心の距離
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――――…疲れた。
黒くて、堅苦しい服はこの日から嫌いになった。
タクシーから降りて、家の鍵を開けるころには子供はもう夢の世界に旅立っていた。
一息ついて、着替えようとふと見た胸元には皺になるほど握りしめた手があった。
なんだか離すのを躊躇われて、そのままベッドに潜り込んだ。
嫌でも朝はやってきた。
冷たい水底に、なすすべもなく引きずり込まれる夢をみて目覚めた。
手をついたシーツは冷たくて、――――何故か黄色かった。
ローテーブルの反対側で、子供があいつと同じ仕草でじっとこちらを窺っていた。
スーツはべっちょりと、濡れていた。
幼稚園へ子供を迎えに行く。
おねしょ事件から、1か月経つがまだ子供は笑わない。
一週間ずっと言い続けていた「ぱぱとままのとこかえる」も言わなくなった。
(俺では、幸せに出来ないんだろうか。他の家に行ったほうが、幸せになれるんじゃないか。)
あどけない寝顔を見ながら、何度も考えた。
それでも子供を離さなかったのは…あいつに似たさみしさを隠した目と、その小さな手が、俺の手だけは拒まなかったから。
だから、もう少しだけと、俺は諦められずにいる。
―――――――――ぱぱ!
ゆるくつないだ小さな手が、すり抜けて。向かいの道へ走り出す。
大きな声に驚いたように、振り返るその人。
違ったことに立ち止まる子供
鳴り響くクラクション
すべてが一瞬のことで。
黄色いカラー帽子が空を舞った
擦過創に裂創、打撲を負ってぼろぼろになった5万のスーツは、廃棄処分になった。
でも胸に抱きこんだ子供が、無傷だったことに安堵して
―――――――――このっっばか!!!
思いっきり叱った。
顔からあらゆる汁を出しながらしがみついてくる子供。
子供がぱぱといったその人は、後姿があいつそっくりだった。
じわり痛む心に、ぎゅっと拳を握りしめた。
再び失うのかと恐怖した。
冷や汗でスーツの背中が気持ち悪い。
心臓の鼓動がうるさい。
震える手で、痛む体を無視して抱きしめ返す。
ぎゅっと、強く。
暖かくて、あいつみたいに冷たくなかった。
子供と一緒に、俺も泣いて
俺とこの子は、この日本当の家族になった。