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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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赤の代弁者 -16-

 黒埼美奈はいつもどおりに天井をすり抜けて落ちてきた。

 そこは特捜本部地下に作られた核シェルター内にある扉の無い部屋だった。

 もちろん窓も無く、空調などの循環系設備を除いては一切外界とは接していない。

 煉瓦台記念病院が<掴む手>によって破壊された後にその機能が特捜本部に移築されたものだ。

 元々は黒埼静が美奈の能力を使い身を隠すために作らせた緊急用避難部屋である。

 それがかく価値ある言の葉、つまり吉田直樹の監禁部屋となっているのが現状だ。


「こんにちはー。お久しぶり」


 そう言って美奈は両手いっぱいに抱えた<本>を<机>の上に置いた。

 能力によって映像を失った直樹にとって本は数少ない娯楽だった。

 テレビはどうやっても見れないが、本は開いてページに集中するときちんと内容が見えるのだ。


「やあ、いらっしゃい。ちょうどよかった。以前に持ってきていただいた分を読み終えてしまって、どうしようかと思っていたところだったんです」


 直樹は美奈を子ども扱いしない。

 最大の理由は美奈の姿が見えないからだ。

 彼に見えているのは黒い世界に浮かんだ<去りて来たり>という美奈の能力名だけあった。

 集中して目を凝らせば、彼の能力が彼女に関するデータを引き出してくるのだが、今はそうする必要が無い。


「読むの早すぎだよ。でもじっくり読むようなものでもないのかなあ」


 美奈は腕を組んで持ってきた本を見つめなおした。

 静の蔵書はほとんどが医学書かハウツー本で、娯楽として読むには向いていない。

 だが黒崎家にはそれ以外の本があまりない。

 後は美奈の使う教科書くらいのものだ。


「なにか読みたいものとかある?」


「新聞があればありがたいのですが……」


 無駄だとは思いつつ直樹は言ってみた。


「しんぶん?」


「外の世界では世界が今日はどんなふうだったのかをまとめて紙に書いたものを次の日に配っているんです。新しく聞いた話で、新聞です」


 直樹は空中に指で文字を書いて見せたが、美奈に伝わったかどうかは分からない。


「へぇ、直樹さんは毎日それを読んでたの?」


「書いてたんですよ」


「そうなんだ」


 美奈は腕を組んで唸った。

 悪いことを聞いてしまったのかもしれない。

 直樹の能力は彼から視界のほとんどを奪い去ったのと同様に、彼から書く能力をも奪っていたからだ。

 この部屋に物が出入りするためには美奈の力を使わねばならず、食料の搬入やゴミ出しはすべて美奈の仕事だった。

 最初のころそうやって捨てたものの中にみみずがのたくったような文字が書かれた紙がたくさん混じっていたものだ。


「今でも書きたかったりする?」


 ゴミ捨て場にはいつもより多めにゴミが貯まっていた。

 前回から時間が開いてしまったのだから仕方ない。

 こうしてきっちりゴミ捨て場においてくれてあればゴミの処理はさして手間でもなかった。

 ゴミ袋に触れて能力を活性化させ、床から下に落としてしまえばいい。

 元々美奈の能力を活用することを前提に作られているため、ゴミ捨て場の真下にはゴミ回収場がある。

 そこに落としてしまえば後はこのシェルターの職員が処理してくれる。


「書けるものなら、ですが……」


「なにを書くの?」


 食料庫の中をチェックする。

 前回一週間前に一週間分の食料を残してきたにも関わらず、まだ3日分ほど残っていた。


「世界がどれほど醜いかについてを」


「え?」


 美奈は食料庫から顔をあげて直樹を見たが、彼は冗談を言っている風ではなかった。

 もちろんだ。

 彼は本気だった。




 吉田直樹は世界を嫌っていた。

 彼がこの世に生を受けてからというもの、世界が彼に優しかったことは一度も無かった。

 彼の最初の記憶は、手を繋いだ母がトレーラーの車輪に巻き込まれて潰されるところで、次の記憶は酒を飲んだ父に殴る蹴るの暴行を受ける日々のことだった。

 数年もするとその父も失踪して、直樹は正真正銘の天涯孤独となった。

 身を寄せる親類もおらず、身の不幸を吐き出せる友人もいなかった。

 やり場の無い思いを発散する手段を彼は知らなかった。

 彼は世界を憎んだ。

 世界を憎むことに理解を求めた。

 しかしどんなに彼が説いても、人々は世界がどれだけ熾烈で悪意に満ちているかについて真面目に考えようとはしなかった。

 まともに取り合おうとはしなかった。

 彼は言葉に絶望した。

 伝えようとしても伝わらない言葉というものの脆さを恨んだ。

 そして彼は彼の意思が永遠に形として残るもの、つまり文字に傾倒した。

 言葉を文字にすれば、少なくとも伝わるうちに意図が変質することはない。

 そうすれば世界がいかに醜いか、人々は理解するだろう。

 彼は書き綴った。書き続けた。

 しかしやはり理解を得られることは無かった。

 なにがいけないのか彼には分からなかった。

 おそらくは自身の能力の至らなさであろう。

 彼は勉学に打ち込み、やがて新聞社に入り、社会部の記者になった。

 皮肉なことに事件であれ、事故であれ、残酷で残忍な出来事を、いかにも社会が悪いからそうなるのだと大仰に書き立てる彼の文章は、会社では歓迎された。

 彼は世界への憎しみを、人々の悪行という形で、世界に書き伝え続けた。

 親が幼子の首を絞めれば世界が悪いと書いた。その親がどれほど残忍に子を殺したのかを書き連ねた上で、環境がその親を追い込んだと書いた。

 子が親を刺せば世界が悪いと書いた。加害者が幼ければ繰り返される青少年の犯罪と煽り、成人していれば異常性を探し出して書き連ね、熟年であれば介護制度の不備を訴えた。

 役人が税金を懐にしていれば世界が悪いと書いた。

 女性が辱められれば世界が悪いと書いた。

 戦争が起これば世界が悪いと書いた。

 税金が上がれば世界が悪いと書いた。

 世界はこんなにも醜いのだ。世界はこんなにも穢れているのだ。

 新聞記者は彼の天職に思われた。

 だがそれも長くは続かなかった。

 彼がどんなに、どんなに世界の醜さを訴えても、人々はそれを娯楽としか思っていないと気がついてしまったのだ。

 しかし彼は辞めなかった。

 何故ならばとっくに絶望していたからだ。

 世界が腐りきっている以上、彼がそれを説く相手も腐っていて当然であった。

 腐った蜜柑が腐った林檎を指差して哂っているだけのことだった。




「ふぅん、なんか悲しいね」


 直樹から話を聞いた美奈は思ったままの感想を口にした。


「そうでしょうか。僕はありのままの世界を皆に伝えたいだけなんです。どんなに今が幸せに思えても、世界の持つ悪意の前には抗えない。そのことを知って欲しいだけなんです」


「知ったらどうすればいいの?」


「絶望を受け入れるんです。そうすれば少しは気が楽になります」


「よく分からないや」


「でしょうね。僕は口下手なんです。だから書きたいんです」


「ううん、そういうことじゃなくてね」


 生活用品のチェックリストをまとめると美奈は直樹のベッドに腰掛けた。


「世界がひどいものだっていうのは私にも分かるよ。だってここは内部世界だもの」


 その言葉にはなによりも説得力があった。

 外の世界から見捨てられた13万人の感染者。

 彼らこそ世界からもっとも過酷な運命を突きつけられた人々であるからだ。


「でも私は楽しいよ。パパに嫌われてるのは辛いけど、ママとあんまり会えないのは寂しいけど、妹は生まれてくることができなかったけれど、でも私は好きだな。この世界」


 チェックリストに抜けがないことを確認して、美奈はそれをしまった。


「みんなが言うみたいに世界を守るとかそういうのはよくわかんないんだけどね。私はママや、パパや、友達が笑っていて欲しいって思うんだ。だから直樹さんにも笑って欲しい。ダメかな?」


 朗らかな声で言う美奈は決して単なる天真爛漫で純粋な少女ではない。

 初めてこの少女に会ったときに、直樹はその能力で彼女の経歴を読み込んで、そのことを知った。


「なぜ君は笑えるんですか?」


 彼女の人生も直樹に負けず劣らずだというのに。


「楽しかったことを思い出せば笑えるよ」


 美奈は当たり前のように言ったが、それを見つけるのがとても難しいことだった。

 だが直樹は真剣に考えてみた。

 ありとあらゆる記憶を探り、そのときの思考を反芻してみた。

 ……だが見つからなかった。ひとつも見つからなかった。


「楽しかった思い出がひとつもなければどうすればいいんでしょう」


「それじゃあこれから作ろう」


 <手>が差し出された。

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