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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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赤の代弁者 -20-

「深海透……」


 階段の上にいた少女が呆然と呟いた。

 中学生くらいだろうか、軽くウェーブのかかった髪に目尻の下がった大きな瞳、特捜の制服を着ているせいか大人びた雰囲気があった。

 秘密階段の段上でその赤い瞳を見開いて透を見つめている。

 見覚えがあった。

 黒埼静に紹介された。

 彼女の娘で、確か名を美奈と言ったはずだ。

 随分と昔の話のように感じたが、あれは透が特捜を去ったあの当日の出来事で、まだ半年も経っていない。

 思えばあれが黒埼静と会った最後だった。

 ひどく懐かしい……。

 もう一人は長い髪を背中の辺りでくくった男性だった。

 ラフな服装でどこにでもいる煉瓦台の一般市民にしか見えない。

 見覚えは無かった。

 だが、透の記憶に引っかかるものがあった。

 髪の長さが違う。

 目元の雰囲気が違う。

 だがその鼻の形や顔の輪郭までは誤魔化せない。

 透は自身の記憶のデータベースから一つの名前を拾い上げた。

 吉田直樹――、第二次大規模外部感染の被害者で<かくも脆き>事件の時に死亡している。

 2日目組みのアパートにいて、睡眠中にばらばらにされた一人だ。


 ――死亡?


 記憶違いしているのかと、もう一度記憶を探ったが、確かに<かくも脆き>事件の死亡者リストに吉田直樹の名前があった。

 すぐさまデータベースを書き換える。

 吉田直樹の瞳は赤く染まっていた。

 彼が発症したというデータはない。

 透の記憶にある吉田直樹の写真も瞳の色は黒かった。

 ということは発症したことによる偽装死であろう。

 美奈と共にいることを考えると黒埼静の手引きというのがもっとも可能性が高い。

 ぐらりと扉を押し開けながら、吉田直樹の体が倒れた。

 その手を離れた懐中電灯ががらがらと音を立てながら透の前に転がり落ちてくる。

 それからようやく透は自身の右手の中に硝煙の煙る拳銃が握られていることに気がついた。


「直樹さん!」


 美奈が悲痛な声を上げて吉田直樹の体に取り付いた。

 その脇を抜けて階上へ上がれないかと考えたが足が動かない。

 まさかショックを受けている?

 その可能性を透は即座に否定した。

 いずれこういうことが起きることは充分に予測していた。

 透の足を止めたのは別の何かだ。


 ――怖いのか、俺は……。


 それは恐怖だった。

 膝が震えているわけではない。ただ足が前に出ないだけだ。

 しかし一歩先がまるで死地であるかのような確信があった。

 思い出す。美奈と初めて会った時のことを。

 確かあの時彼女は床をすり抜けるようにして去っていった。

 物体の存在をうやむやにしてしまうほどに強力な物理干渉能力。

 使い方次第では<かくも脆き>に近い脅威になりうるのではないかと透は思った。

 物体をすり抜けられるのならば、ありとあらゆる物理攻撃を無力化できるだろう。

 人体の内側に直接触れることだってできる。

 ちょっと脳の血管をつまんでしまえば、簡単に廃人のできあがりだ。

 透は基本的に最悪のパターンを考える。

 でなければ今まで生きていられなかっただろう。

 その思考が足を止めている。

 だが時間もそれほど残されてはいなかった。

 電気がついた以上、破壊された柱とその中の秘密階段はすぐに発見されてしまうだろう。

 特捜の性質上、即座に突入ということはないはずだが、3課メンバーに発見された場合は例外だ。

 単独行動を好む3課は部隊がまとめられるより先に行動に移す。

 すらすらと巡る思考にふと違和感を感じた。

 いつの間にか頭痛が消えている。

 いつから?

 吉田直樹を撃った直後からだ。


 ――ではこちらが本物の赤の代弁者だったのか?


 違う。

 透はすぐにその考えを否定した。

 なぜなら吉田直樹にはまだ息があった。


 ――美禽、大丈夫か、美禽……。


 返事は返ってこない。

 さっきまで頭の中にずっと響き渡っていた悲鳴も消えていた。

 繋がりから感じる美禽の意識はまるで風の無い日の湖面のように穏やかで、それは眠っている時の意識よりもさらに静かだった。

 一種の放心状態か、それとも気を失ったかしたのだろう。

 死んだわけではない。

 死んだのなら透にもはっきりと分かるはずだった。

 肺の中の空気を全部出すつもりで息を吐いた。

 そしてゆっくりと吸う。

 たっぷりの酸素が血液中に供給されて全身を巡った。

 目元を拭う。出血は止まっていた。


「なんで! どうして!」


 美奈が叫んだ。

 それが誰に向けられた言葉だったのかは分からなかった。

 だがどちらにせよ透に答えることはできない。

 謝るのは簡単だったが、責任を取ることなどできないからだ。

 2人は透の邪魔をしたわけではない。

 武器を持っていたわけではない。

 たまたま武器を持った透の前に現れてしまっただけのことだ。

 そして透には事態に対し冷静に対処するだけの余裕が無かった。

 少なくともさっきまでは。


 ――では今は?


 手元の拳銃はすでに再装填を終えていた。

 無意識のうちに手が覚えている動作を繰り返したのだ。

 両手でしっかりと構える。

 銃口は美奈に向いた。

 冷静に考えてみて、美奈が立ちはだかるというのなら排除の必要がある。

 そして接近戦に持ち込むのは危険すぎると透の本能が言うのであれば、この引き金を引くしかない。

 覚悟はとっくの昔にできている。

 こういう生き方を選んだその時から引き返すことなどできないのだ。


「……もう一発撃ったら殺す。そこから動いても殺す」


 指に力を込めようとした透を美奈の声が貫いた。

 その言葉にははっきりと言ったことを実行するという意思が込められていて、透の動きを封じた。


「黙って聞け、この人の言葉を」


 溢れる涙を拭いもせずに美奈が言った。

 2人の関係も、この短い間にどんな会話があったのかも分からない。

 分かったことと言えば、美奈が吉田直樹の死をすでに受け入れたということだけだった。

 吉田直樹はまだ生きてはいた。

 透の銃弾は一発がライトを、残りのニ発が吉田直樹を捕らえていた。

 銃創は肩と腹。肩は致命傷ではない。だが腹の上の傷はそうだった。太い動脈を傷つけたのだろう、まるで蛇口をひねったように血が溢れている。

 もって後数分だろう。

 何の偶然か、その傷は赤の代弁者に当てた一発と同じ位置だった。

 血の川がゆっくりと階段を流れ落ちてくる。

 その上流で扉に背中を預けた吉田直樹が口を開いた。


「聞いてください……、絶対境界線には……穴が、あります」


 それは途切れ途切れで、吐息に混じったような声だった。


「自衛隊が……用意した……、煉瓦台制圧用の……地下通路……」


 どくん、と心臓が強く打った。

 絶対境界線の抜け道は特捜も御堂寺もやっきになって探しているものだった。

 第二次大規模外部感染が起きたとき、当然特捜は内部世界の人間が何らかの方法で外部世界に出て行ったと考えた。

 だが八坂から収容された80名の中に内部世界人はいなかった。

 となれば当然誰か外の人間が不用意に内部世界に接触し、感染して外の世界にばらまいたとしか考えられない。

 容疑者は収容感染者80名。

 だからこそ80名を一箇所にまとめたりはせず、少数のグループに分け監視を行ったのだ。

 複数犯であれば別の日に収容されても必ずお互いに接触しようとするはずだ。

 しかし予兆が現れる前に<かくも脆き>事件、煉瓦台記念病院襲撃事件、<絶対境界線侵犯>事件と立て続けに事件が起き、さらには透は特捜にいることができなくなってその後の捜査については何も知らない。

 だが少なくとも一つのことははっきりした。

 彼が第二次大規模外部感染を引き起こした犯人なのだ。


「それをどうにかしない限り……」


 呼気が詰まり、吉田直樹の口からは言葉ではなく血が溢れた。


「おい、どこにある! その通路はどこにあるんだ!」


 しかし彼は弱々しく首を横に振るだけだった。


「バカな、そこまで知ってて知らないはずがない!」


「僕が……使った、通路は……もう……でも他にも……」


「複数だって!?」


 ではこれまで絶対境界線と呼んでいたものは一体なんだったのだ。

 外の世界の連中はあれほど必死になってこちらの世界を隔離していたにも関わらず、自分たちで抜け道を作ったというのか。いくつも!


「世界は醜く、人間は汚い……。あなたたちは油断してはいけない」


 不当な暴力によって命を散らそうとしている彼が言った。


「世界に気を許してはいけない……。世界は優しくはない……」


「そのことなら、よく知ってる」


 美奈に銃口を向けたままで透は言った。


「だからこそ悪鬼の道を往く。守りたい人全部を守るために」


「私たちはその中に含まれていないんだね……」


 美奈の瞳はひどく冷たく、そして澄んだ赤色になった。


「残念ながらそうなる」


「君は悪人だな……」


 どこか満足げに吉田直樹は呟いた。


「だったらなんだ」


「僕に、相応しい、終末だ……」


 その言葉を最後に目を閉じて、静かに事切れようとした吉田直樹を、


「違う!」


 という美奈の叫びが呼び戻した。


「世界はあなたに悪意なんて持ってない」


「……僕は、世界が憎い……」


 直樹の唇が震え、一瞬だけひどく強い意志の力を見せた。

 だが美奈はその直樹の手を取って、赤い瞳を覗き込んだ。


「直樹さんは抜け道のことを教えてくれた。この小さな世界を守ろうとしてくれた。私が赦すわ。世界の代わりにあなたを赦す。だから直樹さんにもちゃんと幸せになる権利があるの。直樹さんは幸せになっていいんだよ」


 もう吉田直樹に力は残されていなかった。

 彼が美奈の言葉を理解できたかどうかも定かではない、と透は思った。だからこれは茶番に過ぎない。半死人と子どもの言葉遊びだ。


「……この、せかいは、――ぼくを、ゆるして……くれる……」


「うん。そうだよ!」


「……そう、か……」


 美奈の瞳からぼろぼろを涙が溢れて、直樹の頬を濡らした。

 直樹は震える腕を伸ばして美奈の目元を拭った。

 実際にはその手は血に濡れていて、美奈の頬にはべったりと血が塗りたくられた。


「よかった……」


 美奈の頬に当てられていた直樹の腕が落ちた。

 続きは無かった。

 美奈は落ちた直樹の手を抱き上げて、血がつくのも関わらずにその手を頬に当てた。

 次々と溢れる涙が血と混ざって流れ落ちていく。

 嗚咽を飲み込んで美奈が叫んだ。


「聞いたね。聞いたよね。直樹さんの最後の言葉。この世界を憎んだ人が、この世界を守るために遺した言葉」


「ああ――」


「じゃあ行って! 伝えて! そして次に会ったら、私が殺してやる!」


 弾かれたように透は駆け出した。

 2人の横を駆け抜けるとき、ちらりと見えた男の顔は微笑んでいるように見えた。

 走った。

 ただワケも分からず走り、やがて階数も分からなくなったころ、ついに階段は行き止まった。

 だが階段は天井に向けて続いており、透がそれを探るとすぐに取っ手が見つかった。

 取っ手に力を込め押すと秘密階段の天井がぐいと持ち上がる。

 さっと太陽の光が差した。雪に反射して目に痛い。

 いつの間にか雪は止んでいて、分厚い雲に切れ間ができている。

 視界は良好。

 これなら建物の屋根伝いに煉瓦台市内を抜けるのは簡単だろう。

 透は御堂寺の方角を目指し最初の跳躍に入った。

 ジャンプを繰り返してあっという間に本部施設から離れていく――。

 透には吉田直樹を殺したことの後悔は湧かなかった。

 ただ彼がその最後の瞬間に生き方を変えたように見えたことだけが気に入らなかった。

 世界を憎んでいたというのなら憎み通せば良かったのに。

 それともあんな少女の言葉が、彼にとってそれほど価値のある言葉だったのだろうか。

 自分もあんな風に誰かの言葉で自分の生き方を変えてしまったりするのだろうか?

 透は目を閉じ首を振った。

 そんなわけがない。そんなわけにはいかない。

 強く誓って透は跳んだ。次の戦場へ。この世界を守るために。

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