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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
29/90

空は続くとも郷は遠く -8-

 2019年9月24日。

 信行が目覚めて最初に感じたことは人の温もりのある目覚めの良さであった。

 腕の中の美咲はこの状況下で安心しきっているのか弛緩しきっている。

 とりあえずさして急いですべきこともなく、信行は布団のわきにおいておいた腕時計を引き寄せる。

 時間はまだ早く、どうやら窓から射す朝日の光で目が覚めてしまったらしい。

 部屋の中は意外に生活感があった。

 どうやら以前は普通に人が暮らしていたが、なんらかの理由で家具もそのままに退去しなくてはならなかったらしい。

 いや、もしそうでなかったとしてもこの街でなら家具くらいは比較的簡単に手に入りそうだった。

 もちろん程度の問題こそあるだろうが……。

 昨日、灯りもない輸送車両のコンテナから開放されて信行らの目に飛び込んできた街の様子は散々なものだった。

 町並みそのものは田舎ながらも近代化されている八坂と大した違いはない。

 ただ荒れ果てていた。

 誰しもの口からため息が漏れた。

 人気が無いわけではなかったが、圧倒的に生気が希薄なのである。

 その理由に彼らはすぐに気づく。

 彼らを運んできた輸送車両以外に走っている車、バイクなどが一切存在しないのである。

 その後案内人から決められた部屋割りにしたがって、このアパートの中に押し込められ、そして彼らは放置された。

 無論完全な放置ではない。

 食料の配給券は与えられたし、それに加えこのアパートにおいて賃金や光熱費は一切無料であるという、つまり最低限の生活をする保障は与えられた。

 だがそれ以外の一切は与えられなかった。

 理由についての説明もあった。

 八坂の状況が落ち着くまではこの煉瓦台を統治する管理自治機構とやらも動くに動けない。

 この後何人の新規感染者が発見されるとも知れず、“壁”はその選別に手一杯になっている。

 なるほど、すでに選別済みのものはとりあえず生かしておけばいい、というところらしい。


「……何考えてるん?」


「分かってるんじゃないんか?」


「……じっとなんてしてられへんのやね……」


「うん」


「……私も行く」


 美咲がのそりと起き上がる。

 信行は時々思う。

 美咲は重力に囚われていないんじゃないかと。

 しかし美咲の髪の毛はさらさらと重力に負けて流れる。


「行くとしたら役所、いや管理自治機構か」


 その所在は聞いていた。

 問題はそこにどうやって行くかだが、結局は歩いていくしかないのだろう。

 後は迷わないことを祈るだけだ。


「……い、が足りへんな……」


「い?」


「衣食住の衣」


 確かに食は配給券と交換で手に入れられるという説明だった。

 住環境は申し分がない。

 だがしかし衣服に関しては何の説明も受けていない。

 確かに洗濯はできるだろう。

 蛇口をひねれば水が出ることは分かっている。

 それにしたって着の身着のまま放り込まれて、着替えがない。


「タンスを漁るしかないか……」


 昨日まで着ていた服はまとめて部屋の隅に投げ捨ててある。

 数日着たそれに今更袖を通す気にはなれない。


「昨晩洗っとくんやったなぁ……」


 後悔しても仕方が無い。

 信行と美咲はそれぞれに家の中を物色して回ることにする。

 結果分かったことはこの部屋には男物の服しかないということだった。

 どうやら男性が一人暮らししていたらしく、室内の様子からするとそれなりに裕福な人であったようだ。

 幸いサイズも信行と大差なかったようで、おかげで信行はそれなりの服装をそろえることができた。

 問題は美咲である。

 この状況下であるから男物の服を着るのは仕方ないにしても、サイズが大きすぎた。


「っても選択肢がないな」


「まぁね」


 美咲自身は意識するでもなく、信行の見つけた衣装ダンスから服を着込んで余った部分を縛り上げる。


「……これでいい」


 いくらか不恰好なのは仕方が無い。

 贅沢を言ってられる時ではないのだ。


「飯もくわなあかんし、かと言ってこれをどう使っていいのかもわからへんしな」


 信行は配給券をポケットに押し込んで、美咲とともにアパートを後にした。




 日が変わって改めて見る町並みは少し異様さが薄れていた。

 昨日の感じ方が間違っていたのか、それとももう慣れて来てしまったのか。

 信行には判断がつかない。

 とにかく分かることは、市街地にあるはずの管理自治機構に向かうことだけだ。

 高いビルが集中したエリアは遠目にもはっきりと分かる。

 しかし見えるとは言ってもその距離は相当なもので、ビル群がはっきりと見えるころには日は完全に昇りきっていた。

 これからまた歩いて帰ることを考えるとあまり長居もしていられない。


「しかし、案外人がいるもんやな」


 中心部にたどり着いて見れば、車の行き来こそないものの、行きかう人は決して少なくない。

 営業している店もあったし、どうやら日本円が通用することも判明した。

 もっとも信行の財布に入っている紙幣や通貨がそのまま使えるかはその限りではないのだろうが。


「ちょっと安心したわ」


「……不安があったん?」


 美咲は真顔だった。

 そりゃそうだ。

 彼女はいつだって本気だ。

 信行は肯定せずに美咲の頭を撫でた。

 管理自治機構の特徴的な建物はすぐに見分けがついた。

 通りからも見やすい位置に建っていて、その見た目から大災害後に建てられたものであることは一目で分かる。

 それくらいその他の建物とくらべ異彩を放っていた。


「なんであんな形なんやろ?」


「物事になんでも意味があるとは限らへんのとちがう?」


「まあ、確かに。けどだったら他の建物と同じでええやん」


「……それかもね」


「え? どういうこと?」


「他の建物と同じではいけなかったんやない? 違うことに意味があるってこと」


「ああ、なるほど」


 尤もどんなに信行と美咲が話し合ったところでそれは単なる移動中の暇つぶしのようなものにすぎない。

 本当の意図など分かるはずもないし、知りたいとも思わなかった。

 管理自治機構は行政府であると同時に市役所としての機能も持ち合わせているらしい。

 どちらかというと見慣れた感のある窓口等が並んでいて、やはりたらいまわしにされているらしい人々の姿が見えた。

 建物内の案内を見るに、そういった役所的な機能は1、2階に集中している。1フロアの広さを考えればそれで十分なのだろう。

 信行と美咲は最初にどうするべきか迷う前に、その辺の総合案内をしている職員らしき人を捕まえて聞くことにした。


「すみません……」


 50か60あたりに見えたその男性は信行らの素性を聞くと憐憫か同情かを湛えた表情になる。

 もしかすると郷愁かも知れない。

 この人の年齢ならば大災害の時にもまだ働き盛りで元の世界の記憶というのもはっきり残っていることだろう。


「それで今日は何を?」


「具体的に何をすればいいかを、です」


「学校、仕事……」


「ああ、そうか、そうだね。君たちはもうそんなことを考えているのか……。他の人にも見習ってもらいたいもんだ……。あそこを見てごらん」


 案内係の男が指差した先には、ある窓口にすがりつく男の姿が見えた。

 よれよれのスーツ姿の男には見覚えがある。

 昨日運び込まれた31人の一人だ。


「家族に会わせてくれ、せめて連絡を取らせてくれ、と、昨晩からあの様子だ。気持ちは分かる。気持ちは分かるがね……」


「どうしようもないことは理解しています。ただ以前気になっていたこともあるんです」


「なんだい?」


「この街が徹底して隔離されているのはウイルスのせいでしょ? だけどそれが通信を断絶する理由にはならないと思います。昨日からずっと感じてた違和感のひとつに気づきました。この街にはテレビやラジオのようなメディアも存在しないですよね」


「通信規制法があるからね。この煉瓦台では個人や企業が何らかの信号を外部に漏れる可能性のある形で使用することは禁じられているんだ」


「それはなぜ?」


「そのうち分かるよ。そのうち嫌でも分かる。この街がこうした見た目上だけでも平和を保っていられるのはそうした絶対的な秘密主義のおかげなんだよ。これはどちらかというと政治的な話になるから、君たちがそれを興味深く聞いてくれるかは分からないがね」


「――政治的?」


 信行の中になにかピンとくるものがあった。


「そういえば赤目症の研究は煉瓦台内部と“壁”以外では行われていませんね。以前にCDCやUSAMRIIDから猛烈な要請があったにも関わらず、輸送手段が無いことを理由にウィルスの運び出しをさせなかった経緯があります。結局、各国の研究者を“壁”に招いて基礎研究のお披露目はしたようですが、そのときも結局ウィルスに触れさせることさえしなかった」


「残念ながら……」


 男性は頭を振る。


「そういった情勢は内側には入ってこんよ。外は外、内は内、別の世界だと割り切るほうがいい。私は外のことなど知らないし、君たちも忘れるんだ。それがコツさ」


 それから信行と美咲は男性に教えてもらった通りに一通りのここでできる手続きをすませることにした。

 とはいってもほとんどの手続きは済んでおり、信行らが決めたことは彼らが就学を続行することであった。

 どうやらこの煉瓦台では学生には手厚い保護が定められており、そうすることで何かと便利そうであったからでもある。

 信行は大学へ、美咲は高校へ編入することになり、それらの連絡は後日学校のほうから連絡があるらしい。

 まあ間違っても電話以外で、だ。

 衣服を手に入れる手段についてはいくつかの手段が提供された。

 現金を使うこと、物々交換すること、自分で作ること、そして誰の物でもない衣服を奪うことだ。

 どうやらこの街では大量の家財他が余っている状況であり、それを集めたところで邪魔なるだけなので、結果的に放置されているらしい。

 そういったものの再利用は推奨されこそすれ、罰されることはないのだという。

 物資に限りのあるこの街ならではのルールだと言えるだろう。

 それから管理自治機構を後にした二人は空腹を満たすためにどこでにもありそうなファミレスに入って、適当なセットメニューを注文した。

 出てきた食事の味は元の世界と大差がなくて、ああ、どちらも冷凍なんだな、とそんなことを信行は考えた。

 外は外、内は内。だけど確かにつながってるのだ。

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