血塗れ公爵夫人の館
「グエエッ?!」
とある日の朝。
突如として現れたエローペが、ヒュガルの座っていた玉座に落ちて来た。
やや、高い場所から現れた為に、重みを増して膝の上へと落ち、「ぐしゃり」と言わんばかりに股間を潰してヒュガルに苦痛の声を発させた。
「あれ? ゴッメン、居たんだ?」
その事によりエローペは気付き、とりあえずの形で玉座から離れ、ヒュガルはその隙に股間を押さえて玉座を上司のエローペに譲る。
ちなみに今日のエローペの服は、黒のレザーに同色のミニ、加えて同色の帽子を被る、女軍人さながらのもので、赤の短い鞭を持って、不敵に笑ってヒュガルを見ていた。
「だ、大丈夫ですか魔王サマ? 使い物にならなくなったら自分困るんですけど……」
「私だって困るわッ! だが、まぁ、なんとか大丈夫だ……
兎に角跪け、邪神様の御前ぞ」
ルキスに聞かれてヒュガルが答える。その後にはエローペの眼前で跪き、近寄って来たルキスがそれに倣った。
「そいつは何だ? なぜ玉座に座る?」
こちらはシリカで、状況が分かって居ないらしく、疑問の表情で立ち尽くしており、筋トレを中断して寄って来たカイルに「誰ですか?」と聞かれて「さあな」と答えた。
「へー? 新しい配下が出来たんだ? あたしはエローペよ。
よろしくねー」
エローペが言って右手を振るが、シリカはそれには顔を顰めた。
カイルは「はぁ」とは答えはしたが、自己紹介や返礼をせず、それらの態度にイラついたのか、エローペは人差し指で頬を掻いた。
「ちょっと教育がなってないかなー……」
直後に言ってヒュガルを脅かす。
「こ、この方は邪神エローペ様と言って……ッ!」
と、ヒュガルが説明をしようとしたが、それより早くエローペはシリカとカイルに何かをしでかした。
「キャーーーっ!?」
「うわああああ!?」
シリカとカイルが煙に包まれ、煙の中で小さくなっていく。
「し、シリカ!? カイル!?」
取り乱してヒュガルが名前を呼ぶが、二人から答えは返されて来ず、
「ブヒッ!? フゴッフゴッ!」
「コケッ……コッコッコッ……コケェ!?」
やがて現れた豚と鶏が、それぞれの鳴き声で鳴いただけだった。
服装を見る限りではシリカが豚で、カイルが鶏にされたようで、どうやら本人の意識はあるらしく、取り乱した様でヒュガルに寄って来た。
「ホントに雌豚なってやんの……豚小屋に放り込んで孕ませてやろうかァン?」
「ブキィィー!?」
そんなシリカを捕まえて、邪悪な顔でルキスが微笑む。
それは流石に冗談だろうが、捕まったシリカは顔色を変えている(豚なりに)。
一方のカイルはヒュガルの頭で両手を広げて「コケコケ」鳴き続け、地味に鋭い脚の爪でヒュガルの髪を掻き毟った。
「も、申し訳ございません。私の不手際です。
この者達は何も知らなかっただけなのです。罰則ならば、この私に……」
そんな状態で頭を下げて、鶏と化したカイルが落ちかける。
だが、爪を立てて何とか耐えて、ヒュガルの頭皮へのダメージを増やした。
「ふん……まぁ、今回だけはね」
エローペが答えて右手を動かす。
「離せえッ! このド畜生がッ!」
「卵が産めないと肉にされちゃう……!?」
「げはぁ!?」
直後には二人の姿が戻り、カイルの重みでヒュガルが潰れるのだ。
シリカはルキスに「キタッタネー言葉遣いだな……」と呆れられ、事実であるので顔を逸らし、カイルもようやく元に戻った事に気付き、慌てて退けてヒュガルに謝った。
「今日はあんたに頼みがあって来たの」
そんなヒュガル達に構う事無く、足を組み直してエローペが話し出す。
態勢を整え、一列に並んだ後に、ヒュガル達は静かに続きを待つ。
「ま、頼みって言うか命令だから、断るケンリはそもそも無いんだけど」
「そ、それは重々」
それにはヒュガルが短く返し、満足そうにエローペが微笑んだ。
「あたし達邪神の宴会の為にサ、人間の魂を集めて欲しいワケ。
数にするなら五百個くらい? 街ひとつ潰せば楽勝な数っしょ?
ま、でも方法はあんたに任せるから、五日位で何とかしてよ。
コレ、「魂の檻」っていうアイテム。一つに大体二百個くらい入るから、念の為に三つ置いてくネ」
現れたものは砂時計のようなもの。
色は灰色で中身は空っぽ。中心のガラスを守る線が、宛ら檻を表しているかのようだ。
それらは三つ、目の前に現れ、ヒュガル達が顔を顰めている間に、「よろしく~」と言ってエローペは消えて行った。
「魂……って、そんな簡単に、五百個も集まるモノなんですか?」
「エローペ様の仰るように、街のひとつも潰せばすぐにな。
だが、そうする訳にはいかん以上は、他の方法を考えねばなるまい」
ルキスに答えて魂の檻を持ち、懐の中にしまった後に、ヒュガルはその場に立ち上がった。
ヒュガルが本魔に話を振ったのは、それからおよそ十分後の事だった。
皆で色々と相談してみたが、良い案と言う物がなかなかに出ず、意識の一部を持ち帰っていた事を思い出して、ルキスに本棚から持って来させたのである。
「ふむ。魂の効率的な集め方ですか……」
ヒュガルとルキスに挟まれる形で、本魔の一部が浮遊して思考する。
本魔を知らないシリカとカイルは、顔をひきつらせてその様子を見ており、気付いたルキスが「魔王サマと倒したの。二人きりで♡」と言って、優越感に浸って口の端を歪めた。
「あ、いや、そんな情報はいらんのだが……」
「違うの?!」
が、シリカに言われて鼻水を吹き出し、ヒュガルに気付かれてそそくさと移動。
鼻水を「ずびー」と出し切った後に、「ちくしょー」と言いながら同じ場所に戻る。
「かつての魔王軍の同僚の中に、ソウルトレーダーと言う名の者が居りました。
その名の通り、魂を集める事を趣味のようにしていた者で、代価さえ支払えば、集めた魂を他人に売り渡すと言う事もしていたようです。
旧魔王軍の壊滅後には、どこかへ姿を消したようですが、彼の者を見つけ出す事が出来たならば、五百や千の魂等は、取引次第で手に入れられるでしょう」
そう言ったのは直後の本魔で、正面のヒュガルが小さく頷く。
「別の手段を探すとなれば、それこそ墓場や曰く付きの館等を巡って、地味に集めるしか無いでしょうな」
と言う、続けた言葉には「ふむ」と言って、自身の口に右手を当てた。
手早く済むならそれで済ませたい。
ヒュガルは内心でそう考えていた。
それとはつまり、ソウルトレーダーとやらと取引をすると言う事である。
だが、魂と引き換えという物が、安易に手に入る物な訳が無く、例えば安易に金だったとしても、余裕が無い為に悩んでいたのだ。
しかし、その他の方法となると、僅か五日では到底無理だろう。
ならば駄目元で聞くだけ聞いてみよう。それで駄目ならまた考えれば良い。
そう思ったヒュガルは「その、代価とは?」と、短い言葉で本魔に聞いてみた。
「生命力です。言い換えれば体力ですな。
奴は魂を集めますが、それを食う事が出来ません。
会えば分かりますが、奇妙な奴でして、鋼糸のようなもので口を塞いでいるのです。
それ故に、必要な者に魂を渡して、代わりに生命力を吸収する。
奴はそうやって生きているのですな」
「なるほど……」
本魔が答え、ヒュガルが頷く。
「何かキモイ奴ですね……」
これはルキスで、その後ろではシリカが自分の肩を抱く。
おそらくルキスと同様の意見で、若干の薄ら寒さを感じたのだろう。
「ふんっ……! ふんっ……!」
カイルはと言うといつの間にか、右端の方に移動して居て、三十キロ程のバーベルを担いで、上げ下げしながら成り行きを聞いていた。
見た目こそ戻されたが、カイルは未だに筋トレの魔力には囚われたままで、以前とは違った健康な顔と筋肉質な体を手に入れていたのである。
「体力、か。可能であればそれで行きたいが、その、ソウルトレーダーとやらの居場所は分かるのか?」
「いえ、申し訳無いのですが、今すぐ居場所を掴むと言う事は……
しかし、分割した意識を辿れば、近い内には見つけられるかと」
ヒュガルの問いに本魔が答えた。
それにはヒュガルが「ならば頼む」と言い、本魔が短く承知した事を伝えた。
「(それはそれとしてこちらも手を打つか……無事に見つかるとは限らんからな)」
言葉の後にヒュガルは思い、墓場、及び、曰くつきの館巡りを密かに決意するのであった。
その日の夜。二十三時頃。
ヒュガル達は近くの墓場を訪ね、魂を探して彷徨っていた。
来ている者はヒュガルとルキス、それにシリカの三人だけで、カイルも来る意思を見せていたのだが、ヒュガルに家へと追い返されていた。
理由としては時間外労働だからで、それはシリカにも言ったのであるが、「サービス残業だ!」と、言って聞かないので、仕方なく連れて来たと言う訳だった。
「何だかんだ言って魔王サマと居たいんだろ? 優しく耳を噛んで欲しいんだろ?」
「ち、違う! わたしはそのぉ……ほら、あれだ!
追い詰められた貴様らが無茶をしないように見張りに来たんだ!
そうじゃなければこんな時間に!?」
ルキスに言われてシリカが答え、ちょっとした物音に目を剥いて停止する。
だが、物音の主は兎だったようで、それを見たシリカは息を吐いた。
「いや~ん魔王サマ~兎怖いれすぅ~♡ ルキスちょっとだけ漏らしちゃいましたぁん!」
「本当ならば今すぐ離れろ……冗談であっても出来るだけ早く離れろ」
そのどさくさで抱き付いたルキスは、手痛い言葉をヒュガルに貰い、「氷より冷たい! でもそこがイイ……♡」と、Mッ気を発揮してヒュガルから離れた。
「っていう風に? ハプニングはちゃんと利用しなきゃ?
女が女として輝ける時間は星の瞬きより短いんだからさぁ?」
「漏らしたとか言っている時点で、貴様の輝きは消えている気がするが……」
したり顔のルキスが言って、呆れた顔でシリカが返す。
それにはルキスは「うっせ!」と慌てて、ヒュガルの背中を追って行った。
少し遅れてシリカも歩き、ヒュガル達を前に墓場を進む。
数としては二千はあるのか、近くの街の墓場であったが、流石にこの時間では誰も居らず、梟の声が聞こえてくるだけだった。
「意外に無いですね。人魂的なモノ。っていうかこれどうやって使うんですか?」
「うん? ああ、成仏している者が多いのだろうな。
この墓場では駄目かもしれん」
ルキスに答えて魂の檻を出し、それを右手に説明を始める。
それによると檻の上部を押せば、周りの線が下がるようで、そうなった時に付近の魂を勝手に吸い出すと言う事らしかった。
「なるほどー。流石魔王サマ。雌豚もちゃんと話聞いてたか?」
「あ、ああ」
不意に振られたシリカが慌て、それだけを短い回答とする。
どうやらかなり怖がっているようで、気付いたルキスは「フッ」と一笑。
「うんこ漏らすなよ」
と、一言言って、「誰が漏らすか!」と、シリカにキレられた。
「ここでは駄目だな。次の候補は?」
ヒュガルが言って立ち止まる。
その為、シリカはヒュガルに当たり、「す、すまん」と小さく謝った。
それには特に何も返さず、ヒュガルは隣に立つルキスを見続け、
「えーと……ここから一時間位の所にある、廃教会の横にある墓場ですかね」
と言う返事を貰い、「では行こうか」と言ってから足を動かした。
そして一時間後、廃教会に到着。
こちらの墓場は荒れ果てており、彷徨う魂がいくつか見られた。
形としては人間型のものや、原型を成して居ない人魂型のものもあり、それを見たシリカは恐怖の為に尻もちをついて驚いてしまうのだ。
「ひ、ひいっ……ほ、本当に出た! ゆ、ゆうれ、幽霊が!」
「白か……清純ぶりやがって」
尻もちをついたシリカが慄き、下着に気付いたルキスが呟く。
「み、見るなあっ!!」
と、恥じらったシリカであったが、ヒュガルはちらりともこちらを見ておらず、若干悔しい思いをしながら、スカートを押さえて立ち上がる。
「分かる分かる……そういうのは悔しいよねー。
自分も手ブラの時は相当凹んだわー……」
そこの所では二人は分かり合い、お互いに凹んで地面を見つめた。
しかし、ヒュガルが「やるか」と言ったので、頭を戻して返答をした。
そこから一時間程、魂集めに奮闘し、結果として三十ばかりの魂を集めたが、それでも目標には遠く及ばず、次の候補の墓場に向かうのだ。
そんな事を繰り返して数時間。
ついには朝がやってくる。
集まった魂は六十程で、ルキスは満足そうに「やりましたね!」と言ってきたが、ヒュガルはそれには何も答えず、しかめっ面で朝日を受けていた。
理由はひとつ。
同じ数が集まったとしても、残りの日数では足りないからだ。
「マズイな……」
しばらくが経った後にようやくそう言って、ヒュガルは本拠地へと足を向けた。
本拠地に戻ると本魔が出て来た。
梯子の下から浮き上がって来て、玄関でヒュガル達を迎えたのである。
眠さに耐えつつ用事を聞くと、報告が二つあると本魔は言った。
シリカとルキスは流石に眠いのか、それには構わず家の奥に行き、一室に作られた彼女達の部屋で朝食も摂らずに眠りについた。
ヒュガルもそれに倣いたかったが、自分の立場上それは出来ず、とりあえずの形で面接会場(に決められた)に行き、長椅子に座って話を聞いて見た。
報告の一つ目はエルラの村の事で、今朝方早くに侵入者があった。
人数は二十人。察するに、人間の国の兵士のようで、ひと月に一度の税収の為に村に来たのだろうと本魔は言った。
しかし結果、本魔に撃退され、生き残った数人はどこかへ逃亡。
復讐の攻撃があるかもしれないと言って、本魔は一つ目の報告を終える。
「そうか。あちらにもいよいよ知られた訳だな……
規模によっては私自身も戦おう。劣勢を察したら要請してくれ」
寝ぼけ眼でそう言って、「ご苦労だった」と、最後に労う。
もう一つは? と、ヒュガルが聞くより早く、本魔は更に報告を続けた。
「もう一つは私なりの調査の結果です。
ここより南、ヒリールと言う街の近くに、血まみれ公爵夫人と呼ばれた、ある女が住んで居た館があります。
その館では過去に数多くの女が殺され、今でも魂が彷徨っているとか。
あくまでも噂に過ぎませんが、候補地の一つとして推薦致します」
それには「ほう……」と一言を言い、「すまないな」とヒュガルが感謝した。
「光栄です」
本魔が返したのもたったの一言。直後には浮遊して地下へと向かい、面接会場にはヒュガルだけが残る。
「血まみれ公爵夫人の館、か。今夜にでも早速行って見るか」
そう呟いて立ち上がり、大きな欠伸を一つしてから、ヒュガルは自分の部屋へと向かった。
その日の夜には南に向かい、午前一時頃に目的地に着いた。
移動の手段は空中を飛ぶ、と言う物で、飛べないシリカはヒュガルの背に乗り、翼を生やしたルキスがそれを羨ましそうに見ていたものだった。
血まみれ公爵夫人の館は、街の外れの山の麓にあり、長年誰も近付いていないのだろう、鉄柵と外回りは蔦塗れで、割れた窓や朽ちたドア等が館の不気味さをいや増しにしていた。
「ううむ……いかにもな感じだな……
やはり出るのか、いや、出た方が良いのだが、あまり凄いものは出ないで欲しいな……」
それを目にしたシリカが怯え、ルキスが「便秘か?」とぶっきらぼうに言う。
シリカは即座に「違うわ!」と抗議して、拳を作ってルキスを睨んだ。
「やだーん! こわーい! 妖怪快便女が怒ったーん!」
ルキスが驚き、ブリッ子ぶるが、抱き付かれたヒュガルは全くの無言。
やがては静かに右手で押し返し、一人で館の入口に向かった。
「……どうやら完全に呆れられているな。
サキュバスの癖に女の武器も使えんとは」
「お、おだまりなさいよ!? 自分はまだまだ成長期!
女の武器だってこれからなんですぅー!」
それを目にしたシリカが嘲り、取り乱したルキスが口を尖らせる。
「悔しかったらコレくらいにはなって見ろ? まぁ、最早無理だと思うがな」
と、胸を突き出したシリカに対しては「ウホっ! ナイスパイオツ!」と、おっさん臭い反応を見せた。
「やる気が無いなら帰って構わんが」
「あ、いえ! ありますあります!」
が、直後にヒュガルに言われて、二人は慌てて入口に駆け寄る。
二人が近くに来た事を見てから、ヒュガルが右手を扉に当てた。
扉が倒れたのはそのすぐ後の事。
「きゃあっ!?」
シリカが短い悲鳴を上げる。
どうやら殆ど腐っていたようで、今は割れた扉の上には積もった埃が舞い上がっている。
館の中は当然真っ暗。だが、ヒュガルとルキスには見えている。
理由は二人が魔族であるから。
人間のシリカは置いてきぼりだが、徐々にだが目を慣らしつつはある。
まず見えたのは大きな階段で、これは踊り場に着いた後に左右に分かれて更に伸びている。
入口の先はホールのようで、朽ちたテーブルやシャンデリアが見え、ダンスパーティー等を行っていたのか、端には古い楽器も見えた。
一見した限りでは人魂等は見えない。人の気配は言うまでも無しである。
「ふむ。噂程では無いように見えるが……」
とりあえずの形でヒュガルが踏み入ると、何かがざわめいたような感覚を覚えた。
何か、大勢の者が侵入者に気付いたような、何とも言えない不気味な感覚だ。
「何か急にサブイボが……」
と言うルキスも少しは感じているのかもしれない。
「何にしろあまり私から離れるな。ここには何かがあるかもしれん」
結果としてはそう言って、二人を呼び寄せてヒュガルは進む。
右腕にシリカが、左手にルキスが掴まり、
「てめっ! 何抱き付いてんだ! 魔王サマの右手は自分の頭用!
左手は自分の尻用なんだよ!」
「う、うるさいな! ケチケチするな!
今は空いているんだから構わんだろうが!」
早速に二人が言い争い出す。
「少し離れろ。何かあった時に対応出来ん」
仕方が無しにヒュガルはそう言って、二人を腕から離すのである。
「発情雌のせいで叱られた」
「まな板が喋るから怒ったんだろ?」
二人は尚も言い合っていたが、ヒュガルはそれを完全に無視。
いまいち緊張感の無い二人の分まで、警戒して探索を進めるのであった。
館の中を一巡して見たが、怪しいと思う物は何も無かった。
そればかりか人魂の一つすら見えず、シリカも今や弛緩し切っていた。
一行は最後と思われる部屋を出て、最初に目にした階段を下りており、先頭を進むヒュガルに向かって、背後のルキスが話しかけた。
「やっぱり噂は噂って事ですかね? 早いとこ次の候補地に行きましょ?」
「うむ。時間を無駄にしたな。何かがあると思ったのだが」
ルキスに言われたヒュガルが答え、それを耳にしたシリカが止まる。
止まった場所は階段の踊り場で、右手の大きなスペースを見て、疑問に感じて首を傾げる。
入口から見るならそこは正面で、普通であれば絵等がある場所。
だが、そこには絵があった形跡すら無く、上流階級育ちのシリカにはそこが何だか違和感であったのだ。
「どうしたシリカ? 何かあったのか?」
下りかけていたヒュガルが止まり、ルキスと共に顔を向ける。
それにはシリカは「いや……」と言ってから、
「何だか少し……気になると言うか……」
と、曖昧な口調で壁を見上げた。
「構ってチャン発現来ましたよコレ。放置放置。行きましょ魔王サマ」
ルキスが言うが、ヒュガルは動かず、「何がだ?」と言ってシリカに近付く。
シリカは「いや……」ともう一度言って、壁の一部に何となく手を触れた。
「なっ……!?」
直後にそこが奥へと窪み、壁の一部が下へと下がる。
現れたのは地下に続く階段で、生温い風が吹き抜けて行く。
恐怖、或いは不快感。全員が何らかの負の感情を覚えて、一瞬以上そこを見つめる。
「行くぞ」
が、ヒュガルがそう言って、中へと踏み入った事を見て、ルキス、シリカの順番で階段の奥へと踏み入ったのである。
時間にするなら五分と少々。階段を下りきると広間に辿り着き、そこに広がる血の海を見て、ヒュガル達はその目を剥く事になるのだ。
周囲は池か、或いは堀で、そこには大量の血が満たされており、階段から続く一本の道は広間の中央の空間へと続いている。
空間には棺か、長い箱が見え、その周辺には様々な凶器と台のようなものが置かれてあった。
「これは一体……」
呟いたヒュガルをざわめきが襲う。
先に感じたそれと同様だ。
直後には周囲の血の池の中から、異形の者が現れ出した。
それは例えるのならば皮の無い人間。
剥き出しの皮膚に苦痛の声を上げながら、ヒュガル達の方へと近付いて来ている。
数はおそらく二百体以上か。
今も尚姿を現し続けているので、実際はそれよりも多いであろう。
「血まみれ公爵夫人の館、か。噂と言うのもたまには当たるのか……」
ヒュガルが言って走り出し、広間の中央の空間へと向かう。
ルキスとシリカはそれに気付いて、慌てた様で後ろに従った。
「ぎゃああ!? なんすかあれー!?」
「ヒィィィィ!?」
直後に現れる赤のオーラ。
それは棺、或いは箱だと思われていた物の中から一気に噴出し、あたかも人のような形となって巨大な姿でヒュガル達を見下ろした。
辛うじて女性に見る事が出来るが、本当の所はどうだか分からない。
そして、それはすぐにも動いて血煙をまき散らしてヒュガル達を襲った。
ヒュガルが飛んでそれを避け、ルキスとシリカが飛び退いて回避する。
二人はその際に異形の者に絡まれ、仕方が無しにそちらに向かう。
飛んだヒュガルは電撃を発射。
だが、霧のような体の相手には効かず、伸ばされて来た相手の左手に闇の剣を現出させた。
「くっ! やはり駄目か!」
そして払うが、血煙が飛ぶだけで、相手の攻撃は止まる事が無い。
右手と左手、そして吹き付け攻撃が空中のヒュガルを何度も襲う。
「ちょっ! 早く片付けろよ! 魔王サマがヤバイんだって!」
「そう思うなら必死で戦え! こちらだって……! 手一杯だ!」
それを横目にルキスが言うが、言葉の通りにシリカも手一杯。
細い道を異形に囲まれ、迫り来る相手に苦戦をしていた。
「魔王サマぁぁ! 頑張ってぇぇぇぇ!!」
結果としては応援しか出来ず、目の前の敵に魔法を放つ。
その際に背後に迫った敵を切ったのがシリカであった為に舌打ちをした。
「あれか!」
一方のヒュガルは戦いながら、相手の本体を探し続け、どうやら棺、或いは箱の中に、何かが眠っている事を見出して右手の剣を巨大化させた。
「はあああっ!!」
長さにするなら十m強。空中からそれを一気に振り下ろす。
赤い何かは両手を使い、それを防ごうと試みたが、攻撃がすり抜けると言う事が今回の場合は裏目になった。
霧のような体を引き裂き、ヒュガルが棺ごと本体を切り裂く。
「アアアアアアアアアアアアア!!」
耳を劈く甲高い声を発して、赤いオーラの何者かは消え去った。
それと連鎖するようにして、異形の者達も活動を停止し、直後には血の池に「ばたばた」と倒れて、体から何かを発し出すのだ。
基本的には青白い、細い線のような気体状の何か。
人の魂。人魂である。
二百や三百では無い人魂が、次々に血の池から舞い上がって来る。
「……魂。魂ですよ魔王サマ! 凄い数ですよ! 早く早く!」
それ気付いたルキスが言って、魂の檻を素早く持ち出す。
だが、ヒュガルはその行動を「よせ」と言って止めるのだ。
「ええ!? な、何でですか?」
当然の疑問にルキスが止まり、こちらに近付いてくるヒュガルを見つめる。
シリカもルキスに続こうとしていたので、動きを止めて答えを待った。
「あくまで私の推測になるが、血まみれ公爵夫人と言う名と、ここに広がる血の池と死体。
自然、繋がって浮かび上がってくるものは「最高の美容は処女の生き血」と言う伝承だ。
美に執着した一人の女が他の女を攫って殺し、流れ出た生き血の湯に浸かる事で美を保とうとした話だな」
そこまでを話してヒュガルが池を見る。
そこからは未だに魂が舞い上がり、他の多くの魂と共に、頭上の暗闇の上を目指していた。
「て事はつまり、ここに沈められているのは、そいつに殺された被害者達だって事ですか?」
「おそらくな。だからよせ。そうだとしたら彼女達は苦しんだ。
どこに行くのか分からんが、向かうべき所に向かわせてやろう」
ルキスに答えてヒュガルは歩き出す。
それにはルキスは微妙な顔をしたが、一方のシリカは少し微笑んで、魂の檻をしまった後に、小走りでヒュガルの背中を追った。
それから数日頑張って見たが、集まった魂は百にも満たなかった。
ヒュガルも最早諦めて、エローペのお仕置きを覚悟していたが、魂を納入する前夜になって、ソウルトレーダーが現れたのである。
体には赤い血のようなマント。顔は例えるなら白骨化したヤギ。
しかし、本魔が言ったように、口には鋼の糸が巻かれ、マントの内部には体が見えず暗黒空間が広がっていた。
「まいど。ソウルトレーダーです」
第一声はそんなもの。
現れた場所は壁の中からだ。
流石のヒュガルもこれには「ぬん?!」と言い、鼻の右穴から鼻水を噴き出した。
だが、存在は聞いていたので、その後に取り直して相談をしたのだ。
「四百個の魂だと八百LPですな。
魔王さんは現状で二千八百LP持っております。
それでも構わんと言う話でしたら、早速にもぺろりと頂きますが?」
何やら軽い口調のそれに、ヒュガルも最初は戸惑っていたが、それで手に入るならと覚悟を決めて、ソウルトレーダーに取引を頼んだ。
「そしたらいただきますー!」
「むううっ!?」
右手を掴まれて何かをされた。強烈な力の握手では無い。
おそらく生命力を吸われているのだ。
後頭部から腕にかけて、まるで魂が引き抜かれるような感覚だ。
「はい。どうもでしたー」
が、それはすぐにも終わり、代わりに魂の檻が渡され、その事で取引が終わったと見たのか、ソウルトレーダーは壁の中に消え去った。
若干ふらつくが、大した事は無い。二千八百なんちゃらがあるのなら、それも当然の事ではあるのだろう。
「恐ろしい奴だな……敵に回したくはないが……」
呟いた後に梯子に向かう。
どうにかなったと言う事をルキスとシリカに話す為だ。
そして上り、一階を探すが、二人の姿が見つけられない。
「寝たのか……」
と思って二人の部屋を訪ねて、軽くドアをノックしてみた。
「マズイ!?」
「ちょ、馬鹿! 声出すなよ!」
直後に聞こえるそんな声。どうやら起きては居るらしい。
「良いか?」
と、断ってドアを開けると、二人はなぜか背中を向けていた。
「先程、ソウルトレーダーが来て、不足分の魂を譲ってくれた。
お前達にも苦労をかけたが、何とかなった。すまなかったな」
「あ、そ、そうですかー」
「そうか、それは良かったな……」
用件を伝えるとそうは言ったが、二人はそれでも顔を向けない。
「……どうした? 何かあったのか?」
不思議に思ったヒュガルが踏み入り、シリカの肩を軽く掴む。
「うおっ!?」
そして、シリカが振り返った事により、二人の現状をようやく知るのだ。
シリカの方は顔面が真っ赤。ルキスは顔と胸が真っ赤。
それはおそらく動物の血だが、例の、最高の美容の話を信じた結果の行動だと思われる。
「……いつから?」
「あの日からずっと……」
聞くと、二人が同時に言って、殆ど同時に顔を俯ける。
「大概にしとけよ……」
と言うヒュガルの言葉には「もうしません……」と揃って言った。
深夜のトイレとかで会ったらホラー