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二幕 外れた基準

 

 問題のデータに出会ったのは火曜日の午後だった。


 社内の共有サーバーに、外部研究機関との共同プロジェクトのデータセットがアップロードされていた。莉緒の仕事ではなかったが、ファイル名に「嗅粘膜・長期曝露・神経形態」という文字列があり、職業的な興味から開いた。


 対象は二百四十一名。平均使用期間、三年八ヶ月。いずれも無症状。


 画像解析レポートの中に、奇妙な記載があった。


 嗅球から前頭前皮質に至る嗅内皮質経路において、酸化ケイ素を主成分とする直径八十〜百二十ナノメートルの粒子が確認された。粒子は軸索周囲の細胞外マトリクスに分散して存在し、炎症反応、細胞死、ミエリン変性のいずれも認めない。臨床的に無症状。


 莉緒は眉をひそめた。


 フェニックス製薬のマイクロカプセルは、設計上、嗅粘膜の表面で分解されるはずだった。脳内への移行は想定外だ。粒径百ナノメートル以下の粒子が嗅神経の軸索輸送に乗ることは理論上あり得るが、それが前頭前皮質まで到達しているとすれば、設計の根拠ごと見直す必要がある。


 ただし、臨床的に無症状。


 莉緒はスクロールを続けた。


 付属の統計解析シートに、脳機能検査の結果が含まれていた。標準的な神経心理テストバッテリー。認知機能は正常範囲。記憶、注意、遂行機能、いずれも問題なし。


 ただ、一項目だけ、奇妙な傾向があった。


 報酬感受性の指標だ。具体的には、monetary reward task における基準値からの逸脱。対照群と比較して、被験者群は「小さな報酬への反応閾値が低下している」、つまり、わずかな快刺激に対してより強く反応するようになっていた。


 莉緒は三度、数字を確認した。


 そしてデータを閉じた。


 窓の外を、しばらく見ていた。


 脳内への粒子蓄積。報酬回路の閾値変化。無症状。特定プラットフォームの長期ユーザーへの集中。


 何か言葉にしようとしたが、うまくまとまらなかった。


 ランチの時間だと気づき、席を立った。








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