誘惑と敗北
フレイアの好物であるカツ丼が、目の前で食されていく。 カツ丼の美味しそうな匂いが独房の中に広がり、サクサクとしたカツの咀嚼音がまた彼女の腹を刺激した。
「どうした、欲しくないのか? とても美味しいぞ? このカツはガルディア帝国産の最高級黒豚から作られた物でな、帝国内でも限られた兵士にしか食べる事は許されない代物なんだ」
その話を聞いて、フレイアの口から涎が垂れそうになった。彼女は慌てて口を閉じた。
「く、くそぉ……! こんな屈辱……! だが私は何も話さないぞ……! た、ただのカツ丼如きで……!」
そう言いながらもフレイアの目線は目の前のカツ丼に釘付けだった。 レイルの箸が動く度に、彼女の喉がゴクリと音を鳴らす。 再び、お腹がグゥゥゥと大きな音を鳴らした。
「何か話す気になったか? そうだな、例えば……帝国領に攻めてきた、君の部隊人数とかどうだ?」
「………仲間の……人数……だと……!?」
枷に繋がれた彼女の両手が震えている。 カツ丼を見つめる彼女の碧眼の瞳には、明らかな葛藤が浮かんでいた。 食欲とプライド、空腹と王国への忠誠心。 様々な感情が彼女の中で激しくぶつかり合っていた。
「……っ……わ、私は……ルミエル王国の騎士……仲間を裏切るなど……」
そう言いながらも彼女の目線は未だにカツ丼に釘付けだった。しかしそのカツ丼の湯気が少しずつ弱まっていく。 冷めていくカツ丼を目の前にしてフレイアの表情が更に歪んだ。そして彼女の口から思わず言葉が漏れる
「……た、ただの人数くらい……大した情報では……ない……か? 私たちの本来の作戦には……なんの影響も……」
その瞬間、フレイアは自分の放った言葉に気付き、口を抑えた。 しかし遅かった。 フレイアは思わず人数が大した情報ではないと認めてしまったのだ。 つまりそれは本当に重要な情報は、まだ別にあると言うことを示唆してしまっていた。
「……あ……」
フレイアの表情が青ざめていく。しかし同時に彼女の中で何かが折れたような音がした。カツ丼の誘惑に彼女の理性が少しずつ侵食されていく
「……私たちは十人で帝国領へ潜入した……」
小さな声でフレイアがそう呟いた。 涙目になりながら、彼女は尋問官レイルを見上げる。 その表情には悔しさと恥ずかしさ、そして諦めが混ざっていた。
「……こ、これで満足か? さ、さあ早くこのカツ丼を……!」
枷に繋がれた両手を伸ばそうとするが、自由には動かせない。フレイアは涙目でレイルを見つめた。その姿はもう空腹に飢えた、ただの少女だった。
「……十人……なるほど、ありがとう。 しかしそれは別に大した情報ではないと言ったな…では、他にまだあるわけだな?」
フレイアの表情が凍りついた。 自分が思わず口を滑らせてしまった事に今更ながら絶望した。カツ丼に気を取られ他の重要な情報の存在を示唆し認めてしまった事に、彼女の顔は青ざめ、そして恥ずかしさからか、顔を真っ赤に染めてしまう。
「あ……ああああ! ち、違う! 今のは……」
慌てて否定しようとするが、もう遅い。レイルは彼女の言葉の意味を既に理解していた。 フレイアは枷に繋がれた両手をガチャガチャと鳴らしながら、必死に弁明しようとする。
「そ、そんなことは言ってない!……私は何も……っく、このカツ丼め……っ!!」
彼女は目の前のカツ丼を睨み付けた。しかしその視線には、怒りよりも悔しさの方が強く滲んでいた。 空腹に負け、思わず重要な情報の存在を漏らしてしまったこと。 それは騎士としてのプライドがズタズタに引き裂かれる感覚だった。
「……わ、私はもう何も喋らない……これ以上は、絶対にっ……!!」
そう言いながらも彼女の視線はチラチラとカツ丼に向けられていた。再びお腹がグゥゥゥと鳴り、フレイアの表情は更に歪む。 一つ情報を話してしまった事で、フレイアの心の防壁に小さなヒビが入り始めていた。
「……カツ丼を……食べさせろ……もう人数は話しただろう?」
涙目でレイルを見上げるフレイアにはもう王国に忠告を誓った騎士の面影はなかった。




