地は途絶えしも其は近く -25-
2019年10月11日が始まってすぐに開始された絶対境界線への自衛隊の空爆は、同14日正午まで続いた。
山ひとつを丸裸にしなければならなかった外部世界の偏執性は賞賛に値する。
ことにこの内部世界に相対する時は――。
診療所のベッドの上で一連の空爆を眺めながら過ごした御剣京子は、<割れ物>吉良誠治の報告――というよりは愚痴を聞き終えてため息をついた。
状況はすでに京子の手を離れていた。
特捜司法官のあの女は実に素早く状況に対処した。
3課にいた内通者を洗い出し、欠員の補充としてコミュニティから自身の息のかかった発症者を任命し、あっという間に特捜3課を彼女の組織に改変してしまった。
割れ物のように京子に個人的な忠誠を誓っている隊員は総じて閑職に追いやられた。
能力があっても実用的な業務には回してもらえない。
痕跡看破能力者である割れ物が、本部で書類業務に追われているように。
「で――、3人はまだ見つかっていないのね?」
「ええ、はい。本部は彼らを死者リストに載せる予定です」
「あなたは本当に話が早くて助かるわ」
「大したことではありません」
皮肉を込めたつもりだったが、割れ物はそう受け取らなかったようだ。
「それと例の調査ですが、どうも御堂寺が受け入れたようです」
「離反者の遺体を?」
「ええ、離反者の死者は確認されているだけでも千を越えています。ですが市内にそれだけの規模の墓を作ると、離反者は存在しないという前提が崩れてしまいますので、遺体ごと御堂寺に押し付けたということのようです」
「よく御堂寺が受け入れたわね」
「取引が行われたのは間違いありません。内容までは踏み込めませんでしたが――」
「無理はしなくていいわ。あなたはよくやってくれてる」
今回の事件、特定破壊活動イ-53号において管理自治機構が発表した死者行方不明者の数は10月17日現在448名であり、現在も救助活動が続いている。
その一方で旧市街外れに隠れ住んでいた多くの離反者は、負傷者数には数えてもらえない。
死者も同様である。
生きていれば治療は受けられるが、死者は野ざらしにされていた。
だから御堂寺の遺体受け入れに京子はほっとした。
どんな取引が行われたにせよ、生きて死んだ者に与えられる仕打ちとしてそれはあまりにもむごかったからだ。
「ではこの辺で――」
「無理はしなくていいのよ」
「二度言わなくても分かりますよ」
そうではない。
京子は割れ物が暇を見つけてはC21付近に出入りした人間の痕跡を能力で追っていることを知っていた。
自衛隊の空爆は終わったとはいえ、現在は絶対境界線の再敷設の現地は立ち入り禁止となっているにも関わらず、だ。
彼が何を探しているのかは訊ねるまでもない。
旧特捜3課1斑は今や割れ物を除いてひとりもいなくなってしまった。
それを信じたくないのは京子も同様である。
体がもっとまともな状態であれば、京子も割れ物を手伝ったに違いない。
だが今の京子は足手まといにしかならないだろう。
それは誰よりも京子自身が一番よく分かっていた。
割れ物がいなくなってから、京子は彼が置いていった報告書の写しに目を通した。
現特捜3課の活動日誌や定時報告書、そして今回の事件の報告書などである。
そこには弓削朝子のものも含まれていた。
曰く、「今回の大破壊は絶対境界線付近で発生した戦闘の流れ弾のようなものであると推測できる」とある。
彼女の意見としては、3名の特捜隊員が彼らと戦闘に突入した結果、この大破壊が発生した。
ということらしい。
つまり突き詰めれば3名の特捜隊員に命令を発した京子にも責任の一端があると言っている。
その可能性は否定できないが、どちらかというと弓削朝子の立場固めに利用された気がした。
彼女は特捜3課から京子の色を完全に脱色するつもりなのだ。
――そこまでして私を排除したい理由ってなにかしら?
思い当たることはある。
離反者、黒崎拳との関係だ。
さらに<ビビリ屋>津賀野亮一が黒崎拳の内通者であったことが特捜本部の京子の心証を悪くしている。
だが今回の絶対境界線侵犯に黒崎拳が関わっていることを特捜はまだ知らないはずだ。
それともあの女はすでにそこまで突き止めているのだろうか?
だったら特捜司法官の職務に従って京子を断罪しにきそうなものなのに。
だがそれらの動きは京子にとってありがたい部分もあった。
彼女は自信を失っていた。
今の京子では以前のように3課の指揮を取ることはとてもできないだろう。
一番大きいのは管理自治機構への不信だった。
管理自治機構はその名の通り、内部世界を管理し自治する組織だ。
それを運営するのは選挙で選ばれた評議員たちである。
だがそれは体のいい詭弁であって、彼らが実は外部世界人であるのは興味のある人間なら誰でも知っていることだ。
京子はそれでも構わないと思っていた。
結果的に内部世界の人々が守られるのであれば、他人の主義主張はいくらでも黙って聞いていられた。
そして京子は自分が誰よりもうまくやっていると信じていた。
だが現実はどうだ?
シートをかぶせられることもなく並べられた千の遺体を想像してみた。
彼らは京子の守るべき人々ではないのだから、どうなってもいいのだと胸を張って言えるだろうか。
黒崎拳から聞いた話を思い出す。
農地の少ない煉瓦台市で離反者が食料を手に入れるには金を使うしかない。
だが離反者に与えられる仕事は常に違法で危険であり、実入りも少ない。
命を落とすことも稀ではない。
そうして手に入れたわずかな金で、離反者は役人が横流しした食料を買うのだ。
政府側組織に所属する京子には想像もつかない。
特捜にいる限り、衣食住について考える必要はまったくない。
給料はすべて嗜好品につぎ込むことができる。
車や煙草のようなものを、外部世界から特別に取り寄せることだってできる。
死と隣りあわせで煉瓦台市を守る仕事をしているのだから、それくらいの特権は許されると京子は思っていた。
京子は明日戦いで死ぬかも知れない。
だが今日飢えで死ぬ子どもがいるということは考えたこともなかった。
そしてその子どもが離反者であることが確認されれば、京子はその子らを煉瓦台市から追い出すか、殺すかしなければならないのだ。
「うっ……」
昼に食べた病院食を胃が拒否する。
だが京子は口元を押さえ、それを飲み込んだ。
口元と目元を拭う。
苦しい。
辛い。
ベッドに潜り込んで何もかもから目を閉じてしまいたかった。
だが約束の時間だ。
行かなければならない。
立ち上がると肋骨がずきずきと痛んだ。
だが歩けないことはない。
病院着の上から私服のコートを羽織る。
事件の後から急に気温が下がり始めて、季節は秋から冬へと転がり落ちていた。
散歩という言い訳が通用しないのを京子は知っていたので、看護士に見つからないようにそろそろと診療所の裏口から外に出た。
目的の場所はここからそれほど離れていない。
そこで黒崎拳が待っているはずだった。




