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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
18/90

地は途絶えしも其は近く -6-

 コミュニティはその名の通り共同体だが“野良犬の巣”での生活スタイルはどちらかというと自由奔放だ。

 彼らが所有しているアパートには一階と二階で合わせて十八の部屋があり、事務所と全員のリビングとして使われる二部屋を除いて、それぞれが自由に所有権を主張している。

 今回の惨劇の舞台は共用リビングで、水瀬は練太を連れて事務所になっている部屋に入った。

 変なものでひとつ壁で隔たれるだけで、惨劇の気配はまるで消えてしまう。

 現実には薄い壁の向こう側に五人分の死体があるわけだが、それを意識さえしなければまるでいつも通り――とはいかないか。

 と、服に染み付いてしまった血の残滓を嗅いで水瀬は沈鬱になった。


「何が起きたのか、実は俺もよく分からない……」


 幸いコーヒーメーカーなどの位置は変わってなかったので、水瀬は勝手に二人分のコーヒーを淹れた。

 来客用のソファに座って、練太は身を硬くする。


「夕方になってからだ。突然、世界が正常に戻った」


 正常――なんて聞こえのいい言葉だろう。


「具体的には?」


 水瀬が差し出したコーヒーを練太は受け取って一口すする。


「まさしく正常だよ。人間が人間に見えたのはどれくらいぶりだったかな。最初は治ったのかと思った」


 ――最初は、ということは今はもうすっかり元通りということだ。元通り発症している。

 練太の能力名は<餓えた野犬の如く>

 このコミュニティの名前の元にもなっている。

 視界内の有機物が総て上質の肉に見え、噛み付けば柔らかく引き裂いて、旨い肉の味がするという、なんとも粗野な能力である。


「俺だけじゃなかった。そのとき全員が治っていた。俺たちは慌ててリビングに集まって、喜びあった。けれどそこに一人の男がやってきた。黒尽くめの服装で、俺たちの集まっていたリビングにいきなり押し入ってくるなり、黒田を羽交い絞めにしてその頭に銃口を押し当てた……。もう俺たちはワケが分からなかった。当然だろ? いきなり治るだけでも一種のパニック状態だったんだ。そこに突然現れた黒尽くめの暴漢だ。抵抗しように症状が治っている状態ではどうしようもなかった」


 確かに発症による症状が治る、ということはつまり能力が消えるということである。

 能力は恐れられる一方で確かな力であり、赤目はどこかそれに頼って生きている。

 当然のことだがもし水瀬の症状が治っている状態なら、練太に銃口を向けられて“撃って”等とは間違っても言えないだろう。


「男は間違っても素人じゃなかった。飛び掛かる隙なんて微塵も見えやしなかった。人質が黒田から稲瀬に変わるのすら、俺たちは黙ってみているしかなかった」


「稲瀬?」


 黒田美穂ならば知っている。

 知っている? 違う、今さっき見た死体の中に彼女も居た。

 だから知っていた、というべきだろうか。


「遠野は知らないか、君が特捜に行ってからウチに入った子だ。機構にはちゃんと登録してある。とにかくその男は稲瀬を人質に取ると、そのままそのこめかみに銃口を押し当てたまま出て行った。――くそ、気がつくべきだった。あの男は稲瀬が目的だったんだから、稲瀬は人質にならないんだ」


 その稲瀬という発症者を奪うのが目的だったというのなら確かにそういうことになる。だがそんな咄嗟の判断を誰ができるというのか。いくら赤目だからといってコミュニティに属してる限り、実戦経験など積めようも無い。

 それに練太自身が言っていたように、突如症状が消え、世界が普通に認識できるようになっていたというのならば、その混乱の最中で何ができよう。水瀬は自分の視界が再び平常に戻る様を想像しようとして断念した。

 <虹を追う>にとって、自分に属する物質から独自の効果範囲内の空間は“存在しない”

 あるはずのものが見えない。

 手を伸ばすか、意識的に集中しない限り、そこにある物体が“拒絶”されることはないが、見えないのではないのと同じだ。

 だから無意識のうちに入り込んだ物体には普通に激突する。

 例えばタンスの角に小指をぶつけるようなことは起こる。

 ――自分ならその辺のものを片っ端から触って回るだろうな。

 と、水瀬は冷静にそう考えた。


「俺たちはあまりのことに男を追うことすらできなかった。いや、追いかけようとはしたんだ。だが、男が稲瀬を連れ去って数分後、突如症状は再発した。あの男が噂のキャンセラーだったのかも知れない……」


 キャンセラー、その噂は水瀬も聞いたことがあった。反則だと思える能力は山とあるが、その中でも反則中の反則。能力無効化能力。


「けれど、それはおかしくない? それは能力を視覚拡張と物理干渉に振り分けているのは私たち人間が作った仕切りに過ぎないけれど、けれど視覚拡張は物理的干渉はできず、物理干渉は視界拡張はできないという原則は守られている。キャンセラーは明らかに……」


 明らかに――、そこで水瀬の思考が止まる。

 能力無効化能力は物理干渉型と言えるだろうか?

 だが視覚拡張とは決して言えまい。

 少なくとも視覚拡張は外部に影響を与えることはできないのだから、そうでない以上それは物理干渉型のはずだ。


 ――だが、その思い込みは身を滅ぼす――。


 ゾクリと背筋を這い上がる何か。座学で御剣京子が言った言葉だ。


 ――まずありえない能力は無いと想定すること――。


 それが特捜での大原則だ。

 特殊なタイプの発症者との実戦経験が最も豊富な京子が言うのだから、それは間違い無い。

 二十歳の若さで彼女が課長代理になることに誰も異議を唱えなかったのも、偏に彼女の実戦経験の多さに由来する。


「今のは無し。その男がキャンセラーだとすれば、捕まえれば分かること」


「だが追いようが無い。<瞳>すらも無効化するからこそのキャンセラーのはずだ。それに問題はそっちじゃない……。その男は確かに脅威だったが、害意は無かった。変な話だが、俺は稲瀬があの男に連れ去られてよかったと思っている」


「どうして?」


「どうしてもこうしても……、少なくとも今隣に稲瀬はいない……」


 そう、そうだ。その男がキャンセラーかどうかはともかくとして、その男はその稲瀬という誰かを連れ去った。それだけだ。ならばあの惨劇は一体誰が?


「二度襲撃があった……」


「ああ……」


 水瀬がすすったコーヒーはすっかり冷めていた。

 立ち上がって二杯目を注ぐ。

 砂糖は二つ。いや、三つ。


「複数の能力者による犯行と私は思ったのだけど……」


 さっき報告した内容を思い出しながら水瀬は呟く。


「その通りだ。組織だった、恐らく他のコミュニティによる攻撃だ。狙いは先の男と同じ稲瀬だったらしい。だが黒尽くめの男に先を越された連中は元木を連れ去った。いや初めから二人とも狙っていたのか。だがその手口は大きく違っていた……」


 どう違っていたかはあの惨状を見れば明らかだ。


「どこのコミュニティか分かる? 能力者の特徴は?」


「忘れられないのは年幾許もいかない少女が混じっていたことだ。そして彼女の能力が抜きん出ていた。遠野、お前は傷ひとつなく胸に手を突き入れられて心臓だけを引き抜かれるなんてことがありうると思うか」


 ありうるかどうか、という意味では、ありえないことなどないと先ほど考え直したばかりだ。そういうことだってありうるだろう。だが問題はそれがどういう能力か、ということだ。少なくとも物理干渉型には違い無さそうだけど。


「そこには何の慈悲も無かった。俺は真っ先に打ち倒され、そして慈悲ではなく悪意を持って殺されなかった」


「悪意?」


「誰が、何を、どうやったかを伝えさせるためだ。力の誇示が目的のひとつだったんだろう。奴らはまだやると思う……」


 それはつまり特捜に正面切って戦争を仕掛けているという意味だ。そんな馬鹿なコミュニティが実在するのだろうか?


「ヤツラの能力で一番恐ろしかったのは、恐らく一種の視覚介入のような能力だ」


「視覚介入?」


 どうもキャンセラーといい、既存の枠に当てはまらない能力がポンポンと出てくる。


「……奴らは、いや、そいつは遠野、お前の姿で現れた。分かるか? 俺から見えるお前の姿で、だ。言ってる意味分かるよな?」


 練太にとって生物は全て肉だ。

 だが肉だからといって見分けがつかないわけではない。

 研究によると<餓えた野犬の如く>を発症した発症者の視覚に変化はない。

 物理干渉型に類型する能力で、肉に見えるというのは認識の変化でしかない。

 言わばライオンがシマウマをみて走る食肉と感じるようなものだ。

 <瞳>は外部からの情報をそのまま受け取っているのだから、個人の区別はなんら問題なくできる。

 しかしこれは水瀬がいるから水瀬という肉が見えるわけではなく、水瀬が見えたから眼が水瀬という肉の映像を脳に送るわけであり、変装等でも誤魔化される可能性はある。

 忘れてはいけないのは視覚拡張型以外の発症者は健常者と同じように光によって視覚を得ている点である。


「光学的な物理干渉だと考えればいいのかな……」


 それならばこれまでの分類を壊さずに、その視覚介入能力とやらを説明できる。

 ならばその能力は透のような視覚拡張系発症者の前には完全に無力であるだろう。


「その辺までは俺には分からん。俺たちはお前が現れたことでほっとして全部べらべら喋った。稲瀬だって特捜に探してもらったほうがいいに決まってるからな。俺たちじゃ<瞳>に頼れない。だがそいつは全部聞いた上で俺たちに銃を向けた。それと同時に何人かが押し入ってきた。何人だったかははっきりしない。四人以上はいたと思う。それでも俺は咄嗟に飛び掛かったんだ。目の前のお前――いや、お前に化けたヤツじゃなくて、今まさに押し入ってきた敵の方に。だけど最初の銃声は背後から聞こえて、井伊深が倒れた。それで俺は判断を鈍らせて、床に叩き伏せられた。いや、張りつけられた。身動きひとつ取れなくなった。物理干渉系の能力なんだろうな」


 それにしても能力を自在に使いこなしている、と水瀬は思う。

 特捜3課のようによく訓練された連中のようだ。

 そんなコミュニティが存在していたとは迂闊だった……。


「視覚介入能力者、物理干渉系が二人、後一人は不明だけど観測系か分析系というところか。少なくとも私たちならそうする」


 そこまで話したところで携帯が鳴る。

 確認すると本部オペレーターからだったのですぐに出る。


「水瀬です」


「――1課の5班はそちらに向かえなくなりました。変わって市警が現場を保持します」


「どうして? 写真なら送ったでしょう?」


「――<瞳>の機能回復と同時に、煉瓦台記念病院が複数の発症者による襲撃を受けました。現在交戦中――。待機中だった特捜全隊に出動命令が出ています。すぐに第一級警報が発令される予定――。いえ、現在発令されました。特捜3課隊員には現場直行の命令が出ています。すぐに向かってください」


「……分かったわ」


 電話を切る。

 水瀬は自分が強く歯を噛み締めていることに気付かなかった。


「遠野……?」


「練太さん、市警がこの現場を確保しますので、じっとしていてください。私は――」


 間違いあるまい。

 それは直感だった。けれど確信でもあった。

 ――この煉瓦台記念病院を襲っている連中と、ここを襲った連中は同一だ。


「反撃します」


「待ってくれ、俺も――」


 練太が立ち上がりかけたのをみて、水瀬は二人を隔てるテーブルに手を伸ばした。

 木製の大人が四人がかりでようやく持ち上がるそのテーブルは、まるで濡れた氷の上だったかのように滑って練太の脛を打ち付ける。


「うぐっ!」


 力加減は調節したから、骨折するほどではない。

 ただ、とてつもなく痛いだろうけれど。


「練太さんは現場保持と、市警への事情説明をお願いします。後は私たちに任せてください。では、良い食事を」


 最後のは“野良犬の巣”のお決まりの挨拶のようなものだった。

 テーブルに両手をついた姿勢のまま、呻くように練太も言った。


「君にも、良い食事を――」

今日は起きてる限りは1時間ごと更新を続けるつもりです。

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