地は途絶えしも其は近く -15-
その光景をどう言い表せばいいのか。
地獄と言うと安易に過ぎる。
だがそれ以外に適切な言葉も思い浮かばない。
白樺の割れた幹が炎に包まれて悲鳴を上げながら崩れ落ちる。
腐葉土からはもくもくと煙が立ち昇り、それは燃え盛る炎に照らされて、まるでオレンジ色の壁が聳え立っているかのようだった。
強い風に吹かれたときの風きり音のような轟音が耳の中で飽和している。
炎からは随分と離れているというのに頬が痛いほどに熱い。
バン! と弾ける音とともに透の耳元を何かが掠めた。
「伏せろ!」
美禽も水瀬もすぐに頭を低くした。
指向性地雷か、跳躍地雷か、いわゆる散弾式の地雷が爆発したのだ。
1発も当たらなかったのは運が良かったとしか言いようがない。
爆発点から距離があったのだろう。
腐葉土の中を怯えた犬のように後退する。
炎から十分に離れて、顔をあげると水瀬が両手を広げて美禽をかばうように立っていた。
二人はゆっくり後退して透のところまでやってくる。
また遠雷のような爆発音が連続して轟いた。
「くそ、なんで森が……」
地雷が爆発したとしても普通は森に火がつくことはない。
山火事になれば厄介なのは自衛隊も同じのはずで、絶対境界線には毎年枯葉剤を撒いて森を近づけないようにしているはずだった。
「それに地雷ってこんな誘爆するものか?」
「……火薬使ってるんだろうし、炎の中に投げ込まれれば爆発するんじゃない」
「埋まってるのにか」
これではまるで土の中が燃えているとでも言わんばかりだ。
「……炎を迂回して向こう側に回るべきかしら。深海君は炎の向こうに視点設定できる?」
「無理だった……」
答えて服の上から腕をさする。
実は透はすでにそれを試してみた。
だが炎の向こう側はよく見えず、視点は炎のど真ん中に飛んだ。
そしてその瞬間、視点が炎に包まれると同時に透は――炎の熱を感じた――のだ。
全身に焼けるような痛みが走った。
そしてそれは今も残像のように残っている。
まるで実際に軽い火傷を負ったみたいだった。
これまでには無い現象だった。
視点を飛ばしても感覚は肉体のものから乖離することはない。
1時間ほど前、地下で京子を助けようとして<跳ぶ>までは――。
「迂回案で行こう。まずは確認できるとこからだ」
火災は広がりつつあったが、今のところまだその範囲はそれほど広くはなかった。
大きく迂回しても数百メートルも歩かずに向こう側の絶対境界線にたどり着く。
そしてそこにはまた信じがたい光景が三人を待っていた。
「冗談……だろ……」
呆然と立ち尽くして透はそう呟いた。他の二人もほとんど透と変わらない反応だった。
――絶対境界線が無くなっていた。
もし正確に表現するのであれば、絶対境界線と呼ばれる地雷原があった場所が大きな陥没と化していた。
絶対境界線の幅200メートルでは収まらない。
陥没は絶対境界線の向こう側の森にまで及んでいた。
「クレーター? 違う……」
上から強烈な衝撃を与えられたのであれば、陥没の縁が盛り上がっていなくてはならない。
凹んだ空間分の体積がその外側で押し上げられるからだ。
しかしこの陥没にはクレーターに見られる縁の部分が見られない。
つまり上からの衝撃で生じた凹みではないということだ。
「砂場を手ですくったみたい……」
美禽の感想が一番的を射ていた。
絶対境界線の凹み部分の体積がごっそりとどこかに消えているのだった。
「って、まさか……」
透は左手で燃え盛る森林火災に目をやった。
今も時折爆発音を轟かせるそこは、他の部分よりも一段と高く盛り上がっているように見えなくもない。
「丸ごと持ち上げてそこに落とした……」
そう考えれば森林火災も、地雷の誘爆も説明がつく。
圧力感知型の地雷は少なからず爆発するだろうし、かき回された土壌の外側に火が付けば熱量は相当なものがあるだろう。
なにせ周りには大量の腐葉土と木がある。
「だとすると発症者か……」
しかしこれほどの物理干渉を起こせる能力は滅多にない。
大抵の物理干渉能力は範囲が著しく制限された上に、その起こせる現象も限定的だ。
だがこの現場から推測される能力は200メートル以上の効果範囲を持ち、大量の土砂を持ち上げ移動させるという意図的操作を感じさせる。
少なくとも透が知る範囲に該当する能力はひとつとして存在しなかった。
「見て、足跡がある!」
美禽が陥没した地面を指差した。
紅蓮の炎に照らされて濃淡の濃い世界の中で、その足跡はくっきりと際立って目に映った。
右足、左足、右足、左足と四筋の靴跡。
それが示しているのは当然ながら複数の絶対境界線侵犯者がいるという事実だった。
ありえない事態を前に透の思考が白く飛ぶ。
「追い――」
「ダメ!」
美禽が強い口調で透の言葉を遮った。
「絶対境界線を抜けられちゃったら、後はもう国防軍の仕事だよ。あたしたちが絶対境界線から出ることは許されてないもの!」
確かに美禽の言うとおりであった。
絶対境界線の侵犯は絶対に許されない。
境界線を守る特捜であってもそれは同じことであった。
だがそれでは目の前にいる犯罪者をみすみす逃がすことになる。
思わず透は叫んだ。
「爆発があったのは今さっきだ! まだそんなに遠くには行ってないはずだ!」
そう、まだ逃亡者はこの付近にいるはずだ。
能力によって土砂を持ち上げたのだとしても、それを置いてこの陥没を降りて向こう側まで渡るのにある程度の時間はかかるだろう。
いくら地面を掘ったところで地雷がまだ残っている可能性はあるわけだし、陥没の左右では埋もれていた地雷が顔を覗かせている。
あれらが落ちて爆発する可能性もある。
逃亡者は慎重になったはずだ。
「それに、なんてこった! 自衛隊への通報はしたのか!?」
確認しようと携帯を取り出すが、電波が届かない。
山中ともなれば当然のことだ。
そもそも煉瓦台市は妨害電波にさらされていて、この特別製の携帯と言えど使える範囲は限られている。
手が何かを求めて空中をさまようが、何もつかめない。
「今の爆発で展開を始めたとしても数時間はかかる。逃亡者はその間にどこまで逃げられる!? 取り返しのつかないことになるぞ!」
「トールが行ったら、それでもう取り返しがつかないのっ!」
美禽がUSPを抜いた。銃口が透に向く。
「行こうとしたら撃つよ。本気だよ」
本気の目だった。だが手は震えていた。
「……私も」
一度目を閉じて水瀬が刀を抜いた。
「行こうとするなら止めるわ。今するべきことはこの穴を確保して、これ以上被害の拡大を防ぐこと。違う?」
こちらは震えちゃいなかった。どちらも透が行こうとすれば本気で止めるだろう。
――だが!
だが!
「お願いだよ。トール……」
「くそっ!」
背中に抱えたIWS2000を降ろす。
レバーを引いて直径15.2ミリという馬鹿げた太さの弾丸を薬室に送り込む。
二人の間に緊張が走るのが分かった。
至近距離から対物ライフルを食らうというのは、とても嫌な想像に違いない。
「トール!」
「深海君……」
「ああ、もう、ちくしょう、こっから撃てばいいんだろ!」
今ならまだ間に合うかも知れない。
幸いにして炎が宵の口の森を照らし出していた。
これなら昼間とさほど変わらない視界拡張距離を得られそうだ。
――お願いだからどこかで手間取っていてくれ。
まだ見ぬ逃亡者に向かって祈りながら透は地面に伏せて構えた。
――お願いだから死んでくれ。




