第1話「不人気職へ、ようこそ」
登場人物紹介
◆ミナト(相田 湊 / アイダ ミナト)
本作の主人公。現実世界では農学部に通う大学生。祖父の影響で農業が好きになり、VRMMOの世界でも迷わず【農家】を選択する。温厚で探求心が強い性格。ゲームの効率や強さよりも、自分の好きなことを突き詰めるタイプ。後に彼の育てる毒草が、ゲームの世界を揺るがすことになる。
◆リリィ
ミナトがゲーム内で最初に出会う駆け出しの【剣士】。明るく元気な少女で、誰にでも分け隔てなく接する。不人気職であるミナトを馬鹿にすることなく、彼の作る高品質な作物に助けられ、最初の「お得意様」兼友人となる。ミナトの常識外れな活躍に、最も驚かされる人物の一人。
◆グレイ
トップクラン『銀狼の騎士団』を率いるクールな【騎士】。常に冷静沈着で、勝利のためには最善の手段を選ぶ合理的な性格。当初はミナトをただの生産職としか見ていなかったが、ボス戦で彼の作るデバフアイテムの効果を目の当たりにし、その特異な才能に注目するようになる。
真新しいヘッドギアを装着すると、意識が光の粒子となって溶けていく。
視界が真っ白に染まり、やがて穏やかな光が収束した先に、新たな世界が広がっていた。
『――ようこそ、『Arcadia Sphere Online』へ』
女神のような柔らかな声が、頭の中に直接響き渡る。
目の前に広がるのは、どこまでも続く青い空と緑の草原。遠くには荘厳な城壁都市が見え、すぐそばの広場は、俺と同じようにこの世界へ降り立ったばかりのプレイヤーたちでごった返していた。
「すげえ……本当に、もう一つの現実だ」
俺、相田湊は、今日からこの世界の一員になる。
現実では農学部に通うごく普通の大学生だが、この仮想世界では何者にだってなれるのだ。
広場の中央に浮かぶ巨大な水晶に触れると、職業選択のウィンドウが開いた。
【剣士】【騎士】【魔法使い】【僧侶】【弓使い】……。
ファンタジーの王道といえる職業が、華々しいエフェクトと共に並んでいる。友人たちは、早く強くなれて格好いいからと、こぞって強力なアタッカー職を選ぶと言っていた。
周囲からも「やっぱり魔法使いだよな!」「俺は前衛でガンガン戦いたいから騎士一択!」なんて興奮した声が聞こえてくる。
誰もが、これから始まる冒険に胸を躍らせていた。
俺は、そんなきらびやかな職業のリストをスクロールし続け、一番下にあるひっそりとした項目に指を合わせた。
【農家】
職業紹介の映像には、屈強な戦士でも、賢そうな魔導士でもなく、麦わら帽子をかぶった青年が、クワを片手に黙々と畑を耕す姿が映し出されている。戦闘シーンなど一つもない。ただひたすらに、土と共に生きる姿だけだ。
周りのプレイヤーのほとんどは、この職業に見向きもしていない。それどころか、選択肢として存在していることすら気づいていないかもしれない。
事前情報サイトでも、【農家】は「戦闘能力皆無」「金策効率最悪」「完全に趣味の領域」と散々な評価だった。まさに不人気職の代名詞だ。
でも、俺の心は決まっていた。
祖父の畑を手伝うのが好きだった。土の匂い、種が芽吹く瞬間の喜び、収穫の達成感。それを、このリアルを追求したVRMMOの世界で体験できるのなら、これ以上の魅力はない。
「決定」
俺がそう呟くと、システムメッセージが静かに表示された。
『職業【農家】を選択しました。初期スキル【耕す】【種まき】【水やり】【収穫】を習得しました』
手には使い古された一本のクワ。服装は飾り気のない麻のシャツとズボン。これぞ農家、という出で立ちだ。
俺のキャラクターネームは、現実と同じ『ミナト』にした。
よし、と気合を入れ、まずは情報収集のために街へ向かおうとした、その時だった。
「うわ、マジかよ。あいつ【農家】だってよ」
「戦闘できないじゃん。何しに来たんだ?」
「スローライフごっこかな? 一日で飽きるに一票」
聞こえてきたのは、あからさまな嘲笑だった。
振り返ると、派手な装備に身を包んだプレイヤーたちが、俺を指差して笑っている。彼らが選んだであろう【剣士】や【魔法使い】の初期装備は、俺のものとは比べ物にならないくらい立派に見えた。
悔しくないわけではなかった。
だが、彼らは知らないのだ。育てることの本当の楽しさを。
俺は小さく息を吸い込むと、彼らに背を向け、都市の門をくぐった。
城壁都市『アークライト』は活気に満ち溢れていた。
武器屋、防具屋、道具屋。軒を連ねる店々の前を多くのプレイヤーが行き交う。誰もがこれから始まる冒険に心を弾ませているのが、その足取りから伝わってきた。
俺の目的地は、そんな華やかな大通りから外れた都市の片隅にある『農地管理組合』だ。
古びた木造の建物に入ると、人の好さそうな体格のいいNPCの組合長が、のんびりとした口調で迎えてくれた。
「ほう、あんたが新しい農家さんかい。いやあ、珍しい。サービス開始からこっち、ここを訪ねてきたプレイヤーさんは、あんたが初めてだよ」
組合長はそういって、カラカラと笑った。
どうやら、この都市で【農家】を選んだのは本当に俺が最初のようだ。
少しだけ誇らしいような、そして途方もなく心細いような、複雑な気持ちになった。
組合長から簡単な説明を受け、俺は都市の外れにある農地を格安で借り受けた。広さは六畳間ほどだろうか。今はまだ、雑草が生い茂るだけの荒れ地だ。
「まずは、ここを耕すところからだな」
俺はクワを握りしめ、地面に突き立てた。
ザクリ、と小気味よい音が響く。
スキル【耕す】を発動すると、クワが淡い光を帯び、面白いように土が掘り起こされていく。現実の農作業とは比べ物にならないくらい体力的には楽だ。
だが、ただスキルを使うだけではダメだ。
俺は現実の知識を思い出す。土の塊を細かく砕き、空気を含ませるように丁寧に畝を作っていく。石ころや雑草の根は、一つ一つ手で取り除く。ゲームのシステムがどこまで現実に即しているかはわからない。だが、やるだけのことはやっておきたい。
気づけば陽は傾き、仮想世界の空が茜色に染まっていた。
ゲーム内時間で、半日以上も畑仕事に没頭していたらしい。
目の前には、見違えるように綺麗になった、ふかふかの土の畝が並んでいた。
額の汗を拭う(もちろん感覚はないが、気分的に)。
ステータスウィンドウを開くと、農業関連のスキルレベルがほんの少しだけ上がっていた。
「ははっ、楽しいな、これ」
誰に聞かせるともなく、自然と笑みがこぼれた。
他のプレイヤーは今頃、ゴブリンやスライムを倒してレベルを上げ、新しい装備を手に入れているのだろう。
それに比べて俺の稼ぎはゼロ。レベルも初期状態のままだ。
でも、不思議と焦りはなかった。むしろ、自分の手で作り上げたこの小さな畑が、どんな財宝よりも輝いて見えた。
俺はアイテムボックスから、最初に支給された『初心者のキャベツの種』を取り出した。
パラパラと、丁寧に種をまいていく。
そして、スキル【水やり】。じょうろから注がれた水が、乾いた土に優しく染み込んでいった。
『作物は、愛情をかけた分だけ、きっと応えてくれる』
それは、農業を営んでいた祖父の口癖だった。
この世界でも、きっと同じはずだ。
「大きくなれよ」
小さな種にそう語りかけ、俺は初日の活動を終えた。
まだ何も生み出してはいない。誰かに認められたわけでもない。
それでも、胸の中には確かな満足感と、明日への期待が満ちていた。
この選択が、後にこのゲーム世界を大きく揺るがすことになるなんて、この時の俺は知る由もなかった。




