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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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赤の代弁者 -5-

 京子の自宅は新市街にあるマンションの一室だ。

 3課課長代理だったときのちょっとした贅沢のひとつである。

 庶務課に立ち寄って休職願いを出した後、京子は自宅に戻ってきた。

 さっさと昨日から着たままのスーツを脱いで、下着をかごに放り込む。

 蛇口をひねるとすぐに熱いお湯が出てきた。

 特捜本部のシャワーではお湯に変わるまで結構時間がかかる。

 火傷しそうなくらい熱いお湯を顔から浴びると、抑制剤による頭のもやもやが少し楽になった。

 ただ体を洗う作業に集中する。

 今の京子には何も考えない時間が必要だった。

 昨日のあれ以来、寝ている時すら考えっぱなしだったのだ。

 一度リフレッシュして頭をすっきりさせたい。

 抑制剤が抜けてしまえばもう少し頭も回るはずだった。

 2時間ほどかけて全身をくまなく洗った。

 熱いシャワーが肌に痛い。

 浴室を出て、鏡の前で髪を拭きながら少し伸びてきたなと思う。

 去年の外部感染者事件で<かくも脆き>にばっさりやられてから、一度毛先を整えただけでずっと放置していた。

 さすがに見栄えが悪くなってきてる。

 けれど早く前と同じくらいまで伸びて欲しかった。


「ウェーブでもかけようかな……」


 指先で毛先をいじってみる。だがどうにも似合いそうになかった。

 ため息一つ。

 そもそもこの鋭い目つきが悪いのだ。

 目じりを指先で押さえ、ぎゅっと下にずらしてみるが、まるで福笑いみたいだった。

 間違っても沙弥のように柔らかい顔つきにはなりそうにない。

 目の下のクマも気になった。

 化粧が落ちればこんなもんだ。

 まあ、化粧も大分崩れていたけど。


「いいや、寝よ……」


 脱衣所を出てキッチンに行き鍋に牛乳を入れて火にかける。

 着替えるために寝室に戻ろうと振り返ると、リビングのソファに一人の少女が座って雑誌を読んでいた。


「あ、おじゃましてます」


「いらっしゃい……」


 寝室に入る。

 明かりをつけてドレッサーを開ける。

 下着を穿いて、さてどうしようかと考えた。

 パジャマではなく、動きやすい綿のパンツとトレーナーにする。

 室温は低く、すぐに湯冷めしそうだったのでその上からカーディガンを羽織った。

 それからドレッサーの上から二つ目の棚を開けて、M1911ガバメントを取り出した。

 弾倉にきっちり弾が入ってるのを確認して遊底を引いた。

 安全装置を下ろす。


「どちらさま?」


 拳銃をしっかり構えたままでリビングに戻る。

 少女は向けられた拳銃を一瞥したが、特に気にした様子もなく雑誌のページをめくった。

 ティーンエイジャーだろう。

 真夜より少し年上に見える。

 幼い顔立ちにウェーブのかかった柔らかそうな髪、どこに出しても恥ずかしくない美少女だった。

 目尻の下がった大きな瞳の色さえ赤くなければ。


「鍵がかかってたはずよ。もちろん窓も」


「ふぅん……」


 気の無い返事。

 少女は雑誌のページをめくる。

 京子は少女の足に靴があるのを見て嘆息した。


「どっち?」


「なにが?」


 少女が雑誌から顔をあげてまっすぐに京子を見た。

 ぞくり――、足元から全身を駆け抜けた恐怖を顔に出さぬように京子は歯を食いしばった。

 だいじょうぶ。

 この少女がこの部屋に侵入するには能力を使うしかなかったはずだ。

 そして部屋は無事だ。

 だから少女の能力は物理的な破壊を生むタイプではない。

 見つめられただけなら危険はない。

 たぶん……。


「私を監視しにきた特捜の子?」


 見覚えはない。

 この子に見覚えはないはずだ。

 だが脳裏になにか引っかかる。


「そうだったかも……」


 少女は京子から膝の上に乗った雑誌に興味を移した。

 少女の視界から自分が消えて、ほっと全身から力が抜ける。

 それでも銃口は向けたままにした。


「身分証を見せてくれるかな」


 少女が無造作にキュロットスカートのポケットに手を突っ込んだ。


「ゆっくりと!」


「…………」


 引き抜かれたのは特捜の身分証で間違いなかった。


「テーブルに置いて」


 ぽいと少女はそれをテーブルの上に投げた。

 小石でも投げるかのような仕草で、彼女はその身分症に何の価値も見出していないようだった。

 銃口を向けたままテーブルに近寄って身分証を取り上げる。

 特捜3課正式隊員の身分証だ。

 そしてそこに書かれた名前を見て絶句する。


「黒崎美奈……、黒崎ですって!」


「それが、なに……」


 話には聞いていた。

 存在は知っていた。

 だが実際に顔を見るのはこれが初めてだった。

 言われてみれば面影がある。

 黒崎静のあの砂糖細工のような甘い顔。

 傍若無人な振る舞いは拳に似たのかもしれない。

 銃口を下ろすには強い意志の力が必要だった。

 彼女の存在を受け入れるのが難しかったのだ。


「ありがとう。返すわ」


 美奈の身分証をテーブルの上に置く。

 とんだ監視もあったものだ。

 これでは美奈を通じた情報は特捜のみならず黒埼静、病院側にもすべて筒抜けになる。

 事と次第によっては特捜よりも厄介な相手だった。


「さて、ひとつお願いがあるんだけど」


「……なに?」


「靴は脱いで」


「なんで?」


「家の中では脱ぐものだからよ」


「うちでは脱がない」


「そうだとしてもこの家ではそういうルールなの。脱いで玄関持って行くか、床の雑巾がけをするか、どっちかにしなさい」


 少女は唇を尖らせたものの、雑誌をたたむと靴を脱いで玄関に持っていった。

 その間にカタカタと音を立てていた鍋からホットミルクをマグカップに注ぎ、角砂糖の入ったガラス瓶と一緒にテーブルに置く。

 自分のためのホットミルクは作り直しだ。


「弓削課長もよくこっそり監視なんて言えたもんだわ。ねえ、それとも姿を見せたのはあなたの独断?」


 床に素足をつけて歩くのが珍しいのか、ひょこひょこと戻ってきた美奈に問いかける。


「別に見つかるなとは言われなかった。これ、飲んでいいの?」


「どうぞ」


 美奈はガラス瓶を開けると角砂糖をどぼどぼと、マグカップからミルクがあふれそうになるまで投入する。

 それからティースプーンで慎重にそれをかき混ぜた。


「監視はあなた一人?」


「ひみつ」


 まあ今の特捜3課は手が余ってるから、他にもいるんだろう。

 美奈が送り込まれたのはチームの判断かもしれない。


「お母さんは元気?」


 別に聞きたいわけではないが聞いてみた。

 特捜3課からお払い箱になって以来、黒埼静との接触はない。

 向こうが以前にも増して忙しくなったというのも大きいだろう。

 京子などにかかずらっている暇はないに違いない。


「ママは忙しい」


 きゅっと少女の表情が歪んだ。

 特捜隊員とは言え、まだ幼い少女だ。

 もちろん母親は恋しいのだろう。


「美奈ちゃんはいくつなの?」


「……私は子どもじゃない」


「そうだね。特捜隊員だもんね」


 仕方がないので記憶をたどってみる。

 拳が御堂寺を脱走したのが封鎖後10年のことで、その時に静はすでに妊娠していたということだったから、11歳か、12歳か。

 まったく……、本当ならこの子もまだまだちびっ子隊の所属であるべき年齢だ。

 自分はこれくらいの年齢の時は何をしていただろうかと考えてみると、驚くべきほど平凡な人生を送っていた。

 発症こそしていたが、人に害を与える類のものではなかったし、目を合わせなければ視界を読まれることもないということで、煉瓦館の初等科で小学生をしていた。

 もちろん友達は少なくて、遠巻きに目線すら向けられなかったけれど、少なくとも今の自分のような大人に銃を向けられるような、そんな人生ではなかったはずだ。

 京子はそんな少女に銃を向けたことを反省した。

 いかに発症者だろうとまずは意思の疎通を図るべきなのだ。

 相手が幼いならなおのこと。

 もしも自分だったらいきなり銃を向けられたことを一生忘れないだろう。


「監視、どれくらい続けるのかな? ご飯とかどうするの?」


「五時で交代。私は帰る」


 やっぱり一人じゃないわけだ。


「代わりの人も部屋入ってくるのかな?」


 時計を見ると午後2時で京子は今から眠れるだけ眠るつもりだった。


「入ってこない……はず」


「そう、それじゃ部屋のものは好きに使っていいけど、ちゃんと片付けてね。そこの戸棚のお菓子は食べていい。ただしうるさくしないこと。私は寝るわ。いい?」


「いい」


 少女は頷いた。

 とっつきにくいが思ったよりは素直そうな子だ。

 そういう意味では母親と正反対だった。


「それじゃおやすみ」


「おやすみなさい」


 それから京子は寝室のベッドに倒れこむと泥のように眠った。

 夢の中では黒埼拳と黒埼静と黒埼美奈が仲良く並んで幸せそうに町を歩いていた。

 その隣に御堂寺沙弥とそして京子自身もいた。

 それは夢らしいとても平穏で心安らぐ――起こりえない幻想だった。

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