赤の代弁者 -8-
その店は東旧市街の三先川沿いの小さなテナントにあった。
川沿いには街灯が立ち並んでいて、夜でも比較的明るい。
こじんまりとした店内は暖かい色のランプで少し薄暗かった。
拳は先に来ていた。
店の中全体が見渡せる奥の方のカウンター席で、入ってきた京子に一瞬ちらりと視線を寄越した。
まったく“らしい”席だ。と苦笑する。
おそらくは簡単に裏口にアクセスできる席なのだろう。
そういう習慣は簡単には抜けてくれないものだ。
拳の隣の席に座り、焼酎のお湯割りを頼む。
拳は熱燗をちびちびとやりながら、焼いた岩魚の皮をぺりぺりとめくっていた。
「調子はどう?」
「最悪だ」
「みたいね」
拳が食べ物で遊ぶのは相当ストレスがたまっているときだ。
京子から遅れて入ってきた数人の客が入り口そばの席に陣取った。
拳は灰皿から取り上げた煙草をフィルターそばまで深く吸うと、それを押しつぶした。
「昨日からずっとああだ。おまえのとこの関係者か? 早くどうにかしてくれ」
「あ、そっか」
京子は思わず笑った。
監視がついているのは自分だけではなかったのだ。
当然、京子と関わりが深く、殺人能力のある人物は容疑者リストに載るだろう。
「あなた殺人犯だと疑われてるのよ」
本当のことを教えてやると、拳は二度咳き込んだ。
「おいおい、俺みたいな善良な市民を捕まえて、殺人犯とは聞こえが悪いぜ」
「結構殺してるでしょうに。昔の話だけど」
「必要ならな。でも今は違うぞ。俺はやってない」
「うん。知ってる。それに関しては謝っておくわ。でもまあ不都合なことをしていないなら放っておけばいいじゃない」
「気持ちがわりーんだよ」
「まあまあ」
愚痴を聞きつつ酒を勧める。
どうせ謝ったところでどうしようもないのだから、誤魔化したほうが早い。
拳は納得はできないようだったが、お猪口を口につけた。
こんな居酒屋で拳と会うことになったのは、結局彼が美奈と会うことを了承しなかったからである。
彼が頑固なのは重々承知していたが、かつて見たことのないほどの拒絶ぶりにせめて話を聞こうと、こうして呑みに誘ったのである。
ついでに今起きている事件について拳が掴んでいる情報を知りたかった。
「お前が酒とは、時間が経つのははぇーなぁ。どんなに勧めても絶対呑まんかったのによ」
「はは、そうかもね」
随分と色んな法律を破ってきたが、なぜか二十歳になるまでは酒を飲む気になれなかった。
だから拳と一緒に酒を飲むというのはこれが初めてだ。
「……ねえ、今巷で起きてる連続殺人知ってる?」
しばらく他愛のない世間話をした後にそう切り出す。
「発症したヤツが殺されてるやつか」
「それそれ」
ニュースになっていない事件を知っているということは、やはり拳独自の情報網はまだ生きている。
「なにか知らない?」
期待を込めて訊ねたが、返って来たのは大きなため息だった。
「おまえ、3課でなくなったのにそんな事件かぎまわって何になるよ」
「うるさいわね。いいじゃないのよ」
「そりゃ確かにお前の勝手だよ。だがあれは俺には関係ない事件だな。殺されてるのは全部新しく発症したヤツだろ。別に誰かを巻き添えにしたりもしていないみたいだしな。スマートな殺人だ。少なくとも対象ははっきりしてる。だったら――」
「沙弥さんに害が及ぶことはない」
「……そうだ」
拳は4本目の燗が空になったのを確かめると、もう一本追加した。
「それでいいの? 人が死んでるのに……」
「何が言いたい。いいか、俺は正義の味方じゃない。身内が巻き込まれりゃそれなりのことはするさ。だがこれは俺には関係の無い事件だ。おい、これ言うの二度目だぞ」
「うっさい、呑んでろ」
なにか悔しくて京子はグラスの酒を飲み干す。
そんな京子を見て、拳は箸で魚の骨をぐりぐりと弄り始めた。
「んったく、なんなんだよ。いきなり電話してきたかと思えば、美奈に会えとか言い出すしよ」
「それもよ! あんた、なんで美奈ちゃんに会ってあげないわけ?」
「お前こそ、なんでアレの娘なんかに肩入れする」
「あんたの娘でもあるでしょうが!」
「そうだ、だが……」
そこで口ごもって拳は煙草を一本取り出し、恨みでもあるかのようにマッチを勢い良く擦った。
大きく、大きく吸い込む。
そして紫煙を京子の顔に吹き付けた。
「げほっ、げほっ……。いきなりなにすんのよ!」
「男もしらねぇ小娘が他所様の家庭の事情に口出すんじゃねーよ」
「なによ。もう成人してるわよ。酒だって呑めるんだから」
「詮索はガキのすることだっつってんだ。言いたくねえ事情もあれば、言わないほうがいい事情だってある。美奈が気に入ったってならなおのことだ。おまえなりに様子を見ればいいだろが。俺には関係ねー」
「私は親切心で言ってあげてるのよ」
「余計なお世話ってんだ。それは……、んったく」
5本目の熱燗を受け取って、拳は手酌すると開いたお猪口にも酒を注いだ。
「さっきから冷たいのばかりじゃねーか。ほら、呑めよ。熱い酒もいいもんだぜ。それとも日本酒は呑めないのか、成人したんだろ?」
「呑めるわよ。バカにしてんじゃないわよ!」
そう言って京子はお猪口に注がれた酒を煽った。
「京子、おい、京子!」
肩を揺すられる。せっかく気持ちよくまどろんでいるのに無粋なことだ。
手を振り払って自分の腕に頭を寝かせる。
「おまえ、いつも人に呑み過ぎんなつってたくせにこれかよ」
うっさい。どれだけ注意しても呑むのやめたことないでしょうが。
もうちょっとくらいゆっくりさせなさいよ。
「アホぬかすな。閉店なんだよ。起きろ、バカ」
不精不精立ち上がる。
ふらつきながら店を出ると、冬の冷たい空気が肌を刺した。
LEDライトのきつい光が夜の闇を切り出して、その中だけを大きな雪の塊がばらばらと振っていた。
ってか、大雪だった。
吐いた息が白く煙る。
風が無いのが幸いだった。
「うへぇ、ひどい雪だ」
黒いコートの襟を立てた拳がぼやく。
「京子、大丈夫か?」
「バカにしてんでしょ。独りで帰れるわよ」
「まあ、護衛代わりもいるし、平気っちゃ平気か。あんまり関係ないことまで深入りするんじゃねーぞ」
「余計なお世話よ。バーカ」
あかんべーをして拳と別れる。
まったくもって嫌なヤツだ。
時間だけ取られて説教されただけだ。
何も新しい情報を手に入れられなかったし、美奈と会うという約束をさせることもできなかった。
雪の中を独り歩く。
実際には距離を置いて京子を監視している3課隊員がいるのだろうが、酔った京子の感覚にはなにも引っかからなかった。
この雪の中では仕方が無いかもしれない。
視界の狭まるところでは、発症者の能力は制限を受ける。
にしても今年はあまり雪が降らない。
例年なら膝くらいまで雪が積もっている時期だ。
寒さは申し分ないのだが、雲があまりかからないのだ。
だがこの雪なら明日の朝には存分に積もっているだろう。
頭を振ると、積もった雪がばらばらと落ちた。
「で、このタイミングで来るわけか」
「浸ってるところすみません……」
「ううん。むしろ感心した。その能力、雪で影響受けないわけ?」
「受けないように訓練しました」
「へぇ……」
いつの間にかトールが並んで歩いていた。
音も気配も無く突然現れたのは、あの封印隔離区域で見た瞬間移動の能力によるものだろう。
今夜のトールは先日の都市迷彩ではなく、茶色のダッフルコートだった。
野暮ったいそれも背のすらっと高いトールが着ると様になる。
彼は黒い傘を京子の上に差し出した。
「監視がついてるの分かってて来たわけ?」
「はい。というより驚きました。京子さんは俺のこと報告しなかったんですね」
「ふぅん、自分が犯人だとバラすために姿を現したわけ?」
「ええ、まあ。困ったことに俺がやったのに別の方が容疑者として拘留されてる件がありまして――」
事件資料を思い出そうとするが、少し時間がかかる。
「……ああ、そういうのあったわね。でも物証ないし、どうせすぐに釈放よ?」
「それは分かってるんですけど、すっきりしなくて」
そう言ってトールは少し笑った。
それを横目に京子は感心する。
このわずかの期間にトールはかなり成長したように見える。
「なるほど、ね。そういうことを気にできる余裕があるんだ。いくつか質問してもいいかしら?」
「どうぞ」
「水瀬と美禽は無事なの?」
「美禽は無事です。水瀬は死にました。<掴む手>にやられたようです」
覚悟はしていたが、事実を突きつけられると想定していたよりショックだった。
「そう……。二人が無事だっただけでも朗報よね。今はどこに?」
「御堂寺です。客員扱いで」
「殺人は? 御堂寺の仕事なの?」
「それに答えるのはちょっと難しいです。志願したのは自分なので」
「つまりあなたはあなたの意思で無能力者を殺害しているのね?」
「そう思ってもらって構いません」
「なぜ?」
「いくらか予想はついてるんじゃないですか?」
「そうね。んー、でも私の推測を口にするのは癪だわ。そっちの話を聞かせて」
意地悪くそう言うと、トールは驚くほど素直に頷いた。
こんなところは3課の非正規職員だったころから変わらない。
「はい。ですがそのためにはまず<赤>という発症者の話から始めなければなりません。京子さん、羽田弘文という名前を覚えていますか?」
「ええと……、ああ、覚えているわ。絶対境界線で爆死した人ね」
「彼に絶対境界線を越えられると吹き込んだのは誰か、いまだ分からずじまいになってますよね」
「多分そうじゃないかしら。三課を離れて久しいからはっきりしたことは言えないわ」
「それをしたのが<赤>です。あの絶対境界線侵犯事件の後、御堂寺は想定されたもう一つの脅威、羽田弘文をそそのかした第三者を追いかけました。そしてたどり着いたのは<嘆きの三月>と名乗る御堂寺よりもさらに北の山の中で自活する少人数グループでした。彼らは<赤>という女性の発症者を中心にまとまり、赤目を中心とした世界を作るための計画を立てていたようです」
「ようです、というのは?」
「まともに交渉にならず、戦闘になり、すべてが灰になったからです。しかし<赤>は死に、脅威は去ったと思われました。しかし11月になって<赤>が復活したのです」
「復活? 生き返ったの?」
「いえ、当人ではありません。<赤>は死にました。にも関わらず、まったくの別人が<赤>を名乗り活動を始めたのです。それを殺してもまた、それを殺してもまた……。やがてそれが単に名を継いでいるだけではないと分かります。新たに生まれた<赤>は前回の死までの記憶を受け継いでいるのです」
「そんなこと……」
「ありえません。そうです。そこで我々はひとつの仮説を立てました。本物の<赤>は別のどこかにいて、自身と識連結した影武者を使っているのではないか――。これまでに現れた<赤>がすべて無能力であったことがこの仮説を裏付けています。彼らは発症者ではなく、発症者と識連結した感染者なのです。その仮定の下、我々はその代理人を赤の代弁者と呼ぶことにしました」
「理屈上はありえる話だわ……」
すごく嫌な感じがして、京子は下唇を噛んだ。
謎の<赤>を名乗る誰かが、七瀬奈菜が独りになった時を狙い路地裏に引きずり込んで無理やり血を飲み、飲ませたのだ。
識連結はより強い自我を持つ側が主導権を握る。
<赤>はそのために幼子を狙ったのだろう。
「でもそれなら赤の代弁者を捕らえて、<赤>の居所を吐かせるべきよ」
「それはもう試しましたが、ダメでした。どうやっても逃げられないと悟ると<赤>は赤の代弁者との接続を切ってしまうんです。後に残るのは抜け殻です。死よりも悲惨です……」
「なんてヤツ……」
「そこで今は仕方なく赤の代弁者が出現すると殺害しています。赤の代弁者を失えば、<赤>は否応無しに次の代弁者を作るために動かなくてはなりません。それを追っているんです」
「それで手がかりは掴めそうなの?」
トールは少し黙った後で首を横に振った。
「こんなときに<瞳>があれば……」
そう呟いたところで思い出す。<瞳>に勝るとも劣らない能力を持つかつての友人のことを。
「錬子、そうよ。錬子がいるじゃない。御堂寺が確保してるんでしょ。なら彼女に聞けばすべて分かるじゃない」
トールの返事は少し遅れた。
「実は……、沢渡さんの能力は枯渇しました」
「え……、それって……、どういうこと?」
枯渇、という発症者の状態としては聞きなれない言葉に京子はただ聞き返すことしかできない。
「彼女の<答えある問い>は、彼女自身の知識の及ぶ範囲にしか及ばなくなりました。つまり彼女が知らないことには答えられなくなったのです」
「それじゃ、そんなのは……」
「はい。なんの役にも立ちません」
「なんで、そんなことに……」
「<赤>が識連結を使って赤の代弁者を立てているという仮説を立てたとき、当然御堂寺は彼女に<赤>の居所を答えさせました。しかし彼女にはどうしても答えが見えませんでした。それ以降です。彼女の能力が働かなくなったのは」
「つまり<赤>が錬子の能力に干渉した、と?」
「偶然の可能性もあります。ですが我々は<赤>が識覚に特化した何らかの能力を持っていると推測しています。それによって自身を探ろうとした沢渡さんに攻撃を仕掛けたのではないか、と」
「うぅん……、一種のアンチ能力か。カウンターで発動する能力がないわけじゃない。<我は拒絶す>なんかもその一種よね。となると、能力で追っかけるのは逆に危険なのか……。錬子は無事なのよね?」
「はい。空白を勝手に埋めても問題なくなったのでむしろ気楽そうですよ」
「悪いことばかりじゃない、か」
京子の知っている沢渡錬子は最初から発症者の少女だった。
京子がまだ高校生だった頃、錬子は学校で占いのできる発症者として有名だった。
しかし錬子はその能力が原因でとある事件に巻き込まれることになり、その結果当時発症者相手の何でも屋をしていた拳、そして京子と知り合うことになったのだ。
当時から彼女は自分の能力を活用しながらも、常にそれに振り回されていた。
やがて共に特捜に入り、<掴む手>の事件を経て彼女は封印隔離の憂き目を見た。
京子はそのことを後悔していた。
だがその彼女が能力の大部分を喪失し、気楽そうに生きているというのであればそれが何よりだった。
それならそのうち顔を見に行く勇気も出るかもしれない。
「それで、ようやく特捜の力を借りに来たのね?」
「できることなら。ですが御堂寺が直接特捜と対話するのは難しいんです。過去の遺恨とか色々ありますし……」
「分かった。無能力者の実態についてと、不審者の捜索は提言しておくわ。でもトール、あなたが殺人犯であることはどうしようもないわね」
「ええ、もちろん分かっています。それについては申し開きをするつもりもないです」
「そう……、ひとつ聞いていいかしら?」
「いくらでもどうぞ」
「あなたはあんな小さな女の子を殺すときに躊躇いとかは感じなかったの?」
「躊躇いはありません。ただ怒りだけです。つまりこんなことをしでかしている<赤>とか言う発症者に対する怒りです」
そういうクセにトールの体は怒りに震えるということもなく、この冷たい夜の雪のように音も無く静かだった。
それを見て、トールも完全に向こう側の人間になってしまったのだなあ、と京子はなにか寂しい気持ちになった。
「私には、無理ね……」
「でもそんなところが京子さんらしくていいと思いますよ」
「そうかな?」
トールは頷いた。
「どんなに危険な発症者でも、どんなに傷つけられても、京子さんは最後まで相手を救えないかって考えてるの俺は知ってます。俺が発症したときも、それがどんな能力かなんて分からないのに京子さんは抱きしめてくれたじゃないですか。だいじょうぶ。だいじょうぶだよって言ってくれて、それで俺は救われたんです。俺にはできない生き方です。俺は自分や自分の大切な人を守るためなら引き金を引けます。直接この手で首を絞めることだってできます。でも京子さんはその相手すら守ろうとするんです。俺はそんな京子さんが好きなんです」
驚いて斜め上を見上げると、さっきまで氷のようにクールだと思っていたトールの顔が真っ赤になっていた。
トールの気持ちにはなんとなく気づいていないこともなかったけれど、まさか言葉にされる日が来るとは思っていなかった。
「ありがとう。トール、でも……」
「あ、いや、返事とかはいらないんです。そういうんじゃないんです。ホント。俺はただ今言っとかないとなんか後悔するような気がしたんで、――ヘタレとか言うな」
「え? なに?」
「いや、今のはその、こっちの話で」
ピピピと小さく電子音が響く。トールが慌てて胸ポケットから携帯電話を取り出した。
そしてそれをそのまま京子に差し出す。
「美禽です。京子さんと話がしたいって」
受け取って通話キーを押して携帯電話を耳元に当てた。
「――きょーこさぁぁぁぁん」
とても懐かしい声が耳元で響いた。




