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スライムスライム へなちょこ魔物使い  作者: 銀騎士
大穴攻略編

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29/301

29 転生 ☆ 修


 武学では再び全体集会が開かれており、戦士科の訓練場に生徒たちが集合していた。


 教官たちに囲まれた学園長が姿を現し、学園長は集まった生徒たちの顔を見渡してから話を切り出した。


「ん~~~、皆に悲しい知らせがあるのじゃ。それは行方不明の生徒たちのことじゃ。この学園だけでも百名以上の行方不明者が出ていたわけじゃが、その全員の安否の確認がとれたのじゃ」


 生徒たちの間で小さなざわめきが生じる。


 目を閉じている学園長は騒ぎが収まるのを待ってから話し始めた。


「ん~~~、全員の死亡が確認されたのじゃ。全くもって無念な話じゃ……」


 沈痛な面持ちの学園長は顔を伏せる。


「マジかよ!?」


「嘘でしょ!?」


「全員って、そんな……」


「仇を討ちにいくべきだ!!」


「そうだそうだっ!!」


 生徒たちは怒りを露にし、場が騒然となる。


「ん~~~、皆が仇を討ちたいのはよく分かるが行っても死ぬだけじゃ。すでに軍の兵士たちだけでも五千人以上の戦死者が出ておるほどの死地じゃからな」


 その言葉に、絶句した生徒たちは絶望感に打ちひしがれた。


「じゃが、うちからはアウザー教官が大穴に出向いておる。すでに上位種以上の魔物を討ち取ったとのことじゃ」


 生気がごっそりと抜け落ちた生徒たちの目に光が戻る。


 アウザー教官ならば必ず仇をとってくれると彼らは信じているのだ。


「ちなみに、動物使い科のシルルン、テック、ミーラの三人は行方不明の届出は出てないのじゃが、大穴の中を四日以上彷徨い、運良く軍と合流できて生きているようじゃ。冒険者ギルドの関係者いわく、奇跡だと言っておったわい」


 この発言に、動物使い科の生徒たちは嬉しそうな表情を浮かべていた。


「テックとミーラは数日中にも帰還するとのことだが、シルルンについてはその高い能力が買われて軍と共にしばらく行動するとのことじゃ。それとシルルンから言伝を頼まれておる。ピクルスとキュリーにじゃ。馬とスライムの世話をよろしくとのことじゃ」


 生徒たちの視線がピクルスとキュリーに集中し、注目を浴びたピクルスとキュリーは恥ずかしそうに顔を赤面させていた。


 こうして、全体集会は閉会したのだった。


















「通してくれないか?」


 真っ白なプレートメイルに身を包んだ男が門番に声をかける。


 男の容姿は女だといわれてもおかしくないほどの美男子だった。


「許可書を見せてくれ」


 門番が訝しげな眼差しを男に向ける。


「許可書はない。代わりにこれではダメか?」


 男が左腕を前に突き出すと、その左腕が金色に光り輝く。


「あ、あんたは、いや、あなた様は……し、失礼しましたっ!!」


 血相を変えた門番は男に恭しく敬礼する。


 門番はAポイントに繋がる門を開け放ち、男を通したのだった。


 坂を下ってAポイントに到着した男は辺りを見渡すと、そこには多数の馬車が並んでいたのだ。


 その中で男は普通の馬車と比べて、三倍ほどの長さがある馬車に向かって歩き出す。


「軍が戦う最前線まで行きたいんだがこの馬車はそこまで行くか?」


「へい、もちろんでさぁ!! A3ポイントが一番稼げますからねぇ。一万五千円になりやす」


 小太りの運転手が満面の笑みを浮かべる。


「……」


 A3ポイントの意味が分からずに男は眉を顰めたが、怪運転手に代金を支払って馬車に乗り込むと、すぐに馬車は動き始めた。


「あんたはどこまで行くつもりだい? 俺はA2ポイントまで行くつもりだ」 


 男の右隣の席に腰掛ける屈強な冒険者が、男を品定めするように上から下まで見ながら言った。


「最前線までだ。それより、この大穴はすごいな。洞穴の中を馬車が通ってるのなんて」


「がははっ!! なんだあんた初めてかい?」


 その言葉に、男は無言で頷いた。


「ロレン将軍はやり手だからなぁ。この大穴を攻略しだしてすぐに自軍の兵隊を使って馬車が入れるように工事をやったわけだ。おかげで俺たちも助かってる。馬車がなけりゃ部屋に着くまで何日も掛かるからよぉ」


「ほう……」


 男は感嘆の声を漏らした。


「あんた最前線まで行くっていってたよなぁ。だが、最前線のA3ポイントは地獄らしいぜ? 上位種がわんさか出てきて、いまだに制圧できないみたいだからなぁ」


「ほう……上位種か……だが、俺の敵ではないな」


 男は涼しげな笑顔を見せる。


「おいおい、上位種が問題ないってあんた一体何者だ?」


「俺の名はセルド。聞いたことはないか?」


 すると、対面に座る女冒険者が手に持っていた剣を落とした。


「孤高の勇者セルド様……」


 女冒険者の呟きに乗客の視線がセルドに集中する。


「わ、私は絵を持ってますっ!! 間違いなくセルド様よっ!!」


 女冒険者が鞄からセルドが描かれた絵を取り出し、皆に見えるように高く掲げた。


 掲げられた絵とセルドを交互に見比べた乗客たちは瓜二つなので絶句する。


「わ、わ、私は毎日のようにセルド様の絵を見ていますっ!! 大ファンなんですっ!! 握手して下さいっ!!」


 顔を真っ赤に染める女冒険者は震える手をセルドの前に差し出した。


 だが、セルドは何事もなかったかのように女冒険者を完全に無視する。


 やがて、差し出した手を引っ込めた女冒険者が悲しそうに自分の席へと戻った。


「君はまだ若いよね……駆け出しかい?」 


 セルドは左隣に座る若い冒険者に爽やかな笑顔を向ける。


「あっ、はいっ!! ぼ、冒険者になってまだ半年なんです!!」


「ほう……」


 セルドは若い冒険者の身体に視線を転じる。


「君はいい体をしているね。ちょっと鎧を脱いでもらえるかな?」 


「勇者様に体をみてもらえるなんて、こ、光栄でありますっ!!」


 若い冒険者は素直に皮の鎧を脱いだ。


 彼の顔には、目指すところの最頂点である勇者への憧れがありありと窺えた。


「うん、いい体をしている」


 若い冒険者の体をくまなく触るセルドは、胸の辺りは特に入念に弄る。


「あ、あの……ゆ、ゆ、勇者……様……!?」


 困惑した若い冒険者は弱りきった表情を浮かべている。


 その光景を目の当たりにした乗客たちは、セルドがゲイであることを確信して愕然とした。


 だが、そんなこととは関係なく、馬車は先に進むのだった。


 一方、アラクネの死体はアウザーにより殺害されたまま状態で放置されていた。


 その理由は、彼女の死体がある場所がアウザーの強烈な攻撃によって地面が激しく陥没しており、それを埋めるための石や土などの資材が必要だからだ。


 そのため、当初の段階では陥没した地面から、アースワーム種やセンチピード種が這い出てくる可能性が高いと推測されて、上級兵士百名が陥没した地面の周囲に展開していたのだ。


 だが、数日が過ぎても魔物が這い出てくることはなく、アラクネの死体を恐れて魔物たちが出てこれないのではないかという考えが一定の支持を得て、資材を確保できるまでは死体はそのままにしておくことになったのだった。


 これにより、冒険者たちや傭兵たちが折れた武器や溶かされた防具などを、アラクネの死体に目掛けて投げ捨てるようになる。


 軍はそれを把握していたが、資材が到着次第に陥没した地面を資材で埋めるので黙認しており、すでにアラクネの死体はごみに埋もれて見えなくなっていた。


 すると、苛立たしげな表情を浮かべる女冒険者が陥没した地面の前に立って、溶かされた剣を大穴に投げ捨てた。


 鉄の剣の相場は三万円から十万円で、彼女の仲間はすでに戦死しており、一人で下位の魔物を三匹狩るのは容易ではない。


 歩き出そうとした女冒険者は、陥没した地面に黒い柄が刺さっていることが気になって歩みを止める。


 黒い柄へと手を伸ばした彼女は黒い柄を地面から引き抜いた。


 その瞬間、女冒険者の意識は暗転した。


 引き抜いた黒い柄は、アラクネが使用していた漆黒の包丁だったのだ。


 しかし、意識が途切れて数秒しか経っていないのにも拘わらず、女冒険者は瞼を開く。


 女冒険者の髪の色は茶色から薄い紫色に変わっており、人並みだった顔が目鼻立ちが整ったものに変化していた。


「……」


(私は殺されたはず……)


 不可解そうな女冒険者は自身の脚が人族の脚に変わっていることに気づいた。


「フフフッ……フフッ……やった……やったわっ!!」 


 人族に転生したと理解したアラクネは歓喜に打ち震えている。


 我に返った彼女は陥没した地面から踵を返して壁際に移動して、鞄の中から手鏡を取り出して自身の顔を映した。


「悪くないわね……」


 アラクネは思わず口角に笑みが浮かぶ。


 しかし、なぜ鞄の中に手鏡があると思ったのか彼女は疑問を覚えていた。


 そもそも、この体は誰のものだったのかと思案したアラクネは、意識の中を探るともう一つの意識があることに気づく。


 アラクネはその意識に話し掛けてみるが返答はなかった。


 その代わりにもう一つの意識の記憶が彼女の中に濁流のように押し寄せる。


 この体の持ち主の名はハディーネだ。彼女は駆け出しの冒険者で恋人はいなかった。


 ハディーネの意識にアラクネはもう一度話し掛けてみたが返答はない。


「返事がないのなら好きにやらせてもらうわよ」


 アラクネは満悦の表情を隠せなかった。


「……とにかく、この体の強さを試すには武器が必要ね」


(それに目立たぬように生きていかなければいけないわね……)


 アウザーの記憶が脳裏をかすめたアラクネは体の震えが止まらない。


 漆黒の包丁を鞄の中にしまったアラクネは洞穴の中へと歩き出したのだった。



















 A3ポイントにロレン将軍率いる部隊が到着した。


 彼が率いてきた兵数は二千六百名で、これはCポイントから進軍してきた兵士たちの兵数も含まれている。


 ロレン将軍が直々に部隊を率いてきたことにより、ヒーリー将軍は王からの援軍がないことを理解した。


 早急にロレン将軍はヒーリー将軍と軍議に入る。


 軍議の結果、この部屋にある五つの洞穴を調べることになり、それぞれの洞穴に百名の兵士を送り込んだのだった。


 そして、送り込んだ兵士たちは戦死者が出たものの全ての部隊が帰還した。


 A3aルート 傾斜なく掘られている洞穴

 A3bルート 上方向に掘られている洞穴

 A3cルート 傾斜なく掘られている洞穴

 A3dルート 下方向に掘られている洞穴

 A3eルート 下方向に掘られている洞穴


 と、それぞれ名付けられた。


 この五本の洞穴の中でロレン将軍は、下方向に掘られている二本のルートに注目した。


 A3dルートとA3eルートだ。


 A3dルートの先には巨大な部屋があり、その部屋には二千匹を超える魔物の群れが確認されていた。


 一方、A3eルートの先には溶岩が流れる部屋があり、その先には下方向に伸びている洞穴が発見されている。


 この結果を踏まえてロレン将軍はA3eルートに進軍することを決定した。


 彼は溶岩の部屋の先には主がいる可能性が極めて高いと考えており、その理由は距離的に森の中心に近いからだ。


 ロレン将軍の命を受けたヒーリー将軍は、精鋭部隊の編成に取り掛かるのだった。


 一方、様々なことを試みたアラクネは自身の強さが転生前とほぼ変わらないと実感していた。


 だが、蜘蛛ではなくなったことにより、『毒牙』『溶解液』『糸』などの蜘蛛族特有の能力は消失しているが、彼女は特に問題はないと考えていた。


 アラクネが何よりも意外だったのは、強い男に対する激しい欲情が自制できるほどに低下していたことだった。


 そのため、彼女がは人族を食べたいとは思わなくなっていたのだ。


 アラクネは一日に下位の魔物を四、五匹狩り、それで得た金で食べ物を購入して目立たぬように過ごしていた。


 だが、彼女の容姿は男を引き寄せるようで、彼女は幾人もの男にパーテイに誘われたり、口説かれたりしていたが全て断っていた。


 目立つとアウザーに殺されてしまうという思いが彼女の頭から離れないからだ。


 このままでは精神がもたないと思ったアラクネは、大穴から地上に出て街で暮らすしかないと思案していたその時だった。


「――っ!?」


(アウザーにバレた!?)


 身を貫くような視線を捉えたアラクネは身体を強張らせる。


 しかし、しばらく経ってもアウザーがアラクネの元に訪れることはなく、視線の正体は少年だったのだ。


 安堵したアラクネは少年に向かって歩き出したのだった。













 包囲内でヒール屋を営んでいたシルルンたちは客が途切れたことにより、イネリアとリザが休憩のために洞穴に向かって歩いていった。


 洞穴内は地面以外に壁や天井にも鉄板が敷き詰められたことで、アースワーム種からの不意打ちを受ける危険性がなくなり、商人たちがテントの貸し出しを始めたのだ。


 このテントには簡易トイレも設置されているので女性が所属する冒険者たちには大好評であり、シルルンたちもテントを借りているのでリザたちはテントで休憩しているのである


 暇をもてあましていたシルルンは『魔物探知』を発動すると包囲内に魔物を探知した。


「――っ!?」


(えっ!? マジで!? 何で魔物を捉えた場所に冒険者がいるんだよ?)


 考え込むような表情を浮かべていたシルルンは『魔物解析』でその女冒険者を視る。


「やべぇ……アラクネって奴と同じ様なステータスだよ……」


 衝撃の事実に震え上がったシルルンは失禁しそうになる。


「フフッ……何か用かしら?」


 唐突に女冒険者がシルルンの目前に出現してシルルンに話しかけた。


「ひぃいいいいいいいぃ!?」


 シルルンは目を剥いて驚愕した。


 アラクネはじーっとシルルンの顔を見つめている。


「べ、別になんでもないよ……」


 シルルンは身体の震えを押さえつけようとしたが逆に震えは悪化して止まらなくなっていた。


「そうなの? すごく震えているように見えるけど」


「だ、大丈夫だよ!! 僕ちゃん用事があるからもう行くよ!!」


 シルルンたちは慌てて洞穴の出入口前まで逃走する。


 シルルンが振り返ってアラクネの所在を確認すると彼女の姿は消えており、シルルンは右手を胸に当て安堵の息を吐いた。


 だが、即座にシルルンは包囲内を見渡してアウザー教官の姿を捜す。


「ぐっ……さっきまでいた場所のほうが近かった……何やってんだよ」


 焦りを隠しきれないシルルンは意を決してアウザー教官に向かって駆け出そうとした。


「フフッ……そんなに慌ててどこにいくつもりなの?」


「ひぃいいいいいいっ!!」


(しまったっ!? 『瞬間移動』を持っているのを失念してたよ!!)


 シルルンは全身が凍りつくような衝撃をうけた。


「あなた、何か隠してるでしょ。行動が怪しいのよ」


 指先でシルルンの顎を掴んだアラクネはシルルンの顔を注視している。


「ぼ、僕ちゃん何も知らないよ」


 顔面蒼白のシルルンは視線をアラクネから逸らす。


「あなた、嘘をついてるわね。何を隠しているのか私に話してほしいのよ」


 アラクネの目がすーっと細くなる。


「ひぃいいいいいいいいっ!! アウ……ーぎょ……ん……だす……てっ!!」


 大きく息を吸い込んだシルルンは声を張り上げたが、アラクネに口を塞がれる。


「ア、アウザーを呼んでどうするつもりなの!?」


 取り乱したアラクネは困惑の声を上げる。


 しかし、シルルンに密着し過ぎて欲情が限界に達した彼女は、シルルンの首筋に食いついた。


「ぎゃあああああああぁ!!」


(し、死ぬ!?)


 シルルンは恐怖の形相で絶叫した。


「……あれ?」


(痛みがない?)


 戸惑ったシルルンは目をアラクネに向けると、彼女はシルルンの首筋をペロペロと舐めているだけだった。


「な、なんて甘い匂いと汗なの……」


 アラクネはとろけそうな表情を浮かべている。


「あれ僕ちゃんを食べないの? 君はアラクネっていう化け物でしょ?」


 その言葉に、アラクネは目を見張る。


「私は人族に転生したの。だから人族は食べないわ」


「ふ~ん……」


(けど人を食べなくても殺すことは可能なんだよね)


 シルルンは怪しげな眼差しをアラクネに向けている。

 

「なぜ、私がアラクネだと分かったのかしら?」


「僕ちゃんが魔物使いだからだよ。魔物使いは『魔物解析』っていう能力を所持しているから分かるんだよね」


「そ、そんな……」


 アラクネは動揺を禁じ得なかった。


「まぁ、普通は人に対して『魔物解析』は使わないからバレにくいと思うけどね」


「……ど、どうしたらバレないかしら?」


「う~ん……百パーセントバレない方法は無いんじゃないかな。あえて言えば人がいない土地で暮らすか、ネコ耳とかのアクセサリーをつけて誤魔化すぐらいかな」


「……」


 人と離れて暮らすなら転生前と何ら変わりはないと落胆したアラクネは暗い表情で俯いた。


「……ネコ耳のアクセサリーをつけると、なぜバレにくいのかしら?」


「うん、『魔物探知』で探られて、魔物だとバレたとしても獣人だと誤魔化せるからだよ。そのためのネコ耳だよ。だけど魔物使いが使う『魔物解析』を使われたら一発でバレるけどね」


「……私から人に危害を加えるつもりは絶対にないのに、どうしたらいいのかしら……」


「まぁ、僕ちゃんじゃその判断はできないから、アウザー教官を呼んで判断してもらうしかないよ。君の強さは看過できないからね」


「嫌よっ!! 絶対に呼ばないで!! 私は一度アウザーに殺されているのよ!! やっと人族に転生できたのに殺されるのは絶対に嫌よっ!!」


 恐怖に顔を歪めるアラクネは『魅了』を発動して彼女の目が怪しく光る。


『魅了』は対象を完全支配できる能力である。


 彼女は『魅了』でシルルンを無力化して大穴から脱出するつもりだったが、シルルンに『魅了』は効かなかった。


 彼は『魔物能力耐性』を所持しており、魔物が行使する能力を六十パーセント以上の確率で無効にできるのだ。

 

 『魅了』がシルルンに効かないことに対してアラクネは絶句していたが、はっと閃いたような表情を浮かべた。


「あなたは魔物使いよね。私をテイムしてペットにしてよ。それなら、あなたのペットだからアラクネとバレても殺されないんじゃないかしら?」


 アラクネは眼に期待を潤ませる。


「う~ん……ダメだね。僕ちゃんじゃ君をテイムできないと思うよ」


「大丈夫よ!! 抵抗しないしいい子でいるから、ね、ね?」


 アラクネは甘えた声でシルルンに抱きついた。


「う~ん……ダメだね」


 シルルンは首を横に振る


 アラクネがその気になれば強引にペット契約を破棄できることを彼は知っているのだ。


「なんでよ!! なんでよ……」


 アラクネの目の中に絶望の色がうつろう。


 必死に逡巡した彼女はハディーネの記憶から情報を引っぱり出す。


「それなら私をあなたの奴隷にしてよ。ペットにしてもらって奴隷契約もすれば大丈夫でしょ?」


 アラクネは期待に声を弾ませる。


「奴隷契約を結ぶなら僕ちゃんじゃなくてもいんじゃないの? 例えばアウザー教官とかホフターでもいいんじゃない?」


「アウザーは絶対嫌っ!! ホフターもお腹を斬りまくったから私だと分かると絶対に殺されるわよ。ねぇ、私はあなたがいいのよ……いい匂いがするし、汗も甘いし……」


 アラクネは恍惚な表情でシルルンを見つめる。


「……」


 シルルンは押し黙っている。


「奴隷にしてくれないのなら肩にのっているスライムを酷い目にあわすわよ。私から人族には攻撃しないと言ったけどスライムは別よ」


「ひぃいいいぃ!! わ、分かったよ」


 シルルンは慌てて了承した。


 アラクネは嬉々としてシルルンに抱きついた。


「じゃあ、とりあえずテイムするから離れてよ。それと抵抗しないでね」


「わかったわ」


「えいえいやぁ!!」


 『集中』を最大出力で発動したシルルンは紫の球体を作り出して、紫の結界でアラクネを包んだ。


「これがテイムの結界……」


 魔力の消耗を感じるアラクネは指で結界に触れていたが、意識の抵抗を弱めると一瞬で意識がブラックアウトした。


「これがペットになるということなのね……」


(マスターとの絆がしっかりと感じ取れるようになったわね……)


 結界が消失すると、意識が回復したアラクネは瞼を開いてこぼれるような笑みを浮かべる。


 彼女にはシルルンの力になりたいという想いの源泉が芽生えており、それが溢れ出してとどまることがなかった。


「うん、意外にうまくいったみたいだね。あと名前を決めないとね。アラクネって呼んだらすぐバレちゃうし。ん……アラクネだからクネクネって名前はどう?」


「そんな名前は嫌よ」


 顔を顰めたアラクネはそっぽを向いた。


「ん……じゃあ、クネア、ネーア、クネラ、ラーネ、クーネのどれがいい?」


「その中ならラーネがいい響きだわ」


「じゃあ、ラーネで決まりだね。あとちょっとついて来て。露天に行って奴隷証書を買わないといけないからね」


「フフッ……分かったわ」 


 ラーネは素直に頷いた。


 シルルンたちは洞穴の中に移動して、多数並んでいる露天馬車をを見て回る。


 その中の数台の露天馬車には、ほとんど全裸に近い姿の男と女が販売されていた。


 彼らは奴隷だ。博打などで借金がかさんで借金の形として売り飛ばされたのだ。


「いらっしゃい! 今なら奴隷証書なしで一人五十万円でいいですぜ」


 愛想がいい屈強な男がにんまりと笑う。


「永久契約のほうの奴隷証書だけ欲しいんだけど売ってるかな?」 


「もちろん扱ってますぜ。特記事項はつけますか?」


 シルルンは視線をラーネに向けた。


「転売不可をつけてほしいわ」


 ラーネは即答する。


 奴隷証書には二種類あり、永久奴隷証書は桃色で一年契約奴隷証書は白色だ。


 そして、奴隷証書には特記事項があり、特記事項を追加することが可能なのだ。


 転売不可を追加すると奴隷を売ることができなくなり、マスターか奴隷のどちらかが死ぬまで契約が継続されるので、相手が異性の場合のみに限ってエンゲージとも呼ばれることもある。


「へい、永久契約奴隷証書が一枚八十万円、転売不可を一点追加で二十万円、合計百万円になりやす」


「うん」


 シルルンは金貨十枚を店員に手渡した。


「確かに。それではこちらが永久契約奴隷証書になります。ご確認を」


 奴隷証書を受け取ったシルルンは奴隷証書に目を通した。


「うん、本物だね。あと獣耳みたいなの売ってるかな?」


「もちろんおいてますぜ。くくっ、お客さんもまだ若いのに好きですなぁ。そちらの女性におつけになるんで?」


「えっ!? う、うん」


 シルルンは言い訳しようとしたが、あえて反論しなかった。


 どう言い訳しようとラーネが獣耳を身につけることは本当のことだからだ。


「安いのと高いのがありますが、どっちにしますか?」


「どう違うの?」


「安いのはただつけるだけのもので見た目で作り物だとすぐ分かってしまいます。耳とシッポのセットで五千円になりやす」


「ふ~ん」


「高いほうは精巧に作られていて魔導具の類になりますので、つけると自分で動かすことが可能です。愛好家たちに生み出された血と汗と涙の結晶の一品なのですよ。お値段は耳とシッポのセットで五十万円になりやす」


「ふ~ん、じゃあそっちで……」


(愛好家たちは何をやってるんだよ……)


 呆れ顔のシルルンは金貨五枚を店員に手渡した。


「確かに。ではこちらがネコ耳セットです」


 シルルンはネコ耳セットを受け取って、ラーネに手渡した。


「フフッ……あら、ほんとに私の意思で耳もシッポも動くわ」


「へぇ、すごいね……」


 シルルンは愛好家たちの意地のようなものを感じたのだった。


「またのお越しをお待ちしております」


 店員に見送られたシルルンたちは人気の少ない場所に移動する。


「じゃあ、奴隷証書に手を置いて誓約して」


 シルルンが掌の上に奴隷証書をのせるとラーネが奴隷証書の上に手を重ねる。


「私はあなたの奴隷になります」


 ラーネが宣言すると奴隷証書が淡い光を発し、一枚だった奴隷証書が二枚に分かれてシルルンとラーネの胸に吸い込まれたのだった。


 ちなみに、胸の中に吸収された奴隷証書は自分の意思でいつでも取り出すことが可能なのだ。


「えっ!? これで終わり?」


 テイムされたときのような幸せな感覚が何も感じなかったラーネは面食らったような顔をした。


 だが、これで殺されずに生きていけると思ったラーネは、シルルンに抱きついて恍惚な表情を浮かべた。


 こうして、シルルンのペットにラーネが加わったのだった。


挿絵(By みてみん)


ラーネの人型バージョン。





 勇者について


 勇者は人族の最強の切り札である。勇者がいなければ、人族はこれほど栄えてはいなかったのだ。


 彼らはどの国にも仕えておらず、人族の仇となる魔物を独自の判断で狩る存在なのだ。


 故に人族同士の争いには一切干渉せず、その力は魔物にだけに向けられており、勇者はどの国にも入国が認められて歓迎されるのだ。


 勇者の認定について


 勇者は唐突に目覚める。


 それは乳飲み子である場合もあるし、年老いた老婆だったりもする。


 勇者は目覚めると必ず体の一部が金色に光り輝き、以後、絶大な力を得るのだ。


 現在、この世界には三人の勇者が確認されている。

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[一言] トラウマを植え付けられたアラクネ(元) まぁ、殺されたくはないよね(゜ー゜)(。_。)ウンウン
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