4.朱葉の過去
彼――東の果ての魔術師、フーベルトゥス・アイブリンガー――は、ボクを揺らぎの無い瞳で見て、やがて蒼麟に目を止めた。
「アカハ・コウヅキ、か。なんと呼べばいいのだ?それから腕の中の者は、まさか番人の子か?」
「はい、そうです。……あ、ボクのことはアカハ、とお呼びください」
「僕はソウリン。アカハの従魔です」
ボク達が自己紹介すると、彼はその形のいい眉を片方だけ上げた。
「わかった。ソウリン、といったか?アカハが名付けたのかい?」
「は、はい……。蒼麟の名はボクが付けました」
「そうか、凄いな。あ、アカハも俺のことをバルトと呼んでくれ。あと、口調を変えろ、堅苦しいのは嫌いなんだ」
わ、割とフランクな人なのかなぁ。
えっと何で吃ってるのって?緊張してるからに決まってるじゃん。
「わ、わかった……バルト」
「ああ、それでいい。ところで、俺はアカハがエスタルシアに来たときのことを知りたい。思い出せる限りでいい、教えてくれないか?」
「ボクでいいの?ボクの話なんて大して役に立たないんじゃないかなぁ……」
「俺はアカハの話が聞きたい。お前の世界であったこと、お前が感じたこと、みたこと聞いたこと、なんだっていい。俺に聞かせてくれ」
「う、うん。わかった……」
自信はあんまりないけど、あの日のことを思い出しながら話し始めた。
まだ、地球……日本にいたころ。転移する半日くらい前、かな。
朝、学校に行った。何時もの日常があったよ。友達と駄弁って……。
あの日は部活が無くて、早く帰ったんだ。学校を出るとき、小さい鈴の音が聞こえたような、気がする。
家では兄貴が待ってた。早めの晩ご飯を食べた後、ボクは兄貴と喧嘩したんだ。
けんかの理由はなんだったかな。とても些細な事だったんだと思う。兎に角、ボクは家を飛び出した。滅茶苦茶に走って、気づいたら見知らぬ街にいた。
その時、何処からか強い光がさして来た。……それが、ボクが地球で見た最後の景色だったんだ。
チリン、と澄んだ高い音がした。
そう、学校から出る時に聞いた音と同じ、鈴の音。
その音が聞こえたと同時に、ボクは深い闇の中にいた。
殆ど何も見えなかったけど、かなり速い速度で移動していることだけはわかった。
闇の中にいる時、ボクは心の中でたくさんの声を聞いていた。
理解することはできなかったけど、ね。
声が聞こえなくなって暫くして、ボクの意識は闇に飲まれた。
次に目覚めたときボクはあの崖の上にいた。そのあとは蒼麟の知ってる通りさ。
「――――ボクが今、一番会いたいと思ってるのは、会いたいと願うのは、兄貴。りあ兄とは、けんか別れしたままだもん……。それに、お父さんはボクが生まれる前に既に死んでいたし、お母さんだって……、ボクが6歳のときに、ボク達をおいて逝ってしまったし。だから……、ボクが家族と言えるのは、りあ兄だけなんだ……。兄貴に、りあ兄に、会いたいよぉ!りあ兄、りあ兄……!兄貴はボクのこと、心配してくれているかな。りあ兄、元気だと、いいな……」
そうして、語り終えた。
暫くの間、その場にはボクの泣き声だけが響いていた。話しているうちに、りあ兄との思い出がどんどん溢れ出してきて、心臓の辺りがぎゅっと掴まれた様に痛いよ……。
暫くの間ら誰一人口を開こうとするものはいなかった。
沈黙を破ったのは、バルトだった。
「アカハ、もういい。今日は休め」
「……うん」
「俺について来い」
「うん」
言われるがままに歩く。そのうちに、何処かに着いたようだった。
「此処がアカハの部屋だ。好きに使っていい」
「あ、ありがとう……」
中に入り、扉を閉める。
僅かな静寂……。
意を決して蒼麟を見た。
誰かに話したくて、堪らない。
「……ねぇ蒼麟、ボクの話、聞いて?」
「どんな?」
「……お母さんが死んだ時のこと」
「僕で良ければ」
「ありがとう……」
つい最近に母親を亡くした蒼麟には辛いかもしれないけれど、それでも、聞いて欲しかった。
少し間を置き、口を開く。
「その時、ボクは6歳だった――」
晴れ渡った秋の日のこと。
ボクは当時住んでいたマンションの下で遊んでた。12歳だった兄貴は、お母さんとベランダに出て話してた。
その時、兄貴が寄りかかってた手すりの鉄柵が外れたんだ。
兄貴が落ちそうになって、お母さんが助けようと兄貴を部屋の方向へ押し、お母さんは、落ちた。
ボクの目の前に、落ちてきた。
直ぐにはお母さんとは気づかなかった。だけど、
「お母さんっ!!!」
兄貴が叫ぶ、声が聞こえたんだ。
それで分かった。目の前の物は母親なんだって。
スローモーションみたいに、時間がゆっくりと経過して行っている様だった。
優しかったお母さん。
綺麗だったお母さん。
憧れていたお母さん。
それが、目の前で肉塊となって、倒れていた。こんなにも、醜くなって。顔が判らなくなるくらい。
血は吹き出し、全身が傷だらけで、お母さんだとは思いたく無かった。
「やだ……。やだ、やだっ!!ほんとにお母さんなの!?やだよっ!どうして!?ねえっ!!」
だから叫んだんだ。
そのうちに兄貴が走ってきた。
「母さんっ!ねえ!置いてかないでよ⁉︎返事、してよ!なんでみんな置いて行ってしまうんだよ!父さんだって、母さんだって!!何で、何でなんだよっ⁉︎俺を、俺なんか助けなくて良かったのに!うわぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
そうやって、兄貴は慟哭した。
数日たって、お母さんの葬儀も終わり、ボク達はお母さんの妹、つまり叔母さんの家に引き取られた。
何年かたって、ボク達は二人で住むことになった。それから、兄貴がお母さんが死んだ時のことを話してくれた。お母さんが死んだあの日以来兄貴はボクにしか笑顔を見せなかった。そんな兄貴が痛々しくて、凄く悲しくなってしまって、だからボクは、兄貴を支えたいって思った。だけど、できなかった。
きっとりあ兄、悲しんでる。
お母さんもお父さんも、さらにはボクまで失って。
それに、たぶん、自分を責めてると思う。
「――ずっと一緒に、居たかった……」
「アカハ……。君のお兄さんの名前は……?」
「……龍愛人。紅月、龍愛人。こっちだとリアト・コウヅキ、かな」
りあ兄。もう一度、もう一度だけでいいんだ。会いたいな……。
りあ兄への心配を抜きにしても、りあ兄はボクにとって大事な大事な兄貴だから。
「ごめん、アカハ。僕にはどうすることもできない……」
「ううん、大丈夫。……兄貴のことは心配だけど、でも、大丈夫だよ。ボクの胸にいればいいから、ボクのことは心配しなくていいんだ」
「そう……」
「蒼麟、もう寝よう?おやすみ」
「……うん」
***
目を閉じ、眠りに落ちた朱葉。その頬に一粒、涙が伝った。
「アカハ……。もう、そんな表情、させないから。君は僕の一番大切な人だから。絶対、離さない。絶対、泣かせない……」
涙の跡がついた朱葉を見ながら、蒼麟は、そう固く誓った。
***
窓から紫色の月が顔を出す。光に照らされ、一人の人物が浮かび上がった。
フーベルトゥス・アイブリンガー。
部屋から聞こえてきた勇者の、アカハの話を思い出し、小さく彼は言う。
「勇者があんな過去を持っていたとは。母親が目の前で死んだのか……。兄が可哀想、と言っていたが、俺にはアカハの目が辛かった。あんな悲しそうな目。移ろい人は“都市”には来ていないのか?可能性がないとは限らない。調べなければ。あれでは、勇者が壊れてしまう……。それに、兄の心も気になる」
その日、魔術師は動いた。ただ一人、アカハを救うために……。
月明かりの下、フクロウ達が塔の上から飛び立った――。
2015/12/12 修正
2016/04/29 修正
修正点
・会話文が続いている箇所に地の文を追加
・…が奇数の箇所を偶数に
・その他、諸々