地は途絶えしも其は近く -12-
背中からエレベーターの内壁に叩きつけられる。
折れた肋が鈍く深い痛みを訴えた。
狭くないエレベーターの室内で、透が狂ったようにエレベーターのボタンを押している。
京子はというと、もはや立つ力も残っておらずそのまま壁にもたれかかるように倒れこむ。
扉はすぐさま閉まり、今の京子には十分にきついGをもたらして上昇を開始した。
「――うして、……ちゃすぎる!」
透が何か言ってるのだが、京子にはそれが聞き取れない。
どうやら透はなにやら気持ちばかりが先行して、それがどうしても言葉に追いついていないようだ。
「トール、落ち着いて……」
それだけの声を出すのが酷く辛かった。整理すべき事柄が多すぎて、何から聞くべきか迷う。最優先事項は――。
「行方不明者の手がかりは掴めたの?」
息が切れる。
正直なところ、ベッドを抜け出すだけで一苦労だったのだ。
それに加え、能力の使用で極端に体力が削られている。
意識を正常に保つのに精神力の大半を使い果たしていて、今の自分に正常な判断力は残っていないだろうと京子は結論する。
だがそれでもそれが最優先事項で間違いないはずだった。
他の二つも、それさえ無ければ十分に最優先事項だったはずではあるのだが……。
「……四名中二名はさっきの連中が確保したようです。残り二名の内、一名はエリアC21です」
「確証は、あるの?」
「……証拠はありません。しかし状況的に嘘は無いと俺は判断します」
「そう……信じるわ」
色々考えることがあったが一旦保留。
エリアC21ならば絶対境界線のあるエリアとは言え、さほど離れているわけでもない。
どちらにせよその問題はここから出なくては手の打ちようがあるまい。
「なら」
次優先事項。
「白峰風がいたわね……」
「はい。ヤツは一体なんなんですか?」
エレベーターの壁にもたれながら見上げた透の瞳は本気でその質問を問うていた。
ああ、そうかと京子は納得する。
ここ数年、彼らとの表立った抗争はひとつもない。
トールや、美禽のようにこの数年で特捜入りしたメンバーが彼らのことを知らないのも無理はない。
しかしそれでもつまりは、
「特捜も平和ボケしてるってことね……。彼らは観堂寺、この煉瓦台では管理自治機構と対を成す自治組織と言える。コミュニティのように管理下に置かれた自治集団ではなく、管理自治機構から完全に独立してる。数年前まで彼らは管理自治機構の根幹を破壊するのを目的として様々なテロ活動を行った。対抗して私たちも観堂寺に戦力を送り込んだけど、結局は双方の消耗戦の末、消極的な停戦になって今に至ってる。現在外部からの支援無しに活動できる唯一の組織でしょうね……」
一々観堂寺のことを説明しなくてはならないとは、特捜の質も下がったものだと京子は思う。
しかしまあ、トールの場合は若い。
仕方ない部分も多々あるだろう。
「外部からの、支援、なし……。食料や水は?」
「彼らの支配区域は煉瓦台の北東部全域。元々農地が主で、贅沢を言わなければ十分に自給が可能なのよ。もちろん十三万を養うことは無理。けれど彼らの身内の分と闇ルートに流すくらいの収穫量はある。武装はほとんどが略奪によって得たものでしょう。鉱山を掘って鉱石から自給してるとは流石に思いたくないわね」
「それで、か……」
思案気に呟く透を見て、京子は小さな不安に駆られる。
座って休んだことで体はかなり楽になっていた。
少し声を大きくする。
「何を言われたかは知らないけど、今は忘れなさい。私たちにとっては明確な“敵”よ」
「はい」
透が素直に頷いたので、京子はその問題も後回しにすることにした。
とにかく考えることが多すぎて、京子の処理能力は極端に下がっていたのだ。
「それで……、練子は彼らに捕らえられたのね?」
「……はい……」
「そう、とりあえず出口を押さえておけば、逃げられないでしょう。脱出の条件として練子の身柄というのは妥当なところね。その辺でなんとか手を打ちましょう」
そして最終優先事項。
「トール、貴方、さっき自分が何をやったか理解してる?」
それは優先順位が低かったから最後に回されたのではなく、ただ、訊くのが怖かったのだと京子は思う。
透も表情を歪める。
どうやら自分でも思うところがあったらしい。
「わか、りません。なにか、おかしなことになったのだけは分かるんですけど……」
「そう、ね……」
京子にもそれは説明をつけ難かった。
安易な言葉で表現することは簡単だ。
透は瞬間移動した。
京子もその瞬間は見ていた。
風たちの傍にいたはずの透が、瞬きもしなかったのに京子の傍に居て、その体を抱え、跳んだ。
そのときには京子の意識はすでに別の場所にあって、その後の観測ははっきりしない。
しかしその後も透は京子の視界の中に突如現れ、突如消えることを繰り返した。
視覚拡張だと思われた能力が実は物理干渉であった、ということは例がないわけではない。
物理干渉の結果が視覚拡張に繋がったというケースである。
だがそれも視覚拡張分類系だ。透のように、視覚拡張視界延長、つまり<瞳>が物理干渉だったというケースは一度もない。
だが現実に透は瞬間移動した。
若しくはそれに類するような能力を発現した。
「どんな感じだったか言える?」
「それは……」
透が首を捻る。それからじっと自分の手を見つめた。
「視覚を飛ばしてるとき、肉体の感覚ってそのままなんですよね。だから引き金を引けるんですけど……、さっきはなんというか、京子さんのことで頭が一杯で、必死に手を伸ばしたら――」
「そう――」
つまり本来視覚のみが拡張されるべき能力が、意識的か、無意識的か、肉体感覚もそちらにあわせて乖離したのだ。
その瞬間、透は瞬間移動した、又は現実がそれに合わせて再構築された。
「待ってよ、それって……」
至った考えに京子は息を呑む。
京子は知っている。
意識的に現実の方を再構成させる能力者を。
透も知っているはずだ。
知らないわけがない。
まだ会ったばかりだ。
つまり――沢渡練子――因果干渉系能力者。
封印隔離されるべき能力――。
「そんなわけ――」
ないとは思う。
実際、これはただの推測だ。
データの足りない、思考ゲームのようなものだ。
煉瓦台十三万人に、およそ千人に一人の発症者。
どんぶり勘定で百三十人の能力者がいるとして、今のところ確認されている因果干渉系能力者は沢渡練子ただ一人だ。
そしてその二人目までもが京子と縁の深い人物だということはありうるだろうか。
「…………」
京子は深くため息をつく。
吐かざるを得ない。
十分にありうることだ。
京子は能力者が推定百三十人いるとするならば、その半分くらいは知っている。
死んだ、殺した分も含めての話であるが、その中には単一の能力を発現したものも少なくない。
そして半分を知っているなら、二人目が知り合いである確率は二分の一だ。
「……まあ、いいわ」
なんにせよデータが揃うまでは何も言えない。
杞憂である可能性のほうがずっと高い。
どちらにせよ今のところは美禽に続いて、能力を正確に報告できない部下が一人増えたというだけのことだ。
透が特捜に反旗を翻すような兆候は何一つないのだから何も問題はない。
「今は次にすべきことを考えましょう」
「行方不明者の追跡じゃないですか?」
「それもひとつね。トール、貴方も座りなさい」
京子は透を促して、自分の隣に座らせる。
「貴方も知っている通り、封印隔離区域の出入り口はこのエレベーターだけよ。いいえ、だけのはずだった……」
京子は思い直す。
そうだ、煉瓦台記念病院の警備体制に問題はなかったはずだ。
だから風たち、観堂寺の侵入経路は必ず他にあるということになる。
そして理由は分からないが、彼らは当初こちらのエレベーターを脱出に使うはずだった。
考えられる理由としては、その侵入経路が侵入にしか使えないようなものだったというところだ。
どちらにせよ、こうして京子たちがエレベーターを使い、このエレベーターを降ろさなければ必然的に彼らはその“抜け道”を脱出に使うなり、使おうとせざるを得ないだろう。
そしてそれを使いさえすれば、たとえこの場は逃がしたとしても割れ物の能力で跡は追える。
穴は防げる。
そちらのほうが重要だ。
だがしかし、沢渡練子の身柄もそれと同じくらいに重要には違いない。
かと言って、ここで風たちを殲滅するために戦力を送り込んだとする。
殲滅に成功したとしても、正面から堂々と逃げられたにせよ、“抜け道”は使われないだろう。
そうすると連中はまたしても堂々と封印隔離区域に忍び込むことになる。
どうするべきか。
――いや、違う。
「トール、携帯は使える?」
まず考えるべきはそれではなく、特捜は封印隔離区域の出入り口はここしかないという前提のもとに行動するだろうということだ。
「ダメです。ここは無線は封じられてますから……」
「そうね……」
1課と3課は2課から情報を得て行動しているだろう。
京子自身がそうであったように、だ。
そうすれば今頃は突入準備をしているか、すでにそれを終えて研究室に待機しているだろう。
そこに封印隔離区域からエレベーターがあがってくる。
2課からはそれについて連絡はない。特捜はどう考える?
「トール、両手をあげておきなさい。腰もあげずにじっとしてなさいよ」
透は京子の言葉に素直に従う。
京子自身の腕は持ち上がらなかったし、持ち上げる気力すら湧きそうになかった。
尻の下に響く音がしてエレベーターが止まる。
心の準備ができるより早く扉が開く。
――光!
「――撃つな!」
突如としてエレベーター内に、その外側の緊張がなだれ込む。
主にそれは眩しさという形で京子と透に覆いかぶさった。
「御剣! 御剣じゃないか。それに3課のボーヤか。撃っちまうとこだったぞ。どうした、何があった。なにをしてたんだ」
見覚えのある声に、ほっとする。一先ず命拾いはしたらしい。
「野暮用よ。消して、ライトを消してくれる? 照り焼きになっちゃうわ」
強烈な光はすぐに消えたが、しばらく視界にちらちらと残光が残る。
強烈な志向性の高い光を浴びせるライト、1課の秘密兵器というわけか。
確かに物理干渉系の発症者には有効だろう。
3課に対しても秘密にしていたのは恐らく3課を仮想敵としているからに違いない。
演習かなにかでお披露目するつもりだったのだろうと京子は結論する。
「トール!」
銃を構えた1課隊員の間から小さい影が飛び出してきて、透に飛びついた。
「良かった、無事だったんだね!」
美禽に首根っこに飛びつかれて、透は眼を白黒させる。
一方京子は実崎の手を借りて立ち上がる。
それすら辛かった。
「病室まで送っていこう。後は俺が引き継ぐ」
「そう、ね。その間に状況説明と、すべきことについて話すわ。だけど、その前にトール、尻軽、……水瀬、今ここにいる私の部下はこれで全部?」
1課の後ろに控えていた水瀬が頷く。
「分かった。二人はトールの指示に従って、行方不明になった外部感染者を追いなさい」
最後の力を振り絞る。
「今すぐに!」
弾かれるようにトールが立ち上がる。
美禽はその首根っこにぶら下がる形になったが、すぐにその手を離してちゃんと床に降りた。
「いいわね。絶対に外部に逃がすんじゃないわよ。行きなさい!」
「了解!」
三人が駆け出す。それを見送りながら実崎が眉をしかめる。
「例の行方不明者か?」
「ええ……」
「なにかやったな……」
「私の手柄じゃないわ……」
京子は唇を噛み締める。
「何か凄くイヤな感じがする。まるで……」
沢渡練子から情報を引き出し、そこから行方不明者の行き先を推測する最初の予定は跡形も残らなかった。
透はおそらく観堂寺との接触なりで行方不明者の行き先の情報を手に入れ、完璧だったはずの封印隔離区域の壁は破られ、絶対境界線もまた破られかけている。
透は明らかに封印隔離指定されるであろう能力を発現し、足元ではあの白峰風がまだ生きている。
「薄氷の上でワルツを踊らされてるような……」
「――踊るかい?」
「遠慮しておくわ。――ケガが治るまではね」
そう京子が言うと、実崎が苦笑する。
「御剣、キミは生傷が絶えないからな。病室までだったな。送っていくよ。途中でアドバイスを聞こう。下のことについて、だ」
「そうね、まずエレベーターは降ろすべきじゃないわ――」
透の能力がパワーアップです。というより本来が瞬間移動する能力で、その移動先確認のための視覚拡張能力だったわけですね。




