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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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空は続くとも郷は遠く -18-

 2019年10月8日。

 新市街を煉瓦台記念病院に向けて歩いていた信行は自分の目を疑わなくてはならなかった。

 大災害前の町並みを補修して使っている旧市街とは違い、新市街は新たに建設されたこの町の中心部であり、そこに限ればその景観は現代の外部世界となんら変わりはない。

 だが今日はそこにぽっかりと<穴>が空いていた。

 それは文字通り<穴>だった。

 ビルの壁面にぽっかりと穴が開いている。

 覗き込んでみるとその穴はビルの向こう側まで通じていて、道路を削り、逆側のビルにも届いていた。


「ああ、<かくも脆き>だね。それは。昨日の事件だよ」


 研究所で手の空いてそうな人を見つけて<穴>のことを訊ねるとそういう答えが返ってきた。

 発症して精神錯乱した誰かが町を壊しながら管理自治機構本部に一直線で向かっていったのだという。


「情報を見る限りだと、単純な物理破壊能力という意味では<掴む手>にも負けないな」


 掴む手という言葉に思わず体が反応してしまう。


「影響範囲こそ狭いけど、<かくも脆き>は異様なほどに致命的だ。僕は特捜はかなり上手くやったと思うね」


「でも確か<掴む手>はもっと死者を出しましたよね……」


「ああ、そうだね。でもあのときは<瞳>も無かったし、特捜も今ほど組織化されていなかったんだよ。今の特捜なら<掴む手>でもほとんど犠牲者を出さずに済むんじゃないかな」


「……それは心強いですね」


「そうあってもらわなくちゃ困るからね」


 まったくもってその通りだった。

 この町で普通に生活している人からすれば発症者は一種の災害のようなものなのだろう。

 政府がうまく対処してくれるに越したことはない。

 だが彼らはそれが自分に向けられる可能性については考えないのだろうか?

 自分のデスクに座って昨日から置きっぱなしになっている資料をぱらぱらをめくってみる。

 言うまでもなく煉瓦台市にいるすべての人は感染している。

 つまりは発症者予備軍なのだ。

 いつ自分自身が発症するとも知れない。

 それなのに発症者に対するこの町の態度はあまりにも冷酷だ。

 そこまで考えて信行はふと気が付いた。

 ではなぜ生活の中に発症者が溶け込んでいるのだろう。

 黒崎静は発症者には人権が無いと断言した。

 にも関わらず彼女の元には賀田文という発症者がいる。

 彼女や他の発症者はなぜ現状に甘んじているのだろう?

 もちろん特捜というのが相当に強力な治安維持組織であるのは、これまで聞いた話から想像がついた。

 しかし発症者たちの能力もまた非常に強力なものだ。

 彼らが手を取り合い協力しあえばもっとマシな生活を勝ち取れるのではないか?

 いや、勝ち取らなくてはならないのだ。

 そうしなければいつまで経っても発症者は正しい権利を得られない。

 そうである限り美咲はずっと逃げ隠れて生きていくしかないのだ。

 だが発症者たちが決起するためには団結が必要で、それがとても難しいことだった。

 この町の人々は基本的に自分の利益を最優先する。

 それ自体は当然のことだが、外から来た信行にしてみれば、中の世界のバランスは完全に崩壊している。

 つまり個人の利益に対して他人の存在があまりにも希薄なのである。

 これでは一斉決起は望めない。

 なぜなら逃げ隠れている発症者に表に出ろというのはつまり死ねと言っているのと同じことだからだ。

 少なくとも少数の集団になって逃げ隠れできている以上、全体で発症者たちが団結することはないだろう。


「賀田さんはどう思ってるんですか? つまり、ここでの発症者の扱いについて――」


「うぅーん、なにか問題でもありますかぁ?」


 賀田文はペンを手のひらで器用にくるくると回しているかと思うと、さらさらと図面を引いていく。

 迷い無く回路図が描かれていく様はそれ自体が一種の芸術じみていた。


「つまりその、不当な扱いを受けているとか感じたことはないです?」


「別にそんなことはないですねぇ。あ、強いて言えば」


「強いて言えば?」


「すぐ休めって言われるんですよぉ。私はもっとお仕事したいのに」


「そうですか……。公務員ですもんね」


「残業ダメ、持ち帰りダメって横暴だと思いません?」


「静さんは残業してるって感じですけど」


「あの人は特別ですからねぇ。なんだったかなぁ。役職名がすんごい長いんですよ。とても呼べたものじゃないんでみんな主任としか言いませんけど~、本当はどこにも主任なんて入ってないんですよねぇ」


「ふぅん、そうなんだ……」


 本人のどこかいい加減で気の抜けた雰囲気に惑わされがちだが、黒崎静がこの研究所の中でも一種独特の立場にいるのは明白だった。

 本当なら大学に行くはずだった信行がこの研究所に出入りできているのも、黒崎静の補佐役という名目を与えられているからだ。

 彼女には独断でそうするだけの力があるということである。


「う~ん、これはボツ」


 書きあがった図面を賀田文がぽいと投げ捨てた。

 B2ほどの大きさの用紙にびっしりと描かれた回路図は、素人目にはなにがいけなかったのか分からない。


「これ<瞳>ですよね」


「そうですねぇ」


「すべての柱が相互に繋がってるんですね」


「えぇ。<識連結>には物理的接触点があるかないかでその強度がまったく違ってくるんですよぉ。今は一対一で連結してますけどぉ、静さんは最終的に50すべてを相互連結させたいって言うもんだから、<瞳>そのものの設計を見直しですよぉ」


「50!?」


「えぇ、50ですよ? 白瀬さんも見たでしょ~。<瞳>には50本の柱が用意されてるじゃないですか。あれは元々内側を50のエリアに分割して、それぞれを1本の柱に担当させる予定だったんですよねぇ。実際はまあ、視覚拡張系の発症者が全然足りなくて断念されましたけど」


「つまりまだ30人もあの中に閉じ込める」


「29人ですよぉ。まーあと38人と言ってもいいかもしれません。今のところ柱の中にいるのは12人ですし~。けど分析系の発症者はわりと数が多いんで、空いてるところは全部埋めるつもりなのかもですねぇ」


「なんでそんな平気に言えるんですかっ!」


 思わず激昂して信行は叫んだ。


「ふぇ? な、なんですか?」


「あなたは! あなたは! あなた自身が閉じ込められるかもしれないのに!」


 ぴたりと図面を引いていた賀田文の手が止まった。

 ずっと机に向いていた彼女が今日初めて振り返って信行を見た。

 真っ赤な瞳には信行はどう映っているのだろうか。

 人間もひとつの回路図にしか見えないのだろうか?

 そして賀田文はにこりと笑った。


「静さんがやるのなら、それが必要なことなんですよ~」




 賀田文という女性から絶対的な信頼を受ける黒崎静は、目の下にクマを作って机に突っ伏していた。

 昨日の朝にも見た光景だ。


「昨日はすみませんでした」


「あ~、いいのよ。いいのよ。恋人いるんだったら取り乱すよねえ。言い方まずったなと反省してるわ。なんでもかんでもおもしろおかしくしちゃうのが悪い癖なのよ」


 黒崎静は苦笑いを浮かべ、ひらひらと手を振った。


「昨日の話、誰かから聞いたかしら?」


「はい。大変だったらしいですね」


「まぁね。2日目組が半分以上巻き込まれたもんだから、本部がもうてんやわんやの大騒ぎでね。君のとこじゃなくて良かったわね」


「2日目組……、半分以上……」


「そ、大規模外部感染の2日目に収容された24名中、20名が死亡。ああ、発症者も含めた数ね。80人もいたのにもう25%を失うなんて、ホント困ったわぁ――」


 まるで心臓をどこかに落としてしまったかのようだった。

 さぁと全身の熱が引いて、膝から崩れ落ちそうになるのをなんとかこらえた。

 紙一重だった。間違いなく。

 もし美咲の能力があのアパートで発現していたら、ほぼ同様のことが起きたに違いない。

 いや、それだけではなく、実際に起きたのだ。

 信行と同じように外の世界から連れてこられた人々が、何も分からないまま能力の発現に巻き込まれて死んだ……。

 信行が今無事にここにいるのはたった1日、たった1日収容された日が違ったからに過ぎない。


「死んだ発症者の解剖で寝てないのよ。だから今は寝させて、お願いだから――」


 言い終わる前に静はがくりと頭を垂れて、すぅすぅと寝息を立て始めた。

 その寝顔は何も知らぬ無垢な童女にすら見えた。

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