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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
後日談的おまけ
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日が沈み -4-

 風に雪が混じり始めた。

 かじかむ手に息を吐きかけながら夜道を北に向かう。

 煉瓦台駅は大災害前には乗り換えもある大きな駅だったらしい。

 とは言え現在は見る影もないただの廃墟だ。

 5年前までは外部からの支援物資の集積所として一定の役割を果たしていたが、それもあの火災が発生するまでだった。

 今では新市街内に代替倉庫が完成していて、駅ビルは見向きもされない。

 かつては人の流れがあったということの名残として、辺りにはゴミが散乱していた。

 人が少なく、治安も悪いところだ。

 100人以上が死んだ現場近くを好んでうろつくなんてまともな神経の人間がやることではない。

 駅ビルの入り口は真っ暗な闇に閉ざされていて足を踏み入れるのを躊躇った。

 指定場所は駅のホームだったのでわざわざビルの中を通っていく必要はない。

 駅とビルは繋がっているが、完全に一体化しているというわけでもない。

 駅には駅の入り口がある。使ったことはなかったが。

 もう何十年か稼動せず錆び付いた自動改札機――正吾はその言葉を知ることもない――の間を通り抜け、大きく開けたホームに出る。

 正吾は他の駅を知らなかったので比較のしようもないが、それは巨大な物資運搬基地を思わせた。ほぼ間違いではない。

 水平に並んだ8本のホームに、その上にのしかかるように連結したコンコースは道路をまたいで駅ビルにまで繋がっている。

 正吾はあたりを見回したが誰の姿も無い。

 どのホームという指定もなかったし、月の見えない曇った夜は視界が悪い。

 おまけに雪は徐々に厚みを増し始めていた。

 雪を避けて屋根も壁もあるコンコースへの階段を上がる。

 細長い真四角の筒はまるでところてんの容器か、羊羹の箱だ。

 ほとんど灯りのない暗闇の中で小さな火が揺れていた。


「ようこそ、赤の後継者」


 それは朝の女だった。

 ランタンを手に錆びたベンチに腰を下ろしている。

 甲高く耳障りな声がコンコース内に反響した。


「いらっしゃると思っていましたよ」


「これはどういうことだ」


 正吾はくしゃくしゃの紙片をポケットから取り出して女に突きつけた。

 この場所で待っていた以上、この女が正吾のポケットにすり入れたのだろう。

 つまりこの女は朝子の行方を知っている。

 しかし女は首を横に振った。


「存じ上げておりません。あなたが私の話に耳を貸さなかったときは渡せと言われていたのです」


「誰にだ!」


「部外者においそれとお話することはできません」


 女はすげなく首を振った。

 朝の馴れ馴れしい態度と違うそれが単純な駆け引きだということは正吾も理解したが、同時に乗らずにはいられない。


「つまり赤の代行者の一員になれば教えてやるということか」


「いいえ、一員だなんてとんでもない。あなたは赤の後継者なのです。あなたには赤の代行者を率いてもらわなければなりません。その資格と責任があなたにはあるのです。それがどれだけ素晴らしいことなのか分かるでしょう? それがどれだけ尊いことなのか分かるはずです」


 女の目は真っ直ぐ正吾に向けられている。

 自分の言葉に偽りがないことを真っ直ぐ信じている人間の目だった。


「この覚醒は私たち人類の新たなる夜明けなのです。それをほんの一部の人類が独占してはいけません。すべての人類に平等に供されるべき祝福なのです。あなたはその標となる。なんと栄誉なことでしょう」


「なぜ俺なんだ」


「あなたが赤の血を引いているからです。あなたは赤が覚醒する前に産んだ子。それゆえ煉瓦台市に置いてきてしまったと、赤は後悔されていました」


「赤が俺の母親だと……」


 正吾は自身が捨て子であることは知っていた。

 物心つく前にとある夫婦の下に預けられたのだが、その夫婦も発症で亡くなり、その後弓削家に引き取られたのだ。

 今更、母親などと言われても実感など湧くわけも無い。


「それがどうした。捨てたならそれで構わない。そっちでよろしくやってればいいだろ!」


「赤は亡くなりました。もう7年も前のことです」


「……そう、なのか」


 顔も知らない自分を捨てた相手だというのに、正吾はその死を知らされて動揺した。


「赤を喪った私たちには精神的な支えが必要です。それができるのは、赤の血を引いたあなただけなのです。それに――」


 女は言葉に一拍置いた。


「あなたにも必要なのではないですか?」


「なにが」


「あなたの妹さんです。彼女を守る力が欲しくはありませんか?」


 その言葉に単純に守るという意味ではなく、社会的な意味合いが込められていることはすぐに分かった。

 つまり正吾の妹、真夜が発症者であることなどとっくに調べてあるということだ。


「そりゃ……」


「赤の代行者の中であれば、発症しているからと指を指されることはありません。むしろそれは覚醒、喜ばしいことなのですから……。それにあなたにもひとり従をつけさせていただきます」


「じゅう?」


 それは聞きなれない言葉だった。


「文字通りあなたの手足となって働くしもべです。主従の契りを結ぶことによって、従の持つ覚醒能力はあなたも扱えるようになります。これはかなり特別なことです。覚醒したものが自身の従を選ぶのが普通ですから」


 正吾は世間で噂されている発症者の特殊能力の一つである識連結のことを思い出した。

 それによれば発症者は動物を使い魔のように扱えるのだという。

 そしてその動物に能力を使わせることもできる。


「どんな能力でも?」


「条件はありますよ。まだ主従の契約をしていない人から選んでいただかなくてはなりませんから。それでも有用な能力持ちはたくさんいます。必ずお気に召すものもあるでしょう。どうです。よい条件だと思いますが」


 条件の良し悪しなど分かるわけがなかった。

 発症能力に対する憧れがないと言えばウソになる。

 真夜のそれしか直接目の当たりにしたことはないが、防御一辺倒の<我は拒絶す>ですら発動されると正吾には手も足も出なくなる。

 少なくとも強力な能力があれば物理的な意味で真夜を守りやすくはなるだろう。

 しかし答えは初めから決まっていた。


「断る」


「なぜ」


「朝にも言ったように俺は駅ビル火災の時ここにいた。だから誰よりもよく知っている。あんたらは他人の命を屁とも思っちゃいない。どんな大儀を並べても、どんな条件を出されようと、首を縦に振ることはない」


「お姉さんのことを知ることができなくても?」


「自分で探す。希望を与えてくれたことには礼を言うよ」


 それで十分だった。

 朝子が駅ビル火災の現場で炎の中に消えるのを見たのは他ならぬ正吾だったが、結局遺体は見つからぬままだった。

 葬式もしたし、墓もある。

 だが今でも心のどこかでは生きていて、ある日ひょっこりと帰ってくるのではないかと思っていた。

 しかし今朝渡されたこの紙片を見て、そして今この女から話を聞いて、正吾は考えが変わった。

 なぜずっと待っていたのか。

 いつでも探し始めてよかったはずなのだ。

 誰が、誰もが、それを認めず、あざ笑ったところで、同情したところでそれがなんだというのだろう。

 正吾はむしろすっきりとした気持ちで踵を返した。


「待ちなさい! どうしても私たちに協力する気はない、と」


 その背中に甲高い声がかかった。正吾は振り返った。


「そうだな。選挙権が手に入ったら、あんたらんとこの立候補者の話くらいは聞いてもいい」


 だがそれだけだ。

 それ以上この赤の代行者とかいう組織に関わる気はなかった。

 例えそれが実の母親が起こしたものだとしてもだ。

 しかしそれは正吾の考えでしかなかった。

 別の場所には別の思惑があり、別の考え方と、そして方法がある。

 女はゆらりとベンチから立ち上がった。


「そうですか。分かりました。しかたありませんね。では――」


 ふっとランタンの火が掻き消える。

 月の無い夜のコンコースはほとんど暗闇に覆われた。窓から差し込むわずかな町の明かりが見えるだけだ。

 暗闇の中に女の声が響いた。


「あなたの肉体だけでも持ち帰ると致しましょう」


 体の芯が冷えた。

 正吾は自分の見積もりの甘さを後悔する。

 殺される可能性などまったく考えていなかったのだ。

 逃げ切れるだろうか。

 一番近い階段はどこだったか。

 振り返ろうとした視界にきらりと一瞬銀光が疾る。

 いっそ目を閉じていれば身がすくむこともなかったのだろうが、もう遅すぎた。

 暗闇を切り裂いて飛来した小型のナイフが4本、正吾の四肢の付け根を正確に捉えようとした。

 体は動かない。今更動いても遅い。

 誘いに乗ってしまったことを後悔しつつ、次の瞬間を正吾は受け入れようとした。

 刹那――、視界が閉ざされた。

 ほとんど暗闇が、完全な暗闇に変わった。

 痛みも無く、音もしない。

 死んだのかと思ったが、相変わらず寒い。

 死んでも気温は感じるものだろうか。

 それとも死んだらみんな寒いのか。

 ぐるりと暗闇が回った。

 視界が戻り、目の前には小さな背中があった。

 からからと乾いた音が辺りでいくつか響いて、ゆっくりと淡い光が立ち上った。

 化学発光スティックだ。

 コンコースの中が照らされて、ようやく正吾は状況を理解した。


「真夜!」


「うん」


 振り返ることなく真夜は答える。

 その手には2本の剣。

 彼女の身長ほどの長さと、1フィート近い幅の片刃が握られていた。

 正面には女。

 消えたランタンを手にベンチよりも向こう側に遠ざかっている。

 その上には男。

 いつの間に現れたのか、それとも最初からそこにいたのか、コンコースの天井に逆さまに立っていた。

 宙吊りではない、まるで足の底に吸盤でもあるかのように天井に立っている。

 その手にはナイフが握られていた。

 無数のナイフだ。

 数える気にもならない。

 ケミカルライトに照らされてその紅い眸が輝いた。


「どうしてここに!?」


「そんなことより早く逃げて!」


「けどっ!」


 真夜を置いて逃げていいものか迷う。

 迷ってしまう。


「はーっはっはっはっ! 来たか、双剣!」


 男は天井に逆さに吊り下がったまま高く笑った。


「遊ぼーぉぜぇ!」


 それと同時に何本ものナイフが投げつけられる。


「この戦闘狂!」


 真夜はそのほとんどを手にした二本の剣で叩き落す。

 しかし一本だけはるか右に逸れたナイフが、ぐるりとありえない軌道を描いた。

 あっ、と思ったときにはもう遅い。

 真夜に警告する時間さえない。

 黒く塗られたそのナイフは真夜の防御線を抜けてストンとそのわき腹に突き立った。

 その途端、真夜の体が横に滑った。

 否、落ちた。

 正吾から見て左側に向かって地面と水平にその体が<落下>する。


「んぐっ!」


 数メートルの距離を左側の壁に向けて落下した真夜は、危うく窓に落ちるところだったがなんとか足を広げて窓枠にかける。

 そして右手の剣を床に突き立てると、わき腹にささったナイフを抜いた。

 と同時に真夜の体が重力に再び囚われて床に落ちる。

 左の壁に落ちたナイフが宙を舞い男の手元に戻った。

 その瞬間きらりと男の手とナイフの間に光が見えた。

 糸か、何かだ。


「はっはははっ! お前がそんな簡単に傷を負うとは! よほど後ろの男が気になるんだな!」


 男はそう言って手元に戻ったナイフに舌を這わせた。

 べろりとナイフに付着した真夜の血が舐め取られた。


「兄さん、逃げてっ!」


 この期に及んでようやく正吾はこの戦いが自分の手には負えない世界のものだと理解した。

 ここに留まることは真夜にとって足手まとい以外のなにものでもない。

 逃げ道を探して振り返る。

 そして目の前に映った光景に正吾の喉から引きつった音が漏れた。

 ケミカルライトのぼんやりとした灯りの中、コンコースの真ん中に一匹の白い獣がいた。

 一瞬イノシシでも山から下りてきたのかと思った。

 その獣の大きさは多分それくらいだ。

 しかし真っ白いイノシシなど聞いたことがない。

 それどころかその白色は体毛の色ではない。

 甲羅だった。

 それの体の表面は先の尖った無数の甲羅が重なり合ってできている。

 まるで蟹か海老の仲間に見えた。

 しかし全体的な形はやはりイノシシに近い。

 イノシシに甲羅をかぶせたような生き物だ。

 真っ白いそいつの双眸だけが真っ赤に輝いている。

 発症者、あるいは発症者と契約した動物だ。


「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん――」


 それが吼えた。

 びりびりと空気を震わせ、コンコース内に轟音が満ちる。

 真っ赤な口から唾液が散った。

 鋭い牙が見える。

 余韻を残しながら咆哮を終え、獣はガチンと鈍い音を立てて口を閉じた。

 逃げ場は無い。

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