表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
4/90

かくも脆き -3-

「思うにさ~、狙撃って孤独との戦いだよ」


 狙撃手でもないくせに、美禽は如何にも得心がいったというように頷いてみせる。


「こう身を潜めて、目標が来るまでぴくりとも動かない。いつ目標が来るか分からない。そんな絶対的な緊張感の中でー」


「少なくとも1時間以内には来るよ。そして10分や20分で現れることもない」


「そそ、だからもうちょっとリラックスしなよ」


 だとすると今のは透の緊張を和らげようとしてのものだったのだ。そう気がついて思わず透は苦笑する。そして銃を握る手に力がこもりすぎていたことにようやく気づく。

 透が手にするのはSteyer IWS2000。

 15.2mm装弾筒付翼安定徹甲弾を吐き出す、透よりすこし背が低いだけの長銃だ。

 銃とは言ったがその実態は砲に近い。撃ち出すのも弾丸というよりは砲弾だ。

 最大射程で2キロ、到達距離では3キロを超える。相手側に何らかの補助がない限り有視界外からの攻撃が可能なため、透はもっぱら任務にこの銃を使っていた。

 もっとも大きすぎて使えないということもあるのだが、状況次第では壁を抜いてもまだ十分な殺傷力を保つその威力は捨てがたい。

 相手が装甲車程度なら撃ち抜くことが可能な威力である。普通の人間に直接当たれば、木っ端微塵だ。普通の人間なら、だが。


「……まだ撃つのは苦手?」


 多分、意識しないで苦い顔をしていたのだろう。透の背中から美禽がぎゅっと抱きついた。


「悪夢を見たら部屋においでよ?」


「ん、そうする」


 自分よりも随分小さな体だというのに、そうやって抱きしめられていると――端から見れば美禽が透にしがみついているようにしか見えないのだが――透は随分と心が落ち着くのだった。


「……目標は、何を見たんだろうな……」


「さあ、そればっかりはボクたちには理解らないよ。ボクがトールの見てるものを聞いて、あーなるほどと思ったところで、それが本当はどんな風に見えてるかだなんて絶対に理解できないのとおんなじ」


「俺が美禽の見てる世界を見ることができないように、だな」


「そうだね。だからボクたちにはこんな触れ合いが大事なんだよ。ね、何が見えてても今触れ合ってるというのは間違いないよ」


 美禽の言う通りだと透は思った。実際どれほど美禽に救われてきたか分かったものではない。




 透が初めて人を撃ったのは3年前、とある事件で後方待機を命じられていたときのことで、あれは不慮の事故だったのだと今でも思う。

 まだ能力の制御がちゃんとできていなかった透は、現場より遥か後方にいたにも関わらず、完全に自分は現場にいるものだと思い込んでいた。

 今でもそうだが当時の(アイリス)は今にも増して速度、精度で貧弱であり、その時も発症者の実際の位置を500メートルほど間違えていた。気がつけば当時はまだ臨時隊員だった京子と1課の小隊は発症者を追い込むはずが追い込まれ、既知の類型の発症者を前に恐慌状態に陥った。


“我は拒絶す”には正面からの物理攻撃はほぼ無効だ。

 半包囲からの一斉射撃でも防ぎきられてしまいかねないため、基本的に伏兵を置いて射軸をずらした位置で陽動するのが定石である。

 しかしこの時京子らに伏兵を用意する余裕が無かった。

 一斉射撃によって残弾はあっという間に尽き、打つ手を失った京子らに発症者が襲いかかろうとする、その一部始終を透は現場で見ていた。

 透は無我夢中で護身用にと持たされていた拳銃を発症者に向けた。

 距離は2メートルと離れていない。

 外すわけがない。

 射撃訓練そのものは嫌というほど受けていた。

 両手でしっかりと銃把を握り引き金を引いた。


 1秒ほどの誤差があった。

 2メートルの位置で撃ったはずの弾丸は、1秒遅れて目標に到達した。

 つまり発症者の背後から胸部へ、2発。

 発症者の服にふたつ穴が開いて、そこから血があふれ出した。

 発症者が驚愕に顔を歪めて振り返った。

 透と目があった。と、透は思ったが、しかしその視線はどこかおぼろげではっきりしていない。

 恐怖に駆られて3発目を撃った。

 その弾丸は狙った位置に正確に飛び、そして発症者が手にした盾――鉄板を打っただけの粗末なもの――に弾かれた。

 だがそこまでだった。

 発症者の体が音を立てて倒れ、そしてようやく透は自分が後方待機していた部隊と共にいること、現場からおよそ300メートルも離れた位置から状況を観測していたのだということを思い出した。

 手の中の銃は熱を持って、硝煙の臭いを漂わせている。

 すぐ傍で誰かが「目標の射殺を確認」と呟いた。


 その後はてんやわんやの大騒ぎだった。

 何せ透の能力はそれまで未知のものだったし、その活用は後方からの観測が精一杯だろうと推測されていた。|

 <(アイリス)>の成り損ない、透に聞こえるところでそう揶揄する者までいたのだ。

 それが一躍小隊を救った英雄に祭り上げられた。

 使用弾薬9mmパラベラムでの300メートル射撃。

 有効射程を遥かに超えた銃弾が、骨の間を抜けて目標の心臓に達したのは単なる偶然に過ぎない。

 それでも不可能な距離での狙撃に成功し、多くの隊員の命を救ったのは事実だった。

 無理やり酒を飲ませられ、大騒ぎにくたびれきって透はベッドに倒れこんだ。

 すぐに夢の中に落ちた。


 ――透は拳銃を手に発症者と向き合っていた。

 大振りのナイフと、粗末な鉄板の盾。

 普通に考えれば脅威ではない。

 100メートル以上離れている。

 いくらでも射殺できるだろう。

 ――もちろんそれは間違った認識だ。

 普通の人間相手でも盾を持って突進してくる相手を接近されるまでに射殺できるかどうかは分からない。

 だがこの時の透にはそんなことは考えつかなかった。

 射撃はこの半年間に何故ここまでするのかと疑問に思うほど叩き込まれた。

 無論25メートルでの訓練がほとんどだったが、100メートルでも5発落ち着いて撃てば1発か2発はマンターゲットのどこかに当てられる。

 手にした拳銃の装弾数は15発+1。

 こちらに向かって走ってくる発症者に向けて落ち着いて引き金を引いた。

 結果は気にしない。

 すべきことはリコイルの衝撃を抑え、照準を合わせなおし、再び引き金を引くことだ。

 2発、3発、ラピッドファイアで16発を撃ち切る。

 撃ち切らなければならなかった。

 弾丸は全て粗末な盾に弾かれ、発症者の勢いは止まらなかった。

 もはや距離は50メートルを切っていた。

 半狂乱になってマガジンを落とし、予備のマガジンを挿入するとスライドロックを解除してそのまま碌に狙いをつけずに引き金を引いた。

 発症者の足元に向かった弾丸は運良く膝に命中するかと思ったが、それも盾で防がれた。

 25メートル。

 2発、3発、4発、そこで手元に嫌な衝撃が走った。

 スライド内で薬莢が絡み、引っかかっていた。

 ジャムだ。

 慌ててスライドを引いて薬莢を取り除こうとするがうまくいかない。

 と、思っているうちに首元に嫌な衝撃が走る。

 喉元を断ち切られたのだということは、痛みよりも首から吹き出した暖かい血の噴水で理解した。

 音を立てて地面に倒れ、なんとなく見上げた発症者の背中には二つの穴が開いていて、そこからもまるでポンプのように血が吹き出していて……。


「……おる、透、大丈夫?」


 体を揺さぶられて、意識は覚醒する。

 透が真っ先にしたのは首筋に手を当てて傷を確認することだった。

 大丈夫。

 首は繋がっている。

 斬られてなんていない。

 徐々に夢と現実の区別がつき始める、と、同時に目の前にいる少女の顔に気がついた。


「……美禽?」


 まだ中学生になったばかりのこの臨時隊員は初めてできた年の近い、それも同じ臨時隊員である透にすっかり懐いてしまっていた。

 その少女が心配そうに透の顔を覗き込んでいる。


「凄くうなされてたよ」


「そう……みたいだなあ」


 他人事のように呟いてしまったが、実際寝巻きも布団も寝汗でぐっしょりと湿っていた。


「どうしてここに?」


 当然の疑問をぶつけてみると、美禽はちょっと困った顔になった。


「みんな、透がまだ中学生だってこと忘れてると思って。ほら、ボクが結構平気なタイプだから、それで勘違いしちゃってるのかも知れないけど、透、人に向けて撃ったの今日が初めてだったでしょ……」


 ああ、と、透は美禽が言いたいことを理解した。つまり美禽は透が人を撃ったことでショックを受けてないかと心配してくれたわけだ。


「だい――」


 大丈夫だよ。と言いかけて言葉に詰まった。

 明らかに自分の状態は大丈夫とは言い難いものだったからだ。

 少なくともうなされているところを見られたのでは何を言っても説得力がないだろう。


「無理しなくていいよ。ほら汗びっしょりだ」


 美禽はくすくす笑って透の胸元、肩、背中に触れる。

 これではどっちが年上か分からない。


「ささ、着替えて着替えて、なんなら手伝おうか?」


「い、いいよっ」


「はいはい」


 その場で美禽がくるりを背中を向ける。

 ということは部屋を出て行く気はないらしい。

 恥ずかしがることがなんだが恥ずかしいような気がして、透は何度も美禽の方を振り向きながら着替えを終えた。


「着替え終わったよ」


 そう声をかけると振り返った美禽の眉がぐいっと持ち上がった。


「どうして寝巻きに着替えなおしてるのよ。ボクが普段着で来た意味分かってる?」


 ずんずんと歩いてきて勝手にタンスを漁ると適当に服を選んで投げて寄越す。


「はい。さっさと着替える」


 今度は振り返る素振りすらない。


「えっと、あっち向いて?」


「ボクの手で着替えさせられたくなかったら今すぐ着替えなさい」


 もちろん透は自分で着替えた。

 別にほんのすこし下着姿を年下の女の子に見られるだけだ。

 気にならない。と思ってはみたものの、どうにも自分のほうが立場が下で気になって仕方がない。

 できるだけ素早く着替え終わると美禽は満足そうに頷いた。


「よし、いこ」


 にっこりと笑って右手が差し出される。

 透がぽかーんとその手を見つめていると、美禽は自分から透の左手を掴んで引っ張った。


「え、ちょっとまって、どこへ?」


「いいとこ」


 それだけ言って美禽は透を引っ張っていく。

 そういえば、と、透は思う。

 半年前、京子に拾われたときもそうだった。

 もしかすると自分は女性に引っ張られていく性質なのかもしれない。

 それはなんだか不本意だったが、こうして年下の女の子に手を引かれて、そんなに悪い気がしないのもまた事実なのだった。


「はい、とうちゃくー」


 美禽が透を引っ張ってきた先は、それほど大した場所ではなかった。特捜本部の屋上だ。

 まあ確かに周りの建物よりも一回り高いこの建物からの眺めは絶景であると言えない事もない。


「あっちは相変わらず電力無駄にしてるねー」


 美禽が指差す先を見てみれば、無数の電灯とサーチライトに照らされた絶対境界線があった。

 昼間なら見えない距離なのに、暗闇の中で煌々と照らされた光がその存在を強く主張している。


「ね、愉快だと思わない?」


「なにが?」


「外の人たちはボクたちのことを恐れてる。だから壁に近づいたりしたら撃ち殺されちゃう。ね、殺せるのになにが怖いんだろうね」


 美禽はスタスタと屋上を端の方に向かう。

 フェンスの無いここで足を滑らせれば真っ逆さまだ。


「いずれ殺せない発症者が出てくるのが怖いんじゃないか?」


 それはひとつの事実だ。

 だから噂だが絶対境界線にはBC(生物・科学)兵器が用意されてるという話もある。

 発症者の能力は視界内に限定される。

 もしくは視覚を拡張するに留まる。

 だからBC兵器の前には太刀打ちできない。

 それは何らかの例外がでない限り、間違いのないことだった。


「違うよ」


 美禽はぴょんと屋上の端に立つ。


「透、こっちおいで」


「危ないよ……」


「だいじょうぶだよ」


 美禽の赤く染まった瞳がじっと透の目を見つめ、右手を差し出す。

 それを掴んでいればとにかく美禽が落ちることもないだろうと、透は恐る恐る美禽の手を取った。

 次の瞬間美禽がその手を強く引いた。


「――!!」


 バランスを崩した透の体がそのまま屋上の端から飛び出す。

 それでも思わず右足がバランスを取ろうと空を――踏んだ。

 踏んだのだ。

 ――空を。


「手、離さないように気をつけて」


 気がつけば美禽の手は痛いほどに透の手を握っていた。


「ボクに属してるものにしか影響が及ばないから、離れたら落ちるよ」


 その時初めて透は自分が美禽の能力を知らないでいたことに気がついた。


「ボクは<垣根無き者>。さあ、夜空の散歩にでかけよう」


「それが、美禽の能力?」


「そう、秘密だよ。表向き高く跳べる能力ってことになってるからね」


 痛いほどに手を掴まれながら、ビル群の上を歩いていく。

 飛ぶのとは違う、ただ歩くだけだ。

 だから思ったように体は前に進まず、透は常に足元が気になって仕方が無かった。


「どうして?」


「分からない?」


 心底可笑しそうに美禽は笑う。


「ボクはこのまま歩いてどこにだっていけるんだよ」


「あ……」


 煉瓦台の外へ。

 それは透にしてみれば考えたこともないことだった。

 生まれたときから世界は煉瓦台しかなかったし、発症し京子に拾われて特機のメンバーになってからも、世界の見え方が変わっただけで、やはり世界は煉瓦台で全てだった。

 外部、つまり煉瓦台以外の世界のことなど考えてみたこともない。

 それは絶対的な禁忌で、破ろうなんて思いもしない類のものだった。

 透は思わず美禽の顔を見た。

 美禽はいつもと変わらない笑みを浮かべていて、でも透にはもうそれが前と同じ笑顔だなんて絶対に思えない。

 透の使命はふたつ。煉瓦台の治安を守ること。そして煉瓦台から誰も外に出さないことだ。

 そのひとつを易々と破ることのできる少女が目の前にいる。

 同じ任務を帯びて。

 透には何故美禽が平然とここにいることができるのか分からなかった。

 もしも自分が同じ立場であったのなら、周りが恐ろしく思えて仕方なかっただろう。

 自分にその気がなくとも、それができるというだけで人は恐れる。

 その象徴こそがまさしくあの絶対境界線ではないか。


「心配してくれるんだね。ありがと」


 透の顔を覗き込んで美禽は笑う。


「でもボクの苦しみまで透が感じることはないよ。だってボクには透の苦しみが分からない」


 足元が急な傾斜に変わり、二人は一歩ごとにさらに上空へと押し上げられていく。


「どう、夜空は?」


 気がつけば足元のビルは小さくなり、人工の光が瞬いている。

 一面に広がる闇と光。


「凄い……。こんな言葉しか出てこない自分が情けなるくらいに凄い」


「喜んでもらえてよかった。ボクには見えないからね」


「え……?」


「ボクの能力の代償ってところかな。活性化してる間は自分の足より下の世界って落下しないと見えない。流石にこの高さから落ちるのはぞっとしないね」


「それじゃ俺のためだけに?」


「うーん、そうでもないかな。透のことが心配だったから、こうすることで透の気持ちが楽になればボクも楽になるって寸法。分かる?」


「分かる、けど、それってさっき言ったことと矛盾してない?」


「してない。ボクは別に透の苦しさを分かろうとしてるんじゃないよ。ただ苦しんでて欲しくないだけ」


「それは、俺も同じだよ」


 美禽の顔に笑みがこぼれる。


「そう思ってくれてることが何よりだよ」


 注意深く美禽は透の腕に腕を絡める。一瞬でも手が離れれば透だけが真っ逆さまだ。


「そろそろ降りようか。体冷えちゃうね」


「そうだね」


 透は最後に世界をその瞳に映す。

 美禽には見えない世界。

 光と闇。

 そして地平。

 そして気づく。

 絶対境界線のずっと向こう側にも足元と同じように光の海が広がっていることに。

 それは初めて見る外部の世界が存在する証だった。

 透の過去と、美禽の能力紹介でした。

 彼女の能力は管理自治機構に知られれば封印隔離される程のものです。

 封印隔離されるとはどういうことかはいずれ出てきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ