勇者去りて後、
「ダイン! 退け! ソイツは『ボーンロード』。お前の敵う相手ではない!!」
「師匠!! でも! セシリアを見殺しにはできない!!」
不気味にうねる木々の根が、沼地から怪物の足のように生えている。
立ち枯れ、根腐れ、倒木。
ポツポツと、墓石が疎らに転がっている。
人里から遠く離れた、木々の中の寂れた墓場。
日は沈み、辺りは既に霧と闇とに覆われている。
この墓場を奥津城所としていた人々など、とうの昔に滅び去り、この辺りにあったはずの人跡は、幽かなものになっていた。
王国の開闢まで遡る昔。魔王を討った勇者が、王国の栄華を嫌い、隠遁した土地。
勇者はこの地で晴耕雨読の生活を送りながら、いつか現れるであろう、次なる魔王に対する備えをしていた。
そのような伝説が残るこの土地に、誘われるように訪れたのは、今や落日の観を呈ずる王都より、王侯諸貴族の懇願に押される形で旅立った、勇者の子孫の系譜に名を連ねる、剣士『ガシオペ』と、その弟子の『ダイン』。
それから旅の途次、拾うような形で加わった神憑りの少女『セシリア』。
勇者が残した武器などがあるやも知れぬ。
王都の神官の、寝言のような一言の真贋を見極めるため、剣士ガシオペはこのような沼地まで誘われ、死霊の棲みかとなった古墓地で、まさに進退が極まった。
集落の跡地を探索するうち、少女セシリアが、突然何かに取り憑かれたように金切り声をあげて駆け出し、沼地の中に入ってしまったのだ。
低く霧の立ち込める、元は墓地であったであろう沼の底からは、白骨化した、もしかしたら、勇者の子孫であったかもしれない死者達が立ち上がり、先走ったセシリアを追ったダインを取り囲んだ。
崖を背負った墓地の奥には、古びてはいるが、立派な鎧をまとった骨の武者が、セシリアを小脇に抱え立っていた。
骨武者は、幅広の抜き身の大太刀を携えている。
「南無三! 糞坊主!」
ガシオペは王都の神官が大層勿体ぶって渡した聖水を、瓶毎墓石に投げつけて抜刀した。
『ギョワワワワーー!』
ダインを取り囲んでいたスケルトンは、辺りに飛び散った聖水のご利益か、溶けるように沼に沈んでいった。
「師匠!」
死地を脱した弟子を省みる事をせず、ガシオペは骨武者に一気呵成に走り寄り、一太刀浴びせる。
『電光石火!!』
神速の一閃は、見事少女を抱える骨武者の腕を断ち切った。
セシリアは沼地に放り出される。
しかし、断椀をものともせず、すかさず武者が残る腕で大段平を振るうと、水飛沫と共にガシオペはダインの後ろまで吹き飛んだ。
「師匠ーー!!」
ダインはガシオペの元へ駆け寄る。
仰向けに倒れたガシオペの腹は縦に割れ、裂け目からは臓物が腹圧に押され、溢れ出ていた。
「ふぐぐぐぐ、」
「師匠!! ああ、師匠!!」
ダインは悲鳴のような声をあげる。
「お、愚か者! 後ろを見ろ……。セシリアを助けるのだろう!!」
絶命に近いガシオペは、切れ切れに叫ぶ。
振り返ると、師匠を一刀のもとに切り伏せた骨武者が、声無き雄叫びをあげながら駆け寄ってくる。
「あ、あああああ!!」
ダインは泣いた。
足が竦み、手は動かない。
ただ、ただ、ダインは泣き叫んだ。
「ダイン!!」
沼を這うようにしてダインの目の前まで来ていたセシリアが、骨武者とダインの間に割って入る。
両手を広げ、骨武者の前に立ちはだかる。
「セシリアァ!!」
骨武者は容赦なく剣を突き出す。
「ヴッ!!」
セシリアの体を、剣は貫く。
途端辺りに光が迸る。
「アグアァァァァ!!」
セシリアの体を貫き、背中から飛び出した刀身は、太陽そのもののような辺りを圧する光を放つ。
光に照らされ、骨武者は剣を手放し、よろめき後ずさる。
「ああああ! ダイン!! この剣を引き抜くのです! この剣こそ『退魔剣オルクリスト』! 魔王を討つ剣です!」
口から吹き出す血しぶきとともに、セシリアは叫ぶ。
「ああ! セシリア! セシリアァ!!」
「わ、私はここまでです、剣を手に先に進むのです。ダイン…、勇、者、ダイン!! 魔王を討っ……て……」
剣が胸に突き立ち、今まさに、命が尽きようとしているセシリアを抱くダインに、光に脅かされながらも、ジリジリと骨武者が迫る。
「ダ…イン……、」
セシリアの命は尽き、ダインの片頬に添えられていたセシリアの手は落ちた。
「うわあああああああああ!!!!」
絶叫と共に、ダインは少女の胸から無惨にも屹立する剣の柄に手をかける。
『電光石火!!!』
『ガキン!!』
霧が晴れ、木々の合間から漏れる朝日が、朝の訪れを告げていた。
古びた墓石群の片隅に、木で設えた粗末な墓碑が二つならんでいる。
大きな大太刀を肩に担ぎ、師匠のマントを羽織り、セシリアの血に染まったワンピースの切れ端を腕に巻いた勇者ダインは、黙祷を捧げた後、朝日に向かって歩き出した。
「セシリア、師匠。俺が弱かったばかりに……。俺は強くなる、師匠のように! 俺はみんなを守る、セシリアのように!」
魔王の跋扈にあえぐ東国の民を救うため。
目指すは東の果て。
魔王の知ろしめす大地。
勇者の物語は今始まる!!!
勇者が去り、静けさを取り戻した墓地。
新しいセシリアの墓から、白い手がにゅっーと飛び出し。
先程埋葬されたばかりの、セシリアが這い出してきた。
「魔王様、魔王様! お助けを! 我輩真っ二つでござる!」
腹から断ち切られ、沼地に打ち捨てられていた骨武者が再び動き出す。
「うっさい! ドテッパラに派手に穴を開けよって! あんな状態で普通ベラベラ喋らんぞ、あの子はアホだから、気付かんようだったがな」
セシリアの純白のワンピースの胸から下は血に染まり、赤黒くなっていた。
「あーあ、酷いな……」
ブツブツと言いながら、セシリアは沼地に転がる骨武者の上半身と下半身と、更に遠くに飛ばされていた片腕を並べて繋げ、魔力を注ぐ。
「おお! 繋がりましたぞ! 忝ない!」
骨武者は立ち上がり、カタカタと準備運動のようなものを始める。
「ん、」
セシリアが骨武者へ両手を伸ばすと、骨武者はセシリアを持ち上げ肩に乗せた。
「しかし、あの若者、我輩のこの鎧も持って行けば良いものを……」
「後でそれとなく、手に入るようイベントを用意してやろうかの。『ヘクトル』」
骨武者ヘクトルの肩に座り、辺りを見回す魔王セシリアは、先程這い出してきた墓穴の隣、ガシオペが埋葬された辺りを見る。
「反魂法」
セシリアが手を翳し、魔力を放射すると、モゾモゾと墓碑が動きだし、杭状の墓碑が、勇者の目測間違いで、腹の傷穴に突き刺さった無惨な姿の、剣士ガシオペが這い出してきた。
「ガシオペ。ヘクトルの鎧を着て、折を見てあの子に襲い掛かれ」
「ヴェェ、」
セシリアが命ずるとガシオペゾンビは、恭しく礼をして、ノロノロと勇者の後を追い、東に向かって歩き出した。
「ああ、鎧を着てから行きなされ!!」
セシリアを下ろしたヘクトルは、慌ててガシオペについて行き、歩きながら鎧を脱ぎ、ヘクトルに着せていった。
「あはは! 滑稽、滑稽!」
セシリアは笑っている。
ようやく鎧を着せ終わり、ヘクトルはセシリアの元に帰ってくる。
「あの剣士。ガシオペといいましたか。太刀筋は中々のものでしたが、如何せん力不足でしたな。勇者の血筋というのも法螺でしょう。しかし、その似非勇者の弟子ともなると、更に輪を掛けてダメダメでしたぞ。魔王様から念話で段取りをうかがっていても、余りにも、いつまでたっても太刀を振るわないので、間が持ちませんでしたぞ」
再びセシリアを肩に乗せ、鉢合わせを避けるため、一旦西に向かって歩き出した魔王セシリアと骨武者ヘクトル。
「まあ、そう言うな。『勇者ガシオペ』では、なんか響きがなぁ、『勇者ダイン』の方が、いい感じだろ?」
「はあ、ドッチもドッチでは?」
「うっさい」
「でも、あの程度の腕前では、簡単に死にますぞ」
「弱い敵から適当に襲わせて、ある程度まで鍛えてやれ。ワシに似た少女をあてがってやったらやる気を出すかも……、ワシが自らやっても良いかな?」
「……しかし、魔王様。古くからのナラワシとは云え、どうして魔王は勇者をお作りになるのですかな?」
「魔王が魔王として生き残るためじゃ」
「宿敵を作り出すことが、何故魔王様の延命に?」
「ヘクトルよ、お前も、もしかしたら魔王になるかもしれんから、覚えておくがよい。勇者とはな、つまりは勇ましい者なのじゃ」
「はい。…それが?」
「我が本当に滅びるとしたら、我が居城に敵の軍が迫り、包囲され、次々と兵が王座の間に入り込み、寄って集ってワレに打ち掛かって来たときじゃ。如何な無尽蔵の魔力とはいえ、いつかは尽きる。城の奥に蓄えた魔力の結晶を失えば、ワシも小娘と同じじゃ」
「恐ろしいことでございますな!」
「じゃがな……、勇者がいれば、勇者一行以外、我が城に来ない。少なくとも勇者一行の消息が知れるまで、勇者以外は身を寄せあって忍ぶだけじゃ。何故かわかるか?」
「……遺憾ながら、さっぱり、」
「誰でも死ぬのは嫌なものじゃ。その先に平和な世があったとしても、その礎に自分がなるのは、真っ平御免と云うことじゃ。勇者が現れると、王侯から民草まで勇者に一切の望みを託す。つまりは責任の丸投げじゃ。アホよの。皆で団結すればなんとかなるものを、代表を選ぶから、寡兵でもこちらが団結し、勇者を袋叩きできるのだ」
「そういうものですか」
「からくりに気付いた昔の魔王は、民が団結し襲ってこないようにと、小まめに勇者を作ったり、実は全然効かない武器を、『魔王殺し』の銘を与えて、ばら蒔いたりしてきた。全ては己が治世の永に続かんが為にな」
「ですが魔王様。それでも魔王が討たれることが、無かったわけではありませんぞ。我輩が知る限りでも、過去七人もの魔王が、勇者に討ち取られ、冥府に落ちています。魔王の死因はやはり勇者ではないですか?」
「そうさの。そうであろう。さもあろう。例えばあの少年。想像してみよ。あどけなきあの子が、もうこれから先、ワシのこと以外頭に入らない。ワシの面影を胸に秘め、復讐と戦いの鬼となって、我が城までやって来るのだぞ! 一心不乱に! ああっ! 何年先だろう! 逞しくなったあの少年を目の前にして、我は正気を保っていられるだろうか! ワシに少女セシリアの面影をみとめた時、あの子はどんな顔をするのだろうか? あの子に討たれてみたいという誘惑に、ワシは耐えることが出来るのだろうか!」
魔王セシリアは身をよじらせて吐息を吐く。
「魔王を殺すのは、魔王自身の妄執か……。我輩も自戒せねばな」
そんな話をしながら、魔王とその騎士は、朝日に背を向け、西に去っていった。
終わり