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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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かく価値ある言の葉 -2-

 病室の扉を閉めて、それにもたれかかった。

 長く、とても長く息を吐いた。


「…………」


 なにも言葉が見つからなくて、透は単純に「あ」とだけ発声しようかと思ったが、何故かそれもできなかった。

 何故なら、背中を預けた扉の向こうから、声を抑えきれない泣き声が確かに伝わってくるからだ。

 本当は京子に何か言ってあげるべきだったんじゃないだろうか。しかし一体どんな言葉があるというのだろう。

 今の透は何も知らないに等しくて、実際に何も知らなくて、京子の置かれた立場も、彼女の悲しみも、それをほんの少しも理解することができなくて、あるはずの言葉を拾い上げることができない。


「…………」


 京子さん、と唇だけが動く。

 悔しかったのは言葉を見つけられなかった無力な自分自身。

 悲しかったのは京子にとって自分が頼れるような存在ではないのだという事実。

 言いたいことと、言うべきことと、どちらも分からなくなって透はその場を離れた。

 美禽ならなんと言うだろう。

 彼女ならたぶん言いたいことを言えばいいんだよと笑って言うだろう。

 理解できない他人の痛みを無理に理解しようとしないで、ただ心配していると告げればいいのだ、と。

 他人の痛みが理解できないことは決して恥ではない。

 恥じるべきは痛みに苦しむ人を気遣えないことだ。

 だと思っても京子から拒絶されてしまった今、結局なにか言葉を見つけても伝える手段もない。


「透くん?」


 不意に声をかけられて、透が振り返ると見知った顔が手を振っていた。


「ああ、良かった。後で貴方に会いに本部に行こうかと思ってたの。すれ違わないで済んだわ」


「静さん、こんにちは。何か御用ですか?」


 そこでゆったりとした笑みを浮かべて立っていたのは記念病院の研究員である黒崎静と、見知らぬ少女だった。

 静はいつもながらの研究員に見えないふわりとしたスカートと上着の上から白衣を被せている。

 白衣が無ければ見舞い客にしか見えないだろう。

 随分と年上のはずだが、京子とそれほど変わらないように見える。

 どこかつかみ所の無い人で、そのくせ赤目症の第一人者として高名だ。

 透も散々採血されたりで世話になっているというべきか、研究対象として協力してるというべきか。

 もうひとりの少女のほうは、まだ小学生の高学年か、中学生になったばかりのどちらかというところだろう。

 スポーティなパーカーとキュロットスカートを見事に着こなしている。

 静が透に歩み寄ると少女はすぐその陰に隠れてしまった。

 かと思うと顔だけがにゅっと突き出される。

 少女の瞳は赤色に染まっていた。


「あら、透くんは美奈と会ったことなかったかしら?」


 静が首を傾げると、美奈と言う名の少女が頷いた。


「透くん、娘の美奈です。美奈、こちら特捜3課の深海透くん。そのうち特捜にも協力することになると思うから仲良くね」


 美奈はじっと透を見つめると、静の後ろから進み出てさっと右手を差し出した。

 どうやら握手ということらしいと気がついて、透も右手を差し出すと、美奈はそれを掴んで上下に二三度揺すると手を離した。


「よろしくね。美奈ちゃん」


「よろしく……」


 ぶっきらぼうに言い放つ。

 無愛想なだけなのか、恥ずかしがり屋なのか、今一判断がつきづらい。

 再び静の後ろに隠れた美奈を一瞥して、静は微苦笑する。


「ごめんなさいね。人見知りするのよ」


「こんな大きな娘さんがいらっしゃるとは知りませんでした」


 言ってから失礼なことを言ってしまっただろうかと思うがもう遅い。

 しかし静は気を悪くした風は無かった。


「そうね、18の時の子だから、あ、ダメよ、逆算するのは禁止」


 そう言って静はクスクスと笑う。


「……ママ……」


 美奈がぎゅっと静の肘の辺りを掴んだ。


「はいはい、好きになさい。ただし遅くなっちゃダメよ。深追いもしないこと。いいわね?」


「うん」


 透が何のことかと尋ねる前に、美奈は自分の足元に視線を向けたかと思うと、ふっとその場から掻き消えた。

 いや、違う。消えたのではない。

 落ちたのだ。

 床の下に。


「今のは……」


 透は驚きのあまり呆然と呟く。

 特殊な能力は数多く見てきたが、今のはその中でも格別に特殊だった。

 まるで床が無くなったかのように足元に消えたが、その後には彼女がそこに存在した痕跡が何一つ残っていない。

 床には穴など開いていないのだ。


「ああ、珍しいでしょう。肉体変質というか、物理干渉系の一種なのかしらねぇ? ところで京子ちゃんはどうしてる? 彼女の見舞いにきたんでしょ?」


「え、あ、あの、目が覚めたんですけど、今は独りになりたいって言ってました」


「あら、顔が暗くなった――。なにかあったのかしら?」


「いえ、その……」


 そんなに顔に出ていただろうか、と透は疑問に思ったが、同時にそれを否定できるほど自分に自信もまたなかった。


「例えば――病室に知らない男の人が訪ねてきてた、とか」


「どうしてそれを!」


 思わず言ってしまってから、透は自分の失言に気がついた。しかし透以上に顔を歪ませたのは静のほうだった。


「そう、やっぱりそうなのね。それってこの人じゃなかった?」


 静は白衣のポケットから手帳を取り出すと、そこに挟んだ一枚の写真を取り出した。

 それは古い、とても古い写真で、とっくの昔に日に焼けて色あせていた。

 そこに写っていたのは学生服を着た二人の青年。

 仲良さげな距離で肩を並べているクセに、妙に緊張した顔つきでそこに収まっている。

 それはもしかしたら2人ともその目が紅く染まっているからそう感じられるのかもしれない。


「古い写真でごめんなさいね。それしか残ってないの。写真が嫌いな人だったから」


「一体誰なんですか……」


 古い写真だろうがなんだろうが問題なかった。

 その男はなんら変わらぬ面影でそこにいた。

 驚いたのは自衛隊関係者だろうかと透に思わせた独特の威圧感が、この透と変わらぬ年齢の頃のものであろう写真からも感じられることであった。

 透が返した写真を受け取ると、静はそれを目を細めてしばらく眺めていた。


「この写真の人、黒崎拳はね」


 そしてまた大事そうにその写真を手帳に仕舞いこむ。


「あたしの夫なの。少なくとも書類上は今でもね」


 苦々しく静は唇を歪ませた。

 黒崎静は本作で一番のお気に入りです。

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