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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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赤の代弁者 -9-

 家族が仕事に出たまま帰宅しない。

 珍しくもなんともない話だ。

 その大半は自分の意思で帰宅しないだけの失踪者で、残りの何パーセントかは運悪く事件や事故に巻き込まれたのだろう。

 だが同じ職場に勤務する職員が一斉に、自分自身に出された捜索願いの取り下げを申し出たとなるとこれは尋常ではない。

 という内容のメールがサーモバリックから届いたのは2月も中ごろになってからのことだった。

 メールには大量のpdfファイルが添付されていた。

 試しに一つを開いてみると英語で書かれた書類が現れた。

 京子は頭を抱えた。

 さて弱ったぞ。

 自慢ではないが、京子は学校に通っていたころ成績優秀だったとはとても言いがたい。

 不真面目ではなかったが板書を書き写すのに夢中になって授業の内容が頭に入っていないということがよくあった。

 しかも内部世界での英語の授業は、それ自体がおざなりだ。

 封鎖直後にはいずれ解放される日のために、と英語の授業も普通に行われていたのだろうが、京子が高校生だったのは封鎖から10年以上が過ぎてからのことである。

 外国語というものの重要性は忘れ去られ、授業に含まれていたのも慣習から、という程度の理由でしかなかった。

 その結果として京子の英語能力はアルファベットが読める程度でしかない。

 とは言え実際のところ、この書類をすべて読む必要はない。

 単にサーモバリックが自身の情報の裏づけとして送ってきたものだから、その中身はメールに書いてあった捜索願いと、その取り下げを求めたものであろう。

 だがそれを確かめるためにも何枚かくらいは読まなければならない。

 ああ、外部世界ではパソコンがもっと普及していると聞いていたが、なぜ紙媒体の書類が残っているのだろうか。

 携帯電話環境ではpdfの翻訳もできやしない。

 仕方がないので弓削朝子のパソコンに添付ファイルを転送する。

 3課課長に支給されているパソコンなら勝手しったるなんとやらだ。

 デスクに突っ伏して寝ている朝子の背後にそっと歩み寄ると、日比谷真夜が警戒の視線を向けてきたが、手を振って敵意がないことをアピールする。

 朝子を起こさないようにそっとパソコンを覗き込むとスクリーンセーバーが立ち上がっていた。

 マイピクチャをスライド上映するタイプで、朝子や真夜や、弟だろうか? 見たことのない少年が写っていた。

 マウスに触れると画面は動画共有サイトに切り替わった。

 勤務時間中を何をしてるのかはあえて不問にしつつ、翻訳ソフトを立ち上げ、メールフォルダから送りつけたpdfファイルを拾い上げる。

 翻訳ソフトを通してみるとやはりファイルの中身は捜索願いと、その取り下げ申請書だった。

 数十人分はある。それと|米国疾病予防管理センター《CDC》の職員リストだ。

 該当する職員名にはすべて印がつけられていて、確認済みであることが窺える。

 別のpdfファイルにはクレジットカードの使用履歴が出力されていた。

 捜索願いを出されている職員本人名義のクレジットカードが、ある日付を境に定期的な引き落としを除いて一切利用されなくなっている。

 同様の履歴が数件同封されていた。

 つまりCDC内部でなんらかの事故が起き、数人から数十人、場合によってはもっと多くの職員が内部に隔離されたが、連絡の不行き届きで家族から捜索願いが出されてしまったということなのだろう。

 米国が赤目症ウイルスを手に入れたとしたら、その行き先はバイオセーフティレベル4の施設を持つCDCか米国陸軍伝染病医学研究所《USAMRIID》のどちらで間違いない。

 それが今回はCDCが権利を得た。

 または両方に運ばれCDCで事故が起きた。

 とにかくCDCでなにかあった可能性は高い。

 しかしそれは京子にとってさして重要ではなかった。

 京子が探しているのは10万人の感染者であり、いかにCDCが大きな組織だろうと、本部職員は数千人で1万人には届かない。

 つまり米国に注意を傾けたのは間違いだった、ということだ。

 サーモバリックがこの情報だけを送ってきたところを見るに、これ以上に大きな集団失踪事件は発見できなかったのだろう。

 とすれば別の国か、それとも内部世界のどこかに10万人が潜んでいるか、それともあと10万の感染者がいるという京子の確信が間違っているか……。

 京子は喉の奥で唸った。

 内部世界で生きてきた京子にとって70億人もいる外部世界は広すぎる。

 正直言ってどこを探せばいいのか検討がつかないのである。

 どこを探せばいいのか分からないというと、<赤>の捜索もうまく行っていなかった。

 特捜は京子の話を信用したとはとても言えず、ただ京子の実績もあるためおろそかにもできず、多少は巡回を密にしたくらいでお茶を濁した。

 京子自身の扱いは相変わらず重要参考人であり、特捜はトールを逮捕してそれで終わりにしたいと考えているようだ。

 その間にも<赤>に襲われ、トールに殺された犠牲者は増えている。

 京子は過去の被害者が発症前に移動した範囲を調べ、そこから<赤>の活動範囲を特定しようと現地を回ったり、資料を漁ったりした。

 だが結果は芳しくない。

 <赤>の行動範囲に多少の偏りは存在するが、都市部でも、都市部から離れた位置でも赤の代弁者は発生している。

 トールの話では御堂寺の領土内に赤の代弁者が現れることすらあるという。

 そこまで広ければ逆に何らかの移動手段を持つ発症者ということになるのかも知れないが、赤の代弁者が死んでから次の赤の代弁者が現れるまでには数日から数週間の空白期間が存在するため、足で移動したという可能性も捨てきれない。

 どちらにせよ煉瓦台と御堂寺を行き来している者には注意が必要だ。


「目撃者が一人もいないというのも不可解ね」


 <赤>が代弁者を作るために感染者を襲っているとして、それが一度も目撃されていないということはありえるだろうか?

  特捜の経験上どんなに慎重な犯罪者でもどこかで目撃されているものだ。

 しかしあくまでそれは特捜での経験則であり、発見すらされていない犯罪があるのかもしれない。

 確かにこの案件に対する特捜の反応を見る限り、<赤>による感染者への強制識連結事件というのは発生すらしていないというのが見解のようだ。


「というより認めたくないだけか……」


 識連結によって他人を操り罪を犯すという事例は過去に無い。

 理由は人間同士での識連結が大きな危険を伴うからだ。

 二つの人格がその意識を直結させてなお理性を保つのは難しい。

 過去の事例を見る限り、ほとんどの場合で両者共に発狂する。

 そうでないのは片方がもう片方を力ずくで屈服させた場合に限られている。

 御堂寺では人間同士の識連結を行う場合は必ず両者の同意の下、一方を主、一方を従とするという。

 主が二つの肉体を所有し、従がその補佐をするという形だ。

 つまり<赤>が誰かと識連結してその相手を利用しようと思っても、あらかじめ相手の同意を得るか、または意識下の争いで相手を屈服させるしかないのである。

 そして後者の場合、従の補佐を受けられないため、<赤>の活動能力は著しく減少する。

 一個の意識は一つの肉体を動かすようにできているものだからだ。

 一度ならまだしも、何度もそれを繰り返すというのは正直京子にも信じがたい。

 毎回逆に自分が支配される危険を負っているというのに。


「ねぇ、どう思う?」


「私はアンタのずうずうしさを認めたくない」


「課長に同意です」


 弓削朝子が組んだ腕に突っ伏した顔をあげてげんなりと呟くと、日比谷真夜がそれに強く頷いた。


「こっちで調べた内容は全部提供してるわ。それにここのほうが監視しやすいでしょ?」


 肩をすくめてそう答えると、朝子が深くため息をついた。


「私の目の届くところにいられたらめんどくさいじゃない」


「だったら放っておいてくれていいわよ」


「そっちから話しかけてきておいて……、いい、分かった、私は昼寝するわ!」


 そう宣言して朝子が自分のデスクに突っ伏した途端に電話が鳴った。


「……私は寝てる私は寝てるわたしは寝てるわたしはねてる……」


「姉さん、電話鳴ってる」


「わたしはねてるわたしはねてるわたしはねてるわたしは……」


「もう……」


 真夜がやってきて受話器を取るとそれを朝子の顔に押し付けた。


「もしもし弓削朝子です。現在寝ているので電話に出ることができません。ぴーとなったらご用件を言わずに電話をお切りください。ぴー」


 ぴーの後にしばらく沈黙が続いた。

 受話器から声が漏れてくるが内容までは分からない。

 朝子の手が伸びて受話器を掴んだ。


「確かね? 間違いないのね? ――そう、分かったわ。すぐに行く」


 受話器を置くとまた大きくため息をつきながらだらりと朝子は立ち上がった。


「あー、御剣さん」


 朝子の指先がデスクをとんとんと叩く。


「無能力者が見つかったわ。――うちの独房で」


「手際がいいわね」


 疑わしげに片眉をあげて京子が言った。

 それらしき発症者を確保しているのなら、何か一言あっても良かったのではあるまいか。


「精神錯乱したって通報で捕まえた発症者だからね。まさか無能力とは思わないわよ。とにかく抑制銃を撃っとけっていう風潮はあんまりよろしくないのは確かよね」


「今はどういう状況?」


「抑制剤は抜けてるけど、落ち着いてるそうよ。会うでしょ?」


「もちろん、会うわ」


 ようやく二度目の接触、というわけだ。

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