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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
後日談的おまけ
80/90

夜が明けて -4-

 ざぶざぶ、ざーざー。

 ざぶざぶ、ざーざー。

 夏の雨は酷く強く、時折雷鳴が耳をつんざく。

 雨どいを流れる雨水は許容量を越えて溢れ、ばしゃばしゃと無秩序に地面に降り注いでいた。

 特捜の発足から一年程が過ぎ、朝子は13歳になっていた。

 二度の母の死を乗り越え、彼女は年齢にはそぐわない達観した人生観を抱いていた。

 つまり世の中には略取する側と略取される側があって、略取される側が反撃に転じるのは容易ではない、ということだ。

 朝子自身は常に略取される側で、今のところ略取する側に回れそうなチャンスも無かった。


「なんの用でしょうか?」


 目の前にいる女は間違いなく略取する側の人間だった。

 白衣を着て安物の煙草をふかしている女の年齢は非常に分かりにくい。

 女の横でスイーツに齧り付いている少女がいるが、妹にしては幼すぎるし、娘にしては大きい。


「急に呼び出してごめんなさいね。なんでも注文して」


 そこは建設中の煉瓦台管理自治機構本部に程近い高級レストランだった。

 朝子がもらえる配給券では混ざり物のご飯すら出てこない。


「なんの用でしょうか?」


 朝子は着席せずに尋ねた。

 朝子はすでに他人の好意を純粋に受け止められるほどに子どもではなかった。

 ことにこんな高級なレストランともなるとなおのことだ。


「…………」


 女は値踏みをするように朝子をじっくりと見ると、やがてにっこりと笑った。


「お願いがあるのよ」


 女はもう朝子に座れとは言わなかった。

 隣の少女は一心不乱にスイーツを口に入れている。

 昼過ぎで夕方前のレストランはこの席以外にはまったく客がおらず、従業員の姿すら見えなかった。

 入り口で案内してくたボーイも今は姿を消している。


「あなたは誰ですか?」


「そうね。まず名乗らなくては」


 女はバッグを引き寄せてそこから一枚の名刺を取り出した。

 印刷技術の退化した煉瓦台市で名刺はぜいたく品だ。


「煉瓦台記念病院研究員、黒崎静。そんな人が私に何のお願いがあるんですか?」


「朝子ちゃんはお父さんは好き?」


「どうしてそんなことを聞くんですか?」


 好きか嫌いかと問われると、嫌いと答えるしかない。

 父は相変わらず不在がち、というよりは不在で、いつもすまなさそうにしているくせに、本当に居て欲しいときに居てくれたためしがない。

 だがそうだとして、どうしてこの女にそれを答えなければならないというのか。

 朝子はこの女には反発しか感じない。

 そもそも用件も言わずに呼び出されたのが気に入らなかった。


「お父さんには一切秘密にしてくれないと、話の続きができないの。分かるかしら?」


「…………」


 てっきりこの女が父の新しい再婚相手なのかと思っていた朝子は自分の予想が外れたので、とりあえず向かいの席に座った。

 話だけなら聞いてやろうと思い直したのだ。

 少なくとも無理に邪険にする理由はなくなった。

 女が手をあげるとウェイターがすっ飛んできたので、朝子は思うままに注文してやった。

 こんなところで食事が出来る機会など二度とあるまい。


「まずこれから話すことはお父さんだけじゃなくて、友達や他の人、どんな人にも話してはいけない。いい?」


「はい。人間じゃなかったらいいですか? 穴を掘って叫ぶとか」


「誰の耳にも届かなくて、記録にも残らないならいいわ。ぬいぐるみに話しかける、とかね」


「わかりました」


 冗談が通じないのか、それとも単にそんな余裕などないのか。

 女はあなたのお人形収集癖のことなんてとっくに調べてあるのよ。と言わんばかりだった。


「ではまず明日起こることについて先に教えておくわ。あなたには明日弟ができる」


「……病災孤児支援?」


「そう。よく知ってるわね」


 病災孤児支援プログラムは大災害後に大量に発生した孤児を適切な家庭に養子として預け入れる制度である。

 現在でも発症によって随時孤児が発生するため、この制度の維持は必要となっている。

 女は鞄から書類を取り出してテーブルに並べた。

 玖玲正吾、6歳。

 母親が発症精神錯乱して父親を殺害、後に特捜によって処理されている。

 本人は記憶に混乱をきたして、事件の前から一週間ほどの記憶を失っている。と記載されていた。


「それで?」


 ごく普通の、よくある話だった。

 この少年にせよ、この事件にせよ。


「この男の子の様子、言動、そして思想について、常に特捜へ報告をしてほしいの」


「なんで?」


 様子を記念病院に逐一伝えるというのなら分かる。

 だが言動や思想となると尋常ではないし、その相手が特捜となるとなおのことだ。


「理由は――」


 女が口を開きかけたところで朝子の注文した料理が運ばれてくる。

 ローストビーフ、鶏がらのスープ、新鮮なサラダ、柔らかいパン、いずれも現在の煉瓦台市ではなかなか手に入らないものだ。


「理由は?」


「先に食べなさい。胸焼けで食べられなくなったらいけないわ」


「分かった」


 朝子は遠慮なくそれらの料理を口に運んだ。

 食べられるときに食べておくのは煉瓦台市市民の常識だ。

 もちろん食事のマナーなど学んだことも無い朝子はあっという間にそれらを食べつくした。

 ナプキンも使わず、服の袖で口元を拭く。

 その後向かいの少女が食べていたスイーツと同じものをひとつ追加で注文した。


「さて、特捜が彼の動向を知りたがるその理由は彼の母親にあるの。玖玲千早、現在では赤と呼ばれている。あなたもよく知っている女性よ」


「…………?」


 朝子にはそんな名前の女性に知り合いはいなかった。

 現在6歳の子どもがいる母親ならばそれなりの年齢であろう。

 名前のことを切り捨てて考えてみても該当する年齢の知人はほとんどいない。


「赤は今から6年前に子どもを身ごもっている間に発症したの。そして精神錯乱を起こし沢山の一般市民を殺害したわ」


 女の話は朝子の記憶の一部分をよみがえらせた。

 妊婦の発症者、大量の犠牲者――。


「彼女はその後出産したけれど、赤子を放置して北に逃げた。赤子は保護され、幸いにも発症していないことが確認されたわ。分かるわね?」


 もちろん分かった。

 女が先に食事を終わらせておくように勧めた理由もだ。

 割ったミルフィーユを口に運ぶ手が止まる。

 忘れられるわけもない。

 赤い目の妊婦、その腹から突き出した鉄の棒。

 あのときあの腹の中にいたのがこの少年で、その子が明日から弟として家にやってくるのだ。

 震える手でミルフィーユを口に入れ、咀嚼した。

 胃がひっくり返り、食道まで逆流してきたが、それを耐えて飲み込んだ。


「どうして今になって?」


「今になって、ではないわ。この6年間もずっと監視は続いていた。のだけれど、その監視を努めていた非正規職員が発症で死亡したの。そして新しい受け入れ先があなたの家、というわけ」


「どうしてうちなんですか? 他にも非正規職員はいるんでしょ?」


「そうね、それはあなたの言うとおりだわ。質問に答えるならばあなたのお父さんがそう望んだからよ」


 朝子は横に首を振った。

 父はいつも自分勝手に事を進める。

 そして決定に覆りようがなくなってからようやく朝子に知らせるのだ。


「実を言うとね、この少年にはこの6年間なにもなかった。どんな特異なことも起こらなかった。それに分かっているとは思うけれど、監視をつけたのは陸上自衛隊だった。今は無き、ね。今の政府、そして特捜は彼への監視を継続する意思は無いの」


「だったらどうして私にこんな話をするの?」


 朝子に求められているのは、今、続けるつもりはないと言ったばかりの、その監視だった。


「あなたのお父さんが手を挙げたからよ。私は、私たちはあなたのお父さんがなにを思って彼を引き取るのかが気にかかるの」


「つまり私はあなたたちのスパイになって、お父さんと、この男の子を監視するんですね?」


「やってくれるかしら?」


「イヤです」


 ミルフィーユの残りを口の中に放り込んで朝子はそれを飲み込んだ。

 心から嫌だった。

 だが嫌なのはその少年が弟になることや、この女に、であって父や少年を監視することではない。


「けど条件次第です」


「なにか望みがあるのね? なにかしら?」


 女は食いついてきた。

 もちろん彼女にしてみれば13歳の少女の望むものなど高が知れているのであろう。

 実際に朝子が望むのは大したことではなかった。

 ただこれまでの彼女では決して知ることはできなかったはずのことで、そして略取する側に手が届いたこの機会を逃すわけにはいかなかった。

 少なくとも今、この瞬間だけは、朝子はこの女から望むものを望むように引き出せるのだ。


「ある子どもの消息を調べて欲しいです」


 朝子が詳細を言うと、女は驚き、そして渋々ながらも了承した。

 こうして弓削朝子は特捜の非正規職員となった。

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