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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
後日談的おまけ
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日が沈み -3-

「よぅ、買いか、売りか?」


 油屋の主人は正吾の顔を見つけると開口一番そう口にした。


「両方」


「だろうと思った。嬢ちゃんがいねぇもんな」


 旧市街にある市場には内部世界で生産された品が集まっている。

 外部世界から輸入されたものが並んでいる新市街の市場とは正反対だ。

 雰囲気もまるで違う。

 新市街の市場が商店街なら、旧市街の市場は闇市だ。

 値段と出所にさえ目を瞑れば大抵のものは手に入る。


「こめ油を2リットルばかり」


 入れ物としてペットボトルを渡し、パイプ椅子に腰掛けた。

 あばら家の店内にはありとあらゆる容器が並んでいる。

 油なら食用油から工業用までなんでもござれだ。

 いたるところに<絶対禁煙>の張り紙が張られている。

 引火すればこの一角くらい吹っ飛んでも驚かないだろう。


「で、何が聞きたい?」


 漏斗でペットボトルにこめ油を注ぎながら主人が聞いた。


「赤の代行者」


「おいおい、餓鬼が首突っ込むような世界じゃねーぞ」


「そんなんじゃなくて、話が聞きたいだけです」


 旧市街には元離反者が多い。

 新市街の整備が進むにつれ、近年その傾向はさらに強くなっている。

 油屋の主人もそういったひとりだ。

 ただ彼が少し特殊なのは半ば公然と中立を謳い、双方に情報を提供しているという点だ。


「連中の何が聞きたい?」


「指導者のことを」


「ふん……、なにか知ってるってツラだ。安くないぞ」


「金ならあります」


 自分で稼いだ金ではないが、弓削の家は裕福だった。

 それだけではない。

 朝子が正吾と真夜宛てに残した口座の残高には目玉が飛び出るほど驚いた。

 現在の煉瓦台市の平均年収の優に20年分はあったのだ。

 その口座は真夜と相談した上でいざという時の貯金ということになっている。

 今回はいざという場合だと考えていいはずだった。

 油屋の主人は正吾が差し出した札束をばらばらと数え、ニ、三十万ほど抜き取った。


「赤の代行者の指導者は名前の通り赤という発症者だ。赤は発症者こそ人間の進化した姿だと説いて、外部世界に閉じ込められているのは不当だと主張した。それで外部世界に尻尾を振る自治政府とは折り合いが悪い。というのが一般的に知られている話だが――」


「金返せって言いかけてましたよ」


「実のところこの赤って発症者が実在するかどうかは甚だ疑問だ。なんせ赤が説教してるところを見たやつはほとんどいないからな。それに最近は赤を名乗る女が赤の代行者と対立してるという話も聞く。だから<赤>ってのを赤の代行者の実質的な指導者と考えるのは間違いだ。今の指導者というと夕蝉(ゆうぜん)という男だな。本名じゃなくて発症者連中が好きな二つ名だ」


「どんな人なんです?」


「一言で言うと穏健派だ。評議会に議員をねじ込んだのもこの男だよ。こいつが指導者になってからテロが減ってる。そいつはなんとなく実感してんじゃないか?」


「というとこの2、3年ですね」


「そうだ。ただしこいつには敵も多い。当然だな。赤の代行者と言えばテロリスト。つまり目的を暴力で達成しようとする集団だったのに、政治的手法に頼っては反発も出る。評議会に獲得できた議席もひとつだけで影響力を持つとは言いがたい。最近世論が発症者弾圧に傾きつつあるのは気づいてるか?」


「ええ、まあ――」


 それはまさに今日実感したばかりだった。


「テロが収まってすぐは発症者も感染者も手に手を取ってとか言ってたが、大人しくしてると世論ってのはすぐに掌を返すからな。それで夕蝉は現在苦境に立たされている。赤の代行者の中の過激な連中を抑え切れなくなってきてるんだ。昨日のアレなんかがいい例だな」


「昨日の? 発症者が錯乱したんじゃ」


「おいおい、自治政府の発表をそのまま信じるのか? そいつは聖書の内容をそのまま信じるのと同じくらい愚考だぞ。昨日の火災で死んだのは保守党の支援者ばかりだ。会合に集まっていたところをまとめて焼き殺されたのさ。そんなところで都合よく発症して錯乱するヤツが現れるなんてないね。琥珀油に誓ってもいい」


「なるほど。それで――」


 なぜ正吾が代表に選ばれたなどと言い出したかは分からないが、赤の代行者の中に内輪もめがあって、担ぎ上げる誰かを探しているんだろうということは分かった。


「そっちの知ってることも教えろよ。ちゃんと金は払うぜ」


「赤の代行者が新しい指導者を探してるって噂をね、ちょっと耳にしたもんで」


「ほう、どこで聞いた?」


「ノーコメント」


「おいおい、勘弁してくれよ。うちは噂も扱うが、出所も大事だぜ」


「金はいいよ。代わりにもうひとつ、うちの姉の消息についてなにか耳に入ったということは?」


 正吾が言うと主人の顔色が変わった。明らかに悪いほうに。

 油屋の主人は弓削朝子のことを知っている。

 元はといえば朝子がこの店の馴染みだったのだ。


「小僧、小僧、小僧、気持ちは分かるがいい加減に成仏させてやれ。死んだか死んでないかじゃねぇんだよ。弓削朝子はもういない人間だ。忘れろとは言わないが、執着はするな」


「そんなんじゃないです」


 そうは言ったものの、正吾には自分が朝子への執着を持っていないという確信が無かった。


「そんなんじゃないです」




「おかえりなさいっ!」


 こめ油とてんぷらの具材を買って帰ると、真夜が準備万端のエプロン姿で駆け寄ってきた。

 頬が赤く上気して、結い上げられた髪からはシャンプーの匂いがふわりと漂っている。

 風呂上りなのだろうが、鼻先に小麦粉がついていた。

 それを拭ってやろうと手を伸ばして、エプロンの布地を柔らかく押し上げるふくらみに気づき一瞬息が止まった。


 ――いやいや、いかんいかん。


 途端に昼間見た真夜の姿が頭に浮かぶ。

 あの時は必死で何も考えていなかったが、今こうして思い出すと濡れた制服は真夜の体にぴったりと張り付いてその体のラインを露わにしていた。

 普段真夜はゆったりとした服を好んで着るので知らなかったが、いつの間にかこんなにも女らしくなっていたのだ。


「むぐ」


 恥ずかしさを隠すために真夜の鼻を少し強く拭う。

 ちょっとした意地悪だと思ったのか、真夜は頬を膨らませた。


「むー……」


 らしい仕草にほっとする。

 15歳とは言え、真夜はまだまだ子どもだ。

 誰かが守ってやらなければならない。


「ぷぅ……、寒かった?」


「まあね」


「リビングあったまってるよー」


 真夜は買い物袋を受け取ると、たたたと軽快に台所に走っていった。

 コートを脱いで玄関のスタンドにかける。

 リビングを覗くと火鉢で煌々と木炭が焼けていた。

 普段の三倍くらい入っている。

 よほど寒かったに違いない。とは言え、これは入れすぎだった。

 じんじんと肌を焼いてくる赤外線と戦いながら、火箸で焼けた木炭を灰の中に埋めていく。


「美奈さんにお礼しなきゃね。体育休ませちゃったし」


「いや、結局あいつスカートのままでフットサルやってたぞ」


 おかげで野球をやっていた男子の視線は釘付けで、とても試合になんぞならなかったのだがそれは言わないでおく。


「あはは、あの人らしいや」


 苦笑の混じった声で真夜が返した。

 木炭の半分ほどが埋まったところで作業をやめ、キッチンに入った。

 具材に包丁を入れている真夜に後ろから声をかける。


「なあ、真夜、今日のことなんだが……」


 たん、と包丁がまな板を叩いてその手の動きが止まった。


「バケツに躓いたって、あれウソだろ」


「なんで? わたしがドジなの知ってるでしょ」


「まあ、な」


 一緒に暮らし始めるまで抑制剤を使うことなく生きてきた真夜は、危険物に対する反応が遅い。

 能力に頼ることに慣れてしまって、自分で避けようとしないのだ。


「だけど髪まで濡れるのはおかしいだろ。俺にも言えないのか?」


「兄さんにだから言いたくないこともあるよ」


 それは答えたも同然だったが、それ以上の追求もできなくなる。


「心配しないで。わたしは平気だから」


 なにも言えず、正吾は真夜を後ろから抱きしめた。

 その体の小ささに驚愕すら感じる。そしてその強さに感嘆する。

 この年で、この体で、この子は発症者全体に対する悪意に負けじと戦っているのだ。

 では正吾に兄としてできることはなんだ?

 考えるまでもなかった。

 前を歩いていくのだ。

 その足で踏みしめて道を作ってやるのだ。

 発症者である真夜が明るく前を向いて歩いていける。そんな道を。

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