地は途絶えしも其は近く -8-
封印隔離区域の扉は閉じられたままだった。
当然だ。
あれほど厳重な警戒網をどうやって潜り抜けるというのだ。
それでも外から敵がやってきた、というイメージを持っていた透はそれが崩れ落ちるのを感じる。
可能性はふたつ。
ひとつは封印隔離されている発症者による反乱。
もうひとつは2課隊員による反乱だ。
そう考えてから透は両方が同時に起きたのと、共謀という二つの可能性をリストに追加する。
どちらにしても入り口にある2課詰め所は無人だった。
本来鍵がかかっていそうな扉は開け放たれていて、2課隊員が慌てて飛び出して行った様子が窺える。
中に入るとまず聞こえてきたのはくぐもった意味を成さない叫び声だった。
思わず銃を構えてそちらに向けるが、それは電源が入りっぱなしの有線式通信機だった。
受信状態で固定されていたそれの通信ボタンを押す。
「こちら3課の深海だ。現在入り口詰め所にいる。誰か状況を説明してくれ」
「――2課、狩谷だ。現在この区域の指令権を引き継いでいる。簡潔に説明するぞ。侵攻ルートは不明だが、外部から来た発症者による攻撃を受けている。目的は不明。自爆装置は不発。隔壁も降りない。規定に従い現在侵入者及び全ての発症者の殲滅を行っている」
「ちょっと待て、俺まで撃たれるんじゃないだろうな」
「――特捜の制服を着ていれば大丈夫だ――と思う。戦況は非常に芳しくない。現在戦場は居住エリアだ。分かるか?」
「いや、ここは初めてで右も左も分からない」
「――入り口の詰め所にいると言ったな。そこに地図があるはずだ。それを見て居住区に急いでくれ。敵の数も勢力も不明だ。複数の発症者なのは間違いない。気をつけろ」
「了解。何か武器はないか? こちらは拳銃が一丁で、予備弾倉もない」
「――詰め所に残って無ければ、この区域の司令部まで来てくれ。場所は地図にある」
「分かった。深海、行動を開始する」
「――狩谷、了解した。通信を聞いていた諸君、援軍だ。気合を入れろ。赤目だからと言って間違えて撃つなよ」
「――了解――」
「――了解した、こちら居住エリアB3、敵発症者の一人と交戦状態。物理干渉型と推測。視界を越えての攻撃はない。繰り返す、居住エリアB3の敵発症者は視界を越えて攻撃してこない」
透は素早く詰め所の中を見回す。
地図は――あった。
壁に貼り付けられている。
入り口から右手に曲がるとずらりと面会室が並ぶ。
その奥は行き止まりだ。
基本的に2課以外の隔離の必要のない誰かがここに来るとなると面会以外にはないので、そう言った用件は全てそちらで済ませられるようになっているらしい。
一方左側からはかなり厳重な警戒網が敷かれている。
こちらが封印隔離区域の本体。
隔離区域ということになるらしい。
「――4班、返事をしろ。4班!」
そちら側からさらに左手に奥に進めば封印隔離区域の司令部がある。
どうやら2課の管轄であるらしいので、そこにはさっきの狩谷などがいるのだろう。
司令部側には向かわずに奥に進むと、まず食料貯蔵庫や、調理場など、地下での生活を支える区域が存在し、その先に医療研究室、運動場、浴室などに枝分かれし、さらにその奥、一度全ての通路が狭められてからその奥に居住区がある。
居住区とは言っても、先ほどの沢渡練子への処遇を見る限りはどちらかというと独房と言った方が近いのかもしれない。
「――7班、催涙ガス弾を持ってD4に向かえ! 敵を居住区から出すな!」
さっと詰め所内を見回すが、武器類はひとつも残っていなかった。
司令部に向かって武器を調達するか、直接援軍に向かうべきか。
「――司令部、白いのが居住区を抜けた。繰り返す。白いのが居住区を抜けた。現在、C9にて交戦中。クソッ、なんなんだアイツは! 7班! 催涙弾はまだか! こっちに頼む! 有視界内に出ると絶対に撃たれる! 畑田がやられた! バケモノめっ!」
透は詰め所を飛び出す。
入り口から見て左に駆け出し、最初の分かれ道で右を選ぶ。
状況から見て、戦場に火器は余っていると判断したからだ。
角を進むたびに銃声は近づいてくる。
角の度に、透は視点を飛ばし、その先を確認する。
詰め所で聞いた通信によれば、居住区を抜けた敵はその視界内に入れば確実に撃たれる様子だったが、透の能力であれば角を覗いて撃たれる心配はない。
能力の乱用というより、スイッチの切り替えを連続して行うことで、頭の芯は痛んだが、そんなことは言っていられなかった。
記憶を頼りにC9、食堂に向かう。
敵が司令部を落とそうと考えているのであれば、使える通路はそれほど多くない。
最短ルートならばこのまま行けば必ず接触する。
できればその前に2課の誰かを見つけたい。
――ドンッ!
腹に響く轟音が聞こえる。
耳が閃光音響弾だと認識する。
発症者相手には非常に有効な武器のひとつだ。
光が届かなかったので、いくつか角を曲がった先で炸裂したのだろう。
音の聞こえてきた方向に角を曲がる。
そしてその次の角に飛び込もうと視点を飛ばした。
まず見えたのは季節外れな白のロングコート。
まだそんなものを着るには時期が早すぎる。
次に見えたのが両手に持たれた無骨な銃器。
左手に見知らぬショートバレルのSMG、右手には大口径のリヴォルバーが握られている。
――白い、敵だ!
「動くな!」
ピタリと男の歩みが止まる。
その額に銃口を突きつける。
実際の肉体がどう動いているのかは分からない。
普通に考えれば、壁越しにコイツの額に銃口が向いているはずだ。
経験則からするとそうなる。
「特捜3課だ。お前からは見えないだろうが、こちらはお前に銃口を向けている。武装を解除し、両手をあげろ」
そうしてようやく視線が男の顔に至る。
――その見知った顔は複雑な笑みを浮かべていた。
「面白いな。似たようなセリフを以前にも聞いたことがある……」
――驚愕と衝撃で手が震えた。
「その時は確か、そうだったな。“止まれ、俺からはお前の脳味噌の色まではっきり見えるぜ”だったか……」
「――知ってるぞ。俺はお前を知ってる……」
はっきりと目鼻立ちの整った端正な美青年。
その顔には今日見たばかりの顔の面影がくっきりと残っている。
黒崎静に見せられた黒崎拳の写真に、彼と共に写っていた青年。確か名が風だった――。
しかし何故この男が封印隔離区域を襲う必要があるのか?
「3課と言ったな。ならば静さんの知り合いか……」
表情を消すと、男の体がゆらりと一歩前に出る。
「動くな。射線に入ると同時に撃つ! まずは武装を解除しろ!」
「ならば君の能力は<穏やかなる湖面の如く>ではないということだな」
さらにもう一歩。
透は撃つ覚悟を決める。
静の幼馴染みだろうが、なんだろうが、武装解除に応じない以上、命のやり取りはすでに始まっている。
「風だったな。黒崎静さんの幼馴染みだ。こんなところに何をしに来た!」
ピタリと男の足が止まる。男の無表情が、苦虫を噛み潰したような顔に変わる。
「そうか、静さんはここでは黒崎姓を名乗っているのか……」
そして苦渋に満ちた表情は、一瞬で激しい怒りに取って変わられる。
次の瞬間、男は右腰と、背中のホルスターに両手の火器を収めたかと思うと、コートの襟に手をかけ、それを目の前――彼の、そして透の目の前――に広げた。
一瞬、ほんの一瞬、透は彼の姿を見失う。
飛ばした視界の先の視界を急に遮られるという未知の状況を前に体が固まる。
手元に走った鋭い痛みに、意識が肉の器の存在に傾き、視界は再び通路の手前、肉体のある此処に戻る。
目の前にはリヴォルバーをこちらに向けた風、そして透の右手に握られたUSPはその撃鉄部分が打ち抜かれていた。
恐らくは一秒に満たない一瞬の攻撃。
反射的に風に向けて引き金を引いたが、撃鉄の根元部分だけが虚しくカチンと音を立てた。
「――今度は僕が言う番だな。動かないでくれないか。静さんの知り合いなら、抵抗しなければ殺すつもりはない」
風の銃口はふらふらと透の体の何処にでも向いて落ち付かない。
そのくせ、いつ撃っても体のどこかに命中させられる、そういう確信だけがある。
透の心臓は五月蝿いくらい、早鐘のように鳴っていた。
これは透が始めて味わうもの。
敗北だった。
――ソレを認めた後、透がまず考えたのは逃げることだった。
すぐ背後には遮光カーテンがあり、それを抜ければそう簡単に弾丸は当たるまい。
しかしあの一瞬で撃鉄部分だけを確実に撃ち抜くような相手にそれが可能か?
――無理だ。
ならば次に考えたのは特攻だった。
飛び出して白兵戦に持ち込む。
だがそれも却下。
男の白いコートに点々とついた返り血は、男が容赦なくこれまで撃ってきたことを示している。
当然そうでなければここまで辿り着くことも不可能だっただろう。
つまりこの男を相手に容赦は期待できない。
現状、静の知り合いという理由で生かされているだけだ。
ほんの少しでも余計な動きを見せれば容赦なく撃ち殺されるだろう。
透はUSPを捨て、両手をあげる。
生き残る方が優先だ。
少なくとも男の能力は透の能力をさらに射撃に特化したようなものだという推測は得た。
その代わりに視点離脱能力がないらしい。
この情報だけでも持ち帰るに足る重要なモノだった。
「ありがとう。では質問だ。何故3課のキミがここにいる?」
「――巡回だ」
「…………」
しばらく風は透をじっと見つめていたが、やがて腰にかけた通信機を取り上げる。
「白峰だ。目標は面会室だ。他は全て放置でいい。面会室に向かえ」
「――――」
「さて、先を歩いてくれないか。さっきまでキミがいた面会室まで案内してくれればいい。とは言っても道は知ってるんだけれどね」




