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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
19/90

地は途絶えしも其は近く -7-

 沢渡練子の能力は<答え在る問いを>である。

 その名の示すとおり、その能力は示された問いの答えが自動的に浮かび上がるというものだ。

 しかしながら練子本人の患う虚言症によって、それは意味をなさないものとなっている。

 というのが透の受けた説明だった。

 ――だが必ずしも答えを得られないわけではない、と気がついたのが練子に差し出した紙片が十枚目になろうという頃だった。

 選択式の質問が終わり、紙に書かれた問いは口述式の答えを求めている。

 現在の煉瓦台の経済状況に関する問い。

 現在の特捜本部長の居場所。

 現在の煉瓦台の食糧備蓄状況。

 現在の宗谷美咲の居場所。

 現在の観堂寺の保有する発症者の数。

 ・

 ・

 ・

 まず第一に答えられるということは虚言症云々を脇に置いて、その問いは正しい問いかけであることを示している。

 その証拠に、沢渡練子は特捜7課の現在構成について、というような存在しない部署に関する質問に対しては、答えが見えないと返事する。

 練子の虚言症は答えのないところから嘘を捻る出せるというものではないらしい。

 つまり、嘘かどうかはともかくとして、答えが在るのなら状況は存在する。

 これはこれで大きな取っ掛かりではある。

 だが、しかしそれでどうやって行方不明者の居所に迫ればいいのかとなるとさっぱりだ。

 高野長英の居場所を聞いた。管理自治機構本部に居ると返ってきた。

 安藤昌益の居場所を聞いた。煉瓦台記念病院に居ると返ってきた。

 白瀬信行の居場所を聞いた。森の中に居ると返ってきた。

 宗谷美咲の居場所を聞いた。白瀬信行のところに居ると返ってきた。

 いくらかは本当で、いくらかは嘘なのだろう。

 とにかく少しばかり休憩が必要だと思った。

 それでふと静に渡されたメモ帳とペンのことを思い出す。

 それはふとした好奇心で、もしかしたら練子の虚言症のパターンでも見抜けやしないかと思って生まれた問いだった。

 ――深海透の能力について答えよ。

「<彼方に至りて> 因果干渉系、視界内における任意の位置に己を至らせる」


 練子は答えた。

 そして同時にざわりと透の内側を駆け抜けたものはなんだったのか……。

 だがその悪寒をすぐに振り払う。

 透の能力は<ここに在らず>視界内に視点を再設定できる視覚拡張系能力だ。

 それは分析系能力者によって完全に明らかにされている。

 だからこの答えは練子の虚言のひとつに過ぎない。

 過ぎないのだが、ならば何故この答えだけが――原型を留めぬほどの虚言なのか?

 少なくともこれまで透の知ることに関する問いについては、原型を残しながらどこかピントがずれたような嘘のつきかたをしていた。

 透は咄嗟にペンを走らせていた。


 ――己を至らせるということの意味は?


「そこに行くということ。それ以上の答えは見えない。けれど――」


 アクリルの向こうで練子の唇がぐいと持ち上がった。


「個人的な意見を言わせてもらえるのなら、己という自分の本質は私たち発症者にとっては希薄な概念じゃないか? 私は幸いにして自我に影響を受けるような能力は授からなかったけれど、例えばそう、御剣京子にとっての己とは何? 他人の人生を引き受ける彼女にとって、自己とはすでに他者のひとり、本来観測しえぬ自己は、観測された時点で他者と違いがない。では彼女には己は存在しないのか? いいや、そういうわけではない。ひとつに彼女の肉。これは分かりやすい御剣京子の形だ。ひとつに特捜隊員であるという立場、これもひとつの御剣京子の形。そしてひとつは彼女自身を含む、彼女の蒐集した総ての人の人生だ。それらが絡まりあって御剣京子という形を成している。そう――」


 練子の瞳がじっと透の瞳を見つめた。


「例えば君が能力を使うとき、君は何処にいる?」


 ぱっと答えようとして、答えられないことに透は気付く。

 透が能力を使うとき、透の肉体はそのままの位置にいて動かない。

 肉体的な反応を起こすことは可能だが、視点が乖離している状態でそれをすることは危険を伴うため、パートナーがついていない場合は絶対に引き金を引く以外のことをしないように注意している。

 一方で実感として透が何処にいるのかといえば、視点の先、視点を再設定したそこに自分はいる。

 完全に自由が利くわけではないが、多少の観察と、なにより目標を目の前に引き金を引くことができる。

 ならば自分はそこに“居る”のか?

 確かに実感としては居る。

 そこに居る。

 しかし決して精神が肉体から乖離してそこに居るわけではない。

 これは単純に視覚異常の一種に過ぎないのだから――。


「――例えば、物理干渉系能力者がその手を伸ばすとき、彼らの存在は彼らの肉に留まるものなのか?」


 透の沈黙をどう受け取ったのか練子はそのまま話を続けた。


「<掴む手>があらゆるものを掴めたのならば、彼女の己は、肉の手と、能力による“手”に如何ほどの違いがあろうか。私が煉瓦台のすべて識っているというのなら、私の精神はこの脳に留まるものなのか」


 それこそ妄言だ。

 そう叫ぼうとした透の言葉を、けたたましいサイレンが遮った。同時に蛍光灯の灯りが消え、非常灯に切り替わる。右手が咄嗟に腰のUSPに伸びた。


「おやまあ、何があったか知らないけれど、これは神経ガスの弁が開く警報じゃないか。あたしも君もどうやらここでおしまいということらしいね」


 まるで今夜の予定でも語るかのように、淡々と練子は呟いた。


 ――バカな!


 思考はまるで閃光のようにスパークして、かつてないほどの高速回転で空回りする。

 自分は何もしていない。

 それは間違いない。

 そうなると別なところで問題が発生したのだろうか。

 いや、最早今となってはそんなことは全て関係ない。

 濃度の高い神経ガスは透たち、この隔離エリアにいる全員をあっという間に殺しつくしてしまうだろう。


 ――――。


 しかし――、


 ――しかしだ。

 いつまで経っても神経ガスはどこからも噴出してこなかった。

 誤報か? 訓練か?

 透は握り締めた両手がカタカタと震えていることに気付く。


「坊や――」


 その呼びかけが自分に向けられたものであることに気付くのに透は少しばかりの時間を要した。


「可能性その一、これが神経ガスの警報であるということ自体があたしの嘘である。

 可能性その二、この警報は間違いなく神経ガスの警報である。しかしなんらかの不備で神経ガスの弁は開かなかった。

 可能性その三、初めから神経ガスなどなかった。

 さあ、あたしに何を問いかける?」


 透は考えた。

 かつてないほど考えた。

 そして結局のところ問いの答えの幅を広くすればするほど、練子の虚言を絞れるのだと気がついた。

 細かいディティールについて聞くのではなく、もっと大まかな、例えば透自身の人生について聞けばいい。

 その答えには嘘が散りばめられるだろうが、その原型はあくまで透の本当の人生という大元に基づいた嘘である。


「煉瓦台記念病院――。それじゃダメだ。範囲が広すぎる」


 問いかけは、――俺たちの頭の上には何がある?

 透は本当にアンタは虚言症なのかと問い詰めたくなったが、それを今ここで議論しても意味はない。


「トイレと居間と寝室だ。――どうやらあたしたちは根本的にダマされているらしい」


 今度の問いかけは、俺たちと煉瓦台記念病院の間には何がある?

 そしてその答えはトイレと居間と寝室。神経ガスから連想される虚言としてはありえない。


「初めから神経ガスなんてなかった?」


「ないと決め付けるより、あると決め付けるほうが長生きするよ。坊や」


「坊やは止めてください。それほど年は違わないじゃないですか」


「あらまあ、そうだったかね。長いこと閉じ込められてると、自分の年も分からなくなるもんさ。今間違いないのは神経ガスの存在があるなしじゃない。警報が鳴ったにも関わらず神経ガスは流れてこないということだ。状況の確認が最優先事項だと思うね。第一……」


 沢渡練子が肩をすくめる。


「警報が鳴った。神経ガスが流れてこない。こんな場合に2課の連中がまずするのは全ての隔離発症者の射殺のはずだ。なのに、ドアの外に待機してるはずの2課の連中は飛び込んでこない。さて、どうするね?」


 唇の端を歪めたその笑いの意図を透は理解する。


 ――封印隔離区域に何が起きた?


「選別と屠畜――。きな臭いな。こりゃ」


 確かにきな臭い。というか、何もかもが疑わしかった。それもこれもこの沢渡練子と話をしていたからの疑いなのではないかという気もする。


「アンタは自分が虚言を口にしてるという自意識はあるのか?」


 たまらずに聞いて、そして後悔する。

 沢渡練子が満面の笑みを浮かべたからだ。


「あたしは嘘つきです。とでも言えば満足かい? はて、嘘つきは自分のことを嘘つきだと認めていいものかね? 矛盾って言葉はこういう状況のためにあるんでなかったっけ?」


「とにかくじっとしてくれ。俺はちょっと外の様子を見てくる」


「はいはい。言われなくても、片腕さえ動かせませんよっと」


 拘束服を揺らがせて、練子は唇の端を持ち上げた。




 扉を開けた途端、空気の違いに透は顔をしかめた。

 神経ガスが散布されているということではない。

 狭い通路を反響してくる銃声や、鈍く重い打撃音――、何度も経験してきた戦場の空気だ。

 封印隔離区域の実際の広さは透には知りようもない。

 エレベーターを降り切ってから封印隔離区域に入るまでに歩いた距離は長かったが、それは隔離のためであり、敷地の巨大さを意味するものではないだろう。

 むしろ病院敷地内に全てが作られているのであれば、通路が長ければ長いほど、封印隔離区域は狭いに違いない。

 しかしどれほど封印隔離区域が狭かろうと、入り口からすぐさま面会室に通された透には右も左も分からない。

 一縷の望みを託し、携帯を開いてみたが当然圏外だった。

 そこでまず手元のUSPを抜いた。

 安全装置を外し、遊底を引くと、薬室に初弾を送り込んで撃鉄を降ろす。それから一度目を閉じて、自分の中のスイッチを切り替える。

 ――確かに此処にいる自分――を意識しない状態。

 つまり自然な意識に身を任せる。

 そして目を開いた。

 最初に目に映ったのは壁だ。

 オーケー。

 背中には今出てきたばかりの扉の感触。

 それを頼りにまずは肉体の首を右に振る。

 視点がぐるりと回るような感覚。

 そして壁を舐めるように視界は移動し、右手奥に見えていたT字通路の突き当たりの壁に当たる。

 ――自分は此処にいる。

 右を見ると、通路はさらに左に曲がっている。

 左を見ると、すぐ近くに扉があった。

 そして振り返ると――並んだ扉のひとつに背を預けた自分と、右に曲がった通路が見えた。

 その向こう側には封印隔離区域の入り口がある。

 そこに2課の詰め所があって、封印隔離区域の出入りを監視していた。

 騒音は左耳が聞いている。

 視覚拡張能力は勿論のことだが、聴覚には関与しない。

 つまり騒音は出口側から聞こえてきているということになる。

 ひとまずこれで背後はそれほど気にしなくてよさそうだ。

 とりあえず透は一度目を閉じ、首を左に振って、もう一度目を開ける。

 今度はL字通路の真ん中に立っていた。

 右手を見る。

 3重の鉄格子と遮光性の高い黒く塗られた厚い素材のカーテンがその間で揺らめいている。

 視界を遮断することで、脱走の可能性を低くしようという腹積もりなのは理解できたが、それが透の能力をも阻害することになっている。


 ――厄介だな。


 通路に無闇に曲がり角が多いのや、エレベーターを抜けた後の通路が緩やかに湾曲していたのも同様の理由からだろう。

 つまりこの区域は発症者に不利なように作られている。

 これでは透の能力はせいぜい曲がり角の向こうがちょいと確認できる程度で、それも遮光カーテンに遮られ、それほど広い視界を得られるわけでもない。


 ――ひとまず誰かを捕まえて、状況を確認するべきか。


 そうなると一番手っ取り早いのは入り口にあった2課の詰め所に向かうべきだろう。あそこならここでも使える通信手段もあるに違いない。

 透は目を閉じて、スイッチを切り替える。

 背中の扉の感触を頼りに、自分は此処にいるという意識を、感覚のある肉体に固定する。

 肉の器こそ、己の拠り所だ。

 そして目を開ける。

 ――扉の前の壁が見えた。

 さて、行こう。

 まずは何が起きているのかを確認しなくてはならない。

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