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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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かくも脆き -5-

 何もかもが砂でできていた……。

 海岸遊びで作る砂の城の、特大豪華版とでも言えば分かりやすいだろうか。

 砂で再現された世界。

 ざらりと触れた感触は確かに砂で、私は眠っている間にそういう風に作られた部屋に移動させられたのかと疑った。

 部屋の作りそのものは昨日までと何も変わるところはない。

 まずは体を起こさねばならなかった。

 何故かベッドに寝ていない。

 そうだ、昨日は妙に熱っぽくて、結局部屋の真ん中で倒れ込むようにそのまま電気もつけっぱなしで眠ってしまったのだ。

 時計を探すと、砂の時計がカチコチと4時半を告げていた。

 おいおい、こんなことがあっていいのか?

 おそるおそる置き時計に触れると、それは確かに砂で、力を入れるとぼろりと崩れた。

 酷く乾いていたようで、細かい砂の粒になって広がっていく。

 驚いてその下のテーブルに手を置いて力を込めると、やはり同じようにテーブルはまずどさりとふたつに割れ、その後ばらばらに崩れていった。

 砂だ。

 間違いなく砂だ。

 手の表面にはざらざらと乾いた砂がまとわりつく。

 そのまま自分のいる床を見るとそれも砂だった。

 おい、ちょっと待てよ。

 確かにこれは随分と手の込んだジョークだが、まさか自分が住んでいるのが2階だというところまで再現してあるわけじゃあるまいな?

 しかしそう意識してしまってはもう遅かった。

 まず両手が砂の中に沈んだ。

 そして顔、体と、床に吸い込まれるように落ちる。


 ――どさり。


 しかし幸いだったのは下の床もまた砂だったというところだろう。

 乾いてひび割れた砂は彼が落ちると同時にバラバラになって、その細かい破片が私の体を受け止めた。


 あいたた、参ったな。これは、一体、何の冗談だというのだ。


 頭を押さえて立ち上がり、周りを見回してぞっとする。

 今度こそ、これは一体何の冗談だ。

 そこは作りからすると私の部屋となんら変わるところはなかった。

 ああ、そうだ。砂でできているということも含めて。

 そしてベッド脇の床から落下した私は、やはり階下の部屋のベッド脇に落下していた。

 そして今このアパートには新たにこの街に押し込まれた私と同様の犠牲者が多く入居しているわけであり、そこにいるのもその内の、この数日のうちにすっかり見知ったひとり――の砂でできた像だった。

 否、それは像などではなかった。目を覚まし、落下してきた私に驚き目を見開いている。

 あまりのことに声がでない――ように見えた。


「ちょっと、アンタ大丈夫か?」


 思わず手を伸ばして彼の肩を掴んだ。

 次の瞬間起きたことは、いや、まあ、想定の範囲内と言えば想定の範囲内だ。

 分かっていた。

 そうなる可能性は分かっていたはずだ。

 だがこの時の私にそうやって手を伸ばさないなんてことが考えられただろうか。

 肩口に触れられた彼の体はぼろりと崩れた。

 まるで乾ききった砂の像に不用意に触れてしまったかのように、否、まさしくその通りに彼の体は崩れ落ちた。

 未だなにが起きたのかを理解できない彼の顔が私の顔を見上げていた。


 ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。当然こんなことありえない。


 これは何かの間違いか、相当に性質の悪い悪夢なのだ。

 でなければなにもかもが砂でできているなんてことがあるものか。

 私は慌ててその部屋を飛び出した。

 扉は開けようと触れるとそのままぼろりと崩れ落ちた。

 そして私の足は止まった。


 ――世界は砂でできていた。


 見渡す限り、道路も、建物も、植物も、煌々と光を放つ電灯ですら砂だった。


「――はは」


 何かが喉の奥からこみ上げてくる。


「ははははははははははははははは――」


 私は自分の内からあふれ出したソレが何であるかなどどうでも良かった。

 ただこの狂った世界を誰かと共有したかった。

 私は適当な部屋に踏み込んだ。

 ドアを開ける必要などない。

 触れればそれは崩れてしまう。


「おい、おい、起きろよ」


 肩を掴んで揺さぶると、誰も彼もが崩れ落ちた。

 次の部屋へ。次の部屋へ。次の部屋へ。

 ああ、ダメだ。

 これは良くない。

 触れれば皆崩れ落ちる。

 触れずに起こすしかない。

 次の部屋へ。


「おい、起きろ。起きてくれ」


 直接触れることができないので私はベッドを揺らす、いや、ベッドを崩すことにする。

 私が触れると砂のベッドはたちまち崩壊し、どしんと音を立てて砂の像は床に落ちた。


「ふぇ……」


 寝ていた女の像は寝ぼけた声で喉を鳴らし、あたりを見回して私に気づく。


「ひゃああああぁぁぁぁぁぁああぁあぁぁぁぁぁ!!」


 私を見るなり女は金切り声をあげ、自らの顔に手を当てるとその勢いでそのままぼろりと崩れた。

 断じて誓う。

 私は手を触れていない。

 女が崩れ去った後には、布団の中にもうひとつ小さな砂の像が残された。

 女の子だ。


「違う……」


 そう、確かに違う。間違いなく違う。絶対に違う。


 この今崩れ去った女は私の妻ではないし、この少女は私の娘ではない。

 見た目も年もまるで違っている。

 だがしかしこの砂の世界で私の妻と娘はどうしているのだろう。

 他の全てと同じように砂になり、今にも崩れ落ちようとしているのだろうか。


「行かなければ……」


 そうだ、どうせ悪夢なら何日も前からずっと見ている。

 普通に生活していたはずが、突然政府の疾病なんたらかんたらとかいう防護服を着た連中に捕らえられ、注射を打たれ、ビニールの袋に入れられて引き摺りまわされたあげく、家族と引き離され、こんな、こんな隔離され打ち捨てられた煉瓦台などという街に閉じ込められた。

 妻と娘がどうなったか誰も教えてくれない。

 連絡をつける手段さえない。

 だけどこの砂の世界でならどこにだっていけるだろう。

 邪魔なものは全部崩してしまえばいい。

 ただ真っ直ぐに、真っ直ぐに家に帰ればいいんだ。

 帰ろう……。

 帰ろう……。

 帰ろう……。




 意識が戻ると真っ先に見えたのはアスファルトの黒だった。

 砂ではない。

 黒色だ。

 間違いなく硬い。


「うぐっ」


 京子は胃の辺りに湧き出した不快感に耐え切れず、胃の中のものを全部吐き出す。


「ぜっぜっぜっぜぇー……」


 ――くそう、口の中まで砂利だらけみたいだ。

 思わず袖のあたりを払ったが、そこについていたのは乾ききってパラパラになった砂ではなく、アスファルトを転がったときに付いたクズだった。


「――誰か、誰か応答して!」


 無線機にがなりたてる。


 ――くそう、くそう、くそう、本当に今日はなんて日だ。


 かくも脆き、こと後藤田住康の目的は復讐などではなかった。

 彼は純粋に、ただ純粋に“家に帰ろう”としているに過ぎない。

 おかしくなった世界の中で彼の正気を繋ぎ止める最後の糸がそれなのだ。

 逆に言えばそれ以外の全てがもう正気ではない。


 ――あんな世界にいれば仕方ないわね。


 ぞくりと身震いが京子を襲う。

 自分は彼の世界を一瞬覗き見したに過ぎない。

 だからこの程度で済んでいる。

 だけどもそこから逃げ出すこともできない彼の苦痛は如何程のものであったろうか。

 触れるもの全てが崩れ落ちる砂の世界。

 正気の介在する余地などどこにもない。


 彼を止めたい……。


 心から京子は思った。

 美禽も透も京子が拾った。

 発症し、変容した世界の形に耐えられず、今にも崩れそうだったバランスに手を伸ばし、優しく導いてこちらの世界に引き戻した。

 世界の形は変わってしまったけれど、それでも私たちは触れ合えるのだ、と。

 触れ合うことで京子は示してきた。


 ――けれど何者も彼と触れ合うことなどできないのだ。


 アスファルトの上で、手が削れるのもかまわず強く手を握り締めた。

 アスファルトに引っかかった薬指の爪が剥がれかけてぷらぷらと揺れた。


 ――救いたい。

 ――けど救えない。


「こちら1課の実崎だ。3課の御剣か、どこにいる。こちらは目標を見失った、どうぞ」


「宗崎通りで目標と接触。催涙ガスは多分効果あるわ。急いで!」


 急いで! 救えないとしても生きて捕らえることならできるかもしれない。

 状況はさっきまでと明らかに変わっていた。

 後藤田が機構に強い恨みを抱いているとすれば、捕らえても反抗的で在り続けるだろうし、そうなると単純にサンプルとして扱われてしまう。

 そんなことは京子も望んでいなかった。

 だから射殺の許可だって出した。

 けれど彼がただ家族に会いたいだけだと言うのなら、それは決して叶わない願いだけど、制御できないものではない。

 少なくとも機構はそう考えるだろう。

 そして本当に制御できたら、加えて能力も制御できれば、仲間として迎えることだってできるかもしれない。


 お願い。父親ならば、会えないとしても死なないで――。


「御剣、目標はどっちに向かっている!」


 無線機の声に弾かれるように顔をあげた。


「え……あ……」


 何故、何故、何故、私はここでこうやって呆けたままでいたのだろう。


「あ、ああ、アア、あああんたは、ちがう」


 そこに後藤田が居た。


 ――あ、死んだな。


 なにせ10メートルどころではない。

 2メートル、いや手を伸ばせば届く1メートルの距離だ。

 実際に触れられるとか触れられないとか、そんなものは関係無しに後藤田の能力の影響する範囲内に達している。


 ――と、なるとすでに私は内部的には分解されていて、外的要因によって崩壊するということ?


 後藤田の中で見た映像には自らに触れて自らを崩した女性も居たから外的要因とは限るまい。

 とにかくなんらかの力が加わればあっさりと崩れてしまう、そんなものらしい。


 ――思ったより取り乱さないな。


 と、京子はぼんやりそんなことを考える。

 自分は死の間際にはもっと泣いて喚くと思っていたのだが、実際に死を目前にすると、死はこんなものかと思ってしまう。

 尤もこんな死に方というのはかなり特異な分野に入るのだろうけど。


 ――静はバラバラになった私を見てどんな表情をするかしら?


 それが見られないことだけが残念だ、と京子は思った。


「ちがうちがうちがうちがう……」


 違う違うと繰り返しながらも、後藤田の手は京子に伸びた。

 後藤田が何を見ているのか覗き見たい誘惑に駆られるが、何故かそれだけはしてはいけない気がした。

 それに砂になっている自分の姿を見るなんて、なによりもおぞましい。

 手の中のUSPが手元を離れ、アスファルトを叩き、そして崩れた。

 完全に崩壊した。


 ――私の運命もすぐにこうか……。


 なんだかひとつだけやり残したことがある気がする。

 後藤田の手が京子の首筋に伸びて、さあと髪を払うと、バラバラと髪の毛は崩れて落ちた。


「……亜利沙?」


 ――ああ、くそ、そうか、そういうことか。


 京子の頭に刻み付けられた砂の世界は、明らかにディティールの面で精密とは言い難かった。

 もしかしたら本当に京子は後藤田の妻か娘――娘の年齢のことを考えれば多分後者であろう――に似ていたのかもしれない。

 家族の写真までは資料になかったのでそこははっきりしないが、少なくとも雰囲気は似ていたのではあるまいか。

 後藤田が京子の髪を――砂の京子からそぎ落とした――時の手つきはどこか慈愛さえ感じさせる優しさだった。


 ――遥か遠くでちかりと一瞬光が瞬くのが見えた。


「……お父さん」


 口にした。

 最後にそれくらいは許されていいのではないだろうか。

 後藤田の表情が緩んだ。

 それまでのどこか焦点の合わない表情とは違う、安心したような、そんな表情だった。


 突風が通り抜けた。


 一瞬遅れて音が届く。

 ずどむと腹に響く音を立てて、京子の背後で地面に穴が開いた。

 後藤田の体が2つに分かれて崩れ落ちた。

 右腕を失っても出血すらしていなかったその体から、どぶりと臓物と血があふれだす。

 残ったのは砂の世界ではなく、現実だ。

 京子は恐る恐る自分の体に触れたが、どこも崩れ落ちたりはしなかった。

 後藤田が死んで分解されてなかった部分は結合を取り戻したということだろうか……。

 携帯電話が鳴り出して、確認するとやはりというか透からだった。


「京子さん、無事ですかっ!」


「無事よ。見えてるんでしょ」


「は、はいっ。ですけどっ」


「……勝手に持ち場を離れたわね」


「だって、それは京子さんが」


 ああ、そうか。と京子は納得する。

 トールは京子の車が出るのを見て、その能力を使い追跡したのだろう。

 そして後藤田との接触を見て、すぐさま狙撃に入れる位置に移動したのだ。

 そこは美禽の能力でカバーできる。

 なにが京子に幸いだったかというと、発症者がトールの狙撃位置に対し背中を向けていたことだ。もしトールの狙撃でも、砂の弾丸では後藤田――発症者を殺せたかどうか心もとない。


「いいわ、とにかく本部に戻ってなさい。ただし自分の足で戻るように。いいわね」


「はいっ」


 通話を切るのと、1課隊員が完璧な路地隊列で宗崎通りに現れるのは同時だった。

 無線のスイッチを入れる。


「発症者かくも脆きは死亡。状況は終息。<(アイリス)>への確認を要請します」


「本部、状況を確認。瞳もかくも脆きの死亡を確認した」


「そう、了解……」


 無線の電源を切る。

 1課隊員は状況を理解して、周囲の封鎖に入る。

 これから死体の検分とかが始まるのだろう。

 ここでの京子の役割はもう終わった。

 間違っても静に出会わないうちにさっさと本部に戻ったほうがいい。


「御剣」


 ぽんと肩を叩かれて、京子は飛び上がらんばかりに驚いた。

 いや、実際に体をびくりと震わせて、慌てて振り向くと1課の実崎が立っていた。


「すまん、そんなに驚くとは思わなかった」


 実崎のほうがよほど驚いているように見えたが、京子はあえてそれを指摘しようとは思わなかった。

 ただ、しばらくはいきなり体に触れられると、体が崩れ落ちる幻視に悩まされることにはなりそうだ。


「いいえ、なに?」


「タンカに乗ってったほうがいい。君は随分と酷く見えるぞ」


「遠慮しておくわ」


 ふと右手の千切れかかった薬指の爪が気に触って、京子はそれを引き千切った。

 涙が出そうなほど鋭い痛みが右手を走りぬけ、傷痕は痛んだが、それでもまだ足りない気がする。


 ――それとも後藤田は痛みすら感じずに逝けたのだろうか。


 だとしてもそれが救いになるとは思えない。


「……お父さん」


 小さく唇の中だけで呟いた。


 ――ああ、本当になんて最悪な一日だったんだ。


 もう二度とその言葉を口にするとは思っていなかったのに、いつも決意なんてかくも脆い。


 ――ちくしょう!


 京子が道端に転がった空き缶を思い切り蹴飛ばすと、それは小気味良い音を立てて転がっていった。

 決して砂のように崩れたりはしなかった。

 京子の能力は相手の瞳を覗き込むことで相手の視界の記録を覗き見るというものです。周りの人間のプライバシーもへったくれもないので、彼女と目を合わせたいと思う人間はまずいません。また彼女のほうも反動が強いので、普段から伏し目がちになっています。

 容疑者の犯罪を突き止めるのに最適な能力ですね。京子の負担を考えなければ、ですが。


 次のお話は“かく価値ある言の葉”

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