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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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地は途絶えしも其は近く -26-

 指定された住所は診療所からすぐ近くの庭のある一軒家だった。

 なぜこの家を選んだのかはすぐ分かった。

 植木が伸びきっていて外から中が窺えない。

 待ち伏せを警戒しながら錆びた門扉を押し開けた。

 コートのポケットに突っ込んだ右手はいつでも銃を抜けるようにしてある。

 その家は比較的原型が残っているが、略奪されつくしているようだった。

 裕福だった家ではよくあることだ。

 中はすっかり荒らされつくして、逆にすっきりしていることだろう。

 持っていけるものは全部持っていかれたに違いない。

 玄関には入らずに庭に回りこむ。

 せめて外側の状態を確認してからでないと、相手の懐には飛び込めない。

 だが庭に面したリビングだったらしい部屋では、黒崎拳が花柄のエプロン姿で箒を掃いていた。

 京子の姿を認めると、片手をあげる。


「よぉ」


 ああ、そういやこういう男だった。

 と、気持ちを鋭くしてきた自分がバカらしくなる。


「来たわ」


「早すぎだ。掃除が終わってねーよ」


「私は時間ぴったりよ」


「きっちり来るなんて早すぎだろうが」


 そこまで言って二人はどちらともなく喉の奥で笑った。

 これは昔に何度もやりあった会話だった。


「まあいいや。座ってろよ」


「掃除、するんだ」


「中途半端はよくねー」


「そうじゃなくて、掃除。嫌いだったじゃない」


「ああ、習慣だな。沙弥が動けなくなってから家のことは俺がするようになったからだ」


「そう……」


 京子は聞いたことを後悔した。

 靴のままリビングに上がる。

 フローリングは割れ、壁紙は剥げ落ち、いたるところに落書きがあった。

 それでも埃は落とされ、なんとか人が居住できる雰囲気を感じる。

 中央には木のテーブルと椅子があった。

 いかにも安物で、どこか他所から運んできたに違いない。

 テーブルの上にはまとめたリンドウの花が無造作においてあった。


「これは?」


「ん、生えてたから採ってきた。根が薬になるんだぜ」


「アンタにぴったりだわ」


 ため息をついてロマンの欠片もない男が採ってきたという紫色の花を眺める。


「手ぶらよりゃいいだろ。女には花だ」


「百回死ね」


 投げつけてやろうかと思ったが、花に罪はないのでやめておく。

 それにこんな風にじゃれあいに来たわけではない。


「白瀬と宗谷は死んだわ。千人以上を巻き込んでね……。どう責任を取るつもり?」


「責任なんて取りようがねーよ」


 箒がざっと音を立て、埃を庭に掃きだした。


「俺は間違ったことはしてねー」


「沙弥さんを救うためにやったことならどんなことでも正当化されるというわけ?」


「そうだ」


「でも失敗した。拳、あなたは病院で言ったわね。私の力が欲しいって。それも沙弥さんのため?」


「もちろん」


「私を利用して、それであなたは何をするつもりなの?」


「沙弥を腕のいい医者に診てもらう」


 そういや病院でもそんなことを言っていた。

 だが煉瓦台市の医療機関には黒崎静ががっちりと食い込んでいて、そこに御堂寺沙弥を送り込むのは、ライオンの口の中に肉を放り込むのと変わらない。


「静を排斥するの?」


「違う。アレにはうまくやってもらわないと困る。なんというか、アレはアレで必要な人間だ。問題はあるが、俺たちにはできないことができるから……」


 黒崎拳はいつもそうだ。

 黒崎静のこととなると歯切れが悪くなる。

 孕ませた女だという罪悪感があるのだろうか?

 だがそんな京子のやっかみとは別に、確かに黒崎静という女は必要とされていた。

 彼女がいなければ赤目の研究はもっと遅れていたはずだ。

 それだけは間違いない。


「じゃあどうするの?」


「俺は外に出ようと思う」


「は――?」


 思考が停止した。

 黒崎拳が口にした言葉を脳が理解するのを拒んだ。


「外部世界にまではアレの影響も及ばないし、いくらでもいい医者がいるはずだ。研究面では遅れてるかもしれないが、すぐに追いつく。少なくとも今の環境よりはずっといい」


「あなた、なにを、言って……」


「まあそれが俺の動機だ。だが動機なんかはどうでもいい。外に出たい。そういう連中を集めて組織化すれば、絶対境界線を越えるのは簡単だ。今回のことで俺はそう確信した」


 黒崎拳の言うことはもっともであった。

 これまで特捜が絶対境界線を守り続けてこられたのは、ひとえに精神錯乱し、外に向かおうとした発症者が、単独であったからだ。

 これが錯乱していない集団の発症者となると事情がまったく違ってくる。


「俺に力を貸してくれないか。京子……」


「私に特捜を裏切れ、と」


「君はもう特捜に見限られただろ。それに管理自治機構が守るに値する組織か?」


 答えはNOだ。

 そう答えが閃いて、そんな自分に京子は戦慄を禁じえない。


「白瀬は言った。外の世界では偽善がルールとなる。弱きものは守られなければならないといううわべが通用するんだそうだ。それなら俺たちのような弱者が社会を相手に戦える機会があるということだ。それは今の煉瓦台市にはないものなんだ」


「70億を犠牲にする、と」


「全員死ぬみたいな言い方だな。そりゃ死人もでる。だがいつだって死人は出てるじゃないか。いや、そういう言い方もよくないな。こういう訴えかけ方は君相手ではうまくない。京子――」


 黒崎拳が頭を下げた。

 呆気に取られる。

 この前この男が頼みごとをしてきたときも驚いたが、頭を下げるのを見るは今日が初めてだった。


「俺を、いや、沙弥を助けてくれ。頼む」


「わ……わた、わたしは……」


 ひどく心がかき乱される。

 嫌だった。

 この男のこんな姿を見るのは嫌だった。

 真剣に人を頼ってくるだなんて、本当にどうかしてしまったとしか思えない。

 体が震えた。

 助けてやりたいと思った。

 御堂寺沙弥は本当に可哀相で、救われるに値するだけの人だった。

 それに非常に個人的な想いからも黒崎拳を助けたい。

 だが脳裏に3人の顔が瞬いた。

 遠野水瀬、笹原美禽、深海透、京子が絶対境界線を守るように命じ、そして帰ってこなかった3人だ。

 ここで京子が転向したら、彼らにどう顔向けできるというのか。


「私は特捜の御剣京子よ」


 コートから銃を抜いて拳に向けた。

 途端に後頭部にごつりと硬い感触がぶつかった。


「だから無理だって言ったんスよ」


 聞き馴染みのある声だった。

 特捜を裏切り、弓削朝子の捜索を逃げ切った男。


「ビビリ屋……」


「動かないでくださいよ。課長。いや、元課長」


「残念だ。京子……」


 黒崎拳がゆっくりと顔を上げた。

 覚悟を決めた瞳。

 腋のホルスターからリボルバーを抜く。

 二つの銃口が京子を、一つの銃口が拳を捉えている。


「銃を下ろしてくれないか」


「私がそうすると思う?」


 砂時計をじっと見ている時のように、時間はじりじりと進んだ。


「たとえ管理自治機構が、特捜が腐っていたとしても、拳、あなたは間違っている。犠牲は出る。それはどうしようもないけど、だからと言って初めから他人を犠牲にするなんて屑よ!」


「クズで結構――。俺はこの断崖を屍で埋めてでも越えてみせる。沙弥を救うために」


「それで、そんなので彼女が幸せになれるとでも思ってるわけ?」


「“悲しみにくれるあなたを愛す” 俺のわがままだよ。京子」


「この……」


 もう何を言っても無駄だと京子は悟った。

 テーブルの上のリンドウはこの男が決意とともに置いたものだった。

 決して花ならばなんでも良かったわけではない。

 そこにはこの男の正義が置かれていた。

 だが京子も引けない。

 引くわけにはいかなかった。


「お別れだ――」


 だがそれでもきっと自分は最後まで引き金を引けまい。

 そう京子は思った。

 こうやって銃口を向け合って意地を張っているのが京子にとっての精一杯で、きっと拳がこの一発を何かの間違いで外したとしても、ニ発目が存在しないとしても、きっと撃てないに違いない。

 そして拳の指がゆっくりと引き金を引いて――、


「アニキ!」


 ビビリ屋の声が突如時間の早さを元に戻した。拳の指から力が抜ける。


「庭になんか落ちてきた……」


 そんなバカなと思いつつ、京子は思わず庭を見てしまった。

 そこには木箱と紅白の落下傘があった。

 UNと刻印が入っている。


「見て来い」


 ビビリ屋が庭に飛び出していって、それから驚いた顔で空を見上げた。


「すげぇ数だ」


 黒崎拳がため息をついて銃を下ろした。

 銃口を今も向けられているとはとても思えない無造作っぷりだった。


「来いよ。何かが起きた」


 黒崎拳に銃口を向けたままで京子は庭に出た。

 ビビリ屋が銃を向けてこようとしたが、黒崎拳がそれを制した。

 空を見上げると無数の飛行機が飛んでいて、そのお尻から次々と紅白の花が開いていた。

 こんな風に外部世界から爆弾以外の何かが落とされるという経験は京子にはなかった。


「大災害直後にもこんな光景を見たことがある……」


 それは黒崎拳の独り言だった。


「開けますか?」


「ああ、危険物じゃない」


 ビビリ屋が木箱を開けると、中から箱に入った電化製品が出てきた。

 見た目から通信機の類だと分かる。


「ラジオなんか見るのはどれくらいぶりだろうな」


 黒崎拳が苦笑する。

 ラジオは木箱に数十個が詰め込まれていた。

 同封されていた文書にあるだけ人に手渡して、ある周波数にあわせるように書かれていた。


「どれ、貸してみろ」


 黒崎拳が一台を手にとって、電池を入れた。

 ノイズが流れ、黒崎拳がダイヤルを回すたびに音調が変わった。

 やがてそれが人の声になった。


『――ての通信制限は解除されます。世界中と自由に通話できる権利を保障します。それにあたって十分な数の通話機が用意される予定です。すべての放送制限は解除されます。お手持ちのラジオで番組を視聴することができます。テレビをお持ちの方はそれを利用することができます――』


「なに、これ……」


「シッ!」


 ビビリ屋が人差し指を口に当てて京子を制した。


『――この放送は煉瓦台地方、および天台地方の隔離にあわれている人々に向けて、八坂放送局が国連の指導のもとお送りしております。繰り返します。隔離地域は本日正午を持ちまして国際連合の監督下に入ります。国際連合はこの隔離の被害者の人権を第一に――』


「はは、ははははっ!」


 堰を切ったように黒崎拳が笑い出した。


「ちょ! アニキ、静かに!」


 ビビリ屋がラジオのボリュームを上げた。

 だが黒崎拳の笑いは止まらなかった。

 腹を抱えてゲラゲラと笑い続ける。

 京子は銃口の行き場をなくして、それをただ下に向けるしかなかった。


 運命のダイスは放たれ、そして砕かれた。


 だが砕かれたのは目は出た後だった。勝負は決まっていた。

地は途絶えしも其は近くは今回で終わりです。

今日の投稿もここまでで、明日から最終章である赤の代弁者が始まります。

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