番外編「一杯のキャベツスープ」
奈落の古竜との決戦から、数ヶ月が過ぎた。
世界を救った英雄『ミナト』の名はもはや伝説として語り継がれているが、その姿を公の場で見る者はほとんどいなかった。
彼は、運営から与えられた特別な農地【神の農地】に引きこもり、相も変わらず農業に明け暮れているという。
そんなある日、アークライトの街の片隅に、一軒の小さな食堂がオープンした。
店の名前は、『ミナトの恵み』。
店主は、もちろん俺だ。
英雄になったからといって、俺のやることは変わらない。
むしろ、栽培できる作物の種類が増えたことで俺の探求心はさらに燃え上がっていた。
そして、丹精込めて育てた作物をただ倉庫に眠らせておくのはもったいない。
「美味しいものを、みんなに食べてもらいたい」
そんなシンプルな思いから、俺はこの食堂を開くことにした。
メニューは、日替わりのスープとパンだけ。
その代わり、使う野菜は全て俺が【神の農地】で育てた、最高品質のものだ。
開店初日。
店の前には開店前から長蛇の列ができていた。
俺の噂を聞きつけた、多くのプレイヤーたちが集まってくれたのだ。
「いらっしゃいませ!」
カウンターに立ち、俺は笑顔で客を迎える。
最初の客は、見知った顔だった。
「リリィ! 来てくれたんだ」
「当たり前じゃないですか! ミナトさんのお店がオープンするって聞いたら、飛んできますよ!」
赤いリボンを揺らしながら、リリィは嬉しそうに席に着いた。
本日のスープは、『とろとろキャベツのポタージュ』だ。
俺が最初に育てた、思い出の作物。あの頃とは比べ物にならないくらい、甘くて柔らかい品種に改良したものだ。
スープを一口飲んだリリィは、目を大きく見開いた。
「おいしい……! なにこれ、キャベツだけとは思えないくらい深みのある味がする……!」
「だろ? こだわってるからね」
俺は、初めて彼女にキャベツを売った日を思い出し、少し照れながらいった。
次々と、客が訪れる。
中には、銀狼の騎士団のメンバーたちもいた。
厳つい鎧姿の騎士たちが小さなテーブルでスープをすする光景は少しシュールだったが、誰もが「美味い」と満足げな顔をしてくれていた。
店の片隅のテーブルで、一人の男が静かにスープを飲んでいた。
グレイさんだ。
彼は、騒がしくなるのが嫌なのか、一人でこっそりと来てくれたらしい。
俺が彼のテーブルに水を運びに行くと、彼は小さく、しかし確かな声でいった。
「……君らしいな。頂点に立っても、君は何も変わらない」
「俺は、農家ですから。土をいじって、美味しいものを作って、誰かに喜んでもらう。それが一番性に合ってるんですよ」
「そうか」
グレイさんは、ふっと口元を緩めた。
彼がこんなに穏やかな表情をするのを、俺は初めて見たかもしれない。
「このスープ、HPの回復量がすごいな。どんなポーションよりも効果がある」
「それは、企業秘密です」
俺たちは顔を見合わせて小さく笑った。
店が少し落ち着いた頃、意外な客がやってきた。
フードを目深にかぶった一人の男。
その男はカウンターの隅に座ると、ボソリと「スープを一つ」とだけいった。
どこかで見たことがあるような気がしたが、思い出せない。
俺がスープを差し出すと、男はフードを取った。
その顔を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「……ザンガ」
かつて俺の畑を襲撃し、壊滅したPKギルド『スカル・サーペント』のリーダーだった男だ。
なぜ、彼がここに?
一瞬、店内に緊張が走る。
だが、ザンガは俺を睨みつけるでもなく、ただ黙々とスープを飲み始めた。
そして、あっという間に飲み干すと、彼は空になった器をカウンターに置いた。
「……美味かった」
それだけ言うと、彼は代金を置いて立ち上がった。
店の出口で彼は一度だけ足を止め、こちらを振り返らずにいった。
「……あの時は、悪かったな」
その小さな謝罪の言葉を残し、彼は去っていった。
俺は、ただ呆然と彼の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
きっと、彼も彼なりに色々あったのだろう。
この一杯のスープが、彼のささくれた心を少しでも癒やしてくれたのなら嬉しい。
毒をもって毒を制す、なんて言っていた俺だが、本当に人を救うのは毒ではなく、こういう温かいものなのかもしれない。
夕方になり、店じまいの準備を始める。
今日一日で、用意していたスープは全てなくなった。
疲れたけど、心地よい疲労感だ。
「ミナトさん、お疲れ様です!」
片付けを手伝ってくれていたリリィが、笑顔でいった。
「ねえ、明日のスープは何にするんですか?」
「そうだなあ……」
俺は、自分の畑に広がる色とりどりの野菜たちを思い浮かべた。
「明日は、太陽のトマトを使った真っ赤なミネストローネにしようかな」
俺たちの毎日は、これからも続いていく。
剣と魔法の華々しい冒険譚ではないかもしれない。
でも、土の香りと、湯気の向こうにある笑顔に満ちた、温かい毎日が。
食堂の小さなランプの明かりが、アークライトの夜の街を優しく照らしていた。




