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Red eyes the outsiders  作者: 二上たいら
Red eyes the outsiders
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響くには遠く

 そこは絶対境界線から16メートル。

 かつての爆撃で崩れ落ち、朽ち果てたままの廃屋の瓦礫の隙間に彼が身を潜めてから3時間と16分。

 この下らないこじつけを続けるのであれば、彼は16歳だ。

 なんて考えている間に3時間と17分。

 実に下らない。


 彼は息を潜め、気配を絶っている。

 そこには獣どころか虫の気配さえ無い。

 身震いのひとつでもすれば、そこに潜む者がいることなどあっさり突き止められてしまうほどの静寂が辺りを包んでいる。

 それは絶対境界線から漏れ出した死の気配だ。

 木々すらその葉が擦れる音を出すことを恐れている。

 咽返るような腐臭にも鼻が慣れた。

 腐りきった廃材は無造作に触れればたちまち崩れ落ちてしまうだろう。

 実際ここに潜り込む時にほんの少し触れだけで柱の一部が崩壊し、崩れ落ちた廃材の破片が服の隙間から入り込んでちくちくと彼の肌を刺激している。


 彼、深水透(ふかみとおる)は廃材のわずかな隙間からほんの少し突き出た銃口と、スコープの中の世界に自らを詰め込むように集中している。

 ぷちんと彼が耳にかけた通信機にノイズが走る。


「――トール、防衛線が突破されたわ。そちらに向かってる」


 狙撃準備に入った透が返事などするわけもないことを知っているのか、無線は一方的に用件だけを伝えると切れた。

 防衛線は絶対境界線から直線距離で4キロほど離れた場所に設定された。

“目標”の移動予測ルートと山道が重なり合った場所が防衛線である。だった、というべきかも知れない。

 そこが突破されたということは最終防衛線である透にお鉢が回ってきたということに他ならない。

 彼の後ろには幅200メートルに渡る地雷原と高さ20メートルの壁によって築かれた絶対境界線が残されているが、目標にそこへ立ち入られた時点で透の所属する特種捜査機動隊は政治的に敗北する。


 現在は絶対境界線の内側は特捜が、絶対境界線からは自衛隊が担当すると定められている。

 目標が絶対境界線に立ち入らなければ自衛隊が手出しできないのと同様に、目標が絶対境界線に立ち入ると同時に特捜は手出しができなくなるのだ。

 しかしその決まりも今現在は、という前置きがつく。

 もし特捜が目標を絶対境界線の内側で処理しきれないと政府が判断すれば、特捜はその権限を大幅に削られ、その分だけ自衛隊が権限を増すのは目に見えている。

 つまり特捜は絶対境界線の内側で目標を処理し続け、その有能さを示し続けなければならない。


 またぷちんとノイズが走った。


「――目標の詳細な能力は不明のまま。ただし状況から見て、かなり攻撃寄りの物理干渉型と推測される。到達距離は30メートル前後。精神錯乱(クレイズ)しているのはほぼ間違いない」


 透の体から熱が消えた。

 トリガーに添えられた指だけが焼けるように熱い。


 およそ2キロほど離れた辺りに意識を集中する。

 目標の移動予測ルートが外れなければ、この辺りに姿を現すはず。


 今回の目標は外部感染者。

 名前は遠山響とおやまひびき、27歳、感染前は八坂市に在住する主婦であった。

 夫と2人の子どもの4人暮らしだったが、感染したのは彼女1人であり、家族と引き離されて隔離地域である煉瓦台へ。

 当然のことながらこの処置に激しく反発。

 仲間を募り、抗議集会を開くなど意欲的に活動を行う。

 煉瓦台市を統治する管理自治機構から要注意人物として特捜に通達が来ていたほどである。

 その彼女が本日未明に発症し、精神錯乱(クレイズ)

 邪魔する者を薙ぎ払いながら、一心に絶対境界線の外を目指して歩き続けている。

 (アイリス)は彼女を“反響する”と命名。

 初出の名であり、その能力型は不明。

 彼女と接触した不運な犠牲者の状態から物理干渉型と推測。

 間の悪いことに千里眼たる(アイリス)は不調が続いており、彼女を発見できた時には、すでに市街地から森に入り、追跡は難しくなっていた。

 特捜は彼女の移動ルートを算定し、先回りして山道に防衛線を設置すると同時に、最終防衛線として透を絶対境界線そばに配置。

 そして防衛線が突破され、今に至る。


「――目標が稜線を超えるわ。こちらからは見えなくなる。後は任せたわよ」


 見えた。

 スコープの中、山道のすぐわき、森の中から彼女が現れた。

 寝ている間に発症したのだろう。

 パジャマ姿が血に塗れている。

 発症して真っ赤に染まった瞳が、2キロの距離を超えて透を見つめた。

 冷水を浴びせかけられたような悪寒が走る。

 否、そんなはずはない。

 彼女に芽生えた能力が物理干渉型だとすれば、2キロ離れた瓦礫の中に身を潜める透を見つけられる道理は無い。

 しかし何かの間違いで、彼女の能力が視覚拡張型だとすれば、透を発見できる可能性はある。

 だが彼女の能力を視覚拡張型だと仮定するならば、2キロ離れた位置にいる透を攻撃する手段を彼女は持っていない。

 彼女の手には銃どころか、刃物すら握られていないのだ。

 つまりここは安全だ。

 恐怖で震えそうになる体を意思の力で押さえつけて、透がこの結論に辿り着くのと同時に、彼女は視線を外した。

 単なる偶然であったようだ。

 それにしても肝が冷える。

 赤目に、それも物理干渉型に見つめられるというのは致命的であることが多々ある。

 到達距離が30メートル前後だと分かっていても、恐ろしいものは恐ろしい。


 透は深呼吸して、一度目を閉じた。


 始めよう。


 いつものことだが、鼓動が酷くうるさい。

 落ち着け、落ち着けと透は自分に言い聞かせる。


 目を……、ゆっくりと開いた。


 ――世界が引き絞られる。

 胃の辺りに重い不快感。

 瓦礫の中に腹ばいに蹲っていたはずなのに、その体の下から地面が消失したかのような浮遊感。

 視界がどこまでも狭く、頭蓋を引っ張って突出していく。

 ここにいるのに、前に進む感覚。

 長く感じたが、実際には一秒にも満たない時間のうちに、透は彼女の前に立っていた。

 いや、それはあくまで透の視覚での話だ。

 実際には透の体はいまだ瓦礫の中にあって、腹ばいになったまま銃の引き金に指をかけている。

 その証拠に人差し指は焼けた鉄を押し当てられたように熱い。

 だがその一方で透は確実に2キロ離れたそこにも存在していた。

 およそ20メートルほど前に彼女。

 走るほど速くはないが、歩いているというにはやや不自然な速さで接近してくる。

 その目に正気はなく、まるで猛る獣のようだ。

 透は銃を構えた。

 15メートル。

 逡巡の余地はない。

 赤目である以上、手足を縛ることにどれほどの意味があるかは分からない。

 感染者は発症すると特殊な能力に目覚めるだけでなく、身体能力が著しく向上し、肉体の耐久度も普通の人間とは比べられないほどになる。

 とは言っても流石に足を撃ち抜けば彼女の動きは止められるかもしれない。


“かもしれない”ではいけないのだ。


 5メートル。彼女の頭部に銃を向けた。


 3メートル。彼女はもう目の前だ。


 1メートル。銃口が彼女の額に触れるか触れないかという位置で、引き金を引いた。


 零距離射撃。

 他者から見れば2キロの長距離射撃ということになるのだろうが、透からすれば零距離だった。

 外す訳がない。

 外れる訳がない。


 その証拠に装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)は、


 ――彼女と目が合った。


 緩い、


 ――いや、それは錯覚だ。透はそこにはいないのだ。


 放物線を描き、


 ――透の視覚を突き抜けていった彼女を追いかけて透は振り返った。


 その圧倒的な物理エネルギーで彼女の頭部を吹き飛ばした。

 血と、骨と、肉と、脳が混じったピンク色の粘着質な液体がぱっと辺りに散って、彼女の体は弾かれたように後ろに飛んだ。

 同時にぐいとこめかみを押し付けられるような痛みが走って、透は森を見下ろす崩れ落ちた廃屋の中で引き金を引き絞ったまま固まっていた。

 否。

 単に視覚が彼の肉体の存在する位置に戻ってきただけに過ぎない。

 透は固まり切った指をゆっくりと伸ばしていく。

 スコープの中には頭部を失った遠山響の遺体が横たわっている。

 いかに発症者と言えど、頭部を失えば死は免れない。


「任務完了」


「――ご苦労様、帰還して」


「京子さん……」


「――なに?」


「……いや、なんでもないです」


 本当にそれはなんでもないことだった。

 ただ最後に彼女が何かを口にしたような気がして――。

 でもそれは視覚拡張型発症者である透の耳には届かなかった。

 それだけのことだ。

 透は銃に安全装置をかけると立ち上がろうとして、ここが崩れやすい廃材の下であったことを思い出したが、もう遅かった。

 後頭部がごつんと音を立てて、そして微妙なバランスで成り立っていた小さなスペースは跡形もなく崩れ去った。

 透が仲間に救助されるまで1時間と16分が必要だった。

本作は10年くらい前に個人HPで連載していた作品の改稿版になります。

次回から始まる「かくも脆き」は全5話、毎日更新でお届けしますが、それ以降は不定期連載になります。それでもよろしければどうぞお付き合いくださいませ。

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