第十七話「リンカの戦い」1
視界の狭い、森林地帯の一角で大型の獣が咆哮を上げた。
危険を察して木々の間から飛び出していく鳥達。
毛皮に何本も鋭い矢が突き刺さった獣は怒り狂い、木の上を器用に移動する犯人を追い掛け、森の中を激しく移動していた。
獣は獰猛な肉食動物と呼ぶにふさわしく、毛皮に覆われた巨体をしていて、鋭い牙を生やした、イノシシのような姿をした四足歩行の猛獣の姿をしている。
威嚇するように紅い瞳を灯した姿に睨まれれば、どんな草食動物も恐怖を感じて必死に逃げ出すだろう。
辺りに生息する動物達の多くは争いごとを好まない草食動物達で、危険な肉食動物の気配を察すると、我先にと距離を取って離れていった。
シカリア王国西地区の森林地帯。
国策である森林保護の活動継続によって自然豊かな森が維持され、生態系が保全されているこの地区は数百種類以上の動物の生息地となっていて、気候変動の影響を強く受けているシカリア王国にとって重要な自然の宝庫となっている。
「さぁ、付いてきて! もうすぐ終点だよっ!」
明るい乙女の呼び声が森の中に響いた。
猛獣へ鋭い矢を放った犯人であるリンカは怯むことなく、動きやすい身軽な戦装束に身を包み、追走してくる猛獣を軽快な動作で誘導しつつ声を上げる。
その声には余裕さえ見られ、危険な獣に追われている身でありながら動物と戯れれているような眩しい微笑みさえ見られる。
王立警護隊が誇るファイブスターナイツの一人、リンカ・イシュタムにとっては恐れるようなことではない、日常のワンシーン。そう、見る者へ印象付けるような光景であった。
木々の間を乱暴に切り抜けながら、鼻息荒く森の中を駆け抜ける猛獣。
身体に傷を負わされた猛獣は怒りを露わにして正常な理性を既に失い、被捕食者を捕らえようと駆けまわる捕食者そのものだ。
狙い定めたその対象は木々の間を停止することなく移動するリンカであり、矢を数本身体に受けた程度で足が止まることはない。
そして、猛獣は行き止まりに遭遇すると同時、成す術なく急停止した。
目の前に広がるのは巨体を以てしても容易に渡ることが出来ない流れの早い川。
挑発するように向こう岸に立つリンカを睨み付け、川を渡ることが出来ない獣は再び大きな咆哮を上げた。
「猪突猛進、元気いっぱいだね。どうしてこんな森に現れちゃったのか分からないけど、ここは君がいていい森じゃないよ」
疾風の如き身のこなしで川を渡り終えたリンカは余裕の表情を見せた。
小型の草食動物が多いこの森で2m以上にもなる猛獣が出現することは非常に稀なことだ。
突然変異を起こし、出現したとしか思えない巨体を前にしてリンカは背中に背負った両手斧に素早く持ち替えた。
両手斧の形状はブロードアックスに近く、女性にも扱いやすいよう軽量化され、刃物としては鋭く、対人用の武器にカスタマイズされた得物になっている。
リンカは目の前の敵が完全に足を止めたのを合図に軽い身のこなしで高く飛び上がると、そのまま勢いをつけて降下すると、猛獣の肉を毛皮ごと引き裂いた。
”グアアアアァァァァァ!!”
肉を裂かれたその痛みを実感させるように、森が揺れる程の叫び声が響き渡った。
強烈な一撃を浴びせた直後、リンカは満足げな表情を浮かべるが、それで攻撃の手を緩めることはなかった。
猛獣が痛みに苦しみ、顔を上げて怯んでいる隙にステップを刻み、まるで演舞を披露するが如く優雅な動作で続けて両手斧の刃を素早く振り、巨体を切り裂き、一気に跪かせた。
まな板の上の魚の如く、軽々と獰猛な獣に深々と刃を入れて見せるリンカ。
衝撃を受け、たじろぐばかりで反撃も出来ず、藻掻き苦しむ森を脅かす獣。
だが、今はもうその風格はなく、静かに命の灯火を途絶えさせようとしている。
リンカはその反応を見てトドメを刺そうと瞬時に判断をすると、あえて得意武器である両手斧を背中に仕舞い、右手を突き出して構えを取った。
「おやすみ、君はもう自然に還る時間だよ」
勝利を確信した笑みを浮かべて、瞳の色を失いかけた猛獣に言葉を贈る。
すると、リンカの全身から熱い闘気が膨れ上がり、手のひらから火が灯り、それは火の玉となって弾丸のように猛獣へ向かって一気に放たれた。
そして、次の瞬間。そのまま猛獣を中心に火柱が上がり、断末魔が森の中に響き渡った。
目まぐるしく変わるリンカの戦術。
古の時代から伝わる秘術を覚醒させたリンカの火術は洗練されており、応用的な実践法までもマスターしている。
煙の匂いを漂わせ、猛獣の身体は火に炙られ、その身体を焦がしていく。
やがて、火は風に掻き消されていき、燃え広がることなく消え去った。
猛獣は成す術もないまま、リンカの攻撃によって呼吸に停止し、静寂へと向かって時は流れた。
こうして戦いは終わり、リンカは肩の力を抜いて構えを解いた。
最後には秘技を繰り出し、掠り傷一つなく戦いを終わらせたリンカは目の前で息を引き取った猛獣を前に手を合わせ、天に召された命を弔った。
完全に邪気が消え去った獣からは生気が失われ、森は静けさを取り戻した。
リンカは生を終えた巨体に歩み寄り、身体を預けると、慈悲深い穏やかな表情浮かべて、優しく毛皮を撫でた。
「ごめんね、痛くさせちゃって。でも、これも自然を守るためだから、許してほしいのじゃ」
自然を大切にし、身を挺して守るという使命を背負ったリンカ。
そのための活動の一環とはいえ、命を奪うこともある。
生活を維持するために、食料として命を奪うこともある。
強い動物愛を持つリンカは命を奪うことの罪を認識し、失われた命を慰める礼儀作法を忘れないのだった。




