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さあ、職場で先輩と喧嘩して帰った時の話をしよう!  作者: 安藤ナツ


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11/12

安藤ナツ、出張先から帰る。

 そして運命の日が訪れた。


 初めてこの工場に来てから、約二ヶ月もの時間が過ぎていた。


 既に製造部の人間による修繕作業は終わっており、設置された全ての施設の試運転が始まっていた。一つだけでも手が回らないのに、それが三つ。トラブルは続出し、作業は熾烈を極めた。


 誤解のないように書いておくが、先輩社員の仕事に落ち度はない。単純に納期が短い仕事であった為に、図面の完成度が低く、それ故に完成品に欠陥が多く、その場しのぎの改造と補修を続けた結果、最初期の思想はなくなってしまい、設備には抜本的な改造が必要となっていた。


 もはや現地での判断でどうにかなる状況ではなく、自社のミスを認めて、追加の改造工事の許可とその資金を営業がどうやって引き出すかが、問題の焦点となっていた。


 いわば、ナツと先輩社員は『頑張っていますよ』と言うポーズであり、交渉がまとまるまでの人質のような物だった。


 が、先輩社員は自分の判断でこの状況を何とかしようと、太った身体で奔走をしていた。幾ら運転手の腕が良かろうと、マシンがまともでなかったら意味がない。


 そもそも、ナツよりも二年間の経験がある程度で、そこまでの技術力があるわけでもないだろう。それは無駄な仕事であり、無意味な努力に思えた。


 また、二人の人間関係はまったく修繕されておらず、むしろ製造部員がいなくなって二人きりになったことで悪化すらしているように感じた。


 この日も挨拶を無視されたが、既にそれがお決まりの挨拶のようなものである。


 ただ、工場の入り口で客先の重役らしきスーツ姿の人間が社員に挨拶をしているのを見て、


「やっぱり、挨拶は大切やぞ? 安藤。上の者が下に挨拶をしないとダメや」


 なんて寝言を言っていたのは愉快で、


「挨拶をしても無視する人は、やっぱり良いことを言いますね」


 ナツは爽やかに相槌を打っておいた。


 関係性は悪化の一途を辿っている。




 工場内の駐車場に車を停めたナツは、休憩小屋のカギを開け、ブレーカーを上げると、必要な書類を持って客先の事務所へと向かう。この間、先輩社員は喫煙中である。


 当初は先輩社員が客先との打ち合わせ等を行っていたのだが、仕事が上手くいかないことに苛立った彼が、客先相手に怒鳴り散らすと言うウルトラCを決めたお蔭で、客先対応もナツの仕事となってしまったのだ。


 打ち合わせと言う予定調和を終わらせると、先輩社員が待つ休憩所へと急ぐ。別に恋しいわけではない、データの収集を素早く行わなければならいないからだ。現在は三台の設備が動いているために、集めるデータは単純に三倍である。


 また、先輩社員の指示に従って、それぞれの設備プログラムの変更や、トラブルがあった場合の対応もしなくてはならないので、時間に余裕などはないのだ。


 休憩所に入ると、記録用紙を手に持ってすぐに休憩所を出る――


「お前は楽でいいよな」


 ――予定であったのだが、今日は若干の違いがあった。


「言われたことをしていれば、給料がもらえるんだから」


 先輩の機嫌がすこぶる良かったのだ。


「何も意見出さず、言われたとおりにハイハイ言ってるだけなんて、うらやましいわ」


 そんなことを言われても、ナツは今回が技術部としての初仕事とも言えるわけであり、建設的な意見など出せるはずもない。


「俺は相談ができる人間が欲しかったのに。お前を連れてくるくらいなら、人形でも持ってくれば良かったわ」


 が、この手の発言は今更だ。


「へー。先輩の持ってる人形って、普通免許持ちなんですね。幾らしました?」


 ナツは売り言葉に買い言葉と、先輩社員の言葉を鼻で笑う。先輩社員は明らかに怒りの表情を浮かべる。見慣れた表情だ。


「って言うか、社会人ですから、言われた仕事をして給料を貰うのは常識ですよ。金にならないなら、俺はここにいませんよ」


 朝から突っかかって来るな。ナツは吐き捨てる。


「お前はその程度のやる気しかないのか!」


 すると、先輩社員は低い声で唸るように言った。細い眼が更に細められ、殆ど黒目しか見えなくなった。


「そんなんだから、仕事が上手くいかんのだ! やる気を出せ! やる気を!」


 嗚呼。鬱陶しい。


 ナツは久しぶりに自分の我慢が許容量を溢れそうなのを自覚する。


 が、若い血潮はそれをコントロールする術を持たない。


「やる気があったら上手く行くんですか?」


 データ収集が遅れても構わない。ナツが噛みつく様にして尋ねる。


「まず、やる気がないと始まらんやろ! お前はやる気があるんか!」

「やる気がなかったら、こんな場所にはいませんよ」


 既に一カ月以上は自宅に帰っていない。忙しさのせいで本屋にも行けてない。ホテルの切れ味の悪い爪切りでは、きれいに爪を整えられない。夜間に設備の警報が鳴って呼び出された回数は片手を超える。飲酒している先輩社員は使えず、ナツだけが対応した。


 これ以上、何を求めると言うのだろうか。


「お前のやる気はその程度なのか!」

「は? 先輩はやる気が『ある』か『ない』かを訊ねたんですよ? どうしてやる気の『量』で怒鳴られる必要があるんですか? やる気に単位があるんなら、正確な数字で答えますけど、寡聞にして知りませんので御教授頂けますか?」

「ふーん。お前はやる気がないんやな」


 何故か得意げに、先輩社員が腕を組む。ナツは手にした記録用紙をバインダーに挟み、鬱陶しそうに「あるって言ってるじゃないですか」と吐き捨てる。


「じゃあ、設備はどうすれば客先の要望に応えられる? どうすれば研修が上げられる? 言ってみろよ」


 その問いに、ナツは言葉を詰まらせる。


 そんな方法は、知らない。おそらく、世界中で誰も答えることができない問だ。回答があるのであれば、どれだけ幸せだろうか?


「ほら、やる気がないから答えられない」


 勝ち誇る先輩社員。どうやら、無言で睨み付けるしかできないナツを見て、多少は気が晴れたらしい。


 反対にナツのイライラは募るばかりだ。


「その理屈で言うなら、やる気に満ち溢れる先輩は、素晴らしい答えを知っているんでしょうね。俺は、データ記録に行ってきます!」


 精神衛生上の為に皮肉を言って、ナツは強引に休憩所を出た。


「話は終わってないぞ!」


 そんな先輩社員の煙草臭い台詞は、ドアを強く締めて聞こえないふりをした。




「お前には常識がないのか?」


 重たい腹の贅肉を揺らしながら先輩社員が作業場に現れたのは五分程度の時間が経った頃だった。煙草を最後まで味わって、トイレにでも行っていたのだろう。しかし工場内に入ってから真直ぐにナツに向かって来るのは良いのだろうか? 他にやることは沢山あるだろうに。


「ありますよ」


 記録を取りながら、雑にナツは返事をした。ディスプレイに表示される数字を写し取っている内に、多少は頭が冷めていたが、その口調は荒い。


「こっちを向け! 人の話しの途中でどっかに行くな!」


 その意見は最もだが、ナツはその意見を言う権利がこの先輩社員にあるとは思えなかった。


「そう言う所が、常識ないって言うんだわ!」

「だから、あるって言ってるじゃあないですか、常識」

「どこにあるんや! 言ってみろ!」

「日本語で喋ってるじゃあないですか」


 適当に思いついたことをナツは口にした。


「服だって来ているし、スーパーで買い物だってしますよ」

「そんなん常識とは言わん!」

「だったら、なんていうんですか? 本能ですか? 常識ですよ、これも」


 ようやく振り返ったナツは、先輩社員に続けた。


「だから、俺の常識について攻めたいなら、常識が足りないとか、薄いとか、そう言う言葉を使ってくださいよ。零か一かでしか、物事が判断できないんですか?」

「そう言う態度が常識がないって言うんだ! 先輩やぞ、俺は!」

「同期じゃなかったですっけ?」


 太った黒い指先に、ナツは胸倉を掴まれた。もう、殴られたら殴り返そう。体重では随分と負けているが、若さと勢いでボコボコにしてやる。そんなことを考える。もはや言葉も態度も選ばない。


「お前の常識はここ!」


 が、意外なことに先輩社員の左手は、天を指した。声は怒気に満ちており、大量の唾が飛んだ。そしてすぐにその手は地面を指す。


「普通の人間の常識は、ここ! これだけ差があるんや! わかるか! 全然違う!」

「だから、日本語が通じてるっつーの! 日本で! 日本人が! 日本語を喋る! これが常識じゃあなくてなんですか! ちょっとくらいは触ってないとおかしいでしょ! あと、唾飛ばすんじゃあねーよ!」 

「口応えするな! お前が何考えとるかわからんわ! 不思議ちゃんやな、お前! これから不思議ちゃんって呼ぶわ!」


 そこで一度、先輩社員は勝ち誇ったように表情を歪めた。『不思議ちゃん』と言うレッテルを貼り付けたことで、自分の優位性を示したのだろう。

 馬鹿馬鹿しい。ナツは「へぇ」と薄く笑う。


「先輩は、『何考えているかわからない人間』を不思議ちゃんって呼ぶんだ」

「そうや? お前は不思議ちゃんだわ!」

「そうですか、じゃあ俺も先輩を不思議ちゃんって呼びますよ? 先輩の考えなんて知りませんから!」

「好きにすれば良いやろ?」

「じゃあ、不思議ちゃん。仕事に戻っていいかな? 良いですよね? 不思議ちゃん?」


 完全に相手をおちょくった台詞に、今までで一番先輩社員が切れたのが分かった。浅黒い顔を赤くし、手が震え、瞳に狂気が宿る。


「もう知らん! 出てけ! お前と一緒に仕事なんてできるか!」


 右手で思いっきりにナツの身体を投げ飛ばし、先輩社員は肩で息をする。何とか怒りを抑え、自我を保っているように見える。ただ、ナツは漫画のように鼻息荒い先輩社員の姿を、嘘っぽく感じた。


 人生において、ここまで怒った人間を見たことがないので、どうしても演技の様に思えてしまったのだろう。


 そんなことを考えながら、ナツはIPhoneを取り出す。右手で耳にそれを当て、左手は広げて前に突き出して先輩社員を牽制する。

 コールが三回続いた後に、相手が電話に出た。


「あ、課長ですか? 今、先輩に帰れって言われたんですが、帰っても大丈夫でしょうか?」


 怒りながらも少しだけ驚いたような先輩社員に、ナツは唇の端を釣り上げる。暴力を振るわなくてよかった。


『ああ。そうか。良く頑張ったな。今日はもう、直帰しろ。報告は明日で良い』


 この勝負(?)は、スマートにナツの勝ちだろう。


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