第9話「神々の試練、その切り札」
『神々の試練』の開催が間近に迫り、『Arcadia Sphere Online』の世界は、かつてない熱気に包まれていた。
今回のレイドボス『奈落の古竜』の情報が、徐々に公開されていく。
それは、絶望的なまでに強大な存在だった。
古竜は、複数の形態を持つという。
第一形態は、物理攻撃をほぼ無効化する鋼鉄の鱗に覆われている。
第二形態は、あらゆる魔法を打ち消すアンチマジックフィールドを常時展開する。
そして最終形態では、全てのプレイヤーを即死させる回避不能の全体攻撃を放ってくるらしい。
「どうやって倒せっていうんだ、こんなの……」
情報サイトの掲示板は、プレイヤーたちの悲鳴で埋め尽くされていた。
トップクランたちも有効な攻略法を見つけ出せず、頭を悩ませているようだった。
そんな中、俺は自分の農場で、来るべき決戦のための準備を黙々と進めていた。
グレイさんから提供された古竜のデータと、俺が持つ植物の知識を総動員し、対古竜用の決戦兵器を開発していたのだ。
第一形態の『鋼鉄の鱗』。
これには、俺が栽培する『溶鋼酸を分泌する苔』が有効だろう。これを投擲用の爆弾に加工し、鱗の強度を直接低下させる。
第二形態の『アンチマジックフィールド』。
これは魔法が効かないだけで、物理的な効果は通用するはずだ。俺のデバフアイテムの出番だ。特に、古竜の動きを拘束し、物理攻撃を集中させる時間を作るためのアイテムが必要になる。俺は、夜叉カズラを改良して作った強力な『神縛りの蔓』の準備を進めた。
そして最大の問題は、最終形態の『回避不能の全体攻撃』だ。
発動されたら、全滅は免れない。
つまり、その攻撃をそもそも発動させてはならないのだ。
そのためには、古竜が最終形態に移行する前に、膨大なHPを削りきるだけの圧倒的な火力が求められる。
「何か、味方全体の能力を爆発的に引き上げるようなアイテムは作れないだろうか……」
デバフとは逆転の発想。つまり、バフアイテムだ。
俺は、自分の知識とスキルをフル回転させた。
そして、一つの可能性にたどり着いた。
それは、俺の農場の奥深く、厳重な管理下で栽培している一株の伝説的な植物。
『世界樹の若芽』。
これは、銀狼の騎士団との契約によって手に入れた極めて希少なアイテムだ。
この若芽から抽出したエキスには、触れるもの全ての生命力を活性化させる、奇跡のような効果が秘められている。
しかし、その加工は困難を極めた。
少しでも配合を間違えれば、ただの栄養剤になってしまう。最高の効果を引き出すには、他の数十種類の希少な植物との完璧な調合が必要だった。
俺は、来る日も来る日も昼夜を問わず研究に没頭した。
睡眠時間も食事の時間も惜しんで、試行錯誤を繰り返す。
そして、決戦の前日。
俺はついに、一つのアイテムを完成させた。
それは黄金色に輝く液体で満たされた、小さなフラスコだった。
【世界樹の神酒】
レアリティ:レジェンダリー
効果:使用時、使用者を中心とした広範囲の味方プレイヤーに対し、3分間、全ステータスを1.5倍にする。さらに、HPとMPが超高速で回復する。ただし、使用後1時間は、全ての能力値が大幅に低下する副作用がある。
まさに、諸刃の剣。
決戦の切り札にふさわしい、究極のバフアイテムだった。
これがあれば、最終形態に移行する前に勝負を決められるかもしれない。
決戦当日。
古竜が出現する『嘆きの谷』には、日本サーバーのトッププレイヤーたちがほぼ全員集結していた。
銀狼の騎士団を始め、いくつものトップクランがこの日のために垣根を越えて同盟を結成している。
その総数は500名を超える。まさに、オールスターといえる布陣だ。
俺も、グレイさんの隣に立っていた。
多くのプレイヤーが俺の存在に気づき、ひそひそと噂をしている。
「あれが、噂の……」
「本当にいたんだな、姿なき暗殺者」
そんな視線を浴びながらも、俺の心は不思議と落ち着いていた。
やるべきことは、全てやった。
あとは、仲間たちを信じ、自分の役割を全うするだけだ。
やがて大地が揺れ、空が裂け、奈落の底からその巨体が姿を現した。
奈落の古竜。
その大きさは、山脈が動いていると錯覚するほどだ。絶望的なまでの威圧感が、その場にいる全てのプレイヤーを飲み込んでいく。
「怯むな! ここが、我々の世界の正念場だ!」
グレイの檄が飛ぶ。
それを合図に、人類と神話級の竜との壮絶な戦いが始まった。
「ミナト君、頼む!」
「はい!」
俺は、レイド部隊の最後方、魔法使いたちよりもさらに後ろに陣取り、戦況を冷静に見つめる。
まずは第一形態。
俺は開発した『溶鋼酸爆弾』を、カタパルト(投石機)部隊に渡した。
「鱗の継ぎ目を狙ってください!」
俺の指示通り、爆弾が古竜の巨体に次々と撃ち込まれる。
ジュワッ、と鱗が溶ける嫌な音が響き、古竜の防御力に、確かに低下の表示が出た。
「今だ! 総攻撃!」
物理アタッカーたちが、一斉に古竜に殺到する。
硬い鱗が脆くなったことで、彼らの剣や槍がようやくダメージを与えられるようになったのだ。
順調にHPを削っていき、ついに古竜が第二形態へと移行した。
周囲にアンチマジックフィールドが展開され、魔法使いたちの呪文が全てかき消される。
「ここからが本番だ!」
俺はアイテムボックスから『神縛りの蔓』を取り出し、前衛のタンク役たちに投げ渡した。
「これで、古竜の動きを止めてください!」
タンクたちが巨大な蔓を古竜の足に絡みつかせる。蔓は、竜の力をもってしても引きちぎることができないほどの強度を誇っていた。
動きを封じられた古竜は、格好の的だ。
アタッカーたちの攻撃が、再びその巨体に集中する。
俺も、遠距離から『鈍足』や『防御力低下』の効果がある毒の矢を、ひたすら撃ち続けた。
戦いは熾烈を極めた。
多くのプレイヤーが倒れてはヒーラーに蘇生される、一進一退の攻防。
そして、ついに古竜のHPが残りわずかとなった。
その瞬間。
古竜の全身が、禍々しい黒いオーラに包まれ始めた。
最終形態への移行だ。回避不能の全体攻撃まで、もはや一刻の猶予もない。
「ミナト君!」
グレイが、最後の望みを託して俺の名を叫んだ。
「――ええ、任せてください!」
俺は懐から黄金色に輝くフラスコ――『世界樹の神酒』を取り出した。
キャップを開け、中身を一気に呷る。
凄まじい生命力の奔流が、俺の身体を駆け巡った。
そして俺の身体から、黄金色の衝撃波が戦場全体に広がっていった。
その光を浴びた全ての味方プレイヤーの身体が、金色のオーラに包まれる。
『全ステータス1.5倍』
『HP/MP 超高速回復』
チャットウィンドウが、仲間たちの驚きの声で埋め尽くされた。
「なんだこの力は!?」
「身体が、軽い……!?」
「MPが、減らない!?」
「皆さん!」
俺は力の限り叫んだ。
「効果は3分! この3分で、全てを終わらせてください!」
「「「オオオオオオオッ!!」」」
地鳴りのような雄叫びが、谷に響き渡った。
それは、絶望を乗り越えた人類の反撃の狼煙だった。
全てのプレイヤーが最後の力を振り絞り、奈落の古竜に向かって最後の突撃を開始した。
この世界の、未来を賭けて。




