高校生編 第2章 窓際の席
教室の窓は、少しだけ曇っていた。
外の冷たい空気と、室内の暖房の差でできた膜に、午後の光が滲んでいる。
沙月は、窓際の席に座っていた。
後ろから二番目。
黒板の文字が、少しだけ斜めに見える位置。
チャイムが鳴り、教室が一斉に静まる。
椅子の軋む音、ノートを開く音。
それらが落ち着いた頃、視線だけを横に動かした。
――いた。
直樹は、二列前の席に座っていた。
背中越しでも分かる。
朝の交差点と同じ、少し力の抜けた姿勢。
視線を戻す。
見すぎるのは、まだ早い気がした。
授業は淡々と進んでいく。
黒板の文字、教師の声。
ノートに書き写しながら、沙月の意識はときどき窓の外へ逸れた。
冬の空は高く、雲がゆっくり動いている。
時間だけが、確実に進んでいた。
休み時間。
椅子を引く音がして、直樹が振り返った。
「……沙月」
名前を呼ばれて、心臓が一拍遅れる。
「はい」
「朝、大丈夫だった?」
「はい。間に合いました」
「よかった」
それだけ。
それ以上、会話は続かなかった。
でも、立ち去らない。
直樹は、机に片手を置いたまま、少し考えるように黙っている。
「……この学校、広いから」
不意に、そう言った。
「最初は、迷うと思う」
「……もう、少し迷ってます」
そう答えると、直樹は小さく笑った。
「放課後、案内しようか」
誘い方は、控えめだった。
断ってもいい、という余白がある。
沙月は一瞬だけ迷って、うなずいた。
「……お願いします」
「じゃあ、後で」
直樹はそう言って、自分の席に戻っていった。
その背中を、沙月は見送った。
――名前を呼ばれる。
――約束をする。
たったそれだけで、
教室の景色が少し変わった気がした。
昼休み。
窓際の席で、沙月はパンを齧りながら、スマホを伏せて置いた。
通知は来ていたけれど、今は見たい気分ではなかった。
教室のざわめきが、遠くなる。
直樹は、友人と話していた。
声は聞こえないけれど、表情だけで分かる。
無理に笑っていない。
でも、閉じてもいない。
沙月は、ふと思った。
この人は、
誰かといるときと、
一人のときの差が、あまりない。
それが、少しだけ安心だった。
放課後のチャイムが鳴る。
校舎の中に、別の空気が流れ込む。
部活の準備、帰宅する生徒たちの足音。
直樹が、廊下で振り返った。
「行こう」
「はい」
二人並んで歩く廊下。
朝よりも、距離が近い。
窓の外は、もう夕方だった。
冬の光が、校舎の壁に長い影を落としている。
沙月は思う。
この一日は、
まだ特別じゃない。
でも――
特別になる予感だけが、静かに残っている。




