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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
後日談的おまけ
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日が沈み -2-

「およ、真夜ちゃんはどうしたんだい?」


 黒崎に声をかけられてはっとした。

 携帯を見るとすでに昼休みは半分が終わろうとしているところだ。

 いつもならとっくに真夜が弁当を持ってきているはずなのに今日はまだ音沙汰がない。

 黒崎は前の席に腰掛けると正吾の顔を覗きこんだ。


「午前中もぼけーっとしてたし、なんかあったんかい?」


「口の端にマヨネーズがついてるぞ」


「おっと、こりゃ失礼」


 黒崎は指で唇を拭ってそれを舐める。


「いやぁ、チキン南蛮丼がうまくてさぁ。食堂のおばちゃんに腕あげたねっ、って声かけたらもう一膳もらっちゃって」


「それも食ったのか。がっつきすぎだ」


「女の子は太るまでは食べていいんだよ。知らなかった?」


「そりゃ結構なことで」


 逆に体重増えたら飯を抜くのかもしれない。

 言われてみれば真夜だって毎日体重計に乗るのを欠かさない。

 女の子にとって体重ってのはやっぱり大きなことなんだろう。

 と思ってはみたが、正吾には黒崎美奈が太るところなどどうしても想像できなかった。

 こいつは煉瓦台中の食料を食らい尽くしてもけろりとしてるんじゃないかと思う。


「ダイエットでも始めたかな」


 かと言ってそれで正吾の弁当を忘れるようなタイプでもない。


「真夜ちゃんも結構大食いだもんね」


「黒崎に言われると流石にショックを受けると思うぞ。桁が違う」


「えー、そんな大食いじゃないよ。一昨年の誕生日にブタの丸焼きをもらったんだけど食べきれなかったんだよね」


「物理的に無理だろ。肉何キロだよ!」


「結局3日かかったんだよね。あれは屈辱だったわ。だから今年は牛一頭にチャレンジ」


「すんな!」


 黒崎の場合本気だから大変だ。


「あー、くそ、肉の話なんかするから腹減ってきたじゃねーか」


 正吾は腰を上げた。

 このままでは昼飯を食い逃してしまうし、朝の女のこともある。真夜の様子が気にかかった。

 教室を出ると昼休みの只中で廊下には人が多い。

 中には簡単な野球のようなことをしている連中もいて迷惑極まりない。

 雪でグラウンドが荒れているから、皆屋内に残っているんだろう。

 正吾は人を避けながら急ぎ足で階段を上がった。


「なんでついてくるんだよ」


 その後ろをひょいひょいと黒崎がついてきていた。


「ついてっちゃ都合悪い? おかずつまもうと思ったんだけど」


「悪いわ! まだ食う気かよ」


「だって育ち盛りだもの」


「へぇ……」


 じろりと一瞥してやると、黒崎はばっと両手を体の前で組んだ。


「傷ついた! 乙女心が傷ついた!」


「俺はなんも言ってねぇ」


 ふざけあいながら階段を上がりきる。

 そこにはちょっとした人溜りができていた。

 何かと思って人ごみの間から覗きこんで正吾は息を飲んだ。

 真夜が廊下に座り込んでいた。

 しかもただ座っているのではない。

 長い自慢の黒髪が濡れてべったりと制服に張り付いている。

 制服も同様に濡れていて、床にはちょっとした水溜りができていた。

 正吾は人ごみを掻き分ける。

 真夜は雑巾を手に床を拭くと、バケツに絞る。

 それを何度も繰り返している。

 そしてそれを囲む生徒たちは誰も真夜を手伝おうとはしない。

 それどころか迷惑そうに水溜りを避けていく。


「真夜!」


 叫ぶとびくりと真夜は体を硬直させた。


「あ、兄さん、あの……」


 真夜の視線が泳ぐ。

 その先に巾着袋が見えた。

 いつも弁当を入れているものだ。

 それも真夜と同様にぐっしょりと濡れている。


「ごめんなさい。その、バケツに足を引っ掛けちゃって。ドジだから、わたし」


「バカ! バケツで転んでそんな濡れるわけがあるか!」


 思わず叫ぶと真夜がぎゅっと体を小さくした。


「はいはいはい、あんたら見世物じゃないよ。散って散って」


 人ごみを押し分けて黒崎が姿を見せた。


「玖玲は床拭いて。真夜ちゃんは着替えるもの持ってきてる?」


 真夜は首を横に振る。


「じゃ、あたしの体操服でいいかな」


 少し迷って真夜は頷いた。

 黒崎が真夜に手を伸ばす。

 真夜は少し躊躇って、その手を借りた。


「よし、行こう。ちょっとぶかぶかかもしれないけど我慢してね」


「すまん、黒崎」


「気にすんなって。ほら、床拭いといてよ」


「ああ」


 真夜が使っていた雑巾を拾い上げて、バケツに絞る。

 冬の水は痛みを感じるほどに冷たい。それを雑巾に含ませて、また絞る。

 指先はかじかんだが、体は燃えるように熱かった。

 イタズラにしては度が過ぎている。

 以前にも似たようなことはあった。

 今年の春先、入学して間もない頃、真夜は一度抑制剤を打ち忘れて学内で赤目になってしまったことがある。

 もちろん何も起きなかった。

 真夜の能力は<我は拒絶す>で、一切他人に危害を加えるようなものではない。

 しかし発症者に対する偏見の根は深い。

 真夜の能力がいかに無害なものだと説明したところで、一般人からすれば発症者というひとくくりの中に縛られてしまう。

 いや、むしろ無害な能力であるからこそ発症者全体に対する憤りを真夜は一人で負うことになってしまった。

 だがそれにしたって仲間はずれにされたり、靴を隠されたり、机に虫を入れられたりする程度のことで、直接危害を加えられるようなものではなかった。

 結局のところ真夜がその気になって反撃してくることをどこか恐れている、そんな感じだったのだ。

 それともこの冷たい水を被るくらい大したことじゃないと思ったのか。

 正吾はそいつを見つけ出して真夜と同じ目に合わせてやりたいと思った。

 だが今は真夜のほうが先だ。

 廊下を適当に拭き終わると正吾はすぐに階段を下りた。

 黒崎はすぐに見つかった。

 女子トイレの前で壁を背に腕を組んでいる。

 正吾が降りてきたのを見つけると片手を上げた。


「ごくろう」


「ああ、すまん」


「いーよいーよ、真夜ちゃんとは玖玲より付き合い長いしね」


「ん、そうだったな」


 黒崎に並んで壁を背にする。


「最近はそうでもなかったのに……」


「まあ昨日あんなことがあったからねぇ」


「あんなこと?」


「ニュース見てない? 久々に発症錯乱での大暴れ、20人くらい死んだんだよ」


 黒崎は小さく肩をすくめた。


「専門家の中には発症者の人権が認められるようになって、錯乱した発症者への対処が遅れがちになっている、って言う人もいてね」


「そんな! 抑制剤が出てくる以前に比べればずっとマシだ」


「ま、ねー。正論だけど同じことを犠牲者の遺族に言ってみなよ。玖玲だってその辺の感情には共感できるんでないの」


「そりゃあ……」


 姉の死んだ火災の原因が発症者の引き起こしたテロだと知った時は、この世のすべての発症者を恨んだものだ。


「もちろん、だからって真夜ちゃんをいじめていい理由にはならないよ。でもさ、真夜ちゃんが何も言わないのってもしかしたらそういうこと分かってるからかも。なんなら昨日の事件の遺族が生徒ん中にいるかどうか調べてみようか?」


「いや、いい……」


 犯人探しをしてどうにかなるものでもない。

 問題の根は発症者に対する偏見そのものにあるからだ。


「どうでもいいが、黒崎。5時間目体育だぞ」


「え……、あ、あーっ!」


 声をあげてから、黒崎は半目でじとりと正吾を睨んだ。


「わざとか、あたしにスカートで体育をさせるためか。ひらひらちらちらが狙いか。全部きさまの仕込みか!」


「アホゥ、誰がこんな手の込んだことをするか」


「えっと……」


 黒崎の体操服姿で女子トイレから出てきた真夜が困ったように立ちすくんでいた。

 今の会話を聞いていたのだろう。

 黒崎の体操服の裾をつまんだ。


「お返しした方がいいですよね」


「いーって、いーってば、生理きたことにするから気にしない。ひゃん」


 スパーンと小気味いい音が響いて、階段を下りてきた通りすがりの教師が手に持ったクリップボードで黒崎の頭を叩いた。


「おまえら昼休みはもうすぐ終わりだぞ。さっさと自分の教室に戻れ。事情は分からんが、聞かなかったことにしてやる。さっさと行け」


「はぁい」


 そして真夜は何度もぺこぺこ頭を下げながら階段を上がっていった。


「一日一善かんりょーっと」


「そんなことしてるのか?」


「いいことしたときだけ数えてるよ」


「なるほどね。ああ――」


 腹がきゅうと鳴って正吾は大事なことを思い出した。


「昼飯食ってねぇ」

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