諦めの悪い女
何かがあったのだろう、とは思う。
それほどに、今はアストリットという名前を知った敵の変化は劇的だった。
最初、それが罠かと疑うくらいに、急に戦いへと傾倒してしまった。
だが、わざと、接近を許すという賭けに出て、その疑いは確信へと至った。
彼女は何故だろうか、自分だけを見てしまっていると。
お互いに、自分の召喚士を晒した状態での戦いだ、向けられる注意のほぼ全ては自分の召喚士にこそ、向けられて然るべきだ。
それが出来なくなった以上、彼女の敗北は必然だっただろう。
今、アストリットが本田茉莉という召喚士に向けている視線が、その原因を示しているようにも感じる。
疎ましい、そんな感情がその視線には込められていた。
自然と、視線をユミカに向ける。
自分は今、どんな風に彼女を見ているだろうか。
今までの人生で、他人を見るという行為をしてこなかったせいか、自分の視線に込められているのがどういう感情なのか、良く分からない。
ただ、こちらの視線に気付いたユミカが最初、ちょっと戸惑ったような表情を見せ、でも、すぐに花が咲いたような笑顔になったところから、自分はユミカを疎ましくは見ていないのだろうと理解する。
そして、そんなユミカは今、本田茉莉、いや、マツリと楽しそうに話している。
「おい、お前」
未だ、マツリを疎ましそうに見やっているアストリットは、俺に声を掛けられて舌打ちした後で応じる。
「…何?」
「敗北がマツリのせいだと思っているのか?」
「さあ、どうかしら?こちらのせいではなく、そちらの実力が凄まじかったのかもしれないわ」
「いや、実力は拮抗していた。敗北はお前の油断によるものだ」
殺意だけを凝縮した光を灯した眼光が、俺にとっては見慣れたもの過ぎて肩を竦める。
「これからは、軽々に油断などしてもらっては困る。お前自体が死ぬのは構わないが、ユミカやマツリを巻き込まれるのは迷惑だ」
アストリットの瞳から、殺意が少し鈍くなる。
ただ、それはより危険の濃度が増したという事なのだが。
「妾が、死をすらも厭わなければ、その召喚士達を殺してしまっても…」
「下手な挑発は止めておくんだな。お前みたいなのは、自分の命を秤にかけられない。自分に対するリスクさえなければ、何の躊躇もなく動けるんだろうがな」
「黙れ、黙れ、黙れ、…黙れよ!」
アストリットは一瞬で、マツリの首を掴んでいた。
掴まれたマツリも、それを見たユミカも意味が分からなかったらしく、茫然としていた。
「自分の召喚士だけに注意を向けているから、反応が鈍ったわね?」
「いや、反応する必要が無かっただけだ。お前が負けを認めた時点で、俺の弾丸はお前に入っているからな」
「は?」
「こうすれば、分かるか?」
次の瞬間、左胸に鈍い痛みを感じたのだろう、アストリットが顔を歪めた。
「これ、何…?」
「恐らく、お前も俺の知らない奥の手を持っているだろうが、当然、それは俺にだってある。まあ、今までは勝つと殺していたから、あまり使う機会は無かったんだがな。今、お前の心臓の近くに俺の弾丸がある。俺が殺すと決めれば、即座に殺せるようにな。俺にとって、勝ち負けってのは生死を意味する。だから、負けた奴には死ぬ以外に無いって事で、そういう仕込みをしているんだが、今のような場合、悪くない使い方も出来るな」
「攻防一体の弾丸が、ここに…」
いざという時、その弾丸はアストリットを守るのにも使えるのだが、それは口にしなかった。
彼女も守られるような状況を望んではいないだろうし、そもそも、俺も積極的には彼女を守るつもりがなかったからだ。
「で、どうする?続けるか、妥協するか?」
アストリットは掴んでいたマツリの首を離した。
ただ、まあ、当然の事ではあったが、その眼光には妥協の欠片すらも灯っていなかった…。