杏奈の願い
とりあえず、テレビは消した。
これ以上、あの映像を見せられても気が滅入るだけだし、それに新たな情報を伝えてくれる事も無いだろう。
「和吉さん、お願いがあるんですけど」
「は、はい、…えっと、何でしょうか?」
怯えた様子の相坂を見て、杏奈の表情が翳る。
彼女にこんな顔をさせるのは本意ではなかったが、生まれ持った臆病さが今は頻繁に顔を覗かせるのだ。
仕事以外の場所で、ほとんど見知らぬ他人と長時間を過ごした経験など、もう、学生時代まで遡らなくては存在しないくらいだ。
いや、違う。
学生時代と今現在までの間に、一度だけ。
でも、それも過去の事だ。
心を落ち着けて、気を取り直して、呼吸を整えて、大人の余裕を思い出して。
「お願いとは何ですか?」
「お願いしても、大丈夫ですか?」
「勿論。召喚士と、召喚された人は、仲良くなった方が良いという説明を受けています。だから、何でも遠慮無く言って下さい」
「説明、ですか…」
杏奈の表情は翳ったままだ。
また、ミスをしてしまったのだ。
それが真実であろうと、何も馬鹿正直に説明を受けたから仲良くなりたいなんて、言わなくても良かったのだ。
「あっ、いや、説明はその、まあ、そういう話を聞いたんだけど、それとは関係なしに、仲良くなれた方が良いとは本当に思ってるから…」
口下手なのを自覚したのも、あの頃だった。
嫌な事ばかり思い出す、悪い癖だ。
「私、和吉さんの住むこの世界を見てみたいんです」
「えっ?…ああ、うん、そう…か、うん、そうだね、それが良いかもしれない」
まあ、杏奈とは親子ほど年が離れているように見えるだろうし、夏休みの娘と父親が一緒に出掛けているように演じてしまえば良い。
勿論、そういう演技が下手な事は自覚しているが、この際、仕方が無い。
この微妙になってしまった空気を解消するには、杏奈のお願いというのを快く聞いてやって、和やかな状態にした方が良いだろう。
とりあえず、一番近くの召喚士がいる方だけは絶対に避けるつもりだった。
「えっと、とりあえず…」
どこに行けば良いのだろうか。
杏奈の言う世界を見るとは、どういう場所に連れて行けば良いのだろうか。
思案した挙句、何も思いつかなかったが、とにかく、一緒に外へと出てみた。
「あっ、そうだ。一応、言っておくけど、他人の前で空を飛ぶのは禁止で。風を使うのも…」
「敵に襲われた時は?」
敵か、昨日までの平穏はどこに行ってしまったのだろうか。
「その時は、まあ、臨機応変に。…いや、存分に戦って下さい」
もう、敵に襲われたりしたら、人目を気にしている場合ではないだろう。
あのニュースで流れていた映像を見る限り、こちらが無抵抗で逃げ回ったとしても、無駄な努力となってしまうだろう。
「出来るだけ、今は敵と出会わなければ良いですね」
「うん、そうだね…」
杏奈が気遣ってくれたのが分かり、相坂としては何とも言えない気分だった…。