15「ルクラダババア様」
……こんなに歩いたのは、一体いつ振りだろう。
少しでも追手に見つかるリスクを下げるために街道は避けるべき。
というイオネの提案に従い、歩くこと数時間。
俺たちがリューデンブルグにたどり着いたのは、すっかり日も沈みかけてからのことであった。
「やっと着いたっ……!」
せめて顔だけでも隠すようにと渡されたイオネのマフラーを少しだけ指で緩めて、ぶはあっと息を吐き出す。
スーツが汗で肌に張り付いてきて気持ちが悪いし、革靴で長時間歩いたせいで靴擦れを起こしかけている。
せめて会社帰りでない普段着の時に召喚されたかったと、そんなどうにもならないことを心中で愚痴ってみた。
「ったく、だらしねえな、異世界人ってのはこんなに体力がないもんなのか?」
一方でイオネはけろりとしている。
ちなみに追手の目を欺くために、例のごとく大人verだ。
クソ、あんなちんまい身体のどこからそんな体力が……
「……ど、どうでもいいけどあんま匂い嗅ぐなよ、そのマフラー」
「あん?」
なんだ、妙なことを気にするやつだな。
ペットボトルの回し飲みとか苦手なタイプなのかな?
まぁ、そんなことはどうだっていいさ。
今は素直に喜ぶべき光景が、目の前に広がっているじゃないか。
「ここがリューデンブルグか!」
――港町リューデンブルグ。
イオネ曰く、グランテシアでも指折りの貿易都市。
活気溢れるこの町には、実にあらゆる物が集まる。
新鮮な魚や果実、毛織物に酒や甘味料、そして――情報。
実際に目で見て確認した俺の第一印象は“彩りに溢れた町”だ。
現代日本では考えられないパステル調の家々が、さながらパズルのごとく複雑に噛み合わさって、一個の町を形成している。
更に通りを行き交う顔ぶれも多種多様で、筋骨隆々の船乗り風の男から、異国の踊り子じみた女性まで、なんでもござれだ。
そして、ともすれば雑多なこの光景に統一感を与えているのは、水平線の隙間からこちらを優しく照らし上げる、真っ赤な夕焼けである。
リューデンブルグは露店もすごいぞ、特にオススメなのはフィッシュサンドだな、ありゃあ美味い。カリッと揚がった魚のフライと、酸味の効いた特製ソースの相性が抜群で……
ここへ来る前イオネからそれを聞いて期待に胸を高鳴らせていたのだが――さすがにこの時間にもなると屋台は閉まっているらしい。
思えばこちらの世界に来てから、金平糖を数粒つまんだだけだ。
腹の虫が必死でSOSを送ってきている……
「腹減ったな……」
「もう少し我慢しろ、これからルクラダのオヤジに話を通すんだからな」
「誰?」
「ルクラダ、情報屋兼バーのマスター、このあたりじゃ知らないヤツはいねえよ、言っただろ? ツテがあるって」
「情報屋兼バーのマスター!?」
なんだそのかっこよすぎる響き!?
肩書だけで男のロマンをくすぐるとは、間違いなく只者ではない!
きっと筋骨隆々で顔にでっかい傷痕があって撫でつけた白髪の似合うダンディな御仁であることはもはや明白! というか間違いなくそうだろ! もう今から期待しまくりだよ!
「先に言っとくが、オヤジはなかなか、その……威圧感があるからな、せいぜい萎縮しないように気をつけろ」
「ふっ、任せろ」
俺はキメ顔で答える。
どんだけ強面のオッサンが出てきても、心の準備は万端だ。
そんで「若者よ、君は綺麗な目をしているな」とか言われて、なんか知らんけど実力を認められたりするんだ!
「あ、多分こいつまた何か勘違いしてんな……いや、面倒だからいいや、そら行くぞ」
「任せろ」
そうして俺はイオネに連れられて、入り組んだ路地の奥へ奥へと誘われ――
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「あらぁ、お久しぶりイオネちゃん、元気してたぁ?」
――最奥にある小さな木扉の先の薄暗い部屋で、化け物と邂逅した。
いや、ごめん化け物は言いすぎたわ。種族は人間だわ。
しいて言うならその、性別が不確かというか、もう率直に言っちゃうと――オカマだわ。
もうほとんど頭の中で完成していたダンディズムの塊みたいなオッサン像が、音を立てて砕け散った。
目の前にいるのは、やたら背が高くさらさらヘアーで、そして一体何をどう間違ったのか顔面を白塗りにした気色の悪いオッサンである。
カウンターの向こうで身体をくねつかせる様は、一言で言って恐怖である。
え、なに? バーのマスターって、そういうバー?
困惑していると、オカママスターはようやくこちらに気が付いたらしく、持ち前の長身を折り曲げてずいと顔を寄せてきた。
「あら見ない顔ね、イオネちゃんのツレ? ふうん……綺麗な目、してるじゃなぁい」
ふっ、と見開いた眼球に息を吹きかけられた。
ぞわわわわわわわ、と全身の毛穴が開く。
「……ルクラダさん、ハチブセには手を出さないでよ」
「へえ、ハチブセちゃんって言うのね! もしかしてイオネちゃんのオトコ!?」
「うおい!」
イオネがばぁんとカウンターテーブルを叩く。
これによって、俺はようやく我に返った。
……はっ、さっきのショックで立ったまま気を失っていたようだ。
「雇い主だ雇い主! なんでもかんでもそういう風に結びつけんな!」
「あらそうなの? 残念、イオネちゃんにもようやく春がきたのかと思ってちょっと期待したのに……まぁそれはそれとして、ヤッちゃいなさいよ」
マスターが、何かイオネにだけ見えるように指でジェスチャーを送っていた。
これを見たイオネは「なっ」と顔を赤く染める。
「馬鹿じゃねえの!? 馬鹿じゃねえの!? この色惚けオヤジーー」
二人のやり取りをぼけーっと眺めていると、その瞬間、事が起きた。
めぎり、と形容しがたい音がして、その途端イオネは閉口する。
俺もまた遅れてその音の正体を発見して――絶句した。
信じがたいことに、マスターの青白い指が、カウンターテーブルにめり込んでいたのだ。
マスターは表情だけは優しげに、語りかけてくる。
「ババア、でしょ? イオネちゃん」
「は、はいっ、ルクラダババア様っ……」
「それでいいのよ」
いいのかよ、なんて脳内で冷静にツッコミを入れた。
あんなほそっこい腕で、なんて怪力だ……
あのテーブルの天板、木製とはいえ辞書ぐらいの厚みがあるぞ……
なるほど確かにイオネの言う通り、相当な“威圧感”のある人物だ。
「というかイオネちゃん、アンタここにいるってことは宝物庫破り成功したの?」
マスターはめりこんだ指を引き抜き、ぱんぱんと手を払うと、何事もなかったかのように問いかけてきた。
対してイオネはばつが悪そうに答える。
「……いや、しくじった」
「なによ、じゃあアンタもしかして今、王国から追われてるわけ?」
「いやぁ、うーん……複雑なんだけどさ」
イオネはもじゃ頭をかきまぜながら、ぽつりぽつりとこれまでの経緯をマスターに語り始めた。
そしてたっぷり時間をかけてイオネが語り終えると、マスターは神妙な表情で頷く。
「召喚勇者の暴走に、ロール無しの異世界人……そう、そんなことがあったのね……ふふん、アンタ見かけ以上にイイ男じゃなぁい」
マスターが俺のことを肘で小突いてくる。
褒められているはずなのに、素直に喜べない。
「イオネちゃんも大変だったわねぇ、とりあえず一杯飲みなさい、料理も何か適当に見繕ってあげるわ」
「ルクラダさん、悪いけどボクらゆっくりしてる暇はないんだ、いつここまで追手が来るか……船を一つ手配してもらってただろ? すぐにあれを……」
「――無理よ」
ルクラダはカウンター裏で酒を用意しながら、イオネの提案を一蹴した。
この反応は予想外だったのか、イオネは鳩が豆鉄砲を食らったような表情だ。
「ど、どうして? 金は払ったじゃないか!?」
「そーいう問題じゃなーいの、アンタまだ知らないかもしれないけどねぇ、つい数時間前、ダルムまでの海路にクラーケンが出たのよ」
「クラーケンだって!?」
イオネが身を乗り出して叫ぶ。
クラーケンといえば、巨大なタコだかイカだかの姿をしていて、通りがかった船を海中に引きずり込む、RPGにおける中ボスモンスター的なアレのことか……?
「そうよ、貨物船が一隻見事に沈められちゃってねえ」
「ダルムまでの海路にクラーケンが出たなんて話、今まで聞いたことが……!」
「ええ、だから異常事態、船乗りはもう皆してビビっちゃって、当分船は出ないわよぅ」
「そんな……なんでこのタイミングで……」
もじゃ頭をわしわしとかき混ぜて、絶望に打ちひしがれるイオネ。
これで、船を使っての国外逃亡は事実上不可能となったわけだ。
「……その、クラーケンっていうのは倒せたりしないもんなのか?」
「異世界人の坊やは知らないかもしれないけどね、クラーケンを倒すともなれば水棲モンスターに強いロール持ちか、そうじゃなきゃ最低でもBランクのロール持ちが要るわねぇ」
「そうか……」
一縷の望みにかけてみたが、この切迫した状況下で条件に合う人間を探すというのはあまり現実的ではない。
じゃあ、もう俺たちは追手に怯えながらこの町で息を潜めるほかないということか……?
イオネほどではないにせよ俺もまた頭をひねっていると、テーブルに二つの盃が置かれた。
中にはビールにも似た黄金色の液体が満ちている。
「そんなに心配しなくても大丈夫よぉ、可愛いイオネちゃんのことだもの、二人ともしばらくはウチで匿ってあげるわよぅ」
「ほ、本当か!? ルクラダババア様!」
「ええ、伊達に何年もこの町でマスターやってないわ、いざという時の手段なんていくらでもあるのよ、まぁそれはともかく料理用意するわねぇ」
る、ルクラダババア様!!
なんと頼れるオカマだ!
抱かれっ……たくは全然ないが、いい人すぎるだろ!
俺は彼(彼女?)の優しさを噛み締めながら、さっそく喉の渇きを潤そうと盃に手をかける。
「……でも正直、個人的に心配なのはそのウノトロとかいう女勇者よ」
そんな時、マスターは背中越しにぼそりと呟いた。
「? なんでさ」
すでに盃の中身をほとんど飲み干したイオネが、口の周りを泡でしゅわしゅわさせながら問い返した。
マスターは料理の準備をしながら、しかし真剣な口調で答える。
「――だってその勇者は今、分かってるだけで30以上のロールを持っていることになるのよ。しかも“人王”に“狂科学者”、加えて自身の分も含めた勇者のロールが三つ、計五つがSランクロール」
「Sランクロールっていうのはそんなに凄いのか?」
「そりゃあもう凄いなんてもんじゃないわ、Sランクロールって言うのは必ず歴史に名を遺すの、必ず、必ずよ? それほどの力を持っているんだから。本来、Sランクロールなんて一国に一人いるかいないかよ」
それが五つも――
ロールについてあまり詳しくない俺でも、なんとなくそのヤバさは伝わってくる。
「と、とはいえさ、六騎士はまだ四人も残ってる」
イオネはよりリアルに事態の深刻さを把握しているらしく、心なしか自らに言い聞かせるような語調だ。
「いくらSランクロール持ちの勇者サマとはいえ、素人じゃないか、百戦錬磨の六騎士サマがそう簡単に負けたりするはずが……」
「――ルクラダさん!! た、大変だ!」
イオネの言葉を遮って、一人の男が慌ただしく駆け込んでくる。
男は逞しい船乗り風のいでたちだが、目に見えて狼狽しきっており、ただならぬ様子だ。
「騒々しいわね!? 一体なによ!」
「そ、それが……!」
男はぜえぜえと荒い息を吐き出してやっとの思いで呼吸を整えると、言った。
「六騎士が、不夜卿を除いた六騎士の五人が――殺された!」
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