第十話「せめて人間らしくあるために」5
眠らない夜の演奏会は最後の演奏曲に差し掛かり、ゆったりとして心地良い、落ち着いたメロディーが流れていた。
ハービー・ハンコック作曲、Watermelon Man。
この曲名を直訳すると「スイカ男」になるが、これは作曲者、ハービーが幼い頃に聞いていたシカゴのスイカ売りが繰り返し宣伝文句に使用していた口上をイメージして作曲されている。
子ども達が寝静まった夜の娯楽。明日への活力を得るために人々は酒を飲み、好き放題に騒ぎ、嫌なことを忘れるために盛り上がる。
エリサは女装をしている恥ずかしさもいつしか忘れて、リズムを刻みながら演奏を楽しんだ。王宮の人々でさえ知らない、活気がここには息づいているのだと学びながら。
こうして、自分が受け入れられていることを不思議に思いつつも、エリサは自然と歓声に応えるように笑顔を浮かべ、時を忘れて演奏に参加した。
全ての演奏が終わり、盛大な拍手が沸き起こると、エリサの中で胸を締め付ける名残惜しさが襲い掛かった。
じわりと汗ばむ身体。スポットライトに照らされているせいもあるが、それだけではない。熱気に包まれた会場のせいもあって、エリサの表面温度は上がり、普段感じることのない、暑さを感じていた。
演奏が終わり、ステージから降りると、余韻に浸る穏やかな夜へと変わっていった。
最も歓声を集め、疲れを見せることなく優雅に踊り、力強い歌声を披露したベルレーヌはルミナスリバティーの舞姫として、多くの協力者に囲まれ、賑やかな席でお酒を嗜んでいる。
ステージ上では白の騎士、リカルドが引き続き手品を披露して場の空気を温めている。
慣れないバーの雰囲気に飲み込まれそうになるエリサはポールに誘われ、ゆったりとしたソファー席に座って、バーの料理人が調理した料理に舌鼓を打った。
「羊料理なんて、初めて食べたかも」
「そうだろうな、俺もこの店くらいでしか食べたことはねぇよ」
ナイフとフォークを駆使して一口大に切り分け、ラム肉のソテーを口に運ぶエリサ。
大皿に盛られたラム肉のソテーはミディアムレムに焼き上げられ、甘酸っぱいバルサミコソースの味が染み込んでいて、臭みもなく絶品だ。
上品な王宮料理とは違う、独特の味付けが施された料理は意外にもエリサの味覚に合い、演奏を疲れを解きほぐしてくれた。
「王子、歓迎会は楽しんでくれたか?」
「うん、王宮での日々は堅苦しくて、レッスンばかりで、折角練習してきたピアノも嫌いになりそうだった。でも、ポールさんも含めてみんな活き活きと演奏していて、凄く上手だったよ」
「俺だって王子と同じさ。最初から上手かったわけじゃねぇ。個性的で面白いメンバーとの演奏が楽しいから好きになる。好きになるからもっと吹きたくなる。ただ、それだけのことさ。あいつのために、見栄を張ってるっていうのもあるけどな」
グラスに入ったモルトウイスキーを飲みながら、ポールの視線は別のテーブル席で客達と盛り上がる、ベルレーヌの方を向いていた。
同じソファーで隣に座るエリサと視線も自然とベルレーヌの方に引き寄せられる。
「好きなんですね」
「愛しているさ。そうでなければ、何度もこの街を訪れたりしねぇよ」
「僕には皆さんほど、異性を好きになる大切さを理解することは出来ません。でも、誰かを大切にしたいという気持ちはよく分かります」
惚れ込んだベルレーヌの姿を眺めながら、しみじみと口にするポールにエリサは言った。エリサの頭の中では自分を慕ってくれるクオンのことが真っ先に浮かんでいた。
「ベルレーヌのお腹にはな、俺の子どもがいるんだよ」
唐突に打ち明けられたポールの言葉にエリサは絶句した。
それは、世界的には当たり前のことであっても、このシカリア王国の中では、極めて危険極まりない二人の状況を意味するからだ。




