。
「アタシはね! さっさと家に帰って明日の朝御飯の仕込みをしないといけないのよ! なんてったってでっかい子供が二人もいるんだからね! だからほらキビキビ歩きなさい!」
「ツンデレが過ぎるぞババア……」
「うるっさいわね!」
男たちをがなり散らしながらも、丁寧に一人ずつ家に送り届けるルクラダ。
いよいよ残り三人。
ようやく家に帰れそうだと、ルクラダはほっと溜息を吐く。
しかし、
「――そこな人、夜分遅くに申し訳ない、尋ねたいことがある」
ローブを目深にかぶった一人の女性が、突如として立ちはだかった。
ルクラダは直感で感じ取る。
こんな夜更けに女が一人、間違いなくマトモではない。
それに、身にまとう気配が圧倒的に“違う”。
「……なによアンタ、今アタシ忙しいの、見てわからない?」
「それは失礼した、しかしこちらも火急の用でな」
「だったら早く要件を言いなさいよ」
「かたじけない」
どこか間の抜けた時代錯誤な物言いでもって、ローブ姿の彼女はぺこりとお辞儀をすると、ルクラダの目をじっと見つめて、問いかける。
「――王殺しの勇者はどこだ?」
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