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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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空は続くとも郷は遠く -3-

「学校辞めてん」


「はぁっ!?」


 思わず大きな声を上げてから信行は慌てて自分の口を塞いだ。

 深夜を周り、日付はすでに変わっている。

 辺りは静まり返っているとは言い難いが、隣家の物音くらいははっきり聞こえる。


「辞めたって、なんで?」


「……必要ないから」


 美咲は信行の胸の頭をぺたりと乗せたまま、部屋の中をぼんやりと見つめている。

 信行はそんな美咲の髪をさっきからずっと撫でてばかりいた。


「大学は? こっちの大学来るんちゃうん?」


「なんで私はこっちの大学来たかったん?」


 ――それは自分がいるから……。

 信行はその答えを知っていたが、解っていた上でそれを口にするのは自惚れが過ぎるような気がした。


「他にも行ける大学一杯あった。色んなとこ勧められた。八坂行きたいって言ったら怒られた。なんでやろ」


 それはどんな親だって教師だって同じだろう。

 八坂は普通の街ではない。

 煉瓦台にもっとも近い街として、自衛隊施設が集中しているし、そういった物資の運搬なども頻繁に行われている。

 それになにより距離として近すぎるのだ。

 煉瓦台に――。

 どんなに言葉を濁したところで、煉瓦台のイメージは病原菌の詰まったプール、貯水庫に他ならない。

 何かの間違いがあればそのウイルスが一気になだれ込んできて、真っ先にその犠牲になるのは八坂と見て間違いがない。

 そんなところに望んで子供を、教え子を送り込みたいとは思わないだろう。

 信行とて、長い時間をかけて両親を説得しなければならなかった。


「私、働く。そんでここに住む」


 それは宣言だった。信行はよく知っている、こうなった美咲を止めることなど誰にもできない。

 けれど……。


「それはダメやで」


 だからこそ信行が止めなくてはいけない。


「学校は行くべきや。大学も無理に八坂に来ることはあらへん。俺はたまに会えたらそれでええよ」


「私はよーない」


 ずるりと信行の体の上で美咲の体が蠢いて、信行の喉に美咲が顔を埋める。


「私は信行の所有物になりたい」


 その言葉に欲望をちくりと刺激されなかったかといえばウソになるが、しかし信行にはそれでも美咲のことを考える余裕が残されていた。

 それは以前から美咲が己の全てを信行に捧げていることを知っていたからだ。

 そういう意味では美咲の言葉は今更だった。


「家族とか心配すんで、怒るやろ」


「そんなん関係あらへんよ。私は私で、私のモノですらなくてええ」


 どうしたものだろうか、それとも美咲の両親に連絡を取って引き取ってもらいにくるべきだろうか。

 美咲の思いがどうあれ、多分それが正しいことだと信行は思った。

 だけどとりあえず今は美咲の言うことに頷いていてやってもいいのではないか。

 けれど「好きにしたらいいよ」というウソをどうしても言うことができなくて信行はただ黙ることしかできなかった。

 信行もまた美咲のことを想っていたからだ。

 美咲が不満そうに体を揺する。

 その時不意に携帯がパッヘルベルのカノンを鳴らし始める。

 この着メロは富士子からのものだ。

 最初誰からか解るように着メロを変えてあるのは美咲の分だけだったのだが、富士子に無理やり変えさせられたのだ。


「あの人やね」


 美咲の目がじっと信行の顔を見つめる。どうやら表情だけでバレてしまったらしい。

 カノンは一度鳴り止み、そして再び鳴り出した。


「出たら?」


「出ないよ」


「出たほうがいい。悪ふざけで電話してくるような人とちゃう」


 酒さえ飲んで無ければね、と信行は思ったが、確かに大事なところではきっちりマナーというか、常識を守る人だ。

 少なくとも信行がこうして美咲と一緒に居るのを知っていて夜に電話してくるような人ではない。

 それでも美咲の手前出たくはなかったが、美咲があんまりにも強い目で信行を見るので仕方なく携帯を手に取った。


「もしもし」


「――ノブくん、ごめん。お邪魔だとは分かってたんだけどさ」


「どうかしたんですか?」


「――どうも妙なことになっちゃったみたいでさ。とりあえずそっち行っていいかな。30分くらい開ければいい?」


「30分て、帰ってないんですか?」


 富士子の実家は八坂から電車を使って20分の距離ではあるが、すでに電車のある時間ではない。


「――とりあえず仮想状況その3を想定して、いい、警察無線じゃなくて自衛隊のほうよ」


「――――!!」


 信行は驚きの余り声が出ない。

 仮想状況その3。

 それは八坂大学無線サークルにおけるウイルス流出に伴う周辺区域閉鎖を差していた。


「――嫌な空気」


 美咲が顔をしかめる。

 確かに部屋の中には性的な臭いが充満していて、いい空気とはとてもいえない。

 このままの部屋に富士子を招くのはどうしたってまともとはいえないだろう。

 美咲の体を寝転ばせて、信行は換気をしようと窓に手をかけようとしてその手を止めた。


 ――仮想状況その3……。


「違う……」


 窓は開けるべきではない。

 本当にウイルスが流出していたとしてたら外の空気はすでに汚染されている可能性がある。

 二人きりで外界から断絶された状態で、状況が確認できるのを待つべきだ……。

 その代わりにエアコンを止め、部屋の脇に置いた無線機の電源を入れる。

 周波数を調整して、自衛隊の使用帯域に調整するとすぐさまノイズが人々の声に変わった。

 本来暗号化されているはずの通信がオープンな状態で流れている。


 ――アイリスが届いた。選別を開始するぞ。


 ――内側から通信、感染区域の拡大はありません。


 ――推定で二万人。


 ――第一次選別者に感染者なし。


「……感染漏れやね……」


 信行が言葉にできなかったその言葉を美咲はあっさりと口にした。

 そう、これが訓練で無いとすればまさしく赤目症ウイルスが煉瓦台から漏れ出し、今まさにこの八坂に襲い掛かっているということになる。

 幸い通信を聞く限り、その封じ込めには成功したようだが――。


 ――これまでの死者は百名を越えていません。想定の範囲内です。


 心根が凍りつくのを感じた。

 自分は覚悟ができていた。

 可能性は低かったが、やはりまったくないというわけではない。

 赤目症ウイルスを克服できない限り、いずれはこういうことが起きるだろうとは思っていた。

 しかしそれがどうして美咲の居るこんなときに起きなくてはいけないのだ!


 ――ドンドン!


「ノブくん、大丈夫!?」


 随分と慌てた富士子の声が聞こえた。無線を聞いているうちに30分が過ぎてしまっていたらしい。


「開けてくれる?」


 凍りついた心根が、今度は消えてなくなるのを感じた。

 部屋の鍵は――かかっている。

 信行は思わず美咲を振り返った。

 美咲は素肌を布団の下に隠しているだけの姿で、信行をじっと見つめ返した。

 その瞳に込められた思いを信行は理解できない。

 分からない。

 いつだって美咲の気持ちは解らない。

 ひとつだけはっきりしていることは、彼女がその全てを信行に捧げているということだけで。


「――ノブくん?」


「駄目です……」


「え……?」


 ドア一枚隔てた向こうから、本当に意表を突かれたという声が聞こえた。

 信行は震える拳を握り締めた。


「駄目です。ずっと部屋の中にいた俺たちより、外を移動してきた富士子さんのほうが感染している可能性が高い。もしもそれが逆だとしても、三人で運命を共同するよりも、別個の可能性に賭けるべきです。だから……鍵は開けられません……」


「…………」


 沈黙は長かった。

 その間富士子が何を考えていたか信行には想像もできない。

 裏切ったと思われただろう、恨まれて当然だろう。

 だが信行にはただ自分に全てを捧げる少女以上に重要なものなどなにもない。


「……分かった。私もどこか人のいないところにいて、感染しないように、または自分が広めて回らないように注意する。でも街はパニック状態で起きてる人は誰もが情報を求めて交流してる。非常に危険な状態よ。気をつけて」


「ありがとう。富士子さん。無事を、祈ります」


「ええ、貴方たちもね……」


 ドアの向こうから歩き去って行く富士子の足音が聞こえ、やがてそれも聞こえなくなった。

 信行は美咲の傍に膝をついた。


「俺の判断は正しかったかな……?」


 もし富士子が感染してなくて、自分たちも感染していなかった場合、富士子に安全な小部屋を与えることをしなかったことになる。

 富士子が外で――これから――感染しないなんて言い切れないのだ。

 美咲の白い手が信行の膝に触れて、そっと撫ぜた。


「そんなんはわからへん。でも……」


 美咲の手が膝を這い上がり、その体が起き上がり、信行にもたれかかり、押し倒した。

 そして美咲は信行の耳元に囁いた。


「二人だけで運命を共にするんやね。嬉しい」

ここで伸行と美咲の物語は一度中断して、舞台は煉瓦台に戻ります。

次回、地は途絶えしも其は近く。

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